§ローマ行 (その4) 特別展篇
前述のように,ローマに行った理由の一つは,特別展「アルテミジア・ジェンティレスキとその時代」の最終日が5月7日だったことにある. |
昨年11月30日に始まっているので,半年近い会期で,日本にいる時から情報はあったのだが,すっかり忘れていて,フィレンツェのフェルトリネッリ書店で図録を売っているのを見て思い出し,ネット検索して最終日が迫っていることを知った.
本来の研究主題から大きく外れるようだが,バロックの画家たちは古典古代,特にギリシア神話とローマ史に取材した作品も多数描いており,大きな意味のヘレニズム(古代ギリシア文化の影響)も私の研究テーマの一つだから,全く関係が無いわけではない.
何よりも,アルテミジアの絵が好きだ.
会場のブラスキ宮殿には特に関心を持ったことがなく,これまで近くを通るたびに,「ローマ博物館」(ムゼーオ・ディ・ローマ)という名前からはあまり内容が想像できないバナーが下がっているのを見て,どういう博物館だろうと思っていた.
昨年買った当時最新版の『地球の歩き方 フィレンツェ・トスカーナ編』と間違えて持ってきた2012~13年版の「ローマ編」に情報があり,建物は,教皇の家族のために造られた最後の宮殿のひとつで,「ピウス6世が甥のためにコジモ・モレッリに建造させた」とある.ピウス6世の本名がジョヴァンニ・アンジェリコ・ブラスキなので,宮殿名はその姓にちなんでいる.
この教皇の墓はヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂の地下,歴代教皇の墓所グロッテ・ヴァティカーネにあり,写真で見ると簡素なものだが,古代石棺を再利用しているので,不謹慎かも知れないが見てみたい.実は2006年にローマに行った時にヴァティカンでここは見ているような気がするが,記憶にない.あまり関心がなかったのだと思う.
博物館の常設展は,上記『地球の歩き方』によると,「中世から近代にいたるローマの歴史と生活を物語る絵画,デザイン,印刷物,日曜品などを展示している」ようだが,今回こちらは見ていない.
「ユディトとホロフェルヌス」という主題
中庭にある券売所でチケット(11ユーロ)を買って会場に行くと,入口で,こちらからは何も尋ねなかったのに,「写真撮影は禁止です」と念を押された.個人蔵の作品や,外国の博物館,美術館から貸し出されている作品も多いので,当然だと思うが,後で行ったクィリナーレ宮殿の旧厩舎での特別展は写真可だった.
特別展の撮影は不可でも,常設展の方は撮影可のところ(上野の西洋美術館もそうだ)が珍しくなくなり,見学者がスマホで気軽に写真を撮る光景が当たり前のようになって来ているので,念を押したものと思われる.
撮影できないのはもちろん残念だが,特別展はもともとそういうものだと思っているし,後で内容充実の図録を入手できることは分かっているので,ともかく鑑賞に注力した.
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写真:
カラヴァッジョ
「ユディトと
ホロフェルヌス」
バルベリーニ宮殿
古典絵画館 |
図録を見ると,カラヴァッジョの「ユディトとホロフェルヌス」(バルベリーニ宮殿古典絵画館)から展示は始まっている印象を受けるが,実はこの作品を翌々日(ということはまだ会期中)バルベリーニ宮殿で観て,写真も撮っているので,少なくとも私が行った時は,もうブラスキ宮殿の特別展には展示されていなかったはずだ.
アルテミジアの父オラツィオはカラヴァッジョの年長の友人で,その影響を受けていた.オラツィオに絵画の手ほどきを受け,その才能を見出されたアルテミジアの画家人生が,カラヴァッジェスキの一人として始まったことは容易に想像される.
「ユディトとホロフェルヌス」は彼女の作品の中に数多く見られる題材の一つで,この特別展の図録の表紙も,彼女が1620年頃に制作したとされる「ユディトとホロフェルヌス」(ウフィッツィ美術館所蔵)である.
この作品は非常に良く似た構図で描かれた2作目で,第1作は3,4年くらい前に描かれ,現在はナポリのカポディモンテ美術館(ムゼオだが「美術館」としておく)にあり,今回の特別展にも出展されていた.
