フィレンツェだより |
ヴァザーリのフレスコ画とウッチェッロのステンドグラス「イエスの復活」 ドゥオーモのクーポラ |
§フィレンツェの教会(第2回) サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会とサンタ・クローチェ教会は,フィレンツェ観光の大きな目玉(「大目玉」ではない)なので,ガイドブックもまずまず充実している. 前者に関しては,
の2つを参照している.いずれも英訳版で,教会のブックショップや街中の書店で売っている.テクストは後者が充実しているが,前者は大判で,写真の大きさが捨て難い. サンタ・クローチェに関しては,
を教会のブックショップで購入して参照している.これも英訳版だ.サンタ・クローチェに関してはサンタ・マリーア・ノヴェッラと同じく,同じ出版社で別の著者によるコンパクト版が出ており,これもいずれ買おうと思っている. バジリカという名の教会では他には,
を入手している.サン・ミニアート・アル・モンテは英訳版,サン・ロレンツォは日本語訳である. 後者はフィレンツェの美術館に関する「公認ガイドブック」と銘打たれた一連のシリーズになっており,新書型のコンパクトな本で,多くの場合日本語版が存在する.ウフィッツィ美術館,パラティーナ美術館,アカデミア美術館に関してもこのシリーズの日本語版を大いに参考にさせてもらっているし,バルジェッロ美術館,考古学博物館に関してはこの英訳版を購入・参照している. このシリーズから,
が出ているが,サン・マルコ教会のことは殆ど書かれていない. サンティッシマ・アヌンツィアータ教会に関しては,
を教会で聖具室係の人から購入した.この本は英訳・改訂版だが,改訂されたのが随分昔で,もとの本に使ってあったのであろう,写真も相当古く,画質が悪いだけでなく何枚かは反転している.そのうえ説明の足りない部分が多い.しかし,なにせ一度では見切れない大物教会だけに,何も無しでは辛いので,この程度でも存在しているのは大変有り難い. サンタ・トリニタ,オンニサンティ,サント・スピリトに関しては手頃なガイドブックをまだ見つけていない. 時々露店の古本屋で,特定の教会を紹介した大型の本を見ることがある.サンタ・トリニタにスピネッロ・アレティーノのフレスコ画があることもそういった本を立ち読みして知った.写真が大きく,説明が詳しいこの種の本も欲しいような気がするが,置く場所と日本に送る手段のことを考えて躊躇している. バジリカ以外の教会では,
が入手できている.ガエタノ教会のものは写真がきれいで,出版年がわからないが多分修復後の最近に出されたのだと思う.英訳版があった.オルサンミケーレは古い本の改訂版で,伊英対訳になっていて,情報の総量は半分だが,それぞれの言葉で用語を確認できるので便利だ.サンタ・フェリチタ教会のものは大変な力作だと思う.この教会の観光資源としてはポントルモのフレスコ画と板絵が圧倒的だが,その他の作品に関しても非公開のものも含め,わかりやすく解説してくれている. サンティ・アポストリ教会は小さい教会だが,それだけ価値があるのだろう,ちゃんとガイドブックがある.これと同じシリーズで,メディチ・リッカルディ宮殿,フィエーゾレのバンディーニ美術館,カーシャのマザッチョ宗教美術博物館のものを持っている.メディチ・リッカルディのものだけが英訳版で,そのほかはイタリア語版だが,大変な充実度のシリーズで,サンティ・アポストリ規模の教会で,これだけ丁寧な解説をまとめてくれているのは非常にありがたく有益だ. このシリーズには他に,捨て子養育院,バディア・フィオレンティーナ,ポッジョ・ア・カイアーノのメディチ家別荘(フランチャビージョの「キケロの勝利」がある),サント・スピリト教会と修道院,カレッジのメディチ家別荘,サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会,などがあるようだ.またトスカーナにある教会の「宗教美術博物館」も幾つかシリーズに入っているようなので,入手可能なら是非ほしい. インターネットの情報 こうしたガイドブックが無い,もしくは見つからない,またそれだけでは情報が足りない場合,イタリア語版のウィキペディアにある「フィレンツェの教会」(キエーゼ・ディ・フィレンツェ)は大変有益で,個々の教会に関するかなりの情報を網羅的に提供してくれる. 他の都市にある教会に関しても,ウィキペディアである程度の知識を得られるが,ほとんど場合,外観と美術作品の写真まで掲載されているフィレンツェの教会ほど詳しい情報は得られない. ネット上の百科事典という性質上,多くの場合「編集中」であったり,また誰が書いたかによって,出来不出来があるのはやむをえないだろう.人文主義者ポッジョ・ブラッチョリーニに関して情報を得ようと思ったとき,イタリア語版より英語版が圧倒的な情報量で驚いたこともある.
