フィレンツェだより第2章
2017年5月27日



 




コズマーティ様式の床
サン・クリソーゴノ聖堂



§ローマ行 (その2) 教会篇 前篇

イタリアで初めて乗った電車は「ユーロスター」だった.ローマからフィレンツェへ,2006年9月のことだ.その後,何度もこの特急電車に乗り,色々なところへ行った.しかし,もうこの高速特急は走っていない.


 4月28日にサンタ・マリーア・ノヴェッラ駅でローマまでの往復の指定席特急券を買った.4つのグレードが提示されたので,最も安い片道47ユーロを選択した.行きも帰りも同額である.

 以前は日本で言う「早割」のような割引も利用したが,今もあるのかどうか分からない.そのうち調べてみよう.10年前はローマまでいくらかかったのか,当時の記録を見れば分かるが,今は手元にない.

写真:
「フレッチャロッサ」
右はローカル線


 高速特急は「ユーロスター」から「フレッチャロッサ」という名称の電車に代わった.「赤い矢」とは,まるで西武線の特急のような名前だ.この他に路線と行先によって,フレッチャルジェント(銀の矢),フレッチャビアンカ(白い矢)があるようだが,主要駅を結ぶ最も速い電車はフレッチャロッサである.

 4月にこちらに来てから,ローカル線(レジョナーレ)しか利用していなかったが,フィレンツェ・サンタ・マリーア・ノヴェッラ駅でフレッチャロッサが行き来するのを何度も見ていた.

 フレッチャロッサとフレッチャルジェントの車体は,いずれも赤と銀色の組み合わせで,前者は赤の部分が大きく,後者はその反対,フレッチャビアンカはフレッチャルジェントの銀色の部分が白い塗装になっていると言えば,大体合っているだろうか.

 車内は二等下級(セコンダ・クラッセのスタンダード)に関しては,ユーロスターの時とあまり印象は変わらない.それより上は乗ったことがないので分からない.

 サンタ・マリーア・ノヴェッラ駅を午前9時24分に立つと,ローマ・テルミニ駅に10時55分に着く.帰りはローマ16時20分発で,フィレンツェ17時51分着の予定だった.

 電車は,いつものように多少遅れ気味だったが,まずまず快適な旅だった.


ホテル事情
 宿はテルミニ駅の近くにあった.ネット上の評判が,汚い,対応が悪い,設備が古い,お湯が出ない,朝食が貧弱,など最悪で,「二度と泊らない」と言う感想が殆どだったが,予算の都合で,このクラスの宿しか取れなかった.ローマ,フィレンツェ,ヴェネツィアといった都市は物価が高いのだ.

 それよりも,テルミニ駅に近いことが不安だった.駅周辺の環境はお世辞にも良いとは言えない.

 チェックインすると,大層地味な宿で,「お湯が出ない」ことに関しては,かなりの頻度でそうなったが,床と水回りはよく掃除された綺麗な部屋を割り当ててもらい,ベッドもまずまずだった.

 フロントの人も様々な民族構成で,時に英語もイタリア語も通じるんだか,通じないんだかと思ったこともしばしばだが,最終的には通じたし,人によってはフランス語もスペイン語も片言だが話していた.朝食は「貧弱」を「簡素」と言い換えれば,元来のヨーロッパのホテルはこんなものだろうと思えたし,特に不満は無かった.

 最終日にチェックアウト後,フロントに荷物を預けて出かけ,午後3時半に取りに戻った時,チェックインの時は無愛想だった若い女性がフロントにいたが,笑顔で「チャーオ」と言い合って別れた.

 「Wi-Fiがロビーでしか使えず,しかも有料」というのも評価を下げる理由になっていたようだが,無料になっていた(最初からヴァウチャーには無線LANフリーと書いてあった).しかし,狭いロビーでしか使えないのは相変わらずで,その点はやはり改善した方が良いだろう.