同じ主題の似たような絵の場合,描いたのが本人であっても,後で描かれた方が二番煎じの出来に見えることが少なくないが,この作品に関してはウフィッツィの作品の方が良いように思える.
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写真:
アルテミジア・
ジェンティレスキ作
「ユディトとホロフェルヌス」
(部分)
ウフィッツィ美術館所蔵 |
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この作品にカラヴァッジョの同主題の絵の影響があるのは間違いないとしても,二人の女性の設定には大きな違いがある.
カラヴァッジョが少女のように描いたユディトは,たくましい中年女性のようであり,カラヴァッジョが根性の座った老婆のように描いた侍女は,田舎から都会に奉公に来た純朴な農民の娘のように描かれており,カラヴァッジョの侍女が首を入れる布(袋)を持って待機しているのに対し,アルテミジアの作品の侍女はホロフェルヌスを押さえつけ,殺害に重要な役割を果たしている.
これらより前に,プレートに「?」を付した,アルテミジアの1610年頃の作品の可能性がある「ホロフェルヌスの首を掲げるユディトと,剣と袋を持つ侍女」(ローマ,ファブリツィオ・レンメ・コレクション)が展示されていたが,同じ頃(1610年)に描かれた有名な「スザンナと老人たち」(ポンマースフェルデン,シェーンボルン伯爵芸術コレクション)と比べると,「?」の付されたユディトは本人が描いたとはとても思えない出来だ.
この頃のアルテミジアはまだ17歳,「スザンナと老人たち」は,同じ頃に描かれた父オラツィオの「ゴリアテの首の側にいるダヴィデ」(ローマ,スパーダ美術館)の水準に既に達しており,それを意識させるためか,展示でも図録でも二つの作品は隣り合っている
一方,オラツィオが1610年以前に描いたとされる「剣を持つユディトと,ホロフェルヌスの首が入った籠を持つ侍女」(オスロ,芸術・建築・デザイン博物館)のユディトの服装や装身具が,「?」のついたユディトによく似ていて,髪型や顔にも少し似たところがあるように思われる.父から学んでいた十代後半の頃と考えれば,もしかしたら「?」のついたユディトの絵も描いたかも知れないとも思う.
それにしても,上記のスザンナの絵や,1613年に描かれたとされる,父と同じ主題の「剣を持つユディトと,ホロフェルヌスの首が入った籠を持つ侍女」(※)のような高水準の絵を描いているアルテミジアが,「?」の付されたユディトを描いたのかどうかはやはり疑問だ.(※図録にはウフィッツィ美術館とあるが,実際にはパラティーナ美術館に展示されている.専門家がこんなことを間違うはずはないので,所有はウフィッツィと言うことだろうか.)
「剣を持つユディトと,ホロフェルヌスの首が入った籠を持つ侍女」に関して言えば,ターバンを巻いた侍女がホロフェルヌスの首が入った籠を持っている点はよく似ているが,その部分もアルテミジアの方が良く描けているし,ユディトに至っては,剣の構え方といい,成熟した女性の気迫に満ちた顔といい,父の同主題作品を完全に凌駕している.
バロックの巨匠の一人と言っても良い父の,最良からは遠い作品と比べるのは少し不公平かも知れないが,本当に1613年頃の作品であれば,20歳くらいの彼女は普通のプロの画家のレヴェルをとうに超えていたことになる.
そもそもスザンナの絵が,十代後半の少女(当時はまずまず大人の女性という年齢だったにしても)によって描かれたとはとても思えない.やはり,この人は天才だったと言うしかない.
アゴスティーノ・タッシとの間に起きた有名な事件は1611年のことで,「剣を持つユディトと,ホロフェルヌスの首が入った籠を持つ侍女」はその後の制作だから,事件と裁判で負った心の傷を反映しているかも知れないと考えたくなるが,特に勉強していないので,伝記的背景には立ち入らない.
フィレンツェでの活動
展示の構成は,ローマで生まれ,ナポリで亡くなった画家の滞在先と年代によって作品を整理していて,たいへん分かりやすかった.
父オラツィオはピサ出身のトスカーナ人だが,ローマ生まれの彼女は,トスカーナとは縁が薄かった.それでも,画家としての形成期にはフィレンツェに居住しており(1614年から1620年),フィレンツェに移住する直前にローマで結婚した夫はフィレンツェ出身だったとされる.
