フィレンツェだより 第2章「備忘録」
2019年4月14日



 




「秘密の部屋」の「三美神」
国立考古学博物館 ナポリ



§ナポリ行 その7 表現された神話の世界

3回続いたフレスコ画篇は,その流行や様式などについて,勉強したことを報告する形でまとめたが,石棺・浮彫篇は,モチーフとなったギリシア神話の世界を紹介する形でまとめようと思う.


 実は,パヴィアで見た「ランゴバルド」展がナポリに巡回して来ていて,パヴィアでは撮影不可だった写真がナポリでは撮れたから,是非紹介したいと思ったが,フレスコ画篇が思いのほか長くなってしまったので,別の機会を待つことにする.

 一緒にまとめるつもりだった碑文についても,もう少し知見を得てから,別の機会に報告することにし,今回の石棺・浮彫編を以って,考古学博物館については一区切りとする.


「秘密の部屋」の2作品
 フレスコ画篇で,エロティックな作品を集めた「秘密の部屋」(ガビネット・セグレート/Secret Cabinet)について報告すると言っていたが,これもどうまとめたら良いのか分からないので,今回のテーマである神話の世界に関連する「ポリュペモスとガラテイア」,「三美神」のフレスコ画だけ紹介してその代わりとする.

写真:
「ポリュペモスとガラテイア」


 ポリュぺモスは『オデュッセイア』に登場する一つ目巨人族キュクロプスの一人である.

 故郷に戻るオデュッセウスの一行がキュクロプスたちの島に立ち寄ったとき,客人関係の相互義務(エウクセニア)を守らずにオデュッセウスの部下たちを喰らい,エウクセニアの守護神ゼウス(ゼウス・クセニオス)に不敬の態度を取ったので,その報いとしてオデュッセウスたちに一つしかない目を潰される.

 しかし,彼の父は海神ポセイドンだったので,その怒りを買ったオデュッセウスは地中海を彷徨って,故郷への帰還に十年もの歳月を要することになった.

 ポリュペモスは羊飼いの姿で表されることが多く,エウリピデスのサテュロス劇『キュクロプス』の題材となるなど,多くの文学作品に取り上げられた.ヘレニズム時代の詩人テオクリトスは『牧歌集』の一つの作品で,恋するポリュペモスが片思いを切々と訴える作品を創作している.ポリュぺモスの報われぬ恋の相手が海のニンフのガラテイアだ.

 「秘密の部屋」のフレスコ画には,一つ目巨人とともに,羊と羊飼いの杖と葦笛が描き込まれていて,ポリュペモスが牧人として表現されているのは確かだが,ガラテイアと思われる女性と抱擁しており,絵柄としては文学テクストと矛盾している.これについては様々な伝承があったと理解しておくことにする.

 フレスコ画にしては珍しいエロティックな絵柄であるのは間違いないが,それ以上のものではない.授業でこのフレスコ画を紹介することもある.

 ポンペイの「彩色柱頭の家」からの出土で,推測制作年代は後50年から79年とされるので,第III様式末期から第IV様式と思われる.デ・カーロは第IV様式と断定している.

 「三美神」については,シエナ大聖堂のピッコロ―ミニ図書館に置かれている古代彫刻,そして多分そこからインスピレーションを得たと思われるラファエロの絵で知られており,ボッティチェリの「春」にも描かれている.

 「秘密の部屋」の「三美神」(トップの写真)は「ティトゥス・デンタトゥス・パンテラの家」出土で,推定制作年代は紀元前後から50年までとされるので,第III様式のフレスコ画と言えよう.


石棺「プロメテウスの物語」
 ナポリ考古学博物館の石棺コレクションは期待していたほどではなかった.ヴァティカン博物館には数では遠く及ばず,コペンハーゲンのニイ・カールスベイ博物館と比較しても,数でも質でも負けているように思える.しかし,そういう博物館は特別なのであって,それと比較するのはそもそも間違いかも知れない.

