フィレンツェだより |
サンタ・マルゲリータ・イン・ サンタ・マリーア・デーイ・リッチ教会 |
§チェントロの教会
しかし,せっかく時間があるのだから,「ダンテの教会」サンタ・マルゲリータ教会に行ってみようかということになり,結局,4時過ぎに寓居を出て,サン・マルコ広場からカヴール通りを歩き出した. メディチ・リッカルディ宮殿を過ぎ,カヴール通りがマルテッリ通りに変わる交差点の向かいにあって,いつも前に古本の露店が出ている「サン・ジョヴァンニーノ・デーリ・スコローピ教会」は,夕方のお祈りの時間であるはずなのに閉まっていた.ドゥオーモに行ってみたらやはり閉まっていたので,「土曜日は日曜のミサの準備のために教会は休み」という仮説をたてた. しかし,先日コンサート情報をもらった,コルソ通りのサンタ・マルゲリータ・イン・サンタ・マリーア・デーイ・リッチ教会の扉は開いていて,私たちの仮説は早くも崩れた. サンタ・マルゲリータ・イン・サンタ・マリーア・デーイ・リッチ教会 このキエーザに入るのは初めてだった.オルガン演奏が行われており,「コンチェルト」(コンサート)という張り紙があったが,聴衆は一人しかいない.私たちも着席して,バッハやシューベルトの名曲の編曲物が多い演奏を拝聴した. 堂内はすばらしい(毎回同じ形容詞で恐縮だが,そうとしか言い様がない)雰囲気だった.天井画の下に写っているステンドグラスは,写真ではわかりにくいが「受胎告知」の絵柄だ.実はその下の祭壇の壁に飾られているのも剥離フレスコ画の「受胎告知」で,誰の作品かはわからないが,これが良かった.
祭壇の側壁上方にもフレスコ画があって,これも魅力的だった.他にも大きな板絵などがあり,調べれば有名な画家の作品かもしれないとも思った.今は市が立てた看板の説明しか資料がないが,ロレンツォ・デル・モーロ,ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスターニの名が挙げられている.残念ながら全く聞いたことのない作家だ.ファサードの設計者ゲラルド・シルヴァーニも,フィレンツェの諸方で活躍した建築家,彫刻家のようだ. この教会の堂内の美しさには心打たれるものがあったし,オルガン演奏にも後ろ髪引かれたが,「ダンテの教会」も開いているなら見てみたいと思ったので,オルガン修復のための募金箱に募金して,辞去した. サンタ・マリア・デーイ・チェルキ教会 繁華な街路であるコルソ通りを東に向かい,壁に「受胎告知」の古い絵のある角を曲がり,アーチ型の通路を通ってサンタ・マルゲリータ通りに入ると,「ダンテの教会」サンタ・マルゲリータ・デーイ・チェルキ教会がある.ダンテの「永遠の恋人」ベアトリーチェが結婚式を挙げ,彼女の墓もある教会だ.
開いていた.「ダンテの教会」などと麗々しく宣伝しているわりには堂内は慎ましく,古風だった.祭壇に「玉座の聖母子と聖人たち」があったが,近くでは見られないので,「聖人たち」が誰々かは今のところわからない.作者については,他の参考書などからロレンツォ・ディ・ビッチだと思っていたが,堂内の自動販売機(!)で購入した絵葉書にはネーリ・ディ・ビッチの作品とあった.どっちが正しいのだろうか.ビッチ・ディ・ロレンツォという画家もいるのでややこしい. バンディーニ美術館のイタリア語版ガイドブックとカーザ・ブオナローティでスコントで買った日本語版『アカデミア美術館』(ジョルジョ・ボンサンティ,中嶋浩郎訳,1996)によれば,ロレンツォ・ディ・ビッチ,ビッチ・ディ・ロレンツォ,ネーリ・ディ・ビッチは,この順番で三代続く親子関係らしい. ボンサンティによればネーリ・ディ・ビッチは「凡庸な才能しか持っていなかったことは確か」(『アカデミア美術館』,p.82)とのことだが,今日の作品に関しては遠くからしか見られなかったので,その良し悪しまでは分らなかった.見たいと思っていた作品が見られたので,ともかく嬉しかった. ネーリ・ディ・ビッチの作品は一昨日ホーン美術館でも見ている.カタログの写真が反転していたものだが,展示の仕方は特別扱いだったので,それなりに評価されているようだった. 絵葉書計3枚を1.5ユーロで購入したが,「ダンテとベアトリーチェの教会」(キエーザ・ディ・ダンテ・エ・ベアトリーチェ)と書いてあり,この教会は俗っぽいのか,奥ゆかしいのかわからなくなってしまう.ともかく堂内は潔いまでの質朴感があって好感が持てたし,他に資料がないので,自動販売機であっても絵葉書が手に入って嬉しかったので,特に不満はない. ![]()
