フィレンツェだより 第2章「備忘録」
2019年3月29日



 




「至聖所への扉」(部分)
国立考古学博物館 ナポリ



§ナポリ行 その5 考古学博物館のフレスコ画(その2)

ポンペイの壁画を時代別に4つの様式に分類したのは,キール出身のドイツの考古学者アウグスト・マウである.


 マウはキール大学,ボン大学で学んだ後,1872年から,健康上の理由でローマに住むようになり,ドイツ考古学協会に勤めた.そこで,ポンペイの絵画を中心に研究し,重要な業績を積み上げ,1909年にローマで亡くなった.

 後継者たちによって,より精度の高い分析が行われるようになった今も,彼が確立した分類方法は有効で,「論破するのは不可能」と,前回紹介した図録の解説の中でチチレッリが言っている.


ポンペイ壁画の第Ⅰ様式
 ポンペイ壁画の第Ⅰ様式(以下,第Ⅰ様式)は,壁に漆喰を塗り,切れ込みを入れて,色をつけて,色のついた石を積み上げたように見せるか,化粧大理石を張っているように見せるフレスコ画の技法と一応,理解しておく.

 これは元々プトレマイオス朝エジプトを中心に地中海世界に広く流布していた様式の影響を受けたものと考えられ,ポンペイでは紀元前2世紀から前80年頃まで流行した.

 日本語ページなどには外披様式などという訳語があてられ,これは英語のincrustation styleに該当する.英語ではmasonry style(石工様式?)が良く使われるようだ.日本語版ウィキペディアにある「漆喰装飾様式」というのが最も分かりやすいように思えるが,理解するためには少なくとも写真で実物の確認が必要だろう.

 ウェブページなどで挙げられている例として,エルコラーノの「サムニウム人の家」の壁,次にポンペイの「ファウヌスの家」の壁装飾が取り上げられる.これらの家は,実際に行き,内部の写真も撮っているが,肝心な第Ⅰ様式とはっきりわかる装飾は写真に収めて来なかった.それらしいものもあるが,確信がない.

写真:
「サルスティウスの家」
トリクニウムの
装飾フレスコ画


 チチレッリはそれらの他に,ポンペイの「サルスティウスの家」の壁面装飾を例として挙げている.この家には,「3つの」(トレイス),「長椅子」(クリネー)に由来するギリシア語のトリクリニオンを語源とする「食堂」(トリクリニウム)が残っていて,その壁面に第Ⅰ様式の装飾が残っている.

 この建物は,1943年に爆撃を受け,1970年に復元されており,チチレッリが掲載したのは,それ以前のモノクロ写真だが,第Ⅰ様式の装飾が残る食堂の壁はオリジナルが残っている.


ポンペイ壁画の第II様式
 紀元前87年に同盟市戦争後のポンペイは自治市(ムニキピウム)となり,同80年に植民市(コロニア)に昇格した.

 “植民市に昇格”というのは奇異な感じがしないでもないが,「植民市」とはローマ市民が入植して都市を建設したことに由来する名称であり,後になって服属した地方都市にもこの待遇が与えられ,その都市の市民にはローマ市民権が付与された.

 ポンペイ壁画の第Ⅱ様式(以下,第Ⅱ様式)の流行が開始するのも,この前80年くらいからと考えられている.

 第Ⅱ様式になってはじめて,フレスコ画が装飾ではなく「壁画」という具象的な絵である実感が得られる.壁面に漆喰が塗られ,「地」の色の上に建築物の絵が描かれ,それには,ルネサンス的な「線遠近法」のような高い完成度ではないにせよ,「騙し絵」(錯視)的な技法を用いることで,奥行き感が与えられている.英語ではarchitectural styleと説明され,そこから日本語では「建築装飾様式」と言い換えられている.

 英語版ウィキペディアに紹介されている第Ⅱ様式のフレスコ画は,今もポンペイの「マルクス・ファビウス・ルフスの家」に残る,扉を開けて女性が姿を現している騙し絵だが,残念ながら,これはポンペイで見損ねた.

