フィレンツェだより
2007年8月27日



 




「開かずの教会」
サント・スピリト教会



§フィレンツェの教会(第1回)

美術作品は美術館で見るものだと思っていた.


 昨年,初のローマ旅行で行ったのもヴァチカン美術館とバルベリーニ美術館だったし,ローマからフィレンツェに日帰り旅行を敢行したときも,寄ったのは教会ではなく,パラティーナ美術館だった.どの美術館でも,その作品の多さと水準の高さに,ただただ驚くばかりだった.

 ヴァチカン美術館の鑑賞コースに,システィナ“礼拝堂”が含まれることも大して気にもとめず,板絵とカンヴァス画の区別も,フレスコ画がどういうものかも全然気にしなかった.

 この3月からフィレンツェに滞在できることになったときも,まず行きたいのはウフィッツィ美術館,次にパラティーナ美術館,ダヴィデ像のあるアカデミア美術館だった.

 サン・マルコ美術館でフラ・アンジェリコの「受胎告知」を見たとき,その美術館がもと修道院であることも特に意味のあることとは思わなかった.美術館の続きのサン・マルコ教会も,建物だけが興味の対象だった.

 同じ日にサンティッシマ・アヌンツィアータ教会にも行ったが,アンドレア・デル・サルト他のフレスコ画のある「奉納物の小回廊」を見ても,「ふ〜ん,なかなかのものだ」と思い,デル・サルトの名前に感心しただけだった.バルドヴィネッティもコジモ・ロッセッリもフランチャビージョもポントルモもロッソ・フィオレンティーノもあったのに.



 サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会に初めて行った時も,外観とせいぜいステンド・グラスくらいが見るべきものかと思っていた.

 ガイドブックにはそれぞれの教会で見るべきものとして幾つかの芸術作品が挙げられているのに,それでも気にとめていなかったのは,絵や彫刻は美術館で見るもので,教会は建物を見,その雰囲気を味わうところ,という思い込みが強かったのだろう.

それほど素朴というか,無知な私にとってサンタ・マリーア・ノヴェッラ教会は大変な衝撃だった.ジョットの「キリスト磔刑像」を仰ぎ見たとき,これはもちろんただの美術品ではないわけだが,その美しさ,神々しさに圧倒される思いだった.


 考えてみれば,教会に全く行ったことがなかったわけではなく,パリのノートル・ダム大聖堂など有名な教会も見ているはずだが,教会に芸術作品が溢れているということは体験したことがなかった.サンタ・マリーア・ノヴェッラにある諸作品は,私の想像を遥かに超えていた.

 その時はサンタ・マリーア・ノヴェッラの旧修道院を使った美術館の方は見損ねてしまったが,次に行ったのがサンタ・クローチェ教会だったのは,正しい選択だった.

 サンタ・クローチェの時は,ガイドブックで少し予習もして,ジョットのフレスコ画を見たいとすでに思うようになっていたが,タッデーオ・ガッディもアーニョロ・ガッディもジョヴァンニ・ダ・ミラーノも初めて聞く名前だった.板絵,カンヴァス画もせいぜいヴァザーリの名前を見て,「あ,知ってる名前」だと思ったくらいで,チーゴリもサンティ・ディ・ティートも知らなかった.

 マキアヴェッリ,ミケランジェロ,ガリレオ・ガリレイの墓とか,ダンテやロッシーニの記念碑を見て,こと足れりと思ったわけではないが.このときも旧修道院の美術館は時間切れで見逃してしまった.しかし,フィレンツェの教会が芸術作品の宝庫であることはよくわかった.


拝観料
 教会の堂内に入るのに拝観料がいるのは,私としては抵抗がない.美術品を見せてもらうという目的があるので,信者でもない自分が拝観料を取られるのは当然のことだと思う.

 「宗教は?」とイタリア人に聞かれると「ブッディスタ」と答える私が,日本ではお寺を拝観する時に拝観料を払っている.これは私たちにとってはさほど不思議はないが,イタリア人は不思議に思うようだ.「え,宗教施設じゃないの」という反応らしい.日本でも神社は拝観料は取らないように思う.「生きた宗教施設」とはそういうものだろう.

 日本の有名寺院が拝観料を取るのはそれなりの理屈があるので,お坊さんが祇園で豪遊するのに使われるのはいやだが,美術品としてもすぐれた仏像・仏画や建築の保全・修復に使われるなら何の文句も無い.それどころか,薄謝で鑑賞させてくれるのは大変有り難い.昔なら誰でも見られたわけではないだろうから.

