フィレンツェだより |
サンタ・フェリチタ教会と 前を横切るヴァザーリの回廊 |
§2つの教会のポントルモ
教会が開く夕方のお祈りの時間を見計らって,4時になったところで寓居を出発したところ,今度は開いていた.この日もまた,大傑作を見せてもらうことになった. サンタ・フェリチタ教会 ヴェッキオ橋を渡ってすぐ,グィッチャルディーニ通りの入り口のところにサンタ・フェリチタ広場はある.川のこちら側から,南に向かって延々と続くヴァザーリの回廊を左上方に見ながらこの広場まで歩いて行くと,回廊の向こうにファサードが見えるのがサンタ・フェリチタ教会だ(トップの写真). 堂内を中央祭壇の方に少し進んでから入口の方を振り返ると,教会内部を通っているヴァザーリの回廊が見える.ピッティ宮に住むトスカーナ大公一族は,この回廊を通って,一度も外を歩くことなく,このバルコニーからミサに出席できた.
その左下,照明で明るくなっているところがカッポーニ礼拝堂で,ここに後述の大傑作はある.
![]() この他にもジョルジョ・ベルティという画家の描いた「子どもたちを殉教へと励ますサンタ・フェリチタ」(1810)という絵もあり,聖女の名を冠した教会ならではということになろう.
![]() この聖女と,旧約聖書の『マカベア書』(第1と第2はカトリックでは正典,プロテスタントでは外典,第3と第4はどちらでも偽典とのことだ)にある,7人のマカベア王家の兄弟たちの母との混同が起こり,このようなテーマの絵が描かれる遠因になっているらしい.ユダヤの独立と信仰を守ろうとした紀元前2世紀のマカベア戦争の際の物語だろう. 優勝旗授与や返還の際に流れる音楽で知られるヘンデルのオラトリオ「マカベアのユダ」はこの戦争を題材としている. ![]()
しかし,作品の色の美しさといえば,大学生の時,ウフィッツィにあるボッティチェルリの「ケンタウロスとパラス」が日本に来たのを見に行ったときのことを思い出さずにはいられない.実物が画集とあまりに色が違うので,さすがにオリジナルは違うと思った感動を,美術史を勉強して,のちに研究者になった先輩に語ったところ,「オリジナルの作品も修復されていて,色は特に怪しいのだ」と一喝された. なるほどそういうものかと思って今に至っているが,果たして,ポントルモの色彩はどうなのだろうか.
![]() サンタ・フェリチタには是非もう一度行きたいと思っているので,その時は,私たちの喜捨で他の方々にも見ていただこう. 充実した英語版のガイドブックを7ユーロで購入,あわせて1枚80チェンティの絵葉書を4枚買った.計10.2ユーロ. ![]() また,今日は見られなかったが,聖具室にはタッデーオ・ガッディ作とされる14世紀のポリプティック(「聖壇の背後などの4枚以上のパネルをつづり合わせた画像」,『リーダーズ英和辞典』)「聖母子と聖人たち」,ネーリ・ディ・ビッチの「サンタ・フェリチタと子どもたち」の絵などがあり,聖堂参事会室にもフレスコ画があるようだ.これらは公開されているかどうかわからないが,見られるものなら次回是非見てみたい. ![]() サン・ミケーレ・ヴィスドミニ教会 サンタ・フェリチタに行く前に,カヴール通りを下って,サン・ジョヴァンニーノ・デーリ・スコローピ教会に寄ってみたが,開いていなかった.それで,プッチ通りを東進してセルヴィ通りに出て,サン・ミケリーノ・ヴィスドミニ教会(左下の写真)に行ってみたら,開いている上に,礼拝の儀式も行われていなかったので,他のツーリスト同様に拝観させてもらった. 右上が堂内の写真で,デジカメの性能が良く,明るく撮れているが,実際には暗くて絵はよく見えなかった.それでもポントルモの「聖母子と聖人たち」の嬰児のイエスとサン・ジョヴァンニーノの笑顔が良かったし,他にもエンポリの「イエスの誕生」や,古いフレスコ画に見るべきものがあった.祭壇奥の後陣にオルガンがあるのが珍しかったよう思えた. フィリピーノ・リッピの墓は見つけられなかったが,また行かせてもらうので,後日を期す. ![]() サン・ジョヴァンニーノ・デーリ・スコローピ教会 帰りはドゥオーモの前を通って,マルテッリ通り,カヴール通りを北上するいつものコースだったが,行きには開いていなかったサン・ジョヴァンニーノ・デーリ・スコローピ教会の扉が開いていたので,いつもひやかす露店の古本屋には目もくれず,すかさず入れてもらった.これもまた古い見事な教会だった.
中に置いてあったパンフレットによると,礼拝堂を飾る絵は16世紀と17世紀のものが多いようだ.フランチェスコ・クッラーディの「フランチェスコ・サヴェーリオ」という絵があったが,フランシスコ・ザビエルのことをイタリア語ではそういうらしい. 1617年にローマで設立された「貧しい子弟の教育にあたる修道会スクオーラ・ピーエ」のピアリスト修道会士のことをイタリア語でスコローピと言う(小学館『伊和中辞典』)らしいが,1775年にスコローピがこの教会を差配するようになる以前は,1577年以来イエズス会がこの教会を運営していたらしい. 有名な彫刻家でこの教会の建設にも関わったアンマンナーティのラテン語の墓碑があり,実際に遺体が埋葬された墓のようだ.その墓の前の礼拝堂にはアレッサンドロ・アッローリの絵があった. 天井画も名のある作家のものではないようだが,かなりの水準の作品に思われ,教会の持つ重厚な雰囲気とともに,また訪れてみたいと思わせるものがあった. |
スコローピ教会前 おなじみの露店古本屋 |
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