フィレンツェだより
2007年6月22日


 




(左)「オルフェーオとエウリディーチェ」,
(右)「ワルキューレ」のプログラム



§「リング」と馬小屋の展覧会

19日は「ラインの黄金」,21日は「ワルキューレ」を鑑賞した.


 管楽器に実力が要求されるが,公開練習のときにくらべれば,大健闘だった.さすがにプロが本気でやるとすごい.歌手も良かったし,指揮者も良かったが,「ズービン・メータの指揮はいつも退屈だ」という辛口の巷の声もあるようだ.オペラの国で指揮者をやるのは本当にしんどいことだと思う.

 舞台にあがると,それほど大きくもないメータが,悠然と指揮している姿が私は好きだ.彼は「マエストロ」だと思う.

 演出は私の好みではなかったが,分りやすくて,サーヴィス精神に満ちていた.映像を使うことが良いか悪いかはケース・バイ・ケースだろうが,必然性があるという程でもないように思われた.

 ともかく音楽は良かった.オケと歌手には心から拍手を送りたい.「ワルキューレ」は特に良かった.演出も「ワルキューレ」の方がよく活きていたと思う.

 ジークリンデをやった歌手にたくさん拍手が来ていたが,私はブリュンヒルデが良かったと思う.「嵐」というほどではないが,ブラーヴィの声が飛び交っていた.特に指揮者と楽団への拍手がすごかった.玄人筋の考えは違うのかも知れないが,あれだけの楽団員を心服させるメータの力は大したものだと思う.

 迷ったが「ワルキューレ」のプログラムを購入した.イタリア語なので,読むのには苦労するが,それでも貴重な情報が得られた.「パルシファル」の「聖杯の神殿」(テンピオ・デル・グラール)のイメージはシエナのドゥオーモに拠っているということだ.ワグナーつながりでも,是非シエナを訪ねなければ,と思う.定価15ユーロとあるのに,12ユーロで買えたのは入場者だからだろうか.「アンティゴネー」の時も定価15ユーロのものが10ユーロで買えた.

 ブックショップを覗いたら,買いそこねていたグルック「オルフェーオとエウリディーチェ」のプログラムもあったのでよろこんで購入した.こちらは定価どおりの14ユーロだった.なにせ写真もさることながら文字情報が豊富なので,「ラインの黄金」も買えば良かったと思ってしまう.

 確かに絵や音楽は知識・教養だけでその良さがわかるものではないが,ワグナーの楽劇を見て,彼が他にどんな作品を書いていて,それが相互にどういう関係があり,当時の時代状況にどのように制約され,同時代の音楽家や思想家にどんな影響を受けていたか,時間と空間をたどりながら情報を得ると,楽しみが倍加するように思える.

 無論そうであっても芸術は感性のものだろう.しかし,人間的営為である以上,知識・教養は感性に対して有害ではないのではなかろうか.


「フローレンス・アカデミー・オヴ・アート」
 今日(22日)は先日大型書店エジソンでもらったフリーペーパー「ザ・フロ−レンティン・ネット」に紹介されていた展覧会を見に行った.場所はイル・プラート通りにある,コルシーニ家の「馬小屋」とあった.

 旧家のお屋敷の1階には,もとは馬がいたのかも知れないが,今はクラシック・カーを含め数台の高級車がおいてある奥の納屋のような所が会場だった.

 下の写真で道路右側の中央がコルシーニ家の建物である.垣間見える庭園も立派なものだった.通りの奥に見えるのがプラート門だ.

写真:
コルシーニ家の建物


 コルシーニ家の右にある建物は由緒あるものらしく,市が建てた解説の立て看板に拠ると,旧「イル・プラート通りの聖マリアと聖ヨセフ修道院」(エクス・コンヴェント・デーイ・サンティ・マリーア・エ・ジュゼッペ・スル・プラート)で,サンティ・ディ・ティート,フランチェスコ・クッラーディ,ジローラモ・マッキエッティの絵があるそうだ.現在は銀行が入っているようで,入口にATMがあったので,見せてもらえるかどうかはわからない.

 展覧会は「フローレンス・アカデミー・オヴ・アート」の卒業生の作品展ということで,作品には値段がついており,そこの学校で勉強した現在はプロの画家たちの展示即売会になっていた.売約済みの作品もかなりあるのが理解できるほど,高水準の作品に思え,良い絵をたくさんみせてもらえた.実力のある芸術家はいつの時代にもたくさんいるものだ.

「馬小屋」と言っても,展示場に使われるくらいなので,柱や天井はお屋敷のようになっていた.