ともかく「フィレンツェの教会」に関しては,イタリア語版ウィキペディアの実力は相当なもののように思える.もちろん,専門家が見れば不正確な点,もの足りない点は少なくないかもしれないが,今のところ,私にとっては大変有益である. 芸術家に関しては,まだ項目がなかったり,原稿募集中であったりする場合も少なくない.ナルディーニのような重要な作家に関して情報提供がなかったりもするが,なかなか情報の得られなかったフランチェスコ・クッラーディに関して詳しく教えてもらえた時には,思わず手を合わせたくなった. 芸術家に関してはウェブ・ギャラリー・オヴ・アートが有益で,よく参照しているが,クッラーディに関しては情報がなかった.
![]() 先日,またサント・スピリト教会に行ってみたが,.いつものように扉は閉まっていて,その前の階段には当てが外れた様子のツーリストの人たちが何人か座り込んでいた. その光景を眺めているうちに,ふと,ガイドブックには夕方は4時半からとあるものの,もしかしたら実際は5時から開くのかも知れないという期待がわいてきて,近くのサン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ教会に寄って時間を潰し,5時過ぎにまた来ることにした. サン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ教会 サン・フェリーチェ教会は開いていた.ツーリストの女性がカメラを構えていたが,多分ボランティアの信者の方に注意されていたので,やはりこの教会は,特に断っていないけど,写真はだめなんだなと思って,カメラをしまった.実は写真OKなら是非,写したい作品がこの教会には少なくない. 最初に来たときは,中央祭壇にあるキリスト磔刑像を見て,これは大変なものだと思った.ジョット派の作品とされているもので,やはりそれなりの評価を得ているようだ. ![]() 聖人を識別するときはその人物が持っているアトリビュートが決め手になる.たとば「鍵」なら聖ペテロ,「剣」なら聖パウロで,殉教者である場合は「棕櫚の枝」を持っていることが多い.聖カタリナは棕櫚の枝を持って,車輪とともに描かれる.鉄格子ならラウレンティウス,頭に石が乗っていれば聖ステパノだ.ロッコは殉教者ではないので棕櫚は持っていないが,森で太腿など自分の体の一部を切り取って犬に与えたと言われているので,脚に怪我をして描かれる. ロッコについては,この絵を見るまで知らなかった.この絵を見て知識を得た後,フィレンツェ周辺では比較的よく見かける絵柄であることがわかった.修道院長アントニウスはわかりにくいが,やはりフィレンツェ周辺もしくはイタリア各地でよく絵に描かれる人物なので,「司教冠をかぶっていない,地味な恰好で杖と本を持っている老人の聖職者または修道士」はこの人だとまず思うことにしている.
ボッティチェッリ工房もしくはボッティチェッリ派の作品は,「聖母子」を中心にいくつか見ているが,いずれも感動するほどのものではなかったのに比べて,この作品は最初から印象に残るものだったので,マカダム本の示唆は我が意を得たような気がしている.ただし,フィリピーノ・リッピだと大物過ぎるので,素人判断での賛否は述べないことにする. ![]()
フレスコ画にも見るべきものがあるように思えるが,その中の一つがビッチ・ディ・ロレンツォ作とされる「腰帯の聖母被昇天と聖人たち」である.剥落が進んでいるが,人の心を打つのに十分な気品と風格を備えた作品だと思う. ビッチ・ディ・ロレンツォに帰せられるフレスコ画はサン・マルコ教会にもあるが,いずれも「帰せられる」ということで,断定はされておらず,保全・修復も十分ではない.いずれは消え行く運命にあるのかも知れないが,この「腰帯の聖母被昇天と聖人たち」などは比較的よく保存されているように思うので,今後も大切に守られていくことを祈る.
フレスコ画としては新しいが,サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのバジリカ付属美術館でその作品を鑑賞したジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニが描き始め,ヴォルテッラーノが完成した「聖マクシムス(サン・マッシモ)を救う聖フェリックス(サン・フェリーチェ)」があった.教会の名のもとになる聖人を主題にした作品なので,大事なものであるのは間違いないだろう. ![]()
ナポリ出身の17世紀のこの画家はパラティーナ美術館でもその作品を見ることができるが,もし本当にローザの作品だとすれば,彼もまた宗教的題材を扱ったカトリックの国出身の画家なのだという当たり前の事実に気づかされる. ただ,作品としてはまた見たいかと言われると,私にとって何度も見たいのは伝ビッチ・ディ・ロレンツォの「腰帯の聖母被昇天と聖人たち」とボッティチェッリ工房の「三人の聖人たち」ということになる.
