フィレンツェだより
2007年8月29日



 




サンタ・トリニタ広場



§フィレンツェの教会(第3回)

サンティ・アポストリ教会(以下,アポストリ教会)のガイドブックがすぐれものであることは,昨日述べた.


 絵や彫刻に関する情報が一覧表になっているうえ,その多くは写真も掲載されている.ところが,先人との影響関係についてまで言及されているにもかかわらず,パオーロ・スキアーヴォの剥離フレスコ画「聖母子」とシノピアの写真は掲載されていない.

写真:
パオーロ・スキアーヴォ作
剥離フレスコ画「聖母子」(右)
シノピア(左)
サンティ・アポストリ教会


 アポストリ教会はフィレンツェでも古い由緒ある教会だが,決して大きくはない.大修道会に関わることなく,教区教会として地元の信者に支えられてきたことが誇りの,言ってみれば町の小さな教会と言えるだろう.

 この規模だからこそ,僅か50ページの冊子で殆ど全作品を紹介し,写真も掲載できるのだろう.これがサンティッシマ・アヌンツィアータ教会とか,オンニサンティ教会,サンタ・トリニタ教会くらいの規模になると,全部の作品を網羅して,読者が満足する程度の写真を載せるとなると,相当厚い,高価な本になってしまうのは避けられないだろう.

 そういう意味ではサンタ・マリーア・ノヴェッラやサンタ・クローチェのガイドブックはよくできていると思う.



 アポストリ規模の教会で由緒があり,なおかつ現在も多くの芸術作品を保有している教会として,サンタ・マリーア・マッジョーレ教会(以下,マッジョーレ教会)があるが,今のところ,この教会を紹介した本には出会っていない.

 サンタンブロージョやサン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ教会(以下,フェリーチェ教会)はアポストリ教会より少しだけ大きく,サンタ・フェリチタ教会(以下,フェリチタ教会)はもう少し大きい.フェリチタ教会には,ちょっと興味を抱き始めた私くらいのレヴェルであれば,十分満足の行く,しかも英語版のガイドブックが存在する.

 サン・ミケリーノ・ヴィスドミニ教会(以下,ヴィスドミニ教会)にはポントルモの板絵「聖なる会話」という大傑作があり,他にも16世紀後半以降の作品だが,相当な水準の作品が複数見られる.剥落して断片しか残っていないし,誰の作品かはわからないがフレスコ画も少しある.

 サンタ・マリーア・マッダレーナ・デ(ーイ)・パッツィ教会(以下,パッツィ教会)は規模も大きく,作品数も多く,通常見られるものの中にもコジモ・ロッセッリの「聖母被昇天と聖人たち」などの傑作もあるが,なによりもペルジーノのフレスコ画「キリスト磔刑」がある.残念ながら,このフレスコ画は何度足を運んでも「キウーゾ」(閉鎖中)の張り紙があって,今のところ見せてもらっていない.

 パッツィ教会には市が立てた解説看板の他に,館内案内板もあり,さらに教会の美術作品の保全を支援している金融機関が立てた解説板もある.この解説板はサンタンブロージョにもあったが,ウィキペディアの「フィレンツェの教会」と同じくらいの網羅度で,かなり有益だ.

 街中にあるサン・ジョヴァンニーノ・デ(ーイ)・スコローピ教会(以下,スコローピ教会)もそこそこの規模の教会で,アッローリやクッラーディの板絵もあるし,行くたびに何がしかの発見のある所だ.



 ミケランジェロ広場のある丘のサン・ミニアート・アル・モンテ教会に行ったなら,疲れていなければついでに,サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会に寄ると良い.

 ネーリ・ディ・ビッチの「玉座の聖母子と聖人たち」,ロッセッロ・ディ・ヤーコポ・フランキの「聖コスマス,聖ダミアヌスと聖アントニウス」という祭壇画などが見られるし,ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタ「キリスト降架」などもあり,美しい教会の雰囲気を十分に堪能できるだろう.

 板絵,カンヴァス画,ステンドグラスに関しては今のところ情報がないが,アポストリ教会のガイドブックと同じシリーズにこの教会に関する本もあるようなので,いつか入手したいと思っている.