 下の写真は作品展のポスターだが,この絵は賞をとった作品で,さすがに迫力があった.他にもテーマがおもしろかったり,抜群の技量が発揮されていたり,傑作が多いように思えた.

写真:
展覧会のポスターは
最優秀賞を取った作品


 私は静物画2点と風景画1点が気に入り,それぞれ米ドルでついている値段を確認したところ,破産するほどではなかったので,本気で1点買おうかと思った.

 しかし,旅先ではあるし,茅屋になっている集合住宅のローンの返済もまだまだ先になるし,こちらでももちろん寓居の家賃を払っていることも考え,涙を呑んであきらめた.

一番ほしかった静物画


 日本円で50万円くらいだろうか.テラコッタの壺と背景の青みがかった灰色,今夜夢に見そうだ.20ユーロでカタログもあったが,これもあきらめたので,失念してしまったこの絵の作者の名前は残念ながら確認できない.確かアングロ・サクソン系の女性の名前だった.他の画家もオランダや北欧の名前が多く,イタリア人は少なかった.

 この作品展で,昨日の「ワルキューレ」で見かけたアメリカ人と思えるご夫妻に会った.外国から来た多くのツーリストはザ・フローレンティン・ネットなどのフリーペーパーを見ているのであろう.


美しきシモネッタ
 作品展に向かう途中,オンニサンティ教会に寄った.今日はドメニコ・ギルランダイオの「ミゼリコルディアの聖母」と「十字架降架」の絵を写真に収めることができた.上部のリュネットの絵の聖母の向かって右側には,ロレンツォ豪華王の弟でパッツィ事件で暗殺されたジュリアーノ・デ・メディチの愛人だったとされる「美しきシモネッタ」が描かれているとのことだ.

写真:
「ミゼリコルディアの聖母」
「十字架降架」
ギルランダイオ作


 シモネッタはオンニサンティ教会の有力な保護者だったヴェスプッチ家の人(ジェノヴァから輿入れ)だ.アメリカの名のもととなったアメリゴ(アメーリゴ)・ヴェスプッチもこの家の出身で,彼の名にちなんだ橋が教会の近くにあり,立派な彫像もある.

 フィレンツェ空港の別名アメリゴ・ヴェスプッチ空港も彼の名前にちなんでいる.アメリゴのラテン語形がアメーリクスでその女性形がアメーリカだ.まだ少年の姿のアメリゴもこの絵の中に登場する.聖母の向かって左側にいるとのことだ.

 写真には写っていないが,この絵の左隣にある絵は,中央に聖母がいて,まわりに聖人たちがいる「聖なる会話」(サクラ・コンヴェルサツィオーネ)で,描いたのは16世紀の画家サンティ・ディ・ティートだ.彼の絵はオンニサンティにもう一点あり,他の教会でも彼の名による作品を見る.また,今日前を通った旧修道院にも彼の絵があるのは上述した.


「新プラトン主義者たちのパンテオン」
 帰路はルチェッライ通り,スカーラ通り,オリチェッラーリ通りをたどってサンタ・マリーア・ノヴェッラ駅に出た.この経路には教会がたくさんあり,それぞれ興味深かったが訪ねるのは後日のこととし,帰宅を急いだ.

下の写真はルチェッライ通りにあるパラッツォ(邸宅)だが,これにも市が立てた説明の看板があった.それに拠れば,通称「新プラトン主義者たちのパンテオン」は,ルチェッライ家所有のオルティ・オリチェッラーリ邸で,ここにマキアヴェッリも招かれ,それによって『ディスコルシ』(ティトゥス・リウィウスの『ローマ史』最初の10巻の論考)が生まれたようだ.

写真:
オルティ・オリチェッラーリ邸


 ここが,マキアヴェッリが若者たちの勉強会に招かれ,その若者たちがメディチ家に反逆し,それに連座して彼が逮捕,拷問されることになる事件の舞台だろうか.それは確認していないし,立て看板には言及はなかった.



 フィレンツェは連日37度の猛暑だった.今日は少し涼しかったが,それでも30度を越す暑さで,日中の外出は控えている.

 しかし,季節が変わると,うまい食べ物が新しく登場する.サン・マルコの「食堂」にあるギルランダイオの「最後の晩餐」の食卓にはキリストの血の象徴として,サクランボ(チリエージョ)が乗せられているが,中央市場にチリエージョがあったので買ってきた.少し高かったが,これは最高に美味だった.





桜桃(チリエージョ)