しかし,フィレンツェの教会で堂内に入るのに拝観料を取るのは,サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会,サンタ・クローチェ教会,サン・ロレンツォ教会だけだ.


 これらの教会も「なぜ入場料を取るか」を説明した上で,お祈りと告解だけが主目的の信者のためには別の入口を用意し,宗教行事の時はツーリストや非信者は謝絶される.特に芸術作品の宝庫とも言うべきサンタ・マリーア・ノヴェッラとサンタ・クローチェは拝観料をとって芸術作品の保全・修復の資金を得るのはやむを得ないと思う.サン・ロレンツォも拝観料がかかることについて明快な説明をしている.これ以外の教会で堂内に入るのに拝観料を取るのは今までの経験ではない.

 ただし,どこでも何でも無料というわけではない.たとえばプラートのドゥオーモがそうだったが,拝観料を払ってチケットを買った人だけが,アーニョロ・ガッディ,パオーロ・ウッチェッロ,フィリッポ・リッピのフレスコ画が描かれた礼拝堂に入ることができる.

 アレッツォのサン・フランチェスコ教会でもピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖十字架の物語」を描いた礼拝堂に入るには拝観料がいるだけでなく,場合によっては入場制限があり,予約が必要だったりする.フィレンツェでもマザッチョ,マゾリーノ,フィリピーノ・リッピのフレスコ画のあるサンタ・マリーア・デル・カルミネ教会のブランカッチ礼拝堂に入るには予約と拝観料が必要だ.

 また,小額の喜捨で礼拝堂に明かりがついてフレスコ画などがよく見えるようになるやり方もある.フィレンツェでもギルランダイオの「聖フランシスの物語」があるサンタ・トリニタ教会のサッセッティ礼拝堂,ポントルモの「受胎告知」があるサンタ・フェリチタ教会のカッポーニ礼拝堂がこの方式で,ルッカやピストイアでもこの方式は見られた.サンタ・トリニタ教会は,サッセッティ礼拝堂以外の礼拝堂は喜捨なしで明かりをつけることができる.

 とりわけ,バルトリーニ・サリンベーニ礼拝堂は,ロレンツォ・モナコというギルランダイオに勝るとも劣らない大芸術家の「聖母マリアの生涯」のフレスコ画と「受胎告知」の祭壇画があるというのに,いつでも明かりがついている.その隣の礼拝堂では剥落が進んでいるとはいえ,スピネッロ・アレティーノのフレスコ画「聖母子と聖人たち」とビッチ・ディ・ロレンツォの祭壇画「聖母戴冠」が見られるが,ここも無料で明かりもつく.

写真:
ロレンツォ・モナコ作
「聖母マリアの生涯」(部分)
サンタ・トリニタ教会


 入場料を取るところでは美術館同様,写真厳禁である場合が多い.しかし,サンタ・クローチェは写真を撮っても良いし,同教会の美術館もフラッシュを焚かなければOKだ.

 この「フラッシュ無しならOK」というところも少なくないが,その場合はフラッシュに×をつけた絵が書かれていることが多い.×がフラッシュについているのか,カメラについているのか紛らわしい場合もある.サン・ロレンツォは聖堂内は完全に撮影禁止だ.

 拝観料のないサンタ・トリニタやオンニサンティでは,写真はフラッシュを焚かなければOKだ.実際にはフラッシュを焚いている人もいるが,注意する人員の手当てもつかないのだと思う.サン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ教会では,服装の注意はあるが,特に写真に関する張り紙などはない.しかし,信者のボランティアのように見える人がカメラを構えるツーリストに注意するので,写真禁止のようだ.


バジリカ(聖堂)とキエーザ(教会)
 サンタ・マリーア・ノヴェッラはドメニコ会,サンタ・クローチェはフランチェスコ会とカトリックの代表的な大修道会の教会で規模も大きいが,私たち非信徒にとっては何よりも芸術作品に溢れた2大教会というイメージを抱かせる.

 サン・ロレンツォも大きな教会だ.ミケランジェロの彫刻で有名な新聖具室のあるメディチ家礼拝堂は国立の美術館になっているので,こちらは別途入場料が必要だが,春・秋の文化週間には「入場無料」のときもあり,私たちも恩恵を蒙った.

