フィレンツェだより
2007年7月24日



 




修復作業の進むサン・マルコ聖堂
コンサートのリハーサル風景



§サン・マルコ教会

「ヴァルダルノのルネサンス」のバスツアーで,昼食のとき,同じテーブルになったイタリア人の若い夫妻に話しかけられた.


 簡単な自己紹介の後,「夕べ,サン・マルコ教会にいましたよね」と尋ねられた.前夜,寓居の近くのサン・マルコ教会で入場無料のコンサートがあり,私たちも行ったのだが,彼らも来ていて,私たちのことを覚えていたらしい.

 このフェッラーラからいらしたご夫妻とは音楽の話をした.夫君はおじいさんが音楽家だったこともあってクラシック音楽に親しんでおり,特にモーツァルトとヴィヴァルディが好きだと言っておられた.

 フェッラーラから来られたということなので,「オルランドゥス・ラッススがフェッラーラ公エルコレ・デステの名を冠したミサ曲を書いていますよね」と言ったら,「オルランド・ディ・ラッソ」とイタリア語式(但し,ラッソはイタリア人ではない)に言いなおし,パレストリーナの名前を出された(ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナと略称ではなく言っておられた)ので,私はパレストリーナが好きだという話を例によってさせてもらった.

 ツアーが終わり,バスを降りたその場で各人それぞれに別れを惜しんだとき,私たちも握手をして「また,会いましょう」と言って別れた.ご夫妻の名前はサラとマルコだった.



 前日(7月22日)のサン・マルコ教会のコンサートは,ロサンゼルス※のサンタ・モニカ・フィルハーモニア室内管弦楽団の演奏だった.

※ 「ロサンジェルス」と書きかけて,広辞苑を引いたらこの表記だった.もともとはロス・アンヘレス,The Angelsという意味のスペイン語だろう.サン・フランシスコも聖フランシスのスペイン語名なので,カリフォルニアがメキシコ同様スペイン領だった名残だろう.サン・ディエゴは聖ヤコブだし,聖人の名前がよく地名になる伝統はイタリアとスペインは共通している.サンタ・モニカもまた聖人だ.

 モーツァルトの歌劇「偽の女庭師」序曲,歌劇「後宮からの逃走」からの管楽器演奏用編曲集,シューベルトの「ヴァイオリンと弦楽合奏のためのロンド」,バルトークの「ルーマニア舞曲」,ハイドンの交響曲53番というプログラムで,小ぶりな聖堂がよく共鳴してすばらしい演奏会だった.53番という選曲はもしかしたらめずらしいのかも知れないが,大作曲家ハイドンの名をはずかしめない立派な曲だった.

 指揮者も団体も,独奏者もはじめて聞く名前だが,アメリカには達者な指揮者,上手な独奏者,練達の楽団員がたくさんいるものだと改めて感心した.聴きに来ているのはツーリストが多いという印象だったが,アンコールで演奏された「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のロマンティックなメロディーに,イタリア人の聴衆は大喜びだった.



 サン・マルコ教会の内部は現在修復中で,壁面に足場が組んであるが,祭壇と礼拝堂は見られる.

 コンサートで私の座ったところからは,20世紀にできたサヴォナローラのブロンズ像,その後ろにポリツィアーノの墓碑,ピコ・デッラ・ミランドラの墓碑,さらにその上の壁にヴィンチェンツォ・ヴェネツィアーノ作と伝えられる剥落したフレスコ画が見えた.

写真:
サヴォナローラのブロンズ像
その後ろに2つの墓碑


 サン・マルコ教会に関しては,聖堂よりも旧修道院にある美術館の方が注目される.フラ・アンジェリコの「受胎告知」があるので当然であろう.私も初めて聖堂の方に入ったときは,修復中の足場が組んであることもあり,少し冴えない印象を持った.ガイドブック等にも詳しい情報はなく,頼りになるイタリア語版ウィキペディアもサン・マルコ聖堂のページは今ひとつである.

 しかし,何度か足を運んでよく見てみると,この教会にもすばらしい美術作品がたくさんある.

 サンティ・ディ・ティートの「キリスト磔刑と聖トマス・アクイナス」(サン・マルコもドメニコ会だ),フラ・バルトロメオの「聖母子と聖人たち」,チーゴリの「エラクリオの聖十字架返還」などはビッグネームの画家の作品で,絵の方も見応えのあるものだ.

