フィレンツェだより
2007年8月24日



 




パレストリーナ通り
右下はバールの看板「三叉の矛を持つポセイドン」



§フィレンツェと音楽

勤務先の国際課の職員の方から連絡メールがあり,その中に「ドイツにおられる先生は,もう晩秋の気配とおっしゃっておられますが,フィレンツェはいかがですか」とあった.


 ボンにいる親友の哲学者が言ったのだろうか.さすがにフィレンツェはまだ「晩秋」ではないが,確実に夏は終息に向かっている.

 レッチェにいる時,フィレンツェに大雨が降ったことは聞いたが,戻ってきてからもはっきりしない天気が続いていて,小雨が降っていることが多く,時には大雨になる.イタリアは秋が雨季のようなので,既に秋になりかけているのだろう.

 19日にドイツではないが,スイスのドイツ語圏からお客さんの来訪があった.以前,東京芸大で非常勤講師としてラテン語の授業を担当していた時,出席してくれていたチェンバリストの脇田英里子さんが,フィレンツェの近くに用事があって立ち寄ってくれたのだ.彼女はバーゼル・スコラ・カントールムに留学中で,現代を代表する演奏家アンドレーア・マルコンのもとで研鑽を積んでおられる.

 駅で待ち合わせをして,寓居にお連れして,歓談の後,再び駅までお送りし,ローカル線に乗って目的地に向かわれるのお見送りした.朋有り遠方より来る,また楽しからずや,である.

 2時間ちょっとしか時間がなかったが,せっかくフィレンツェまで来たので,駅の近くのサンタ・マリーア・ノヴェッラ教会に寄ってもらい,フレスコ画と板絵,何よりもジョットの磔刑像を見てもらった.ノヴェッラは以前来たことがあるとのことだったが,感受性の豊かな方なので,また感動を新たにされたようだ.

 寓居滞在は30分だけだったので,かねてから用意していたフレスコバルディのワインは1杯しか振舞えなかったが,それでも美味だと言ってもらった.これは偶然だが,彼女は10月6日(土)に日本で,演奏会を開くとのことで,その際にバッハなどとともにジローラモ・フレスコバルディのチェンバロ曲も演奏される.上野公園の旧東京音楽学校奏楽堂で3時から開かれるコンサートには是非多くの人が聴きに行ってほしい.

 ワイナリーのフレスコバルディ侯爵家はフィレンツェの貴族だが,作曲家とは直接関係はないかもしれない.作曲家はフェッラーラの出身とのことで,一時トスカナ大公のメディチ家の宮廷オルガニストになったこともあるらしいが,特に「フィレンツェの音楽家」というわけではない.大バッハが尊敬したというこのクラスの人であれば,イタリア・バロックを代表する作曲家であって,フィレンツェに限定されるレヴェルの人ではない.音楽史に燦然と輝いている.

写真:
フィレンツェ中央駅のホームで



フィレンツェの音楽家通り
 これも自分で選んだわけではないが,現在のポンテ・アッレ・モッセ通りの寓居の近くにピエルイージ・ダ・パレストリーナ通りがある.パレストリーナが好きな私がその名を冠した通りのすぐ近くに住むのはでき過ぎのような気がするが,特に何か所縁があるわけではなさそうだ.

 ターラントにはドゥオーモ通りと交差するパイジェッロ通りがあった.ロッシーニに先立って「セビリアの理髪師」を書いたパイジェッロはターラント出身だそうである.

 しかし,どこの町に行ってもヴェルディ通りやロッシーニ通りは,作曲家との因縁とは別に存在するようだ.そう思って地図を見ると,このあたりには作曲家の名をつけた通りが目白押しだ.かっこ内に代表作,もしくは私が好きな曲を入れてみた.ギリシア神話やローマ史に取材したオペラがある場合はそれを優先した.

ベネデット・
 マルチェッロ
歌劇「アリアンナ」 フランチェスコ・
 ランディーニ
 
アルフレード・
 カタラーニ
歌劇「ラ・ワリー」 ジョアッキーノ・
 ロッシーニ
歌劇
「セビリアの理髪師」
ルイージ・
 スポンティーニ
歌劇
「ウェスタの巫女」
フィリッポ・パチーニ 歌劇
「ポンペイ最後の日」
フランチェスコ・
 ヴェラチーニ
フルート・ソナタ集 アミルカーレ・
 ポンキエッリ
歌劇「ラ・ジョコンダ」
サヴェーリオ・
 メルカダンテ
フルート協奏曲集 ヴィンチェンツォ・
 ベッリーニ
歌劇「ノルマ」
ドメニコ・
 チマローザ
歌劇「秘密の結婚」 ニコラ・ポルポラ 歌劇「ナクソス島の
アリアドネ」
ガエターノ・
 ドニゼッティ
歌劇「愛の妙薬」 ジャーコモ・
 プッチーニ
歌劇「トスカ」
ジュゼッペ・
 タルティーニ
ヴァイオリン
協奏曲とソナタ集
ジャン=バッティスタ・
 ルッリ
仏語名ジャンバティスト
・リュリ
歌劇「アティス」
フェルッチョ・
 ブゾーニ
歌劇
「ファウスト博士」
ルーカ・マレンツィオ マドリガーレ集
アレッサンドロ・
 ストラデッラ
オラトリオ
 「洗礼者ヨハネ」
ジャン=フランチェスコ・
 パガニーニ
ヴァイオリン協奏曲集
ルッジェーロ・
 レオンカヴァッロ
歌劇「道化師」 ザンドナーイ 歌劇「フランチェスカ・
 ダ・リミニ」
オットリーノ・
 レスピーギ
歌劇「ルクレティア」 アントーニオ・
 ヴィヴァルディ
歌劇
「ウティカのカトー」
アレッサンドロ・
 スカルラッティ
スターバト・マーテル フランチェスコ・
 チレーア
歌劇「アドリアーナ・
 ルクヴルール」
ヤコポ・ペーリ 歌劇
「エウリディーチェ」
ジョヴァンニ・
 パイジェッロ
歌劇
「セビリアの理髪師」
アルカンジェロ・
 コレッリ
合奏協奏曲集 ジャーコモ・カリッシミ オラトリオ
「イェフタの物語」
ルイージ・
 ボッケリーニ
チェロ・ソナタ集    


