フィレンツェだより |
スティバート公園入口の オールド・ローズ |
§スティバート美術館
この本に出てくる名所を一つ一つ訪ね歩いているが,この中で大きく扱われていても,あまり気乗りのしない場所がスティバート美術館だった.「武器・甲冑の世界的コレクション」と言われても,わざわざ訪ねてみようという気にはなれない. “ブロンズィーノ,アッローリ,ティエポロの絵もある”と書いてあるし,コープに行く方向に近いから,という妻の慫慂に促されなければ,絶対行かなかったと思う.
![]() 昨日はここでジャン・フランチェスコ・パニーニ通りにはずれ,ラファエッロ・ランブルスキーニ通りで右に曲がり,フェルディナンド・パオレッティ通り,ジョヴァンニ・ファブローニ通り,ビゴッツィ通りとやや複雑な道順をたどりながら,ヴィットリオ・エマヌエレ2世通りに出た. 少しもどって,左手の上り坂になったフェデリーコ・スティバート(スティッベルト)通りの先に目的の美術館はあった.通りの名前も,イギリス人の父とフィレンツェ人の母の間にフィレンツェで生まれたフレデリック・スティバートの名前に基づいている. ![]() しかし,よく考えると1時までに券を買えば,2時まで入場できたのだ. けれども,結果的には昨日は入館できなくても良かった.ここは上り坂の両脇にお屋敷の並ぶきれいな界隈で,花は美しく咲き,フィレンツェの街の喧騒を忘れさせる閑静なところだ.美術館の周囲は広い公園になっており,緑の道に光がさしこみ,まるで別世界に迷い込んだかと思われた.
美術館の入口は通りに面したところにあるが,公園を通ってアプローチすることもできる. 木漏れ日を浴びながら,緑の回廊を通り抜けると,階段があり,それを上ると,今は美術館になっているスティバートが住んだ屋敷があった.
![]() しかし,屋敷の周りに集められた彫刻や装飾もまた,人目をひくのに十分な存在感を持っている.悪趣味寸前の見せ方だが,私は嫌いではない.
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スティバート邸庭園(公園) 数々の花,見たこともないほど大きな松ぼっくりをたわわにつけた巨木,水浴びするヴィーナス風の彫刻のあるあずまや,洞窟風の泉,オベリスクとエジプト風の彫刻に飾られた神殿風の建物,亀,金魚,水鳥がたわむれる池など,趣味の良し悪しを越えて,様々なものがこれでもかこれでもかと迫ってくる.
権力者が庭を作らせるとボーボリ庭園になり,金持ちが作るとスティバート邸の庭園になる.私はボーボリより圧倒的にスティバート邸庭園が好きだ.
これだけの空間だから,誰かが手入れしなければとても維持管理はできないだろうから,ある程度人工的な要素があるのはやむを得ない.素朴に「自然が良い」というほど自然そのものでないことは,ちょっと考えればわかる. そうであっても,この庭園で一番すばらしいのは自然の草木や花々,木漏れ日や爽やかな風だろう.
広々とした空間で子どもたちが戯れていた.この中の一人が妻を見て,「こんにちは」と日本語で挨拶した.今,自分がどこにいるのかを一瞬忘れてしまう,不思議な空間だった 屋敷の一部にはスティバートの子孫がお住まいとのことだが,庭園の管理はフィレンツェ市に委ねられているようだ.この緑溢れる世界は貴重だ.ぜひとも後世に残して欲しい.
![]() デモ通り 午前中に,寓居のあるヴェンティセッテ・アプリーレ(4月27日)通りを,年金受給者の皆さんの大規模なデモ行進があった.警官隊とチアリーダー,鼓笛隊に先導されて,歌い踊りながらの行進であった. 独立と統一のための戦争の活躍し,フィレンツェで亡くなったアルフレード・ファンティという人物の彫像のあるサン・マルコ広場から,インディペンデンツァ(独立)広場の間にあるこの通りは,デモンストレーションのための恰好の場所となるのであろう,しばしば大がかりな行進が見られる. 下の写真で,通りの向こうに小さく写っているのがサン・マルコ広場のファンティの銅像だ.
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4月27日通りのデモ行進 寓居の窓から撮影 |
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