フィレンツェだより 第2章「備忘録」
2019年3月19日
「アレクサンドロスのモザイク」
国立考古学博物館 ナポリ
§ナポリ行 その3 考古学博物館のモザイク
ナポリ考古学博物館所蔵のモザイクで最も有名な作品は,間違いなく,上掲の「
アレクサンドロスのモザイク
」であろう.
この床モザイクに描かれているのは,「
イッソスの戦い
」(「
ガウガメラの戦い
」の可能性もある)におけるアレクサンドロス大王とダレイオス3世の対決シーンである.左側のマケドニア軍の部分は大半が損傷しているが,幸いにも,アレクサンドロス大王の顔は残っている.
愛馬ブケパラスに乗って戦うアレクサンドロス
ブケパラス
の上で,勝利を確信し,目を大きく見開いて,冷静に槍で敵兵の一人を倒す若きアレクサンドロス,それに対して予想外の展開に動揺を隠せず,戦車を牽く黒い馬たちの向きを変えて,不安げな表情で退却姿勢に入った中年のダレイオス.
馬車の上で身を乗り出すダレイオス3世
両者の対比は,旭日昇天のマケドニアと落日の老大国ペルシアの覇権交代を描き切っているように思われるし,マケドニア軍に向けられたペルシア兵たちの無数の長槍に向かって突撃を敢行するアレクサンドロスと,真っ先に逃走態勢に入ろうとしているダレイオスの指揮官としての資質も対照的に物語られているであろう.
1831年にポンペイの「
ファウヌスの家
」で発見され,ヴェスヴィオ山の大噴火の紀元後79年から,約1752年経って歴史の闇から甦った作品だ.
「ファウヌスの家」のモザイク
「ファウヌスの家」は,2017年12月12日にポンペイに行った時に見学した.
庭園には,その写真は多くの案内書に掲載されている,中央に「踊るファウヌス(サテュロス)」の小さなブロンズ像が置かれた長方形の小さな池と思われるテラスがあった.その髭の生えた中年の「踊るサテュロス(ファウヌス)」の像は現代のコピーで,実物はナポリ考古学博物館にある.
「ファウヌスの家」の床には,アレクサドロスのモザイクが再現されているので,それも写真に収めてきた(下の写真).
ご覧のように,「家」と言ってもコリント式の列柱と立派な庭園を備えた邸宅だ.金持ちの家だったことは,見事な床モザイクと,小さいけれども高品質なブロンズ像で住まいが装飾されていたことでも分かる.
「ファウヌスの家」
初めてヴァティカンのラファエロ作「アテネの学堂」を見た時のことを思い出す.ずっと見たいと思っていたフレスコ画は,まるで色の綺麗なぺったりとした昔の銭湯の壁画のように思え,期待が大きかっただけに若干失望した.今回も,「アレクサンドロスのモザイク」は思ったよりも小さくて,期待外れの感は免れなかった.
しかし,「アテネの学堂」を見に行ったことは十分意味があった.「ペテロの救出」のような素晴らしい絵画技巧が発揮された作品にも出会えたし,死後制作の作品も含めて,ラファエロ工房の高水準のフレスコ画群を見て,工房を指揮する親方としてのラファエロの英才を知ることができた.また,「アテネの学堂」に関しては,その後,ミラノにある下絵を見て,初めてその卓越性が腑に落ちるという経験をした.
「アレクサンドロスのモザイク」の実見は,それと同じように,今後,自分が古代芸術を考えていく上で大きな礎石の一つになるのではないかと期待して,細部をできるだけ丁寧に見た.
モザイクはフレスコ画に比べて耐久性が強いからだろうか,ポンペイやエルコラーノでも現場にそのまま残された物も多く,考古学博物館での展示は思ったよりも少ない.少ない中で多少とも目を惹いたのはやはり「ファウヌスの家」の装飾モザイクだった.
それぞれ小さな部分に切り取られて額装されて壁に飾られているが,「虎にまたがり,有翼のエロスの姿の幼児ディオニュソス」,その下に置かれた「悲劇の仮面と果実を散りばめた花綱」,「鳩を襲う猫と二羽の鴨,魚」,カバ,ワニ,水鳥,魚のいる「ナイル川の風景」,エロティックな場面を描いた「サティロスとニンフ」,猫足ならぬライオンの足に支えられて,モザイク装飾を施されたテーブルなどの出土品が展示されていた.