写真:
彩釉テラコッタ「キリスト降架」
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア
サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会


 その他の教会は小規模で,お祈りや告解に行くのでなければ,ツーリストがわざわざ訪ねるほどではないかも知れないが,サンタ・マルゲリータ・デ(ーイ)・チェルキ教会(以下,チェルキ教会)はダンテとベアトリーチェに縁の深い教会で,街中なので行く人も多い.行けば行ったで,ネーリ・ディ・ビッチもしくは祖父のロレンツォ・ディ・ビッチ作の祭壇画「聖母子と聖人たち」があり,これは見る価値があるだろう.

 近くにあるサンタ・マルゲリータ・イン・サンタ・マリーア・デ(ーイ)・リッチ教会(以下,リッチ教会)は,ことさらに大芸術作品があるわけではないが,繁華な通りに面した教会で,時としてオルガン演奏やコンサートもやっており,雰囲気の良い教会だ.私たちもすでに何度かお邪魔している.ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスターニの一連の「聖母マリアの物語」はもしかしたら,この時代に絵に興味のある人には見て得られるものがあるかも知れない.


サン・カルロ教会
 オルサンミケーレの近くにあり,司祭さんもかけもちでミサをしておられるサン・カルロ・デ(ーイ)・ロンバルディ教会(以下,サン・カルロ教会)は,フィレンツェの目抜き通りであるカルツァイウォーリ通りにあり,外観は古風だが,内装は新しい.

 現在は,ミラノの大司教で,列聖されたカルロ・ボッロメーオの名前で呼ばれているが,元来はサン・ミケーレ教会で,現在の名で呼ばれるようになったのは1616年以降のことらしい.シェイクスピアが死んだ年だが,これを昔のことと感じるか,新しいことと思うかは人によるだろう.

 ドゥオーモの設計に関わったアルノルフォ・ディ・カンビオの設計で1284年に創建されたと聞くと,なるほどと思うような立派な外観だが,現在の建物は14世紀のものだそうだ.これらの事情や歴史的変遷の概要を僅かながらでも知ることができるのは,オルサンミケーレ教会のガイドブックの最後にこのサン・カルロ教会のことも付してあるからだ.

内装が新しいのは,1966年のアルノ川氾濫による大洪水の影響らしい.フィレンツェの街のあちこちに66年の洪水では水位がここまで来たという印がついている.


 この教会の名のもとになった聖人の物語を描いたフレスコ画があるが,これは当然17世紀以降のものだろう.ガイドブックにはニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニもしくはタッデーオ・ガッディの作品とされる祭壇画「キリスト降架と3人のマリアの嘆き」があると書いてあるが,残念ながら見つけられなかった.教会ではオルカーニャ作としている木彫のキリスト磔刑像はガイドブックには作者の名前は書いていなかった.

 ここで見ることができた絵としては,マッテーオ・ロッセッリ「聖カルロ・ボッロメーオの栄光」が確実に著名な画家の作品ということができるだろう.この16世紀の聖人(列聖は1610年)はマッテーオ(1578-1650)にとっては直前の世代の人で,その記憶も生々しい時代に,教会がこの聖人の名前で呼ばれるようになり,その栄光を称える絵が描かれたことになる.この聖人に関しては英語版ウィキペディアが詳しい.

 サンタ・フェリチタのポントルモの大傑作「受胎告知」の天使と聖母の間に,この聖人の輝石でできた肖像画が置かれているという,私たち異教徒にはにわかに信じ難いことが行われている.

写真:
ポントルモの「受胎告知」の真ん中の
聖カルロ・ボッロメーオの肖像画
サンタ・フェリチタ教会


 北イタリア出身の聖人でありながら,この人の名は南イタリアのレッチェでも目にした.いつか「聖人」という存在に関して整理する時に,この人についても考えてみたい.

 フィレンツェで「教会」を考えるとき,サン・カルロ教会は多くの示唆を与えてくれる.建物の歴史,名称の変遷,中世の木彫,中世末期からルネサンスの祭壇画,反宗教改革以後の板絵,そして「聖人」.実際に行ってみると,正直「何だ,これだけか」と不遜な感想を抱きがちだが,ここには様々な要素が凝縮されている.