フィレンツェでは,父の兄で師匠だったアウレリオ・ローミによってトスカーナ大公コジモ2世に紹介され,大公妃の愛顧を得て,有力者の知己となった.その中にはガリレオ・ガリレイ,ミケランジェロの弟の孫で巨匠と同名のミケランジェロ・ブオナッローティ・イル・ジョーヴァネもおり,後者からは現存して博物館になっているカーザ・ブオナッローティの装飾の一部を依頼された.
フィレンツェで活躍していた画家たちとの交流については,取り分け,クリストファノ・アッローリとの交流を通じて,その影響を受けたと言うことだ.この特別展に,クリストファノだけではなく,フランチェスコ・フリーニ,エンポリ,チーゴリの作品が展示されていたのも,アルテミジアにとってフィレンツェ居住が重要な意味を持つことを強調したのであろう.
勉強が足りず意外に思ったのは,クリストファノは1577年の生まれで,1593年生まれのアルテミジアより16歳年長であることだ.
クリストファノの「ホロフェルヌスの首を持つユディトと侍女」は,ほぼ同じ絵柄の作品が少なくとも3つあり,そのうちウィンザー王室コレクション所蔵のものは1613年の制作,特別展に来ていたパラティーナの作品(図録ではこれもウフィッツィ美術館としている)は図録に拠れば1620年の制作とされる.
アルテミジアの「?」のついた絵以外の3つのユディト作品は,図録に拠れば,パラティーナ,カポディモンテ,ウフィッツィの順に,1613年頃,1617年,1620年から21年の制作とされ,16歳の年齢差のある二人が,ほぼ同時期にユディトの絵を複数描いたことになる.
初めて観た時(2006年9月)から,パラティーナ美術館にあるクリストファノとアルテミジアのユディトの絵は,全く違うテイストの作品なのに,何かしら通い合うものがあるように思えていた.尤も,それはあくまでも同じ主題で同じ美術館にあるということが大きく,両者の区別がつくほど,両者の作品に興味がなかっただけかも知れない.
その後,アルテミジアの作品は,今回の特別展も含めれば,相当数見ることができたが,正直,クリストファノには他にどんな作品があるのか,ほとんど知らない.
5月21日にトスカーナの小さな町インプルネータに行き,サンタ・マリーア・デッリンプルネータ聖堂でクリストファノへの帰属の可能性のある「聖ラウレンティウスの殉教」を観たが,平凡な祭壇画で,アルテミジアの天才性と比べられる要素は無いように思えた.もちろん,本人が描いたとは限らない.
クリストファノのユディトは,最後に描かれたパラティーナの作品が一等優れているように思える.一体,人間関係以外にクリストファノがアルテミジアに与えた影響と言うのは何だったのだろうか.
パラティーナにあるクリストファノのユディトを,私は“確かに優れた作品”とずっと思っていたし,アルテミジアの有名な作品と主題も重なるので,彼女がトスカーナで受けた影響に,クリストファノが大きな役割を果たしたらしいと知った時は,有益な知識を得たと思ったが,これに確信を持つためには,新たな学習が必要だと思い直した.
地味ではあるが,トスカーナの芸術に一定の業績を遺して活躍した伯父の紹介があったとは言え,20代前半の当時は稀な女性画家が大公夫妻の知遇を得,有力者たちとも交流できたのは,何よりも彼女の才能が顕著であったからだろう.父の故郷トスカーナでの経験は,彼女の人生に大きな影響を与えたことは間違いない.
しかし,彼女は1620年にローマに帰り,1627年にヴェネツィアに移住,さらに1630年からナポリに定住した.画家としての評価と仕事を求めてのことだったと思われる.
1638年には国王チャールズ1世の宮廷画家となっていた父オラツィオのいるロンドンに行き,父の死(1639年)後もロンドンに滞在したが,清教徒革命の内乱に遭い,1642年頃ナポリに戻り,1652年頃に同地で亡くなった.没年は推定だが,大体60年に僅かに欠ける人生だったと考えられる.
私の中のアルテミジア・ジェンティレスキ
この特別展を観たことで,2006年にパラティーナ美術館で,2007年にウフィッツィ美術館でそれぞれ初めて見て以来,魅かれ続けている彼女の絵は,実は画家としての名声が確立する以前の若い頃(ウフィッツィの「ユディトとホロフェルヌス」を描いた時に大体28歳くらい)の作品だったことを知り,改めて驚いた.
