フィレンツェだより
2007年6月16日


 




アンドレア・デル・サルト「洗礼者ヨハネの物語」から
「ヘロデの饗宴」(右),「希望」(左)
跣足修道会の回廊



§懐の深さ

14日は,レプッブリカ広場の大型書店エジソンに行き,サンタ・トリニタ教会まで足をのばした.


 エジソンには,トスカーナ地方の諸都市を要領よく解説したガイドブックと,できればサン・サルヴィ修道院「食堂」にある作品を解説してくれている本も見つけたいと思って行ったのだが,後者は残念ながら見つからなかった.結局,以下の本を買った.

 Cristopher Cutling et al., Eyewitness Travel: Flolence & Tuscany, London, 1994, 2007
 Dominique Chaeles Fuchs & Simona di Marco, Il Museo Stibbert, Livorno, 2003
 Christina Bucci & Chiara Lachi, tr., Johanna Kreiner, Guide to Palazzo Vecchio, Firenze, 2007

3冊合計で41ユーロ.カードが使えた(一部,使えないカードもあるようなので要注意).

 サンタ・トリニタ教会ではサッセッティ礼拝堂のドメニコ・ギルランダイオの「聖フランチェスコの生涯」のフレスコ画と「牧人礼拝」の板絵を再度鑑賞した.

 ネーリ・ディ・ビッチ,ロレンツォ・ディ・ビッチ,ロレンツォ・モナコ,リドルフォ・ギルランダイオの絵,デジデリオ・ダ・セッティニャーノの木像「マグダラのマリア」,いずれもすばらしい.じっくり見たい.有名ではない(私たちが知らないだけかも知れない)画家たちとその作品について是非もっと詳しく知りたいという思いを深くした.

写真:
サッセッティ礼拝堂


 サンタ・トリニタからの帰路,ストロッツィ広場の露店の古本屋で,

 Giovanni Cherubini & Nicoletta Baldini, Toscana the New Millenium, Firenze, 1999

を妻が発見し,1ユーロで買った.「求めよ,さらば与えられん」ということか.

 有名な作曲家のルイージ・ケルビーニとフィレンツェがどのような関係か調べていないが,彼の名を冠した音楽学校がアカデミア美術館の隣にあるし,バルディーニ美術館(現在休館中)という大きな美術館もあるくらい,バルディーニという名もフィレンツェでは有名な資産家の家名のはずだ.著者たちがどういう人かは知らないが,一瞬「えっ」と思ってしまう.山田耕筰や渋沢栄一と著者が同じ苗字だとしても特に驚かないから,考えすぎだろう.


レイキャビク少女合唱団
 15日は,夕方7時からサン・ガエタノ教会で「レイキャビク少女合唱団」の演奏会を聴いた.フィンランドにはシベリウス,ノルウェーにはグリーグ,スウェーデンにも,デンマークにも有名な作曲は複数いるが,アイスランドの作曲家は誰一人知らない.N響の常任指揮者でピアニストのアシュケナージは確かアイスランド国籍だが,もともとはロシア出身だ.

 アイスランドの曲3曲が良かった.指揮者もアイスランドとスウェーデンから勲章をもらった声楽家だそうだたが,何と言っても子どもたち(大人も少し混じっていたが)の声というのは,教会の音響とよく合うように思える.

 ライトフットという作曲家の「ドナ・ノービス・パーチェム」(ドーナー・ノービース・パーケム)という曲で始まり,その曲で締めくくられた.「私たちに平安(平和)を与え給え」,思わず口ずさみたくなるようなメロディーだった.帰り道で見た夕陽に映えるドゥオーモの姿は特にすばらしかった.8時過ぎはまだ明るい.


跣足修道会の回廊
 16日は午前中に「跣足修道会の回廊」(キオストロ・デッロ・スカルツォ)に行った.ここにはアンドレア・デル・サルトのフレスコ画「聖ヨハネの物語」がある.

写真:
跣足修道会の回廊入口で


 「聖ヨハネの物語」は,幾つかの場面(ヨハネの誕生を天使が父ザカリアに告げる場面から,サロメが皿に乗せたヨハネの首を差し出すヘロデの饗宴まで)からなる連作フレスコ画だが,そのうちの2場面はフランチャビージョが描いている.

 それにはデル・サルトが途中フランスへ行ってしまったという事情があるらしい.その後デル・サルトが帰国し,その他の場面を描き足して1523年に完成した.最初の「キリストの洗礼」の場面が描かれたのが1509年から1510年,フランチャビージョが2場面を描いたのが1518年から1519年だから,完成までかなり年月がかかったことになる.