 「メデアの子殺しと龍車での逃亡」,「パイドラとヒッポリュトスの物語」といった,これまでも見てきた主題の石棺はここでも観ることができた.後者はだいぶ摩耗しているが,前者はまずまずの出来に思えた.

 その中にあって,「プロメテウスの物語」は,もしかしたら,石棺の浮彫としては初めて見たかも知れない貴重な作例に思え,見つけたときは心躍ったが,あとで確認すると,プロメテウスが人間を創造する物語を掘り込んだパネルのある石棺をローマのカピトリーニ博物館で既に見ていた.

 当たり前だが浮彫の制作には時間がかかる.従って,石棺の浮彫は必ずしも注文があってから彫られるのではなく,既製品としても売られていたので,人気の題材の浮彫は予め沢山用意されていたと推測される.「プロメテウスの物語」もおそらく,商品として需要がある題材だったと想像される.

 この石棺は,ナポリ近郊の都市ポッツオリ(古代名プテオリ)で発掘され,制作年代は3世紀(デ・カーロは4世紀)とされる.


写真: 「プロメテウスの物語」の石棺


 まず中央下部で右手を顎にあてて腰を下ろし,沈思の姿勢に見えるのがプロメテウス,その膝元に横たわっているのが,新たに創造される人間であろう.プロメテウスの後ろにいる若者は二匹の蛇が絡み合う杖カドゥケウス(ギリシア語ではケリュケイオン)を持っているのでヘルメス,その左は三叉の矛を持っているのでポセイドン,このあたりまではすぐ分かるが,全部の登場人物を特定するのは難しい.

 この石棺については,デ・カーロの他に,「日本の古本屋」で札幌の古書店から購入した,

 Francesco Paolo Maulucci, tr., STS srl, The National Archeological Museum of Naples, Napoli: Calcavallo, 1988(以下,マウルッチ)

を参照しているが,この本に登場人物が詳しく解説されている.

 以下,人物の名称については,ラテン語形がある場合は括弧内に記し,基本的にギリシア語形の固有名詞を記している.

 マウルッチによれば,プロメテウスの右側に見える女性は,運命の糸を紡いでいるクロトノナ),その右側にはエロス(クピド)がいて,生命の火の松明を横たわる人間の頭部に向けている.さらに右側の女性はギリシア語で「魂」を意味するプシュケ(アニマ),その右側には,この浮彫の中にいるエロスの中で最も年嵩でプシュケの伴侶となるエロス,その右側には,後にプロメテウスが人間のために彼から火を奪うことになる鍛冶の神ヘパイストス(ウルカヌス)が作業をしている.

 ヘパイストスの頭上で,マントを風で膨らませているのは,天空神ウラノス(カエルス),右斜め下方に目をやると,石棺の右下端で,オークの木の下に身を横たえている女性は大地の女神ガイア(テッルスもしくはテッラ),ウラノスとガイアの間にいる,やはりマントを風で膨らませている女性は大気を意味するアウラとされる.

 石棺正面の右上端には四頭立ての馬車を駆る太陽神ヘリオス(ソル)がいて,左上端には月の女神セレネ(ルナ)がいて,女神は松明を持つエロスの姿で表される宵の明星へスぺロス(ウェスペル)に先導される牛車に乗っている.つまり,右から左に夜明けから夕方までの時間が流れていることが表現されている.

 セレネの下にいるマントを膨らませている女性については,マウルッチは冥界の女王ペルセポネ(プロセルピナ)としているが,その根拠はその女性の右の男性が彼女の夫である冥界の王ハデス(プルトあるいはディス)と考えられるからであろう.

 プロメテウスの後方にはオリュンポス十二神の中の主要な神々がいて,人間の創造は神々の公認を得ていたことが表されている.主要な神であるだけでなく,人間に運命づけられた「死」を象徴しているハデスは当然その中に含まれているはずで,この髪も切らず,髭も整えていない男性の姿はハデスとして説得力を持っている.

 ハデスの足元には少年の姿の眠りの神ヒュプノス(ソムヌス),その左隣には地獄の番犬ケルベロス(ケルベルス),さらに左隣で,石棺正面全体では左下端で岩に座っている女性は復讐の女神たち(エリニュエス/フリアエ)の一人エリニュス(フリア)とされる.

