フィレンツェだより
2007年7月27日



 




小ぶりだが,野生的な洋梨



§果物の話

子供の頃,西瓜と洋梨とメロン(大体プリンス・メロンだった)は苦手だったが,桃と葡萄はまずまず好きだった.林檎と蜜柑は,あたりはずれはあるものの,概ね好物の方だったと思う.


 果物は,日常的にもフルーツとも言われるように,外国から来たものというイメージがある.昔といっても日本の歴史も長いので,たとえば江戸時代の中期以降にあった果物(これで,「くだもの」と読むのも考えてみれば不思議だ)はどんなものだったのだろうか.私は常用したことがないが「水菓子」という語があるということは,「菓子」の方がまだ一般的だったのだろうか.

 しかし,「菓子」という漢語の文字面を見ると,「果」という構成要素が見えるので,こちらの発想は「菓子」よりも「果物」(漢語では何というのが普通なのだろう,「果実」は漢語だろうが「果物」は和語だろうから)の存在が前提になっており,「水菓子」という言い方とは逆の発想ということになる.葡萄も漢語だが,エキゾチックな感じがするのは,高校の時習った唐詩のせいかも知れない.

 梨も「梨園」などいう成語を作るので,やはり古くから中国では食べられていたのだろう.もっとも「なし」と「梨」が同じものかどうか誰かに聞いてみなければ分からないが.

写真:
エッセルンガで買った
ピンクの艶々した洋梨


 蜜柑は温州蜜柑というくらいだからやはり中国がもとなのだろうか.「柑橘類」という語もあるので,同じものではないにしても種類を同じくする,もしくはそう思われるものはあったのだろう.「蜜柑」はカタカナで書くことが多かったので,小学生の時は西洋からの外来語のように思っていたが,高学年になって愛読した『三国志演義』に曹操が蜜柑を所望する場面があり,訳語の問題もあると思うが,欧米から来たわけじゃないんだと思った.

 柿の木は,日本のふるさと風景の定番なので,これは多分古来から日本にあるのだろうと思うがどうだろうか.「梨」については『枕草子』にも言及があったように思う.あれは確か「花」の話だったか,いずれにしても「なし」が平安時代(と言っても長いが)にはあったのは間違いないだろう.

 桃は桃太郎伝説があるし,古くからあるのだろうと思っている.万葉集に「桃の花」が「紅匂う」と形容されて出てくるのは中学校で習った.「桃源郷」の伝説もあるし,確か『詩経』にも古歌が収録されているので,中国にも古い時代からあったのだろう.言葉を発しなくても,甘い実の魅力で,人が集まり,自然と「みち」ができてしまうようだ.


私の「果物」知識と体験
 学校で習った知識は「常識」,「思い込み」,「ステレオタイプ」,「偏見」などを形成する.林檎と言えば青森県か長野県(実は岩手県も健闘しているのだが),蜜柑といえば愛媛県か静岡県,葡萄といえば山梨県と特産地が思い浮かぶ.これらは江戸時代には作られていたのだろうか.

 林檎については小学校時代の「郷土史」の副読本の時間に,明治時代に青森県の人にドイツ人が紹介したとあったような気がする.江戸中期以降,商品作物が盛んに作られるようになったとき既に「紅花」は現在の山形県の特産だったが,サクランボもやはり山形の名産だったのだろうか.

 大学生だった1980年前後,特に70年代の後半から「果物」事情も少し変わったと思う.長野県出身の友人の親御さんがお土産に持ってきて,お裾分けにあずかった「巨峰」の甘さに驚いた.

 東京に出てきて,スーパーで初めて「オレンジ」を見た.オレンジという語は知っていたが蜜柑のことだと思っていたので,新鮮な印象があり,高かったけれどもよく買って食べた.グレープフルーツはそれより前から食べていたと思うが,それでも最初の頃は「甘い夏蜜柑」のように思えた.そう言えば子供の頃は夏蜜柑には砂糖をまぶして食べていた.いずれにしても夏蜜柑は食べていたのだから,「蜜柑」にも様々あると思い至れば良かったのだが,そうはならなかった.

 「オレンジ」体験のおかげで「柑橘類」という語も覚えた.「橘」は人の姓(楠木正成の祖先が「橘諸兄」と子供向け『太平記』で読んだし,源平藤橘という成句もある.盛岡周辺には「橘」,「立花」姓がけっこういる)や家紋として見かけるくらいで,それ以外にはあまり日常的に使用しない字であり,語だが,高校で古文を習うようになり,「右近の橘」という字面を『古語辞典』の付録で見,その花が昔の恋人の袖の香りを想わせるものらしいということなどもおぼろげながら知った.