写真:
「メレアグロスの家」出土の壁画

階段など建物部分の一部は
漆喰浮彫によって描かれている


 「マルクス・ファビウス・ルフスの家」の壁画は見逃してしまったが,建物の中から扉を開けて女性が外を覗く,もしくは出ようとしているフレスコ画はナポリ考古学博物館にもあった.この「メレアグロスの家」出土の壁画は,漆喰浮彫を併用するなどの複雑な技法が見られ,第IV様式に分類されるようなので,今は写真の紹介にとどめる.

 第Ⅱ様式の見事な壁画装飾がほぼ完璧な形で見られるのが,城外にある「秘儀荘」で,これに関しては,ポンペイの回に報告することとする.



 「マルクス・ファビウス・ルフスの家」の壁画に描かれている女性は,おそらくウェヌス・ゲネトリックスであり,エロス(クピド)を伴っている.

 根拠は確認していないが,英語版ウィキペディアに,このヴィーナスとエロスには,カエサルの愛人となったクレオパトラと二人の間に生まれた子カエサリオンが反映しているとある.その当否はともかく,そうした説が出されるには,少なくとも第Ⅱ様式が主流だったとされる時代と,カエサルとクレオパトラ(7世)の間に愛人関係が成立していた時代の整合性が必要となるだろう.

 前78年に独裁者スッラが死去,キケロのカティリナ弾劾が前63年,第一回三頭政治が前60年から,カエサルがポンペイウスを破ったパルサロスの戦いが前48年,カエサルの暗殺が前44年で,第II様式が主流だったされる時代は,前80年から,第Ⅲ様式が出現する前20年から前10年くらいまでの間とされるので,時代は重なっている.

 カエサルの死後,前43年から第二回三頭政治,反カエサル派が敗れるピリッピの戦いが前42年,前31年にアクティウムの海戦,翌年プトレマイオス朝エジプトが滅亡,前27年にオクタウィアヌス・カエサルがアウグストゥスの尊称を得て,ローマは共和政から帝政(元首政)へと移行し,ポンペイのフレスコ画は,この後,第Ⅲ様式が出現する.


「君主と哲学者」


 ナポリ考古学博物館に展示されている第Ⅱ様式の特徴がわかる壁画としては,ボスコレアーレの「プブリウス・ファンニウス・シュニストル荘」の通称「君主と哲学者」,「聖所への扉」,ポンペイの西部地区の邸宅(VI.17.41.通称「図書室の家」)にあった「トロス(円形神殿)と静物が見える建築物」が優れた作例であろう.

 「君主と哲学者」については,左側の杖をついた老人を,たとえばメネデモス,アラトスといった哲学者たちに比定し,右側の二人の人物のうち,立っているように見える人物はマケドニア風の被り物(カウシア)と長槍と星模様の楯から,マケドニアのアンティゴノス朝の君主たちの誰か,坐っている人物はその母というような仮説(坐っている女性を除いてデ・カーロ)が立てられている.

 しかし,右側の人物は二人とも女性に見えるので,マケドニアとシリア(どちらも女性名詞)を表しているとする考えもあるようだ.個人的にはこちらのアイデアに与したいが,確証はない.

 真ん中に柱が描かれ,神殿建築の装飾帯(フリーズ)を思わせる構成になっているのは,柱廊付き中庭(ペリステュリウム)の壁面を連続して飾っていた人物像の一部だからで,考古学博物館にあるのはこの2面だけだが,メトロポリタン美術館に収蔵されているものなど数面が残っている.

 「至聖所への扉」(トップの写真)は,シュニストル荘の「食堂」(トリクニウム)にあった絵で,イオニア式列柱のある神殿の奥に扉が描かれ,扉は開いてはいないがその奥の至聖所につながっていることを想像させる.前面の柱の台座や天井などに遠近法的な工夫があり,4本の柱の両側に1体ずつある燭台の上に3人の有翼の女神の彫刻が描かれているなど,高度な装飾性が見られる.