 イタリア語で教会をキエーザと言い,多くの教会は「〜教会」という時「キエーザ・ディ・〜」となるが,一部「バジリカ・ディ・〜」となる教会もあり,フィレンツェではサンタ・マリーア・ノヴェッラ,サンタ・クローチェの他に,サン・ロレンツォがそうだし,他にも,

 サン・マルコ教会
 サンティッシマ・アヌンツィアータ教会
 サンタ・トリニタ教会
 サン・ミニアート・アル・モンテ教会
 サント・スピリト教会
 サンタ・マリーア・デル・カルミネ教会

が該当する.いずれも,地区を代表する大教会だが,サン・マルコとサンティッシマ・アヌンツィアータ,サント・スピリトとカルミネにように,非常に近くに位置している場合もある.

 バジリカと称する基準は今ひとつわからないが,今のところ,漠然と大教会を指すと思っている.フィレンツェ以外ではサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのマリーア・サンティッシマ・デッレ・グラーツィエ教会がバジリカと称していたし,ローマのサン・ピエトロ大聖堂の「大聖堂」もバジリカであるらしい.

 サン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会もかなり大きいが,バジリカではなくキエーザが通称になっている.バディア・フィオレンティーナ教会(と私も書くが)のイタリア語の通称は,バジリカでもキエーザでもなく単にバディア・フィオレンティーナで,バディアは本来アバッツィアと同様に「修道院」の意味で,「フィレンツェの修道院」というのがもともとの意味らしい.この教会もかなり大きいがバジリカとは称していない.


公開されていない場所,作品
 見た目は大きくないが,オルサンミケーレ教会は有名だし,芸術的傑作に満ちている.しかもその多くは外壁の壁龕にある聖人の彫像なので,教会が閉まっていても見られる.開いている時間には堂内で,様々な作家による聖人のフレスコ画と,オルカーニャの大傑作である大理石の礼拝壇とそこに納められたベルナルド・ダッディの「聖母子と聖人たち,天使たち」が見られ,これもまたすばらしい.

 サンタ・フェリチタ教会はヴァザーリの回廊が通っており,ポントルモの「受胎告知」があることで知られる.ここも開いていれば,多くの板絵やフレスコ画を見ることができるが,何度か通っても見られないものもある.タッデーオ・ガッディのポリプティク(多翼祭壇画)やネーリ・ディ・ビッチの「聖フェリチタ」,ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ,ビッチ・ディ・ロレンツォのフレスコ画がそうだ.幸いにこの教会に特化したガイドブックが入手できたので,どういう絵かはわかるが,是非実物を見てみたい.

 殆どの教会は入場無料だが,開いている時間が限られるのと,見られない作品がかなり有ることが難点だ.サンタ・クローチェは拝観料を取るが,一部の礼拝堂は見られない.アーニョロ・ガッディのフレスコ画「聖十字架の物語」のある中央礼拝堂や,マーゾ・ディ・バンコのフレスコ画「聖シルウェステルの物語」のある礼拝堂がそうだ.前者は金沢大学の宮下孝晴教授の紹介で日本人の篤志家の寄付で修復中らしいということがわかった.

 サンタ・マリーア・ノヴェッラの修道院でも,大回廊など非公開部分のフレスコ画などは見られない.

 下の写真は,サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会の「死者たちの回廊」だ.通常は非公開だが,教会隣接のツーリストインフォメーションの窓から一部を覗くことができ,オルカーニャ兄弟に帰せられる「イエスの誕生」のフレスコ画と,ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア作の大きな彩釉テラコッタ「我に触れるな」(キリストは鍬を持っている)を垣間見ることができる.

写真:
「死者たちの回廊」
サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会



無言の大伽藍,サント・スピリト
 大きな教会でまだ拝観していないのがサント・スピリト教会だ.ここは旧修道院「食堂」の美術館とともに「修復中」と『地球の歩き方』にはあったので,半ばあきらめていたが,先日,旧「食堂」美術館を見ることができたので,教会の方ももしかしたら再び公開されているのではないかと思うに至った.

 実際のところ,最新版の英語版ガイドブックFlorence & Tuscanyでは公開時間まで書いてあり,「修復中」とは書いていない.月から金までは午前中と夕方開いていて,水曜日は午前中のみとあったので,思い立った22日の水曜日はあきらめ,23日の夕方,ガイドブックで「開く」という時間の4時半を目指してサント・スピリトまで歩いた行った.