 ハデスの右隣は,前述のように三叉の矛を持っており,イルカを抱えているのでポセイドン(ネプトゥヌス),彼の足元で肘をついて横たわっている女性は,左手にイルカを抱え,右手に船の櫂を持っており,傍に水鳥がいるので,マウルッチは四元素の一つで生命にとって必要な「水」を表しているとする.

 ただ,水はラテン語ではアクアで女性名詞だが,ギリシア語のヒュドルは中性名詞である.ローマ時代の石棺なので,それでも良い訳だが,ペルセポネがハデスの伴侶としてカップルで描かれているように,ポセイドンの妃アンピトリテが描かれた可能性はないのだろうか.

 この浮彫には,土,水,火,空気の四元素が描かれているようだが,土は大地の女神,空気はアエル,火はウルカヌスの仕事,エロスの松明,太陽神などが表しているとすれば,残りの一つの「水」についても寓意神が描かれていても不思議はないと思うが,どうだろうか.

 ポセイドンの右側がヘルメス(メルクリウス)であるのは上述のようにカドゥケスからわかるが,その右側の女性は誰であろうか.彼女がヘルメスに袋に入った何かを渡しているのがヒントになる.

 ローマのカピトリヌスの丘にかつてユノーの神殿があり,その近くに硬貨の鋳造所があったことから,「助言の神ユノー」(ユノー・モネタ※)の形容語(epithet)のモネタ(モネータ)が変じて,貨幣を意味するイタリア語のモネータ,英語のmoneyが生じたことは良く知られている.

(※ユノー・モネタ…英語版ウィキペディア「ユノー」に「ユノー・モネータ」の説明がある.また,moneyの形容詞のmonetaryにはtが残っている.)

 したがって,この二人の間で受け渡しされている袋の中身はお金で,商業の守護神であるヘルメスに神々の女王ヘラから金袋が渡されている場面とすることは一定の説得力を持つ.というのも,この女性は王笏を持っており,その右側にいる男性もやはり王笏をもっているので,ヘラとゼウス(ユピテル)と推測できるからだ.

 ゼウスとヘラの間から顔をのぞかせ,冠を被った女性をマウルッチはマグナ・マテル(太母)としている.英語のGreat Motherは大地母神と訳されることもある,上記のガイアもその中に入るが,ここで太母と言われているのは,おそらくゼウスの母レアオプス)にあたると思われる.

 レアは小アジアの大地母神キュベレと同一視されることもあるので,夫婦であるとともに姉弟でもあるゼウスとヘラの母レアと考えて良いだろう.

 正面だけではなく両側面にも浮彫があり,特に,左側の側面には上述のクロトとともに,運命の三女神モイライパルカエ)の一人であるアトロポスモルタ)が彫り込まれている.クロトが糸を紡ぎ,ラケシスデキマ)が糸の長さを測って寿命を決め,アトロポスが鋏で糸を切って,対象となる人物が亡くなる.この石棺の浮彫では,アトロポスは日時計を見て,糸を切る時間を見定めている,

写真:
ウェリフィカティオ


 正面のパネルのポセイドンの右肩の上に浮遊したエロスがいるが,風をはらんだマントを持っており,マウルッチは海から吹く西風の神ゼピュロス(ゼピュルス)としている.この浮彫では,プシュケの伴侶である少年のエロスばかりでなく,複数の有翼の幼児が,場合によっては松明を持って登場していて,それぞれに役割が与えられているところが面白く,主題がプロメテウスの人間創造だったことを忘れてしまう.

 この石棺の浮彫には,ポセイドンの右肩のエロスの他に,マントを風に孕ませた神が複数でてきた.もともとアウラなど風に関する神を表す工夫で,そうした神の図像をウェリフィカンス(複数形はウェリフィカンテス)といい,重要な神の顕現(epiphany)に伴って用いられ,その工夫のことをウェリフィカティオと言うそうだ.一つ,勉強になった.