写真:
「トロスと静物
の見える
建築物」


 この別荘の寝室(クビクルム)にあったトロスを描いた見事なフレスコ画は現在,メトロポリタン美術館に収蔵されているので,ここでは上述の「図書室の家」にあった「トロス(円形神殿)と静物が見える建築物」を紹介する.

 この絵は,ギリシア語でプロピュロン(πρόπύλον)もしくはプロピュライア(προπύλαια)と呼ばれる神域への入り口から,神域(神殿とトロス)を見た設定になっている.

 両側の(現存するのは右側のみ)噴水から水路に水が流れ,門の両脇の仕切り壁には,漁師,鳥刺しの個人もしくは組合からの願掛けの奉納物(ex voto)である魚と鳥が下げられている.この絵の隣には猟師が奉納したウサギが下がっている壁が描かれたフレスコ画断片も展示されている.仕切り壁上部には新喜劇の仮面も見える.

 ポンペイが植民市に昇格して,第Ⅱ様式が流行した時代は,ローマを中心とする地中海世界の激動期で,この時期以降のフレスコ画に「ナイル川の風景」などのエジプト趣味が見られるのも,ローマが地中海世界の覇権を確立し,エジプトを完全に征服した歴史を反映していると思われる.


ポンペイ壁画の第III様式
 第Ⅲ様式は,前20年から前10年の間に始まり,後62年の大地震までの時期に流行したと考えられる.第5代皇帝のネロの即位が54年,その失脚と自殺が68年なので,ユリウス=クラウディウス朝と称されるアウグストゥスからネロの5人の皇帝が立った帝政初期に包摂される.

 第Ⅱ様式においては,外の見える窓が無いことに起因する閉塞感を緩和するために,奥行きのある建築物の絵柄が好まれ,時に,分割された画面はあたかも窓のような役割を果たすことが期待された.それに対し第Ⅲ様式は,単色(ポンペイの赤,黒,白)に塗られた壁面全体がパネルのように分割され,中央に人物などの絵が配されるデザイン性の高い様式になっている.

 壁面を区切るのは,現実的にはあり得ないほどほっそりとした装飾的な柱の絵などで,建築物の要素を場面の区切りに使う技法は第Ⅱ様式から踏襲されているが,こちらは奥行きを感じさせないので,部屋の閉ざされた空間性が強調される.

 第Ⅲ様式の特徴について,さまざまな解説が,“画面の中央にタブローのように絵が描かれる(前回名前を挙げたダンブロシオは「タブロー画」)”と表現している.タブローはフランス語で,板,布,紙などに描かれ,完成した絵のことを言うが,区切られた画面を独立した板のように見做して絵が描かれているという理解で良いだろうか.

 考古学博物館に展示されているフレスコ画の殆どは,今やシンプルな枠であるが額装されていて,それこそタブロー画のように見えるが,実際にはどの絵も元は壁面の大きな絵の一部だった.

 しかし,独立したテーマで,神話上の人物や場面,風景が描かれている絵は第Ⅱ様式からあるので,切り取られた絵を見て,どの様式の時代に属しているのかを判定するのは素人には難しい.

写真:
「アグリッパ・
ポストゥムスの別荘」
のフレスコ画


 ナポリ考古学博物館で観ることができた第Ⅲ様式とされる作品で代表的なものは,ボスコトレカーゼの「アグリッパ・ポストゥムスの別荘」出土の壁画であろう.

 壁面を区切っている白い線は,多色文様が施され,最上部にイオニア式やコリント式の柱頭が描かれているので,建築物の柱を意識してデザインされたものだろう.基層部は黒く,中層部と上層部はポンペイの赤に塗られ,中央には白地に描かれた風景画があるが,第Ⅱ様式のように窓から見えるという設定で描かれたものではない.