 しかし,やはり開いていなかった.フィレンツェに来て何度もサント・スピリトのファサードの前に立ったが扉が開いているのを一度も見たことがない.サン・マルコ教会のように外側にも内側にも足場が組んであって,いかにも「修復中」という様子でもないし,それにサン・マルコはそういう状態であっても公開されている.

サント・スピリトの巨大なファサードについている3つの小さな扉がどこも開いていない様子を見ると,永遠に入れてもらえないのではないかという絶望感にとらわれる.


 サント・スピリトにはマーゾ・ディ・バンコのポリプティク(多翼祭壇画)があるということなので,これは是非拝観の栄に浴したい.他にはフィリピーノ・リッピ,ラファエッリーノ・デル・ガルボの作品があるということなので,これも見てみたい.マーゾの中に中世末期からルネサンスという時代の流れを,リッピやデル・ガルボの作品にはルネサンスの盛衰を見たい.リドルフォとミケーレというドメニコの子と孫であるギルランダイオの共作もあるらしいし,コジモ・ロッセッリの作品もあるとのことなので,ここでは絵画のルネサンスを堪能することができるだろう.

 またサント・スピリトにはアレッサンドロ・アッローリの作品が数点あるとのことだ.16世紀後半の板絵やカンヴァス画の持つ意味は「反宗教改革」と関係が深いらしいことはおぼろげなら見えてくるが,ブロンズィーノからアレッサンドロ・アッローリという師弟関係に以後のフィレンツェ周辺の宗教画の核もあるらしいことは,複数の教会を訪ねる過程で見えてくるような気がする.ナルディーニ,ポッピ,エンポリ,チーゴリ,サンティ・ディ・ティートがそうだし,フランチェスコ・クッラーディ,マッテーオ・ロッセッリ,ヤーコポ・ヴィニャーリと,16世紀後半から17世紀にかけての画家たちには何か共通のものがあるように思える.

 「聖アウグスティヌスの物語」のフレスコ画は,サン・ジミニャーノのサンタゴスティーノ教会でもベノッツォ・ゴッツォリのものを見たが,サント・スピリトでも様々な画家の手になるものが見られるというのは,この教会がサンタゴスティーノ修道会(聖アウグスチノ,聖アウグスティヌス)修道会の教会ということともちろん関係しているだろう.

 バディア・フィオレンティーナはベネディクト会,サン・ミニアート・アル・モンテはオリヴェート会,サンタ・マリーア・デル・カルミネはカルメル会とそれぞれ背景となる修道会がある.大組織としてのカトリック教会と修道会,そして個々の教会の関係もどこかで整理して学んで見ることには意味があるだろう.

 目に見える現象としては,英語でベネディクト会修道士をブラック・マンク(黒い修道士)というそうだが,バディア・フィオレンティーナの「オレンジの回廊」の連作フレスコ画「聖ベネディクトの生涯」に見られる修道士たちは黒衣を着ている(左下の写真).

 しかし,ベネディクトの趣旨をいっそう厳格に守ることを意図して創設されたオリヴェート会の修道士たちは白い衣を着ている.サン・ミニアート・アル・モンテ教会聖具室のスピネッロ・アレティーノ作「聖ベネディクトの生涯」で修道士たちが白い服装なのはそのためだと言われている(右下の写真).




バディア・フィオレンティーナの「オレンジの回廊」




サン・ミニアート・アル・モンテ教会聖具室



 ともかくサント・スピリトで多くの芸術に接することができ,色々なことを考える契機が得られるはずである.開いているのを一度も見たことがないファサードの前で,呆然としながら,いつかは見たいと思いながら帰路についた.(明日に続く)



 昨日で,無事フィレンツェ滞在6ヶ月目に突入した.恒例に従って,昨日は高め(12ユーロ)のワインを開け,今日は李慶餘飯店で外食し,チンタオ・ビール(ビッラ・チネーゼ)で乾杯した.少し遠くなったので,タバッキでチケットを購入し,17番の路線バスを初めて利用した.中央駅の前から,ドゥオーモ広場,カヴール通りを経由してサン・マルコ広場を通る,まさにチェントロ(市内中心部)に向かう路線で,これからも大いに利用させてもらう.

 帰りは駅に用事があったので,徒歩で帰ってきたが,ヴェンティセッテ・アプリーレ通り,ナツィオナーレ通りと,すでに懐かしい気持ちを抱きながら歩いた.今日は久しぶりに暑い一日だった.