 デル・サルトは1531年に45歳で,フランチャビージョは1525年に42歳で亡くなっている.マルティン・ルターがヴィッテンベルクで55か条の公開質問状を出したのが1517年(いわゆる「宗教改革」の始まり)で,種子島に鉄砲が伝来するのが1543年だから,やっぱりだいぶ昔のことだろう.

 フレスコ画の保存状態は良いとはいえなかったが,すでにデル・サルトの作品のすばらしさに「開眼」した後なので,大いに感銘を受けた.

写真:
跣足修道会の回廊


 それまでもデル・サルトと協力関係にあり,彼の作品を引き継いで描いたにも関わらず,フランチャビージョが担当した2場面,「荒野へと行くサン・ジョヴァンニーノの祝福」と「キリストとジョヴァンニーノの出会い」は,先行作品とはまったく違う画風で描かれている.同じように描こうと思えば描けるのかも知れないが,天才同士の個性がせめぎ合っているよう思えて感動的だ.

写真:
「荒野へ赴くサン・ジョヴァン
ニーノの祝福」
フランチャビージョ


 フランチャビージョの「最後の晩餐」(1514)がカルツァ修道院にある.カルツァは「靴下」という普通名詞と関係があるのかどうかも含めて,この修道院についての情報が今のところないので,調べて,見ることができるものなら是非見せてもらいたい.

 アレッサンドロ・アッローリの「最後の晩餐」はサンタ・マリーア・ノヴェッラだけでなく,サンタ・マリーア・デル・カルミネにもあることが分った.

 また,これは実は既に見ていたものだが,サン・ジミニャーノのドゥオーモのフレスコ画にも「新約聖書」の場面を描いたバルナ・ダ・シエナの作品の中に「最後の晩餐」(14世紀)があることを,サン・ジミニャーノで買った英語版ガイドブックで見つけた(「見つけた」のは妻だが).若いヨハネはキリストの隣で眠り,キリストは向かい側に座るユダにパンを渡している.

 帰りにアポロニア女子修道院食堂にも立ち寄った.デル・カスターニョの「最後の晩餐」他の作品を再び見て,感動を新たにした.跣足修道会もアポロニアも入場無料だった.イタリアは本当に懐が深い.


カーザ・ロドルフォ・シヴィエーロ
 午後はアルノ川を越えて,サン・ニッコロ門の傍にある美術館カーザ・ロドルフォ・シヴィエーロに行った.

 ロドルフォ・シヴィエーロはピサに生まれ,フィレンツェ大学とベルリン大学で人文学,美術史を学び,ナチス・ドイツが美術品を国外に持ち出すのを防ぎ,レジスタンス運動に参加し,戦後は海外に出たイタリアの美術品を取り戻すことに貢献した人物だそうだ.

 彼のコレクションは死後トスカーナ州に寄贈され,その管理のもとにこの美術館は運営されているようだ.現在は土曜日しか開いていないが,入場無料だった.トスカーナ州も懐が深い.

写真:
サン・ニッコロ門(塔)と
カーザ・ロドルフォ・シヴィエーロ
(塔の手前の白い建物)


 ロレンツォ・ディ・ビッチなど中世の作品の他に,古代の発掘品,ジャーコモ・マンズー(ズにアクセント),キリコ,ベルティなどの現代の作品まで相当のコレクションであるのは間違いない.無料なのに,保全上の理由もあるのだろう,ガイドがついた.

 ガイドの青年はイタリア語まじりの英語で誠実に説明してくれた.マンズーの作品を説明しているとき,「ウリッセ」(オデュッセウスのイタリア語名,英語ではユリシーズ)の名前が出てきたので,私が着ていたTシャツを指差し,「これは『オデュッセイア』のテクスト(ギリシャ語)が書いてある」と言ったら,彼は「私はギリシア人です」と答えた.

 随分長いこと分りやすく(知らないことを一杯教えてもらった)説明してくれたので,最後に美術館を出るとき,「エフハリストー」(現代ギリシア語で「有難う」)と言ったら,彼も「パラカロー」(どういたしまして)と応じてくれた.

 是非,カーザ・シヴィエーロのカタログがほしいと思った.そういえば,「跣足修道会の回廊」には伊英対訳のガイドブックがあるようだ.見本が置いてあったが,売ってはいなかったので,帰りにドゥオーモ博物館のブックショップに」寄って探したがなかった.代わりに,どの芸術家の作品がフィレンツェのどこで見られるかを解説したガイドブックの英語版,

 Alta Macadam, Florence: Where to Find, Firenze, 2001

を購入した.12.5ユーロ.ジョットからミケランジェロまで8人の芸術家とロッビア一族の作品について知ることができるようだが,残念ながらアンドレア・デル・サルトはなかった.

 




夕陽に映える
ドゥオーモ