エロスのいる浮彫
 「プロメテウスの物語」には複数のエロス(有翼の幼児)がいたが,考古学博物館には他にも,エロスが戦車競技している浮彫など,複数のエロスがいる浮彫があった.

 また,今まで類例を見た記憶がないが,2人の幼児のエロスがそれぞれ牛を殺す場面を左右に彫り込んだ,「エロテス・タウロクトノイ」(牛殺しのエロスたち)ともいうべき浮彫もあった.ほぼ左右対称だが,右のエロスは牡牛の角を握って短剣を突き刺し,左のエロスは牡牛の鼻面を掴んで短剣(損失)を突き刺そうとしている.

 「牛を殺すミトラ」は丸彫りでも浮彫でもよく見るが,エロスが牛を殺す図像は初めて見たような気がする.

 ミトラの場合は,宗教的な図像解釈は別として,実際に牛を短剣で殺す能力のある若者の姿が描写されているように見えるが,荒々しい牡牛を容易に押さえつけている幼児の姿には,生き物の本能を制御する不可視な力が比喩的に表現されているように思える.

写真:
牛を殺すエロス


 断片なのでわからないが,もし石棺だとしたら,側面(短辺部)の浮彫であろうと思われる.中央は燈火台だと思うが,浮彫の燈火台にさらに中世貴族の家紋の「ランパンの龍」のような浮彫が施され,基層部にはさらにエロスの浮彫があって芸が細かい.


『オデュッセイア』の怪物
 石棺ではなくテーブルを支える石板の浮彫にも面白いものがあった.

 下に紹介する写真の右側には,ケンタウロスの背中に小さな少年が乗っており,その左横には,蛇を銜えた鳩,左側の角には女性が彫られていて,中央には男性が大蛇のようなものに巻きつかれている姿が見える.

 さらによく見ると,大蛇に見えたのは左の女性の下半身で,しかも,女性の上半身と下半身の間に,何かを銜えている犬の頭と足があるのが分かる.




 この造形から推測するに,この女性は海の怪物スキュレで,男(オデュッセウスの部下?)が巻き付かれているのも大蛇ではなくて,魚になったスキュレの下半身ということになる.スキュレの腹部には6つの犬の頭に,12本の犬の足があるはずだが,しっかりとした鑑賞を怠ったうえ,写真も撮る角度が悪かったので,それを確認できない.

 腹部から上の造形は,もとは美女であったが,グラウコスという海の神の片思いに応えず,グラウコスを愛していた魔女キルケの嫉妬心によって怪物に変えられてしまったスキュレのかつての姿を視覚的に表現しているのであろう.

写真:
スキュレ
犬の頭部は2つ
だけ確認できる


 スキュレは,『オデュッセイア』第12巻で,オデュッセウスへのキルケの助言の中に「十二本の足」,「頗る長い首が六つ」,「見るも恐ろしい首」,「ぎっしりと詰まった歯」と描写されており,オデュッセウスの回想の中に,スキュレが6人の部下を「食ってしまった」ことが語られ,オデュッセウス一行に被害と悲しみを齎したことが報告されている.

 スキュレが美女から怪物になる話は,後1世紀ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』14巻冒頭でも語られている.


「オルペウスとエウリュディケ」
 元はどのような形であったのか,あるいは祭壇装飾の一部だったかも知れないが,「オルペウスとエウリュディケ」の浮彫に目が留まった.壁面の高いところに,無造作に展示されているので,見逃さなかったのは幸運だったが,写真はうまく撮れなかった.

 登場する3人の人物は,左からヘルメス,エウリュディケ,オルペウスで,めぼしいアトリビュートも無しにそれが分かるのは,それぞれの名前が頭上部分にギリシア文字で記されているからだ.面白いのは前二者が左から右に書かれているのに,オルペウスの名は右から左に書かれている.

 ヘルメスとエウリュディケは右を向き,オルペウスは左,すなわちエウリュディケを見ていると言うことは,私たちが良く知っている,オルペウスが後ろからついて来ているはずのエウリュディケを確認しようとして振り返った場面と想像される.名前の書き方の違いは,三者の顔の向きに関係しているかも知れない.