 今後,この宿に泊まるかどうかはわからない(特に部屋でWi-Fiが使えないことと,お湯が出なくなることが問題)が,予算の関係でこのクラスの宿が上限になることが分かったので,ローマに行く際は一つの有力な選択肢となるだろう.

 地域的な危険性に関しては,緊張して臨んだ今回は,特に危ない目には遭わなかったが,こういうことは慣れが怖い.今後とも過剰なくらい,緊張感を持って行動したい.


拝観した教会
 今回のローマ行は,古代研究の資料となる古代遺跡・古代遺産を観ることが目的で,オスティア・アンティカを見に行く他は,ローマ市内で古代遺産を展示する美術館・博物館を回ることにしていた.

 カピトリーニ博物館とヴィラ・ジュリア博物館にも行きたかったが,両者とも見学に時間を要する大きな博物館であるため,予定の詰まった今回は見送ることにして,代わりにコルシーニ宮殿,バルベリーニ宮殿,ドーリア=パンフィーリ宮殿の美術館で,以前から気になっていた古代石棺や彫刻のコレクションを確認することにした.

 幾つかの教会でも,古代末期から中世初期の研究上,最も関心のある時期に関係する遺構や遺産を見ることができたし,移動の途中,扉が開いていたので初めて拝観した教会,再訪した教会でたくさんの美術作品も観た.

 今回と次回の2回に分けて,これらの教会で観たものについて報告し,ローマ行の最終回で,美術館・特別展の報告をする.



 3日間,寓居を空けるための旅先がローマになった理由は,チャンスがあれば見たいと思っていたアルテミジア・ジェンティレスキの特別展の最終日が5月7日だったからだ.

 したがって,ローマに到着後,チェックインを済ませて最初にしたことは,バスと地下鉄の共通3日券を(少し苦労して)入手し,テルミニ駅前のバス停から64番のバスで,ナヴォーナ広場の南側にある特別展の会場,ブラスキ宮殿のローマ博物館に向かうことだった.

 この特別展についてはローマ行の最終回で報告する.

 特別展を見終わって,ブラスキ宮殿を出たのは午後2時をまわった頃だった.多くの教会はまだ昼休みの時間なので,期待せずに歩き出したが,サンティッシマ・トリニタ・デイ・ペッレグリーニ教会のところまで来ると,扉が開いていた.

 去年3月に拝観した時,全ての祭壇画に掛けられていた紫の布は全てはずされていた.初めて目にした,中央祭壇のグイド・レーニ作「聖三位一体」は素晴らしい作品で,今回のローマ行の主たる目的ではないが,教会巡りに関しても幸先が良いように思えた.

写真:
グイド・レーニ作
「聖三位一体」


 拝観できた教会を順に並べてみる.外観だけ見た教会は数えきれないが,名前の確認もまだできていないので,これは外す.

 どの教会でも,写真はOKであった.フラッシュの部分ではなくカメラの絵自体に×のついている教会もあるにはあったが,ぐいぐいと入って来る観光客が写真を撮りまくるので,もはやルールがあるとは言い難い状態だった.

日付  教会名 (キエーザは「教会」,バジリカは「聖堂」とした)
5/2  サンティッシマ・トリニタ・デイ・ペッレグリーニ教会 
  サン・サルヴァトーレ・イン・ラウロ教会(初) 
  サンタ・マリーア・デッラニマ教会(初) 
  サンタゴスティーノ・イン・カンポ・マルツィオ聖堂 
  サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会 
  サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会(初) 
  ノストラ・シニョーラ・デル・サクロ・クオーレ教会(初) 
  サンタンドレーア・デッラ・ヴァッレ聖堂 
5/3   サン・クリソーゴノ聖堂 (以下,クリソーゴノ聖堂) 
サン・ベネデット・イン・ピシヌーラ教会(初) (以下,ピシヌーラ教会) 
  サン・バルトロメーオ・アッリーゾラ聖堂(初) 
  サンタ・マリーア・イン・ポルティコ・イン・カンピテッリ教会(初)
(以下,カンピテッリ教会) 
  サンタ・マリーア・デッラ・パーチェ教会(初) (以下,パーチェ教会) 
  サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ教会 
  サンタ・マリーア・イン・トラステヴェレ聖堂 
  サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会 
  サンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ教会 
5/4  サンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂 
  サンタ・プラッセーデ教会 
5/5  サンタ・マリーア・アラチェリ聖堂 
  サンティ・ドーディチ・アポストリ聖堂(初) 