写真:
「鳩を襲う猫」
2013年にローマに行ったときに,諸方で見たモザイクについて,次の3種類に整理,
報告
した.
オプス・ウェルミクラートゥム(虫食い細工?)
オプス・テッセッラ―トゥム(角石細工?)
オプス・セクティーレ(切れ目細工?≒象嵌細工)
英語版ウィキペディアのオプス・ウェルミクラートゥムで立項された
ページ
で最初に使われている写真が,マッシモ宮殿の「鳩に襲う猫と二羽の鴨」で,上記の「ファウヌスの家」出土の「鳩を襲う猫と二羽の鴨,魚」に似ている.
アレクサンドロスのモザイクを含め,細かい表情などの微妙な表現を伴い,絵画に近いモザイクはほぼこのタイプに属すると言って良いだろう.
「ファウヌスの家」以外のモザイク
「ファウヌスの家」出土以外の作品で,印象に残ったものを挙げる.
「喜劇の場面」2点:
「サモス島のディオスクリデスが作った」(ディオスクリデース・サミオス・エポイエーセ)と言う記銘.ポンペイの通称「キケロ荘」から出土
「トラキア王リュクルゴスとアンブロシア」:
神ディオニュソスの祭儀を禁じた王がその罰としての狂気ゆえに息子を殺してしまう神話の一挿話.ニンフのアンブロシアも
リュクルゴス
に殺され,葡萄に変身したとされる.エルコラーノから出土
「ライオスを殺すオイディプス」:
オイディプスはデルポイからの帰路,三叉路でコリントスを避け,テバイに向かう途中,馬車に乗った老人と諍いを起こし,実の父ライオスと知らずに殺してしまう.カンパーニャ州アヴェッラから出土
「アガメムノンに対峙するアキレウス」:
『イリアス』第1巻で語られる,総大将アガメムノンとギリシア一の勇士アキレウスの諍いの場面.ポンペイの「アポロの家」から出土
「ミノタウロスを殺すテセウス」3点:
ラツィオ州
フォルミア
から出土の作品など
「セイレンとエロス」:
ローマ出土のファルネーゼ・コレクションから
「ライオンとディオニュソス」:
ポンペイの「ケンタウロスの家」から出土.トンド(円盤)型
「俳優たちを指導する演出家」:
ポンペイの「悲劇詩人の家」から出土
「プラトンの学園アカデメイア」:
ポンペイ「ティトゥス・シミニウス・ステパヌスの家」から出土
「鎖に繋がれた犬」:
ポンペイ出土だが詳細は不明.より有名な「犬に注意」と言うラテン語記銘のある「悲劇詩人の家」のモザイクとは似ているが別作品.
「死を忘れるな」:
ポンペイの「I.5.2」と附番された家から出土.骸骨の上に富貴対照の天秤,下に運不運変転の車輪が描かれている
「ライオンと豹」:
ポンペイ,「モザイクの柱の家」の食堂から出土
「黄金の杯に群がって水を飲む鳩」:
ポンペイ,「モザイクの柱の家」から出土
「編み籠の上に止まる山鶉」:
ポンペイ,「迷宮の家」から出土
「中年女性の肖像」:
ポンペイの「VI.15.4」と附番された家から出土
など,芸術的水準はともかく,テーマの豊かさに目を奪われる.
中でも,小さな「闘鶏」(出土地不明のサンタンジェロ・コレクションから)に描かれた二羽の雄鶏のリアルさには驚く.闘鶏が終わった場面を,人間を交えて描いたモザイク(ポンペイ「迷宮の家」出土)もあったので,闘鶏はごくありふれた娯楽だったのだろう.
写真:
「闘鶏」
以上の殆どは,英語版ウィキペディア「オプス・ウェルミクラートゥム」にリンクされている
ウィキメディア・コモンズのページ
に項目別に整理されていて,そこからたどって写真を見ることができる.
オプス・ウェルミクラートゥムが4ミリ以下の小さなテッセラ(石片やガラス片)を使うのに対し,4ミリ以上の大きなテッセラを使うのが
オプス・テッセッラ―トゥム
で,床(舗床)モザイクでは,外枠や大きな模様など大部分はこの技法で作られ,細かい描写を伴う中央部の人物描写,場面描写などはオプス・ウェルミクラートゥムで作られるという組み合わせが多いようだ.