 死別によって愛妻を失った楽人が,冥界の王を訪ねて,妻を返してくれるように訪ね,その愛と楽才に感銘を受けた冥界の女王の助力で,妻を地上に連れ帰って良いことになる.しかし,そこには条件があり,地上に戻るまでついて来ているはずの妻を振り返ってはならないと言うものだった.もう少しで地上というところでオルペウスは振り返ってしまい,永遠にエウリュディケを失ってしまう.

写真:
ヘルメス,エウリュディケ,
そしてオルぺウス


 オルペウスがエウリュディケと死別する話はプラトン『饗宴』(前4世紀前半)に出てくるが,ここには禁忌の振り返りによって永遠の別れとなる話は出てこない.文学テクストでは,前1世紀のウェルギリウス『農耕詩』第4巻が最古と思われる.

 しかし,ナポリで観た浮彫が,もしデ・カーロの言うように,前5世紀に遡る原作のローマン・コピーだとすれば,振り返る話は,少なくとも前5世紀には知られていたことになるが,どうだろうか.

 後ろを向いたオルペウスの肩に手を置いて,エウリュディケは夫の顔を見つめているが,その腕は死者を冥界に導くヘルメスによってしっかりと捕らえている.やはり,この浮彫は有名な神話の決定的瞬間を表しているのか.それとも,条件付きで地上に帰ることを許されたエウリュディケとオルペウスにヘルメスが付き添って,これからオルペウスが後ろを振り返ってはならない道中が始まる場面なのか,断定するのは難しい.

 ナポリからヴェスヴィオ山周回鉄道で,サレルノ行きの電車に乗ってポンペイ遺跡を目指すと,途中にエルコラーノがあり,エルコラーノとポンペイの間にトッレ・デル・グレーコ(ギリシア人の塔)という名の駅がある.そこに同名の町が遭って,この浮彫はその町にある古代の別荘から出土した.


ディオニュソスの浮彫
 授業で古代ギリシアなどの影響を説明するのに,芥川龍之介の短編『神々の微笑』という作品を取り上げることがある.詳述はさけるが,16世紀の日本に来た宣教師オルガンティノが見た幻視の中で,天岩戸に隠れが天照大神の関心を引くために神々が岩戸の前で饗宴を開き,天宇受売命(アメノウズメノミコト)が踊りを踊っている描写があって,これを作家はBacchanaliaとローマ字表記している.

 葡萄(酒)の神ディオニュソス(リベル)の別名がバッコス(バックス)で,英語読みするとバッカスになる.こちらの方が馴染みがある人も多いだろう,よく知られた酒の神で,陶酔状態の男女の従者が常にお祭り騒ぎで彼に付き従っている.

 ローマ時代に行われたバッカスの祭りをバッカナリアと言う.バッカナリアを描いた石棺は数多く見られるが,ナポリ考古学博物館にも,私が見た限り,少なくとも4点,収蔵,展示されていた.

 「秘密の部屋」に置かれている石棺パネルは,左側から柱像になった牧神パンと下半身が山羊になっている女性の性交場面,建造物の前で眠っているアリアドネ,若いサテュロスたちに支えられている酔ったディオニュソス,右端のプリアポスの柱像の前で,性的行為に及ぼうとしている,下半身が山羊の姿の男女,右側面にはおそらく上流階級の女性による,おそらく出産祈願であろうか,パンもしくはプリアポスの神像の前での宗教儀式が彫り込まれている.

 この石棺の出自については,今のところ情報がないが,ファルネーゼ・コレクションに入っていたもののようである.


写真: 酔ったへラクレスがいるバッカナリアの浮彫


 古代ギリシア・ローマの有名無名の人々の胸像と同じ部屋に,酔ったへラクレスがいるとプレートにあったバッカナリアもしくはディオニュソスの宗教儀式の行進の浮彫がある石棺があった.これもおそらくファルネーゼ・コレクションだと思う.