 他には中央市場とヴェンティセッテ・アプリーレ通りの間にあるサン・バルナバ教会,ピッティ宮殿からローマ門に至るロマーナ通りにあるサン・ピエール・ガットリーノ教会は訪ねたことがあり,どちらに関しても報告している.


拝観を希望!
 フィレンツェで多くの教会を訪ねることができたが,見たい芸術作品のある教会としては次の教会が未拝観である.かっこ内はできれば見せてもらいたい作品だ

 サン・ジョヴァンニーノ・デ(ーイ)・カヴァリエーリ教会(以下,カヴァリエーリ教会)(ビッチ・ディ・ロレンツォ「イエスの誕生」,ネーリ・ディ・ビッチ「聖母戴冠」)とサンタガタ教会(アレッサンドロ・アッローリ「カナの婚礼」)は前の寓居の近くのサン・ガッロ通りにあったのだが,開いている時間帯に近くを通る機会がなかった.

 カヴァリエーリ教会は1度だけ開いていたことがあるが,堂内に入る前に前室(ヴェスティボーロ)があり,そこに誰もいなかったので,入るのを躊躇してしまった.惜しいことをした.パルマ・イル・ジョーヴァネという人の「最後の晩餐」もあるそうだ.

 サンテジーディオ教会(アレッサンドロ・アッローリ「キリスト降架」)は,サンタ・マリーア・ヌオーヴァ病院という由緒ある病院に併設された教会で,多くの芸術品が病院や美術館に移管されてしまったようだし,見たところ工事中で入れないように思えたが,拝観できるものなら拝観してみたい.

 サン・レミージョ教会(エンポリ「無原罪の御宿り」,サン・レミージョの親方「聖母子」)も由緒の古い教会で,できれば拝観したいが,一度だけ前を通りかかった時には開いていなかった.

 サンタ・ルチーア・スル・プラート教会(フィレンツェの画家による「受胎告知」の剥離フレスコ)とサン・パオリーノ教会(フランチェスコ・クッラーディ「聖母子,聖テレサ,十字架の聖ヨハネ」,フランチェスコ・チゼーリ「十字架の聖ヨハネ」)は現在の寓居の近くなので,いずれ拝観の機会があるだろうと思っている.

 サンタ・ルチーア・スル・プラート教会と同じく聖ルキアの名前を冠しているサンタ・ルチーア・デーイ・マニョーリ教会(ピエトロ・ロレンゼッティ「聖ルキア」,セッラーイオ「受胎告知の天使と聖母」)はアルノ川沿いのバルディ通りにあり,2度ほど前を通ったが開いていなかった.

 細い通りをはさんで向かい側の丘の斜面には,アッシジの聖フランシスがその場所に来たという記念のタベルナコロがある.

写真:
聖フランチェスコの訪問を
記念したタベルナコロ


 この教会にはドメニコ・ヴェネツィアーノの「聖なる会話」があったそうだが,今はその作品はウフィッツィにあるとのことだ.それでも,この教会がその名を冠している聖人をピエトロ・ロレンゼッティが描いた絵があり,私が好きな(フィレンツェに来るまでは知らなかったが)セッラーイオの「受胎告知」があるということなので,やはり是非一度は拝観の栄に浴したい.ここにもビッチ・ディ・ロレンツォのフレスコ画があったそうだが,現在は痕跡も残っていないようだ.

 サン・ニッコロ通りのサン・ニッコロ・オルトラノ教会は何度か傍を通っているが,ポッピの板絵とギルランダイオ派の「腰帯の聖母」があるとのことだ.



 サンタポローニア教会とサン・ミケーレ・ア・サン・サルヴィ教会(ロレンツォ・ディ・ビッチ「聖母子」)は,旧修道院の「「食堂」が国立の美術館になっている点で共通しており,前者はオルカーニャ,後者はデル・サルトの「最後の晩餐」を中心に立派な作品を見ることができる.

