フィレンツェだより
2007年6月2日


 




サン・フレディアーノ教会
セミナリオの中庭から



§修道院の「食堂」

そういう訳し方で正しいかどうか未だにわからないが,「フィレンツェ大司教神学校」(以下,セミナリオ)で,聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィの没後400年のモストラ(特別展)を開催中だ.


 街のあちこちで入場無料をうたったポスターを見かけて,いつか行こうと思っていたが,今日ようやく行くことができた.

 5月26日にポスターを見たときは,セミナリオの創設400周年だと思っていたが,そうではなく,フィレンツェ出身で,俗名カテリーナ・デ・パッツィ,カルメル会の修道女としての名前がアンナ・マッダレーナ(マグダラのマリア)という1566年4月2日に生まれ,1607年の5月25日に亡くなった聖女の没後400年の記念モストラだった.

 最初はどうして「マグダラのマリア」が修道女の格好をしているのかわからなかった.マリア・マッダレーナ・デ・パッツィは宗教的霊感にすぐれ,死後62年を経て,教皇クレメンス10世の時に列聖された女性で,聖書に出てくる「マグダラのマリア」とはもちろん別人である.

 カトリックでいう聖人,聖女というものがどういうものか多分生涯理解できないであろうが,少なくとも芸術作品には多くの昔の聖人,聖女が登場するし,比較的新しい時代に列聖された人物を含め,カトリックの信仰に生きる人たちがいかに聖者を大切にしているかを考えれば,その事実には私たちも敬意を払うべきだろう.

写真:
聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィ
没後400年特別展のポスター


 クッラーディという画家の作品が多かったが,聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィの肖像画をたくさん見ることができた.彼女の遺品や関連する書物の展示などもあって興味深かった.

 ポスターに使われた絵も印象に残る作品だが,残念なことに作者の名前を失念してしまった.サンタゴスティーノ(聖アウグスティヌス)が彼女の胸に文字を記している(ラテン語で「言葉」と書いてあったのは,「はじめに言葉ありき」の「言葉」であろうか)絵のようだ.

 この神学校にはヴィニャーリという画家の作品が幾つかあるようだ.

 このモストラにはもう一度行ってみたいと思う.普段は入れない中庭が大変美しかったし,私たちが属しているのとまったく違う文化の一面を垣間見ることができるように思える.中庭から見たサン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会のクーポラが青空に映えていた(トップの写真).


オンニサンティの「最後の晩餐」
 実は今日は,可能なら「文化週間」の間に果たせなかったアカデミア美術館再訪を試みようと思い,最初にリカーゾリ通りに行ってみたのだが,朝からすごい行列だった.土曜日は空いているかも知れないという私たちの仮説は完全に否定されたことになる.

 アカデミアはあきらめたが,折角外出したので,土曜日の午前中は入れてくれることをこの間知ったオンニサンティ教会の修道院に行くことにして,アルノ川の方へ歩き出した.ここにはギルランダイオの「最後の晩餐」がある.

写真:
オンニサンティ教会
修道院中庭


 教会の横手にある入り口から聖フランチェスコの生涯のフレスコ画が描かれた回廊と中庭を通って,「食堂」(チェナーコロ)に入った.

 そこに「最後の晩餐」(ウルティマ・チェーナ)はあった.人が少なかったので,ゆっくりと見ることができた.サン・マルコ美術館の,ブックショップがある部屋に残っている,同じ作者の「最後の晩餐」とほぼ同じ構図だ.知らずに別々に見せられたら,同じ作品だと思うかもしれない.

 キリストの隣で眠る若い聖ヨハネがそれぞれの絵で特徴があるようだ.向かって右側の窓に孔雀,左側に鳩がいるのは同じだが,サン・マルコ美術館の絵にいた猫はこちらにはいなかった.

写真:
ギルランダイオ作
「最後の晩餐」
オンニサンティ教会修道院



聖アポロニア(サンタポッローニア)女子修道院食堂
 オンニサンティ教会を辞した後,川を渡ってセミナリオに行き,冒頭のモストラを鑑賞したが,出足が早かったので,それを見終えた時点でまだ午前中だった.寓居に戻りがてら,もう一箇所,お昼まで開いている旧「聖アポロニア(サンタポッローニア)女子修道院食堂」に立ち寄ることにした.

 この「食堂」(チェナーコロ)にも「最後の晩餐」(ウルティマ・チェーナ)がある.作者はアンドレーア・デル・カスターニョ.現在この建物はカスターニョ美術館ということになっているらしい.