![]() この教会もまた,ジョット派の十字架,伝ビッチ・ディロレンツォのフレスコ画,ネーリ・ディ・ビッチの祭壇画,ボッティチェルリ工房とリドルフォ・デル・ギルランダイオの板絵,ロッビア一族風の彩釉テラコッタ,と中世からルネサンスの芸術のエッセンスを備え,さらにエンポリ以下の対抗宗教改革以降の宗教画,時を経て完成された新しい時代のフレスコ画まであって,少なくとも14世紀から17世紀までもそれぞれの特徴を示してくれる作品に満ちた教会であることがわかる. 以前,5月23日にサン・フェリーチェについて書いたとき「祭壇には漁港の庶民に見える人々に囲まれた聖母子という現代画もあった」と思ったが,これは勘違いだったようだ.「現代画」なのは間違いないと思うし,「聖母子とサン・ジョヴァンニーノ」という絵柄だとは思うが,「漁港の庶民」は完全に私の思い込みだったように思う. 「花の聖母マリア」の宝 「フィレンツェの教会」という題目で文章を書き始めた時,3回でまとめようと思ったが,あれも書きたい,これも言いたい,で,なかなかまとまる自信がない.できれば,次回でまとめたいが,今日予定していたことも書いていないので,もしかしたら,次回以降も続けることになるかも知れない. 最後のオチは,「そう言えばドゥオーモもあった」というまとめになるはずだったが,予定を変えて今日ドゥオーモに関しても少しだけ述べる. ![]() バジリカ・ディ・サンタ・マリーア・デル・フィオーレ というのが教会としての名前なので,「花の聖母マリア」という名のバジリカ(聖堂)ということになる.
ラテン語では男性名詞,ギリシア語のアントスは中性名詞だが,ドイツ語のブルーメは女性名詞だ.フランス語は語源的にはラテン語やイタリア語と同じ語なのに女性名詞だ.文法的な「性」から考えるのは意味がないかも知れないが,いずれにせよ,「花の聖母」という私たちにとって非常に美しく聞こえる言葉の「花」は,ここでは「イエス・キリスト」という男性を指すらしい. フィレンツェのドゥオーモもまた堂内に入るのに拝観料はない.ただし,入場希望者が多いので,入場制限があって,多少並ばなければならない場合もあるが,大体は,それほど待たずに入場することができる.「生きた宗教施設」だから,当然ツーリストの希望より,宗教的行事優先で,ミサも説教も告解も行われる. クーポラやジョットの鐘楼に登るためには入場料が必要だが,これは観光客対象なので,当然だ.地下の聖レパラータ教会の遺構に入るのにも入場料がかかるが,これは完全に現役の宗教施設ではなく,一種の博物館だから,これも当然だろう.
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古いファサードに飾ってあったものや,堂内にあったものでも,今はドゥオーモ博物館(もちろん入館料がかかる)にあるものが多いが,現在の堂内にも多くの作品が見られる.ドゥオーモはなまじ巨大なだけに,少し寂しい感じがするだけで,実際には傑作がたくさんあると言っても過言ではないだろう. ウッチェッロやデル・カスターニョのフレスコ画,ミケリーノの「神曲を示すダンテ」などはわかりやすいが,彫像やステンド・グラスにも見るべきものがある.その時々で状況が異なるが,ロープが張ってあって入れない空間もあり,私たちはまだ見ていないがルーカ・デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタもある. 一方,今まで実は見ていたのに,気づいていなかったものもある.ファサードに裏には大きな時計があり,その下に聖母戴冠のモザイク,その両脇に「楽を奏する天使たち」と「花を持つ子ども」のフレスコ画がある.四隅に聖人たちを配した時計の文字盤もフレスコ画で,描いたのはパオーロ・ウッチェッロだ.これは知っていたが,モザイクの両脇のフレスコ画の作者はサンティ・ディ・ティート,これは知らなかった.
もう一つ知らなかったことで大変重要なのが「聖母戴冠」のモザイクの作者だ.ガッド・ガッディ.タッデーオ・ガッディの父,アーニョロ・ガッディの祖父で,三代続けて大芸術家を輩出した家系の始祖である.彼の作品をどこかで見られないものかとずっと思っていた.まぬけなことにもう見ていたのだ.それもフィレンツェの中心であるドゥオーモの,ファサードの裏の一番良いところにあったことになる. 教えてくださったのは,フィレンツェに留学しているローマ史が専門の大学院生,福山佑子さんである.彼女は,以前たまたま私の授業に何度か出てくれた人なのだが,これからも有益な情報を色々提供してくれそうだ.友人知己がいるということは良いことなのだ,やはり. ドゥオーモに関してはガイドブックの日本語訳がある.
で,この本もまた有益な本だ.若干活字が読みにくいが,外国で出版された日本語の本ということを考えれば,特に欠点という程のことではない.この本の76ページに「聖母戴冠」がガッド・ガッディの作品であることも触れてあった.また1ヶ月前に私たちの新知識だった,ドゥオーモの北側側面のリュネット(ルネッタ)にドメニコとダヴィデのギルランダイオ兄弟による「受胎告知」のモザイクがあることも73ページに書かれていた.ただし,このリュネットのある部分は現在修復中で見られないようである. この本にはサン・ジョヴァンニ洗礼堂の天井のモザイクについても解説があったが,15世紀に修復を担当したのはバルドヴィネッティであると書いてあった.ヴァザーリはアレッソ・バルドヴィネッティをギルランダイオの「絵画とモザイクの師匠」と書いているので,モザイクの伝統もまた,13世紀のガッド・ガッディ,もしくはそれ以前から15世紀のギルランダイオ兄弟までフィレンツェで脈々と受け継がれていたことになる. 今日も暑い一日だった.体調管理が難しいので,気をつけないと. |
ガッド・ガッディ作 モザイク「聖母戴冠」 |
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