 いつも行くスーパー「エッセルンガ」はガリアーノ通りにあるが,これは5月に見た歌劇「ダフネ」の作曲家でフィレンツェの音楽家マルコ・ダ・ガリアーノのことかと思ったら,ジュゼッペ・ガリアーノ通りというらしいので違うようだ.

 ガリレオ・ガリレイの父ヴィンチェンツォ・ガリレイもフィレンツェの音楽理論家だが,息子名の通りはあっても,彼の名を冠した通りはないようだ.クラウディオ・モンテヴェルデ通りがあるが,これは大作曲家クラウディオ・モンテヴェルディと同じ人か違う人かわからない.一連の音楽家通りにあるが,違うんだろうな,やっぱり.惜しいけど.

 台本作家オッターヴィオ・リヌッチーニ,指揮者アルトゥーロ・トスカニーニの名を冠した通りもある.リヌッチーニの台本で「世界初」のオペラ「ダフネ」をペーリが作曲した.これは現存しないが,ペーリの「エウリディーチェ」は残っており,「ダフネ」もリヌッチーニの台本にガリアーノが作曲したものは残っていて,5月にそれを見ることができたし,CDもあるようだ.トスカニーニはやはり20世紀イタリアを代表する音楽家だろう.マーラーやリヒャルト・シュトラウスは指揮をしたし,フルトヴェングラーは作曲もしたが,トスカニーニが作曲をしたかどうかは私は知らない.

 全然違うところにあるのが,ルイージ・サルヴァトーレ・ケルビーニ(歌劇「メデア」)通りで,これはサン・マルコ教会とサンティッシマ・アヌンツィアータ教会の北にある.それから,ジュゼッペ・ヴェルディ通りで,これはサンタ・クローチェ教会に行く方の通りで,ヴェルディ劇場もあり,さすがにヴェルディは別格だろうか.パオーロ・マスカーニ(歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」)も随分離れたところにある.

 ドメニコ・スカルラッティ,ダッラピッコラ,ルイージ・ノーノ,アレッサンドロ・マルチェッロ,トンマーゾ・アルビノーニ,ニーノ・ロータ,バルダッサーレ・ガルッピの名前の通りは探したが見つからなかった.


フィレンツェ所縁の音楽家
 このうちフィレンツェで生まれた,もしくは関係が深いのは,ランディーニ,リュリ,ケルビーニで,この3人とも大物だ.ランディーニの墓がサン・ロレンツォ教会にあることは以前に書いた.リュリはフィレンツェ生まれだが,音楽を学んだのも,そして宮廷音楽家,作曲家として活躍したのもフランスだ.ケルビーニもまた,活躍したのも,墓があるのもパリだが,生まれて少年時代を過ごしたのはフィレンツェで,サンタ・クローチェ教会に彼の墓の代りの記念碑があるし,アカデミア美術館の隣には彼の名を冠した音楽学校もある.

 ケルビーニの「メデア」の復活上演に熱心だったのがマリア・カラスで,彼女の当たり役となり,後にはパゾリーニの映画「王女メデア」にも主演することになった.上演したのはフィレンツェ歌劇場だったそうである.もともとはフランス語台本(「メデ」)だったのが,カラス主演のものはイタリア語版だったようだ.

 ピッティ宮殿の近代美術館の特別展示で,カラスが着た衣装を見たが,「メデア」のものがあったかどうかは残念ながら記憶にない.

 フレスコバルディ通りはないが,トリニタ橋のオルトラルノ側(アルノ川南岸)にフレスコバルディ広場がある.しかし,作曲家のジローラモと関係があるかどうかはわからない.リュリやケルビーニの生家を示すプレートもどこかにあるのかも知れないが,今のところ出会っていない.



 音楽関係のプレートではダッラピッコラが住んでいたというプレートに関しては以前報告した.ドゥオーモ近くのオリオ通りにはモーツァルトが滞在した宿屋の跡というプレートがある.

写真:
モーツァルトが滞在した
宿屋がここにあったこと
を示すプレート


 9月に妻の友人が遊びに来てくれるが,フィレンツェ歌劇場の新しいシーズンが始まるので,ヴェルディの「仮面舞踏会」を一緒に見たいと相談している.うまくチケットが取れることを祈念している.





秋になると果物がさらに美味しい
スモモ新登場