サン・ミケリーノ・ヴィスドミニ教会 帰路はドゥオーモまで戻り,その裏側を通って,セルヴィ通りを北上して,サンティッシマ・アヌンツィアータ広場に出た. 途中にサン・ミケーレ教会(サン・ミケリーノ・ヴィスドミニ教会)があり,扉が開いていたので覗いてみたが,礼拝の最中だったので入場は遠慮した.市が立てた看板にはポントルモなど17世紀の絵画があると書いてあったので,是非見せてもらいたい.後日を期す. 教会の外壁のプレートには「フィリピーノ・リッピが埋葬された場所」とあり,ヴァザーリの名前でフィリピーノの死(名前はフィリッポになっている)を嘆く4行の詩が引用されていた.ヴァザーリが書いたのか,『画人伝』に引用されたものなのか今のところ分らない.彼の作品は無いようだが,フィリピーノにゆかりの場所とされている教会らしいので,その意味でも是非訪ねてみたい. サンティッシマ・アヌンツィアータ教会 サンティッシマ・アヌンツィアータ教会は既に2度訪問している.最初の扉を開けるとまず「奉納物の小回廊」があり,堂内に入るには,さらにその奥の扉を開けることになる. この小回廊にもアンドレア・デル・サルトやポントルモのフレスコ画がある.下の写真はその中のひとつで,バルドヴィネッティという他ではまだ聞いたことのない画家の作品「牧人たちの礼拝」とのことだ(Eugenio Casalini, The SS.Annunziata of Florence: Artistical and Historical H and-book, Firenze, 1980).この回廊は撮影できるので,そのほかの作品もうまく撮れたら紹介したい.
![]() 初めて入る修道院の中庭付き回廊(通称「大回廊」キオストロ・グランデもしくは「死者の回廊」キオストロ・デーイ・モルティ)は,サン・マルコ修道院,サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会の修道院などとよく似ていて,一連の物語のように見えるフレスコ画があった. 回廊の25のリュネットにフレスコ画を描いた画家としては,アンドレア・デル・サルト,ベルナルディーノ・ポッチェッティ,マッテーオ・ロッセッリ,シエナのヴェントゥーラ・サリンベーニ,アルセーニオ・マスカーニの名前が挙げられている.有名なのはアンドレア・デル・サルト,他で作品を見たことある画家としてはロッセッリだろうか.修道会の歴史と7人の創設者の生涯に現れた奇跡を題材にしているが,時系列に並んでいるものではないらしい. 『最新完全版ガイドブック フィレンツェ』に大きく写真が出ており,英語版ガイドブックにも載っているアンドレア・デル・サルトの「麻袋の聖母」もここにあるらしいが,見逃してしまった.残念だが後日を期そう. ツーリストにつられて入ってしまったが,本当は先日ガイドブックを購入した聖具室係の人に申し込むことが必要らしい. 今日は結婚式か何かがあって,たまたま開いていたようだ.
サン・カルロ・デーイ・ロンバルディ教会 今日(10日)も夕方散歩に出て,フィレンツェにおける大作家の足跡を訪ねて歩いた.その成果は明日報告する.途中寄るつもりだったサンタ・フェリチタは開いていなかったものの,オルサンミケーレの向かいにあるサン・カルロ・デーイ・ロンバルディ教会(下の写真)が開いていた. 起源は大天使ミカエルの教会だったらしいが,様々な変遷を経て,ミラノの大司教だったカルロ・ボッロメーオを記念する教会になったとのことだった.マッテーオ・ロッセッリが描いた大きな絵「聖カルロ・ボッロメーオの栄光」があった. 市が立てた説明看板と,以前購入したオルサンミケーレ教会のガイドブックのサン・カルロ教会の頁に解説がある「キリスト降架」はなかった.ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニの作品だそうだ.オルサンミケーレのガイドブックではタッデオ・ガッディの作とする説もあると書いてあった.いずれにしても中央祭壇にあるはずのこの絵は今日はなかった. 反対に,立て看板に言及がなく,ガイドブックに作者名が挙げられていないキリスト磔刑像があり,プレートにはアンドレア・オルカーニャ作とあった.本当なら大変な作品なのに言及がないのはなぜだろう. 中央祭壇の上部の4つのリュネットに「聖カルロの事跡」のフレスコ画があった.18世紀のものらしい.絵葉書を売っていたので,4枚とも購入した.4枚で2ユーロ. ここは「静粛に」という張り紙があり,カメラなど音の出るものは厳禁で,司祭が聖書を読みながら少しでも騒がしい人には厳しく注意しており,厳粛な祈りの場の雰囲気が維持されていた.司祭はオルサンミケーレとかけ持ちらしく,そちらにも入っていくのを見かけた.長身の威厳を感じさせる人だった. |
サン・カルロ・デーイ・ロンバルディ教会(右) オルサンミケーレ教会(左) |
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