 イタリアでの「柑橘類」体験は,アリタリア航空の機内で飲んだオレンジ・ジュースから始まった.「何だこの色は?」と思うくらい赤く,これは人工的な色なのでないかと思ったが,少量だったので飲んで見た.味は少しあまったるい感じがして好みではなかった.果汁も入っていたのかもしれないが,とにかく人工的な味がした.

 フィレンツェに到着し,滞在するアパートの部屋に案内していただいたとき,このジュースの色と同じ赤い果肉のオレンジ(アランチャ・ロッサ)が鉢に盛られてキッチンに置かれていた.家主さんたちのご好意のウエルカム・フルーツだった.

 これは非常にうまかったので,私たちも早速買い始めたが,ちょうど終わりの時期だったらしく,中央市場でもスーパーでも,まもなく店頭から消えてしまった.それではと100パーセント果汁のジュース(スッコ)を探したが,アランチャ・ロッサの100パーセントジュースは今のところお目にかかっていない.機内で飲んだジュースも,だからあまりうまいと感じなかったのだろう.

 普通のオレンジ(「タロッコ」というらしいが,伊和中辞典には「シチリア産オレンジ」とある)はその後もずっとスーパーでも中央市場でも見たが,アランチャ・ロッサは春先だけだった.健康に留意していれば,来年3月までイタリアにいられるので,もう一度アランチャ・ロッサが食べられるだろうと期待している.

 オレンジやレモンは,もちろん農産物として生産する場合は違うのだろうが,鉢に植えて栽培しているのを良く見かける.下の写真は,5月5日にミケランジェロ広場から街におりる斜面にあるバラ園で撮ったものだ.蔬菜植物園でも,メディチ家の別荘でもこのような光景が見られたが,メディチ家の別荘で放映していた庭園紹介のビデオによれば,冬は鉢ごと温室に入れて保管するようだ.

オレンジの橙色とレモンの黄色の対照がくっきりとしていて,美しかった.



果物が象徴するもの
 下の写真はオンニサンティ修道院の旧「食堂」のフレスコ画「最後の晩餐」の左半分である.写真の一番右(フレスコ画全体では真ん中)には,イエスとその胸によりかかった若いヨハネがいるが,ここで見てもらいたいのはリュネットに描かれた鳥と樹木の背景である.

 鳥と樹木は昔話などでも象徴や寓意の素材として良く使われるが,ここでも何らかの意味が込められているのだろう.樹木は左から糸杉,レモン,オレンジのように見えるが,レモンにしては大きすぎるように見えるので,右のオレンジと一括して「柑橘類」と言った方が良いかも知れない.

 糸杉は地中海世界によく見られる樹木でありながら,死への連想がつきまとう.チェナコロでもらった解説によれば,糸杉は死の象徴と描かれているようだ.この後にくるキリストの死,そして使徒たちの殉教を予示しているのかも知れない.オレンジは楽園の象徴として描かれているらしい.柑橘類に限らず果実は生命力の象徴と考えれば,復活するキリストの永遠の命とも,キリストを通じて得られる人間の命と解釈できるかも知れない.

写真:
ギルランダイオ作
「最後の晩餐」
オンニサンティ修道院「食堂」


 下の写真は,こちらでよく売られているメロンだ.この生命力に溢れた色と,たくさんの種を見ていると,石榴などの果物が生命の象徴としてよく使われるのもわかるような気がする.桃や葡萄が様々な伝承や芸術において生命の連続を意味するのも同様であろう.

写真:
よく熟れたメロン



花と果実のギルランダ
 右下の写真は,アカデミア美術館と同じ建物の北側にある美術学校の扉の上のリュネットにある彩釉テラコッタだ.絵柄(絵ではないが)は「聖母子と聖人たち」で,聖人は,左側が聖フランシス,右側が殉教の印の棕櫚を持った聖ウルスラであろうと思われる.

 「思われる」と言ったのは,この作品には解説がないからだ.9人の著名な芸術家について,その作品がフィレンツェのどこで見られるかを整理した便利な本をマカダムが書いており,たいへん重宝しているのだが,この中のロッビア一族の項にもこの作品の解説はない.もっとも9人と言ったのは実は正確ではなく,ロッビア「一族」からは,ルーカとその甥のアンドレーア,後者の息子ジョヴァンニの3人が取り上げられているので,のべ人数では11人ということになる.

写真:
美術学校のリュネットの
彩釉テラコッタ


 アカデミア美術館併設の美術学校(学校が先にあったので「アカデミア美術館」になったのだろうから,この言い方は正確ではないが容赦してもらう)の扉上のリュネットには他に2つの彩釉テラコッタがあり,こちらの方はマカダム本でもアンドレーアの「キリストの昇天」と「聖母被昇天」と紹介されているが,写真の「聖母子」はもう一つの「3番目のロッビア作品」とされているだけで,アンドレーアの作品とは書いていない.