 絵の中心は信仰の証として奉納された大きな柱で,その上に壺が乗っていて,柱の下には大地母神キュベレ像が鎮座し,画面(向かって)左側には3頭の山羊と山羊飼い,右側には女性2人と子供がいて,その後ろにはプリアポスの神像がある.柱の後ろには葉が繁った大樹.壁に囲まれた庭園,神殿などがあるように見える.

写真:
「サテュロスの
いる建築物」
フレスコ画断片


 エルコラーノ出土の通称「サテュロスのいる建築物」のフレスコ画断片は,ポンペイの赤を地として,繊細で装飾的な疑似建築模様が描き込まれ,いかにも第Ⅲ様式という感じの作例に思われる.


ポンペイ壁画の第IV様式
 前回紹介した「ディオスクロイの家」,「悲劇詩人の家」のフレスコ画はほとんどが第IV様式に属している.

 62年に大地震があり,ポンペイの多くの建物は甚大な被害を受け,修復や再建を余儀なくされた.既にローマでは40年前後に第III様式の流行は終わっていて,地震を契機に修復,再建の資力を持っている人々の邸宅では,第IV様式を採用した壁画装飾がなされた.

 予習不足による全くの自業自得なのだが,「ウェッティの家」と称される,第IV様式のフレスコ画に満ちた邸宅のことを知らず,訪ねることもしなかったのは,痛恨事だった.まったく,髪を掻き毟りたくなるほど残念なことだ.ここには第Ⅲ様式も含む多くのフレスコ画が残っており,わけても第Ⅳ様式のフレスコ画もあるということは,62年の地震の後,79年の大噴火までの間に再建を果たすだけの資力があり,流行に敏感な居住者がいたということであろう.

 何とかもう一度ポンペイに行くチャンスを作り,今度は必ず「ウェッティの家」に行って,見てきたことを「フィレンツェだより」で報告したいと思う.気を取り直して,デ・カーロを参考にしながら,考古学博物館で観ることができた第IV様式のフレスコ画で,なるべく広い壁面全体を想像できるものを選んで紹介する.

写真:
ヘレニズム時代の
劇場が描かれた
フレスコ画


 このフレスコ画はエルコラーノ出土の壁画で,ヘレニズム時代の劇場が描かれている.奥行き感のある平行投影法による疑似的遠近法が用いられ,第Ⅲ様式では排除されていた現実の建物の反映が復活し,なおかつ第Ⅲ様式で培われた繊細な装飾性も活かされている.

 装飾豊かなエントランスの後方には,ギリシア劇の舞台でいうスケネ(スケーネー:sceneという英語の語源)と称される舞台背景の建築が薄い単色で描かれ,濃淡で遠近感が表現されている.手前に,上部に短いカーテンの付いたアーチがあって,それがあることによって,奥行き感だけでなく,その奥にある劇場という一種の仮想現実空間の仮想性も二重に意識されるように思う.

 第IV様式の例としてはやはり,実見していない「ウェッティの家」の黒い地に黄色っぽい明るい色で繊細に描かれた人物像や動植物文様が思い浮かぶが,この劇場の絵の周辺にもそのような絵の断片が展示されていた.それらの関係についてはまだ調べていないが,おそらく関係があるだろうから,次回,考古学博物館の有名なフレスコ画を整理,報告する際に,合わせて,考えてみたい.

 最後にタブロー画のように見えるので,自分では何様式か判断がつきにくいが,デ・カーロが第IV様式に分類している「羊飼いパリスと牧歌的風景」を紹介して,再び「次回に続く」としたい.背景はイダ山で,アルテミス=ヘカテの神像があり,これから「パリスの審判」が行われるので,3人の女神たちの到来を待っている場面とされる.おぼろげな「空気遠近法」を思わせるスフマート的画風が,やはり時代が進んだように思わせるが,それに関しても可能なら,次回以降,考えてみたい.







「羊飼いパリスと牧歌的風景」
第IV様式