 4日もいた割には,拝観した教会の総数が21と少ないが,あくまで古代にフォーカスして時間を使っているので,これで十分だろう.

 初めて拝観することができた教会が9つある.このうち,自ら拝観を意図して,それが叶ったのが,サン・ベネデット・イン・ピシヌーラ教会,サンタ・マリーア・デッラ・パーチェ教会,サンティ・アポストリ聖堂である.

 他に可能なら,オクタウィアの柱廊近くのサンタンジェロ・イン・ペスケリア教会,クリプタ・バルビの近くのサンタ・カテリーナ・デイ・フナーリ教会は拝観したいと思い,扉の前まで行ったが開いていなかった.

 後者に関しては「毎土曜日に開く」との張り紙があったので,次回,ローマに行くときは土曜日を組み込み,是非この教会でアンニーバレ・カッラッチの「聖マルゲリータ」を観たい.

写真:
オクタウィアの柱廊



トラステヴェレの2つ教会
 2日目にトラステヴェレの教会を訪ねたのは,1日目にコルシーニ宮殿で門前払いをくわされたせいだ.

 以前からコルシーニ宮殿の古代彫刻のコレクションに惹かれていたが,これまで写真は撮れなかった.このところ,あちらこちらの美術館が撮影可になっているので,期待しながら行ってみたら,3時前だったが,係員の男性は,今日はもう閉めるから明日来いと言う.

 その瞬間に,翌日の予定を変えてもここに来なければという気持ちになった.

 オスティア・アンティカの予定を1日後ろにずらし,代わりにトラステヴェレとコルシーニ宮殿に行くことをメインに,2日目の計画を練り直した.

 まず,トラステヴェレのサン・クリソーゴノ聖堂,ピシヌーラ教会を拝観し,それから,川を渡ってナヴォナ広場の方に戻って,午前中しか開いていないパーチェ教会に行き,どこかでお昼を食べた後,再び川を越えて,コルシーニ宮殿を訪ね,夕方からは,また教会巡りをする.

 ホテルからトラステヴェレまではかなり距離があるので,バスやトラムも利用するが,途中,扉の開いている教会があれば,一つでも二つでも拝観させてもらうつもりで,テヴェレ川の周辺は自分の足で歩くことにした.



 2日目,クリソーゴノ教会は再訪だった.四角く切り取られて額装されたモザイクの「玉座の聖母子と聖人たち」,コズマーティ装飾の床,ロマネスクの鐘楼,ベルニーニ設計と言われるサンティッシモ・サクラメント礼拝堂,マザッチョの故郷サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ出身のジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニの「三人の大天使たち」などの17世紀絵画を十分に鑑賞した.

 この教会で最も素晴らしいのはコズマーティ様式の装飾を施された床(パヴィメント・コズマテスコ)だと思う(トップの写真).ローマの諸教会で何が素晴らしいと言って,この床装飾には魅せられてしまう.

 次に目指したピシヌーラ教会は,なかなか見つからなかった.ウェブ上の写真で外観を確認して,外側は新しくて魅力に乏しい教会だと知っていたし,グーグル・マップでも位置は確認していたが,入り組んだ道を少し歩くと次々に狭い「広場」と出くわし,混乱してしまった.