大昔に若桑みどりの『女性画家列伝』(岩波新書,1985年)を読んだことがあったが,大して関心を喚起されなかったし,それ以外は,彼女の伝記も,彼女に関する研究書,紹介書も読んでいないので,アルテミジアに関して「様々な障害を乗り越えながら,才能と野心で自ら道を切り拓いたたくましい女性」というイメージを持っていたが,それも単なる思い込みによるものだったことが良く分かった.
記憶では,この特別展で5点のクレオパトラの絵を観たと思っていたが,図録を確認すると6点あったようだ.長い人生で,彼女が一体何点のクレオパトラを描いたのかわからないが,全作品のほんの一部を展示したに過ぎない特別展で6点もクレオパトラの絵があったことは,多少注目しても良いのではないかと思われる.
その中で私が良いと思ったのは,図録では1630年から35年の制作とされている個人蔵の「クレオパトラの死」だけだったが,1640年から42年頃の作品と推定されている,同じく個人蔵の「悔悟するマグダラのマリア」とともに,私がアルテミジアに抱いていた「たくましさ」というイメージとは全く異なる「繊細さ」を感じさせてくれて,大いに魅かれた.
古典古代を題材にした作品も数点あり,その中では,「子殺しのメデイア」(個人蔵,1620年から25年頃)が印象に残った.エウリピデスが創作した話をセネカが翻案し,古代石棺や壺絵にも描かれているテーマで,彼女の作品としては平凡なものであろうが,注目した.
数人の子をなしたと言われる彼女が子育てをしていた頃の作品ということになるが,この頃の画家の作品は注文があって描かれるものであろうから,彼女が「子殺し」に関心があったと言うことではないだろう.
この特別展で様々なことが分かったような気もしたが,元々ただのファンで,その根拠となっていた作品は全て,彼女のごく若い頃の作品だったわけだから,何よりも,この画家について殆ど何も知らなかったのだと言うことを思い知った.
一方,会場ではそうだったのかと納得したことでも,反芻するうちに疑問に思うことも幾つか出てきた.しかし,自分の守備範囲ではないので,今後とも,「私はアルテミジアの絵が好きだ」と言う姿勢に徹することにする.
この特別展を観ることができて,もちろん良かったが,近くにいるように思えたアルテミジアは遠くに去ってしまったような寂しさも感じる.
延々とアルテミジアに関して駄文を連ねながら,矛盾することを言うようだが,実はこの特別展で,改めてフセペ・デ・リベーラの偉大さを痛感した.
アルテミジアのナポリ居住時代に,どのような人間関係,影響関係があったのか全く分からないし,今のところ勉強する予定もないが,出展されていた「瞑想のマグダラのマリア」(個人蔵,1618年),「キリスト哀悼」(マドリッド,ティッセン・ボルミネッサ博物館,1633年),「聖ヨセフの仕事場の聖家族と幼児の洗礼者ヨハネ」(マルタ騎士団芸術コレクション,1640年から42年頃)のうち,後の2点が特に立派だった.
「キリスト哀悼」(コンピアントもしくはピエタ)は,2011年の9月13日にオビエドのアストゥリアス美術館で,ほぼ同じ構図の作品を観て,「この美術館所蔵の最高傑作」と報告している.
そこでは「キリスト埋葬」という題名になっていて,キリストの頭の位置が左右逆になっており,周辺の4人の人物の位置関係も表情も違うが,一見して良く似ている.アルテミジアの特別展なのに申し訳ないが,この日ブラスキ宮殿で観た最高傑作もリベーラの「キリスト哀悼」だと思った.
特別展「カラヴァッジョからベルニーニまで」
ローマに行ってから,町の随所で「カラヴァッジョからベルニーニまで」という特別展の広告を目にした.会場はクィリナーレ宮殿の旧厩舎,会期は7月30日までとある.終了まで間があるから,予定の詰まった今回は無理をしてまで見なくてもと思ったが,一応,頭の隅には入れておいた.