写真:
2つの技法の
組み合わせ
オプス・ウェルミクラートゥムの方が細かな表現ができるので,主題も多様で,華やかな作品が多く,注目を浴びやすいが,床,もしくは壁のモザイクは,面積の点からオプス・テッセッラートゥムが使用されるので,ローマ時代のモザイクを支える基本技術と言うことができるだろう.
ナポリ考古学博物館でオプス・テッセッラートゥムの技法を使ったモザイクとしては,外枠,場面の背景の他には,床モザイクの幾何学的模様,壁面装飾,壁龕装飾,ライオンの足の丸テーブルの装飾がある.
オプス・セクティーレの作品
オプス・セクティーレ
は,図柄に合わせて適当な大きさと形に切り取った石板を嵌め込む象嵌技法のモザイクで,部分を拡大すると,細かな色のピースである石やガラスの一つ一つが見えるモザイクとは違って,平板な印象を受ける.
古代の作例はそう多くないようなので,技法的にはより高度な熟練を必要するのではないかと推測している.ウィキメディア・コモンズの写真を集めて分類した
ページ
を見ると,コズマーティ装飾の床や,ルネサンス,バロック以降の輝石細工もこれに入るようなので,中世,近現代の方が,作例が豊富かも知れない.
ただ,間違いなく古代にも存在し,僅かだがナポリ考古学博物館でも見ることができる.ウィキメディア・コモンズにも,古代ローマの作例に特化した
ページ
もある.
「サンダルの紐を解くヴィーナス」
考古学博物館には,女性の裸体像であるのは明らかだが,何の図像かわかりにくいオプス・セクティーレの作品があった.左手で柱に寄りかかって片足を上げ,踵のあたりに右手がかかっており,また腕輪などの金製の(黄色の石だが)装身具を着けているところから,多分「サンダルの紐を解くヴィーナス」であろうと思われる.
このタイプのヴィーナスは,ルーヴルでもナポリでもブロンズ像に関しては未見のままだが,ナポリ考古学博物館の意外な場所(「秘密の部屋」と言うエロティックな図像を集めたコーナーがあり,これに関しては次回フレスコ画の報告の際に言及する)に幼児のエロスを伴って柱に寄りかかってサンダルの紐を解く大理石のヴィーナス像があったことを,撮ってきた写真で確認できた.
他にオプス・セクティーレの作品として,「神殿の左右で踊るマイナスとサテュロス」,神像の左右で,「プリアポスの前で踊るマイナス,豹を伴ったサテュロス」とともに,ディオニュソス崇拝に関連した場面のモザイクがあった.
ただ,ウィキメディア・コモンズでナポリ考古学博物館のオプス・セクティーレ作品の写真を集めた
ページ
に紹介されている床と丸テーブルを組み合わせた展示は,残念ながら見た記憶はないし,写真も撮っていない.ポンペイの「青年の家」出土のテーブルと床を再現したもののようだ.「
青年の家
」は,2018年の3月18日に見学しているが,残念ながら実物が残っていたとしても,見ていない.
モザイク
は,その歴史が紀元前3千年紀のメソポタミアまで遡るとされる芸術技法で,ギリシア,ローマで栄え,ローマ帝政期以降でも,古代末期,初期キリスト教,ビザンティン,中世ヨーロッパ,イスラム世界,ルネサンス,バロック期の西欧でそれぞれ特徴の有る発展を遂げ,現代まで続いている.
今のところ,ローマ,ラヴェンナで見られる古代末期から初期キリスト教期のモザイク,ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂に遺るビザンティン風のモザイク,やはりビザンティンの影響の濃いパレルモ,ヴェネツィアのモザイク,中世のコズマーティ様式の床装飾などを相当数観ている.
これまでもローマの博物館を中心に今まで見て来た帝政前期のローマの床モザイク,装飾モザイクを,今回,ナポリ,ポンペイ,エルコラーノでさらに多く観ることができたので,時間的にも空間的にも遠くに存在した西洋古代を考えていく一つの素材として,今後とも注目していきたい.
ポンペイ,エルコラーノの現地で実見することができたモザイクに関しては,それぞれ遺跡について報告するときに,併せて考えることとし,次回は,ナポリ考古学博物館で観た古代のフレスコ画についてまとめる.
モザイクがシンプルで美しい
でも,獅子脚