 漸く辿り着いたのは,小さな教会だった.狭い堂内に,古拙な「聖母子」のフレスコ画断片が4つ,その他には,「聖母戴冠」と聖人たちを描いた,多分17世紀以降の新しいフレスコ画,「聖母子と聖人たち」と多分「執筆する聖パウロ」と思われるカンヴァス油彩画もあった.幅広い時代の絵画作品が違和感なく堂内に溶け込んでいる様子に独特の雰囲気があった.

 4つの古拙なフレスコ画断片の「聖母子」のうち1点は「授乳の聖母子と聖人たち」(聖人はペテロとパウロ)であり,もう一つが最も古拙に見えるが,聖母子の後ろに見える顔が剥落しているので断言はできないが,この図像構成であれば,「聖母子と聖アンナ」ではないかと思う.

 この絵柄は,いわゆる「アンナ・メッテルツァ」で,マザッチョとマゾリーノの祭壇画(もとはフィレンツェのサンタンブロージョ教会にあり,現在はウフィッツィ美術館所蔵)が有名だが,これはそれより古い絵と言えよう.

 巧拙はともかく(とても上手な絵とは思えない),古いフレスコ画断片で,意外な図像が描かれていると言うそれだけの理由で,とても貴重な作例に思われる.しかし,私の思い込みかも知れないので,誰かに教えてほしいような気がする.

写真:
「ヌルシアの聖ベネディクト」
サン・ベネデット・イン・
 ピシヌーラ教会


 この教会に行きたいと思った最大の理由は,西欧の修道院の開祖とされるヌルシアの聖ベネディクト(ベネデット・ダ・ノルチャ)を描いた古いフレスコ画断片があると知ったからだった.何年も前のことで,メモも取っていないので,何で知ったのか思い出せない.

 撮って来た解説プレートのピンボケ写真を強引に読み取ると,10世紀から12世紀の作品で,通常は大修道院長アントニウスのアトリビュートであるT型十字形の杖を持っており,服装などにも古い特徴が出ている貴重なフレスコ画のようだ.

 実際に観た感想としては,やはり巧拙を超えて(下手な絵ではないように思う),一種の神秘性を感じる.写真で見て,憧れた絵を観ることができたので満足だ.

 この教会の中央祭壇には,13世紀のゴシック期のものと推定されている金地板絵の「聖ベネディクト」もあり,これも味わい深い作品に思える.他にも,おそらく17世紀以降,古くても16世紀のカンヴァス油彩画「聖母子と聖人たち」の聖人の一人がベネディクトで,これが,私たちがベネディクトに抱くイメージに近いものに思われる.

 しかし,聖ベネディクトは西暦480年頃の生まれで,6世紀に活躍した人物だから,たとえ推定年代のうち最も古い10世紀の作品としても,この教会のフレスコ画断片に肖像性があるとは思えない.

 ここまでの過程で,大変後悔すべき失敗を犯していた.実は,ピシヌーラ教会の前に拝観したクリソーゴノ教会には古い時代の地下教会が残っていて,そこには8世紀から9世紀に描かれたフレスコ画があり,その中に「ハンセン病患者を癒すベネディクト」と言う絵もあることが,後日判明した.

 伊,英,独,仏語で「地下教会はこちら」と書かれた矢印に導かれて聖具室まで辿り着きながら,受付の老人と打ち解けて,案内書と絵はがきを売ってもらい,握手して別れてしまった自分の間抜けさ加減に臍をかむ思いである.多分,彼に申し入れて,見学をさせてもらう仕組みになっていたのだと今は推測している.

 推定年代で比べても,クリソーゴノの地下教会に残るベネディクト像の方がより古く,写真を見ても古拙感に溢れている.ピシヌーラ教会のフレスコ画の長所をしいて挙げれば,その時代にしては思ったよりも洗練度が高く,絵として気品や美しさを持っているのではないかと言うことだ.

 次にトラステヴェレに行くときの課題は,ピシヌーラ教会の解説板のピンボケでない写真を撮り,クリソーゴノ教会でしっかり地下教会を拝観することだ.