 オンニサンティのギルランダイオの作品は1480年頃のもので,カスターニョの「最後の晩餐」は1444年の作品ということなので,こちらの方がだいぶ古いことになる.ギルランダイオがレオナルドに影響を与えたことを考えると,「最後の晩餐」の系譜を図らずして辿っていることになる.是非ミラノに行ってレオナルドの作品を見なければ.

写真:
アンドレーア・デル・カスターニョ作
「最後の晩餐」


 カスターニョの作品はドゥオーモの堂内で,ウッチェッロの「ジョン・ホークウッド騎馬像」と並んでいた「ニッコロ・ダ・トレンティーノ騎馬像」を見ているが,この美術館で見られる宗教画()を見ても力のある画家であることがわかる.

 オンニサンティの「食堂」でもそうだったが,フレスコ画の下絵も見せてくれていた.下絵もしくは素描は完成作とは別の層に描かれ,その後塗りこめられてしまうのだろうから,何かの偶然(オンニサンティの場合は大洪水)で出てきたということなのだろうか.

 フィレンツェには他にも幾つかの「食堂」と「最後の晩餐」があるとのことだ.その中で,サンタ・クローチェ教会のタッデーオ・ガッディの作品(1335),サント・スピリト教会のアンドレーア・オルカーニャの作品(1365)は14世紀のものなので,今日までに見た作品の先行作品ということになる.後者の教会は修復中なので,私たちの滞在中には見られない可能性が高いが,前者は前回行った時に時間切れで見られなかった美術館収蔵のようなので,次回行った時に是非見たい.絵柄は購入済みの英語版ガイドブックで確認した.

 16世紀の作品としては,1527年に描かれたアンドレア・デル・サルトの「最後の晩餐」がサン・ミケーレ・ア・サン・サルヴィ教会・修道院にあることを,オンニサンティでもらってきたパンフレットとガイドブックから妻が発見した.これも見に行かなくては.

写真:
清謐な雰囲気が
漂う旧「食堂」


 堂内にはキリスト磔刑の像もあり,「食堂」とは言え,祈りの場であることは変わりがない.私たちの前に団体がいたが,しばらくすると誰もいなくなった.フレスコ画の前にある椅子に座って,贅沢な時間を過ごすことができた.

 この入場無料の美術館にはカスターニョの他にも作品があり,ネーリ・ディ・ビッチの「聖母戴冠」があった.周囲には天使ミカエルと聖ステファノが描かれている.また聖人である.ステファノは聖書に出てくる,石打ちで殺された殉教者だ.この絵でも頭に2つ石が乗っているが,ステファノが若く可愛く描かれているので,不謹慎を咎められるかも知れないけれど,異教徒の目にはミッキーマウスの原型のように見える.

 他にはパオーロ・スキアーヴォという14世紀末のフィレンツェで生まれた画家の作品も2つあった.この人については何も知らないが名前が気になった.

 昔,英単語を覚え始めたころ,英語で「奴隷」をスレイヴというのは,古代にはスラヴ人が奴隷として連れてこられたからだと本に書いてあった.また高校時代に読んだ泉井久之助『ヨーロッパの言語』(岩波新書)に,イタリア語の挨拶語「チャーオ」の語源は「スキアーヴォ」で,この語は英語のスレイヴと同じ語源で,「奴隷」という意味であり,チャーオは「私はあなたの奴隷です」というような意味から来ているのだと書いてあった.

 あらためて辞書を確認すると確かに「奴隷」と書いてあった.この画家の出自とは関係ないであろう.イタリア語でスラヴ人はズラーヴォというようだが,あるいは祖先または本人がスラヴ人の住んでいた地域から移住してきたのだろうか.

 ネーリ・ディ・ビッチの作品では「聖母子と聖人たち」が印象に残る.「聖人たち」は聖ルドヴィーコ,聖ベネデット,聖アポロニア,聖カテリーナで,「聖アポロニア女子修道院」の食堂ならではだろう.

写真:
ネーリ・ディ・ビッチ作
「聖母子と聖人たち」


 カトリックの国で芸術を鑑賞するためには聖人の知識が必要だ.キリスト教以前の文学を学んでいる私には確かな知識がないので,少しずつ勉強していきたい.





アルノ川対岸のサン・フレディアーノ教会
クーポラの左下方の建物がセミナリオ