聖母子でバンビーノが向かって左側にいればルーカ,右側にいればアンドレーアの作品という識別法があるそうなので,少なくとも幼子イエスが向かって左側にいるこの作品はアンドレーアのものではない.


 「ロッビア風」の作品には,時々明らかに完成度が今ひとつのものがあり,その場合は多分ルーカ,アンドレーア,ジョヴァンニの作品ではなく,工房の作品か,模造品ということになるのだろうが,この「聖母子」はそれほど劣った作品とは思えないがどうだろう.

 マカダムの本のコラムも写真と説明が対応していない不備があるように思われるが,いずれにせよこの「聖母子」は他の2作品とは違って,ビッグネームであるアンドレーアの作品とは考えられていないようだ.

 ここでこの作品を取り上げたのは,花と果実による輪(ギルランダ)が華やかに使われており,ここにも果実の持つ象徴性が利用されているように思えるからだ.

写真:
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア作
彩釉テラコッタ「聖母被昇天」
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ


 上の写真はサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのマリーア・サンティッシマ・デッレ・グラーツィエ教会の「奇跡の礼拝堂」の扉上のリュネットにある彩釉テラコッタ「聖母被昇天」である.ここにも花と果実のギルランダがある.

 この両サイドに階段があり,こちら風に言うと1階に聖堂(バジリカ)の内陣と中央祭壇があるので,大きくて立派な作品だが,あくまでも地上階の礼拝堂の入口の装飾に過ぎない.だが聖堂に入ろうとして階段を昇ろうとする者にとって最初に目にする印である.マリアの名を冠した教会に「聖母被昇天」はふさわしい.しかも,遠景では見えにくいが,この聖母は腰帯を垂らしているので,聖トマスの信仰を確固たるものにする助けの手を伸べており,多くの信者にとって信仰の導きとなるめでたい絵柄と言えよう.

 聖堂付属美術館のガイドブックによれば,これはジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの1510年から1513年の間の作品だそうだ.向かって左側の聖人は毛衣,杖,指差しによって洗礼者ヨハネとすぐわかる.右側は法衣を着て,殉教の印の棕櫚を持った若い美形の聖人である.

 こちらで若い美しい殉教者の聖人の多くは,ステパノ(ちなみにステパノはギリシア語ではステパノスで,花輪,花冠という意味だ)かラウレンティウス(ラウレンティウスはラテン語で「ラウレア」月桂樹がもとになった名だろうから,これも植物に関係する)のどちらかであることが多いが,この聖人は「頭に石」ではなく,鉄格子を傍らに置いているのでラウレンティウスとわかる.

 アカデミア美術館にはアンドレーアの「聖母被昇天」があるが,この作品でも聖母は聖トマスに天から腰帯を与えている.しかしその他の人物としては天使たちがいるだけで,「脇侍」の聖人はいない.

 アンドレーアの作品は多色ではなく,青と白のすっきりしたものである.「多色」の作品はルーカの代からあり,それだけでジョヴァンニの作品と識別することはできないが,一般にジョヴァンニの作品は多色で,大きなものが多いように思える.ロッビア一族も時代を重ね,技術が進歩すれば,多くの注文に応えなければならなかったのだろうと思う.


果物の楽しみ
 トップに掲げた小さな洋梨は決して美味というほどではなかったが,甘さ控えめで果肉がしっかりとしており,こちらでうまいと思って食べている果物に共通している野性味があった.しかし何と言っても葡萄がうまい.

写真は半分にして大皿2枚に分けたが,もとは一房の葡萄だ.


 一粒の麦は地に落ちて死ぬと,多くの実(カルポス)を結ぶが,この一房の葡萄は地に落ちて死ぬと一体どれだけの実を結ぶかわからない.

 ラテン語の「果実を摘む」(カルポー)という語は,語源的にギリシア語の「果実」カルポスと同根の語らしいし,音も良く似ている.ラテン語は少なくとも古典期には,語彙の面ではギリシア語の影響が表面的には殆ど無いのに,これだけ似ているのは共通の祖先まで遡って語源を共有しているのだろう.

 「今を楽しめ」という意味になる「今日の日の果実を摘め」(カルペ・ディエム)ということではないが,ともかくこの葡萄は地に落ちて死なずに,果実として私たちがおいしくいただいた.

 滞在5か月目に入った.家主さんとの最初からの約束で,7月31日に転居する.現在住んでいる寓居と,今度から住ませてもらう家の両方の家主さんにサポートしていただいているし,段取りの良い配偶者のおかげで,無事引っ越せそうだが,なにしろこの暑さだ.引越しが終わるまで油断は禁物だ.

 次回は,引越しが済んでからになるだろう.今日は恒例に従って李慶餘飯店で外食する.「李」も果物で,やはりものを言わなくても「みち」ができるうまさを持っているらしい.





実は一房だった葡萄
この姿がまた野性的