 この地下教会はコンスタンティヌスの時代に遡る可能性もあり,まだキリスト教が誕生していないローマ共和政末期の住宅の遺構の上に造られたとされているので,そうであれば,胸を張って自分の研究テーマとの関連も主張できる.

 ちなみに,小さな教会だが,ピシヌーラ教会のコズマーティ装飾も見事だ,芸術性云々と言うことになれば,間違いなくこの教会でも主役はコズマーティの床装飾だ.


サンタ・マリーア・デッラ・パーチェ教会
 パーチェ教会に行くのも苦労した.もともと方向感覚が劣っているので,あっちへ行ったりこっちに来たりしながら,午前中しか開いていないと言う教会を目指して,ナヴォーナ広場周辺を彷徨した.

 何とか,午前中にたどり着き,充実の拝観を果たしたが,いつもそうなのかはわからないが,午後になっても教会は閉まらなかった.

 何故それが分かったかというと,拝観後,感じの良い,多分中近東か北アフリカから来た青年がきびきび働く店で,ピエトロ・ダ・コルトーナ設計のパーチェ教会のファサードを眺めながら,ゆっくり昼食をとったからだ.席を立ったのは午後1時を過ぎていたが,それでも教会は開いていた.

 この店を選んだのは,この場所でラ・ファッチャータ(ファサードのイタリア語)とは,また良いネーミングだなと思ったからだが,それは私の誤解で,店名はラ・フォカッチャだった.フォカッチャは食べなかったが,ずっとパーチェ教会のファサードを見ながら,おいしく気持ちよく食べられたので,何も問題はない.




 パーチェ教会に行きたいと思った動機は,ラファエロのフレスコ画「シビュラと天使たち」にあった(上の写真).

 辿り着くのに苦労し,大いに焦ったが,堂内に入ってからは,拝観者も少なかったので(時々ガイド付きの数人の観光客が入ってきたが,ラファエロのフレスコ画の写真を撮ってすぐ出て行った),じっくりと見ることができた.

 バルダッサーレ・ペルッツィのフレスコ画もあった.ペルッツィは,ラファエロの同郷の先輩ティモテオ・ヴィーティや巨匠よりも年長だが,ラファエロの工房で活躍し,死後はパンテオンのラファエロの近くに葬られた.昨年行ったファルネジーナ荘でもラファエロの「ガラテアの勝利」と一緒の部屋でペルッツィのフレスコ画を観ている.

 彫刻も絵画も立派で見応えがあったが,ラファエロのフレスコ画を除けば,オラツィオ・ジェンティレスキの「キリストの洗礼」が印象に残る.



 パーチェ教会の前に偶然拝観したカンピテッリ教会は,ペスケリーア教会の裏手にあり,17世紀初頭に,それまでにあった古い教会の上に,カルロ・ライナルディの設計で立てられた大きなバロック教会だ.

 先を急いでいたので,そそくさと拝観したが,撮って来た写真を確認すると,意外にじっくり観ており,ルーカ・ジョルダーノ,セバスティアーノ・コンカ,バチッチャなどの祭壇画や,作者名は分からないが立派な彫刻や豪華な装飾を撮っていた.

 現代に残るローマの魅力の一つは間違いなくバロックであり,今後はこうした教会もじっくり拝観したい.

 中世,ルネサンス,マニエリスム,バロックと,流行や傾向には大きな違いはあるが,古代の再解釈と言う共通の面を持っているように思う.西欧の伝統文化は共感するにせよ,反発するにせよ,古典古代を前提に成立していると今更ながら思う.バロックが持つ古代性に関しても,少しずつ考えていきたい.

写真:
コマ絵のあるイコン
カンピテッリ教会


 意外にもこの教会には,中世風の小さな聖母子とか,新しい作品ではあろうが,ビザンティン風のイコンなどが随所に飾られており,特にコマ絵に囲まれたピエタ(死せるイエスに聖母が寄り添う)のイコンが印象に残った.