 私が知らないだけかも知れないが,酔ったヘラクレスがバッカナリアに参加しているのは珍しいように思われた.

 登場人物は,左から馬車に乗っているディオニュソス,竪琴やアウロス笛などの楽器を持ったケンタウロスたち,中央やや右側に,酔って足元がおぼつかなくなって,若者たちに身体を支えられているヘラクレスがいて,その先にはエロスの乗ったライオンがいる.

写真:
「エレウシスの秘儀に
入信するヘラクレス」


 石棺ではないが,「エレウシスの秘儀に入信するヘラクレス」の浮彫もあって,ヴィーナス,ディオニュソスと並んで,ヘラクレスも信仰の対象として人気があったことをうかがい知ることができる.「エレウシスの秘儀」にヘラクレスが入信するに至った経緯は,有名な「十二の功業」の最後の試練,地獄の番犬ケルベロスを地上に連れ帰ることに関係している.

 これを成し遂げるためには,先立って,生きたまま死者の国に行く手段を模索しなければならず,エレウシスでデメテルの秘儀を主宰する神官エウモルポスに,以前ケンタウロスを殺した血の穢れを清めてもらった上で,秘儀への入信を認められ,ヘルメスとアテナに先導されて,ペロポネソス半島南端のタイナロン岬から地下の世界に向かうように助言を受ける.

 この浮彫はエレウシスでの儀式を描いており,右端の祭壇に献酒している人物が神官エウモルポス,左端で衣裾を持っているのは巫女で,真ん中でヴェールを被ってうなだれている筋肉質の人物がヘラクレスであろう.

 今のところ,博物館にあった何点かをまとめて紹介したプレートに,紀元前1世紀の終わりから紀元後1世紀にカッラーラ大理石で造られたネオ・アッティカ様式の作品とあるのが唯一の情報である.

 周囲には同じようなパネル型の浮彫が数点あり,「アンドロメダを救うペルセウス」,時として酔っぱらいの中年の姿で現されることもあるディオニュソスが,テュルソス杖を持って玉座に腰掛けた美しく威厳ある若者の姿をした浮彫もあった.



 最後に神話とは関係ないが,印象に残った作品を紹介する.

 ローマのハドリアヌス神殿から出土し,ファルネーゼ家のコレクションに入ったと思われる数点の浮彫の中に,ハドリアヌス在世時にローマ帝国支配下にあった東方の属州を象徴する像が少なくとも3点と,数点の「勝利記念柱」の浮彫があった.

 属州を象徴する像は,一つは北方のスキュティア人もしくはノリクム人,一つはパルティア人もしくはアルメニア人,もう一つがビテュニア人で,いずれもローマが当時としては最果てに思われるような辺境地までも属州にした栄光を表しているのであろう,どれも美しい造形だが,私にとって特に美しいと思われたビテュニア人像を紹介する.

 この像は,ハドリアヌス帝の寵愛を受けたビテュニア出身の美少年アンティノオスの姿を反映したもののように思われるが,ビテュニアは女性名詞なので,像は乳房のある女性像となっている.

写真:
属州を象徴した女性像
ビテュニア人像


 カメオの技法を用いた作品も見応えがあった.その中からガラス製の「青い壺」の写真を紹介する.青の地に白い浮彫風の装飾があり,葡萄を摘んだり,長椅子に横たわって,音楽に興じて憩っているエロス(クピド)たちが見られる.

 デ・カーロに拠れば,ポンペイのエルコラーノ門を出て,秘儀荘に向かう途中のセポルクリ(墳墓)通りにある「モザイク装飾の柱の別荘」から出土したもので,やはりディオニュソスと関係の深い場面を描いたものであろう.

 他にも様々興味深い石棺,浮彫があり,今回取り上げられなかった金石碑文に関しても,いつの日かまとめてみたいが,とりあえず,ナポリ国立考古学博物館に関する報告はここで一区切りとし,次回からは3回の予定で,カポディモンテ美術館で観ることができた芸術作品についてまとめてみたい.







カメオの技法を用いた
青いガラスの壺(部分)