 どちらも旧「食堂」で大傑作を鑑賞させてもらったのはすでに報告したが,教会は拝観していない.前者はすでに「教会」ではない(エクス・キエーザ)ようだが,後者は現役の教会だ.以前「食堂」に行った時には,午前中なので開いていても不思議はなかったが閉まっていた.通りをはさんだはす向かいに小さく新しい教会か礼拝堂があり,そちらにはお邪魔させてもらった.

 サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・カルツァ教会(エンポリ「福音史家ヨハネと大天使ガブリエル」)も,旧修道院「食堂」にフランチャビージョの「最後の晩餐」がある.現在は会議室になっている旧「食堂」にお邪魔し,中庭付き回廊とフレスコ画は鑑賞させてもらったが,教会は閉まっていた.



 サン・ジュゼッペ教会は同じ名前の教会が2つある.以前の住まいの近くのサンタ・カテリーナ・ダレッサンドリア通りの方の小さな教会は一度だけ拝観している.

 サンタ・クローチェ教会の近くで,その名もサン・ジュゼッペ通りにあるサン・ジュゼッペ教会の方はまだ未見だ.こちらはガイドブックなどでも紹介されていて,タッデーオ・ガッディ,ラファエッリーノ・デル・ガルボ,サンティ・ディ・ティートの作品がある(『最新完全版ガイドブック フィレンツェ』,p.166)とのことなので,是非行きたいと思っている.一度夕方に行ったが開いておらずあきらめたが,その帰路にサンタンブロージョ教会に出会えた.



 サント・ステパノ・アル・ポンテ教会とサン・パンクラツィオ教会はいわゆるエクス・キエーザで,現役の教会ではない.教会だった施設を教会でなくすことをスコンサクラーレといい,そうした元教会にはその過去分詞スコンサクラート(女性形はスコンサクラータ)という形容詞が付くが,これらがそれにあたる.

 どちらも由緒ある教会のようだが,前者はコンサート会場,後者はマリーノ・マリーニ美術館として建造物としては今も活躍している.両方とも外からは見たことがあるが,入ったことはない.

 前者の美術館に所蔵されているジョットが若い頃描いた「聖母子」は,「ヴァルダルノのルネサンス」のモストラでフィリーネ・ヴァルダルノの宗教美術博物館に出張しているのをバス・ツァーで見せてもらった.


今フィレンツェにいる幸運
 拝観,未拝観の教会に共通して私の興味をひいている要素は,その多くが10世紀前後に創建されており,建物,管理主体および名称に変遷があること,そしてその背景にいた保護者や修道会の栄枯盛衰があり,中世(ゴシック),ルネサンス,マニエリスム,バロックと美術史をなぞるような収蔵品の数々が見られることだろうか.

 アカデミア美術館の板絵のゴシック絵画コレクションや,ウフィッツィのチマブーエやジョットの祭壇画は,もとは教会や修道院にあったものだ.それらの教会や修道院がエクス・キエーザ,エクス・コンヴェント(元修道院)となって,そこにあった宗教芸術の多くが他の教会や修道院に移されたり,何かの事情で個人のコレクションになったりした.

 フィエーゾレのバンディーニ美術館にも多くのゴシック絵画があるが,バンディーニという個人のコレクションをもとにしている.

 ウフィッツィにあるチマブーエの聖母子はサンタ・トリニタ教会,ジョットの「聖母子」はオンニサンティ教会にあったそうなので,現役の,しかも大教会にあった作品が美術館に収蔵されていることになる.

 こうした美術品は教会や修道院に飾られることを前提にして描かれたり,彫られたりしたものだが,もとの教会や修道院にあった方が良いのか,美術館で大切に保管されながら,一般にも公開されたほうが良いのかは一概には言えないだろう.

 以前はたくさんあった修道院が,大教会に併設されたものであってもすでに元修道院になってしまっている現状では,今後,教会や修道院が美術品をきちんと保全・修復できるだけの組織を維持していくのはますます難しくなるだろう.宗教,政治,経済の問題が複雑に絡むので,今後どうなるかは誰にも予想がつかないと思う.

 そういう意味では,今,フィレンツェに長期間滞在できて,多くの教会や美術館を訪ねることができるのは稀有の幸運に恵まれているとしか言いようが無い.




フィレンツェの風景