4日にオスティアから戻ってきて,念願のバルベリーニ宮殿古典絵画館再訪を果たした後,まだ明るかったので未拝観のサンタ・スザンナ教会を訪ねてみようと思って歩き出したら,四つ辻のところで反対方向にクィリナーレ宮殿が見えた.時間的に入館は難しいだろうと思ったが,ダメもとで行ってみたら,22時まで開館と言うことで,じっくり観ることができた.
「スペイン王室コレクションの中の17世紀イタリア芸術の傑作群」という副題がついていて,タイトルにあるカラヴァッジョは1点,ベルニーニは小品が2点だけだったが,充実した内容で傑作も多く,傑作ではない未知の作家の作品も観ることができて,疲労を忘れて堪能した.
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写真:
カラヴァッジョ
「洗礼者ヨハネの首を
乗せた盆を持つサロメ」 |
カラヴァッジョの「洗礼者ヨハネの首を乗せた盆を持つサロメ」(マドリッド,国王宮殿)がまず目についた.多分,イタリア人女性だと思うが,見学者の一人がスマホで写真を撮りだしたので,係員に確認したら「フラッシュ無し」なら写真可と言うことだった.国内外を含めて,立派な会場で開催された特別展で,写真可だったのは2008年にヴェローナのカステルヴェッキオ美術館で観たジローラモ・ダイ・リーブリの特別展以来だと思う.
と言うわけで,カラヴァッジョの絵の写真を撮ることから鑑賞は始まった.同じ部屋に先行作品としてフェデリコ・バロッチの「聖アンデレと聖ペテロの召命」(エル・エスコリアル,サン・ロレンソ修道院)も展示されていた.
グイド・レーニ,グエルチーノ,ランフランコの作品も見ごたえがあり,イタリア人ではないがその影響を受けたと言うことでベラスケスの絵もあった.
彫刻はベルニーニ,アルガルディ,ジャンボローニャの他は知らない作家のものばかりだったが,ベルニーニの名声がスペインにも鳴り響き,その影響を反映したコレクションが形成されたという趣旨なのだと思う.
最後に展示されていたのは,ルーカ・ジョルダーノ,フランチェスコ・ソリメーナなど,当時スペインの事実上の領土だったナポリの画家たちの作品で,「スペイン王室」と言う枠の中で,しっかりとしたコンセプトのある特別展だったと思う.
「カラヴァッジョからベルニーニまで」というタイトルを羊頭狗肉と思う人もいたかも知れないが,私は満足した.とても良かった.暗い会場の特別展でほぼ初めて写真を撮ったが,絵は思ったよりも写った.しかし,解説の文字はほぼ全滅に近く,その点は残念だった.もちろん会場のせいではない.内容充実の図録を会場割引価格で入手したので,それで勉強しようと思う.
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写真: 「聖パウロの回心」
グイド・レーニ |
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へそまがりなことを言うようだが,この特別展でその実力を再認識したのは,グイド・レーニとリベーラだった.レーニの「聖カタリナ」(エル・エスコリアル,サン・ロレンソ修道院)は彼の作品に特徴的な,甘美で恍惚とした表情の人物の絵で,まあレーニだなあと言う感じだが,「聖パウロの回心」(マドリッド,国王宮殿)の躍動感は素晴らしく,これには感動した.
今回のローマ行で,諸方でレーニの傑作を観ることができたのは,自分にとっては大きな成果だったと思う.
リベーラの複数の作品の中に「聖痕を受ける聖フランチェスコ」があるのを見て驚いた.2011年9月に南フランスから北スペインのサンティアゴ巡礼の道をたどる旅をした時,オプショナル・ツアーでエル・エスコリアルに行き,その報告の中で「どうしてももう一度見たいのは,リベーラの「聖痕を受けるフランチェスコ」だ」と言っている.
まさにその作品をこの特別展で観ることができた.これでもう,多分,エル・エスコリアルには行かなくても良いだろう.
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写真:
「聖痕を受けるフランチェスコ」 フセペ・デ・リベーラ |
カラヴァッジストとして知られるリベーラにしては,この絵には青空が描かれ,明暗対照法も使われていないので,カラヴァッジョ風ではない.この主題は背景を大きくして,状況説明的に描かれることが多いので,フランチェスコに焦点を絞って大胆に大きく描いた斬新な構図にも魅かれた.
この作品が芸術として特に優れているのかどうかは私にはわからないが,ともかく,再会を願っていた作品に思わぬところで会えて本当に嬉しかった.これだけでもこの特別展に来た甲斐があった.