写真:
チーゴリ作
「エラクリオの聖十字架返還」


 絵は今ひとつだが,マッテーオ・ロッセッリの名前で伝わる作品もある.また,ビザンティン美術風のモザイクの聖母もある.

 翼廊の礼拝堂にはアレッサンドロ・アッローリ,ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニ,ポッピの板絵がある.この礼拝堂はフィレンツェ大司教も務めたサン・マルコ修道院長聖アントニヌス(サンタントニーノ)の墓所となっており,そこに至る両脇の壁にはパッシニャーノのフレスコ画によって,聖アントニヌスの柩がサン・マルコに運ばれ,葬儀が行われている様子が描かれている.

写真:
翼廊の礼拝堂
(聖アントニヌスの墓所)


 パッシニャーノの板絵も堂内にはある.その右隣の壁にはビッチ・ディ・ロレンツォのフレスコ画が残っており,かろうじて聖ラウレンティウスらしい人物が見える.ファサードの裏側にも誰の作かはわからないが「受胎告知」のフレスコ画がある.修復中のせいか,ガイドブックには「ある」と書いてあるのに見られない作品もあるが,ともかくこれだけのものが見られるのはやはり大したものだと思う.



 サン・マルコにはいつも風格のある年輩の修道士さん(風格から言うと司祭さんかも知れないが修道士の恰好をしておられるし,カトリックの聖職者の事情をよく知らないのでわからない)が入口のところに座っていらして,信者やツーリストに声をかけておられる.時には肌の露出が多い人にはご注意もあったりする.

 私たちは何度か行っているので,目にとまったらしく,「日本(ジャッポーネではなくジャパンとおっしゃった.ニッポンという語はご存じないようだ)から来たのか」と声をかけてこられ,手を出して「喜捨をなさい」とおっしゃった.サン・マルコに何度も寄らせてもらっている私たちは,喜んで貧者の一灯を報謝させていただいた.修道士さんは「ありがとう」と日本語でおっしゃり,イタリア語ではこう言うと断った上で「グラーツィエ」とおっしゃった.私たちが聖堂を辞去するとき,「またいらっしゃい」と手を小さく振られた.もちろん,私たちはこれからも何度もサン・マルコ教会に行くつもりだ.

 現に,その翌日コンサートを聴かせてもらったが,夜9時開演なので,その修道士さんはおられなかった.



 下の写真は,昨日言及したサンタ・トリニタ教会の礼拝堂にあるネーリ・ディ・ビッチの「聖グァルベルトとヴァッロンブローザの聖人たちと福者たち」だ.

 さすがに自分から飛び出したサン・ミニアート・アル・モンテ教会でも名祖ミニアスとともに祭壇画になる人物だけのことはあり,開祖となった修道会からこれだけの聖人と福者を出したというのは大したものだ.

写真:
ネーリ・ディ・ビッチ作
「聖グァルベルトとヴァッロン
ブローザの聖人たちと福者たち」


 作者のネーリ・ディ・ビッチは,サン・マルコにフレスコ画が残っているビッチ・ディ・ロレンツォの息子である.7月16日にサンタ・マリーア・ノヴェッラにある彼の「受胎告知」を紹介したとき,サンタ・マリーア・ノヴェッラは撮影不可なので,かわりに彼の描いた同じ主題の作品としてサンタ・トリニタにある「受胎告知」の写真を載せた.その板絵と同じ礼拝堂にこの作品はある.

 彼は1490年代まで生きたそうなので,ミケランジェロやレオナルドが活躍する時代に随分古くさい絵を描いていたことになるが,この絵は例外的に新しい感じがする.ちなみにサンタ・トリニタには父ビッチ・ディ・ロレンツォの美しい板絵「聖母戴冠」もある.



 野菜がうまい.下の写真は中央市場で買った豆だ.日本にもあるのかも知れないが,私は見たことがない.市場にいたアメリカ人と思われるツーリストが,この豆を写真に収めていた.鮮やかなピンクと白のだんだらの鞘はやはり目を引く存在だったのだと思う.

 鞘の中には真珠の光沢の豆が,まるで宝石のように納まっていた.煮て食べたら美味だった.





美しく,うまい赤い鞘豆