 サンクトペテルブルクとモスクワで相当数見たイコンの中にはこの図像はなかったような気がするが,これについてもペンディングだ.

 バロックの大物画家たちの作品と同様,立派な祭壇に飾られているのは,祭壇寄進者の信仰上の理由なのか,芸術性を評価してのことかわからないが,とにかく印象に残った.


ティベリーナ島の教会
 トラステヴェレから橋を渡って戻る時,テヴェレ川の中の小さな中洲とも言うべきティべリーナ島を初めて通り,島の中にあるサン・バルトロメーオ・アッリーゾラ聖堂を拝観した.

 観光案内書などで,あまり触れられることのない教会で,伊語版ウィキペディアにも堂内の絵画,彫刻作品に関する言及はないので情報は少ない.

 堂内で,喜捨でいただいた絵はがき(案内書もあったが,係の人がいなくて買えなかった)などから得られる断片的な情報を参考にすると,教会自体はバロックの新しい建造物で,堂内の装飾もバロック様式だが,鐘楼はローマでよく見られるロマネスク様式であることからも分かるように,創建は10世紀に遡る古い教会である.

 オットー朝(10世紀から11世紀)時代の柱頭,聖人の浮彫のある10世紀の井戸装飾,ロマネスク教会で良く見られる2頭1対のライオン,礼拝堂に飾られたビザンティン風の古拙な聖母子のフレスコ画断片,コズマーティ装飾断片など,興味を引かれるものが多々あった.

 この教会は,前教皇ヨハネ=パウロ2世のお声がかりで,異なる宗派の融和や,現代カトリック教会の信仰の場としての意味が付与され,そうした活動の拠点となった.今回,拝観した教会の中で一番多く正教の新しいイコンが見られたのも,現代の宗派融合運動を反映しているからかも知れない.

 橋や岸辺からティベリーナ島を見たとき,真っ先に目に入るのがこの教会の立派な外観だ.そのせいもあってか,意外にも観光客が多かった.

 同じ「島内」にあるサン・ジョヴァンニ・カリビタ教会は開いていなかった.



 パーチェ教会を拝観した後,一旦宿にもどり,改めてバスとトラムを乗り継いでトラステヴェレに渡り,そこからコルシーニ絵画館を見学し,サンタ・マリーア・イン・トラステヴェレ聖堂とサンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ教会を拝観した.

 サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ教会とサン・フランチェスコ・ア・リーパ教会も再訪したが,後者は儀式の最中だったので,拝観は遠慮した.その他幾つかの教会の前を通ったが,夕方なのに開いていなかった.

 ローマ滞在2日目に行った教会の中に,もともと行きたかった教会が多かったので,「来た,見た,感動した」に徹しても,もうかなり長くなってしまった.その他の日に拝観した教会に関しては,次回,「後編」として整理し,今日はここまでとする.

 行ってからだいぶ時間が過ぎ,その間またトスカーナで様々なものを観たので,記憶が薄れつつあったが,写真を見ながら思い出すと,ローマの魅力を改めて痛感する.

 最後に教会とは一見無縁に見えて,そうでもない写真を紹介する.

 オスティアではインスラ(集合住宅)のめぼしい写真は撮れなかったが,実はローマにもインスラの遺構がある.カンピドリオの丘の麓で,サンタ・マリーア・アラチェリ聖堂に登る階段と新しいモニュメント「祖国の祭壇」の間にある古代遺跡がそれだ.インスラ・デッララチェリと言う通称も付されている.

 紀元後2世紀の遺構だが,中世にはサン・ビアージョ・デル・メルカート教会の一部だったので,よく見ると12世紀の古いフレスコ画も残っている.これも以前からローマに行く度に気になってはいたが,ようやくインスラの遺構であると確認できた.






インスラ・デッララチェリ
遺跡は様々に再利用される