リベーラの作品は,他に旧約聖書に取材した「ラバンの羊の群とヤコブ」が素晴らしかった.実はこの作品もエル・エスコリアルで観たはずなのだが,記憶にない.それどころか,この特別展に展示されていた唯一のベラスケス作品で,やはり旧約に取材した「ヤコブにもたらされるヨセフの血染めの外套」も,上記の報告で「さすがに緊迫感のある傑作だった」と述べているが,全く覚えていない.
再訪した4つの美術館
特別展だけで,だいぶ長くなったので,以前は厳禁だったが,写真撮影が可になったコルシーニ宮殿,バルベリーニ宮殿,ドーリア=パンフィーリ宮殿の絵画館については,また別の機会に写真と共に報告する.
どの絵画館でもカラヴァッジョの作品を観ることができた.5月4日に行ったコルシーニ宮殿ではリベーラの「ヴィーナスとアドーニス」,日本の特別展でも展示されたランフランコの「傷を癒される聖アガタ」が印象に残った.ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラの作品にフォーカスした特別企画も行われていた.
バルベリーニ宮殿でも,多くの作品を観て,感銘を新たにした.ここでも「明暗技法の地中海」と題して,マルタ島からリベーラ,マッティア・プレーティ,マティアス・ストーメルなどカラヴァッジョの影響を受けた画家たちの作品を持って来て展示した特別企画が行われていた.
特別企画と同じ部屋にあった,元々この絵画館が所蔵しているマッティア・プレーティ「父アンキセスを背負い,息子アスカニウスと共にトロイアから亡命するアエネアス」の主題が自分の専門に近く,今回しっかり観ることができたので紹介する.
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写真:
「トロイアから亡命する
アエネアス」 マッティア・プレーティ |
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常設の展示でもカラヴァッジョ,グイド・レーニ,グエルチーノなどバロックの画家たちの作品がやはり立派だった.
最終日の5日にアポストリ聖堂を拝観後,近くのドーリア=パンフィーリ宮殿を訪ねた.この宮殿は入場券を買うと音声ガイドが手渡される.ほぼ強制的に聞かされる英語の音声ガイドがおもしろくて勉強になったので,時間があったら次に行こうと思っていたカピトリーニ博物館をきっぱりと諦め,腰を据えて鑑賞した.
音声ガイドに導かれるまま,宮殿の室内装飾も丁寧に観て,それなりに感銘を受けながら3時間以上もこの宮殿で過ごした.
この宮殿の展示が面白いのは,石棺や古代彫刻が,ラファエロ,ティツィアーノ,カラヴァッジョ,リベーラなどのルネサンス,バロックの巨匠たちの作品と同じ部屋で見られることだ.
カラヴァッジョ作品の中でも特に好きな「エジプト退避の聖家族と奏楽の天使」の下に古代石棺が置かれているのは私としては嬉しい.少なくともこの日見に来ていた人たちは,この展示に満足して,カラヴァッジョの作品も古代石棺も熱心に写真に収めていた.
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写真:
羊の腹の下に隠れて
逃げ出すオデュッセウス |
最後に観ることができて嬉しかった古代彫刻を紹介する.
先の尖ったピロス帽を被った男が羊の腹にぶら下がっている.『オデュッセイア』で,目を潰されたポリュペモスがギリシア人たちを洞窟から出すまいとするのを,羊の下に隠れて逃げ出すオデュッセウスを表現したものであることは明らかだ.
ドーリア=パンフィーリ宮殿の古代コレクションは大変立派だが,残念ながら解説プレートなどはないので,整理と勉強はこれからだ.しかし,この彫刻は以前も見ているはずなのに,全く記憶になかった.しっかり観て,写真にも収めたので,今回のローマ行の中でも,オスティア見学と並ぶ最大の成果と言えよう.
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの報告で言及したマリオット・ディ・クリストファノのフレスコ画を見るべく,フィレンツェ近郊の町カンピ・ビゼンツィオに足を運び,2回目のアタックで所期の目的を果たしたので,次回はその報告をし,次にサン・ジミニャーノ,その次にシエナの順で報告を続ける.
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カラヴァッジョも古代彫刻も
あっさりとある部屋
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