§フィエーゾレで見られる絵画作品
2007年の時はフィエーゾレは遠足だったが,バス,鉄道などの公共交通機関を抵抗なく駆使するようになった今は,もはや市内と殆ど同じ感覚だ.既に4月5日と21日の2回行った. |
とは言え,フィエーゾレの見どころは,ある程度限定されるので,この先も頻繁に行くということにはならないだろう.主な観光スポットは,コンバインド・チケットになっている考古学博物館,考古学地域,バンディーニ博物館で,あとは,フィレンツェを望む風景を眺めたり,鳥の囀りに耳を傾けながら木立の中の散策したりするのが相応しい場所だ.
5日(水曜日)は,バンディーニ博物館は休館(現在,開館日は金,土,日)だったので,考古学博物館と考古学地域だけのセット券を購入して見学した.
21日は,大学に用事があってサン・マルコ広場までバスで行ったので,用事を済ませた後,見残したバンディーニ博物館を見るつもりでフィエーゾレ行きのバスに乗った.
バス券の有効時間は90分だが,寓居の近くでバスに乗った時に打刻し,サン・マルコ広場で降りて大学に行き,再び広場からフィエーゾレまでバスに乗っても90分以内だったので,1枚のバス券で済んだ.帰りも1枚で済んだのは言うまでもない.
考古学博物館と考古学地域については,前回,簡単に報告をしたので,今回は大聖堂,サン・フランチェスコ教会,サンタ・マリーア・プリメラーナ教会とバンディーニ博物館について簡単に報告をまとめる.
サン・ロモロ聖堂
大聖堂(サン・ロモロ聖堂)を拝観したのは二度目になる.前回は結婚式の準備が進行中だったので,気を遣いながら拝観したが,今回はゆっくり見ることができた.
ファサード裏のバラ窓の下にはジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタ「聖ロモロ(ロムルス)」,中央祭壇にはビッチ・ディ・ロレンツォ作の多翼祭壇画「聖母子と聖人たち」がある.
中央祭壇は,下に地下祭室があるので一段高くなっており,両側にある階段の直前の2本の柱に描かれたフレスコ画「聖セバスティアヌス」と「聖ベネディクト」の作者はペルジーノとされる.
中央祭壇の右側にあるサルターティ礼拝堂には,ミーノ・ダ・フィエーゾレ作の「司教レオナルド・サルターティの墓碑」がある.墓碑には司教の胸像が付され,赤斑岩の石板が使われている.
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写真:
大聖堂の堂内 |
この聖堂は昼も暗く,なかなか写真は写らない.それでも前に来たときは撮影禁止で,堂内の写真は1枚もないので,何枚かでも写真が撮れたのは収穫だ.ファサード裏の「聖ロモロ」に一番興味があるが,堂内が暗いのに,バラ窓の直下のそこには光が射して,写真はほぼ絶望的だ.それでも何枚かは撮ったが,わざわざ紹介するほどのことはない.
むしろ,中央祭壇の下の地下祭室(クリプタ)のフレスコ画(聖人たちの顔だけが残っている)とともに観ることができた古拙な板絵を紹介したい.
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写真:
「ビガッロの親方」作
「聖母子」 サン・ロモロ聖堂 |
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伊語版ウィキペディアに拠れば,この板絵は「ビガッロの親方」の作品とされる.この「ビガッロ」とは,フィレンツェの洗礼堂の前にある「ビガッロの回廊」のことであり,そこにある比較的大きな磔刑像の作者とされる画家に付けられた名称が「ビガッロの親方」である.
先日この回廊の博物館を一部ではあるが見学することができ,この磔刑像の写真も撮っている.しかし,両者を比べても,ジョット以前のやや古拙な絵と言う以外の共通性を見出しにくく,今の所,なぜ両者が同じ作者の絵とされるのかは分からない.
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写真:
「ビガッロの親方」作
磔刑像
「ビガッロの回廊」の博物館 |
5月11日には,カステル・フィオレンティーノの隣のチェルタルドに行き,そこの宗教芸術博物館で,やはりビガッロの親方の作とされる「聖母子」を見ることができた.この2カ月で,この画家への帰属の可能性のある作品を3つ観ることができたが,これらの中で,フィエーゾレ大聖堂の地下祭室の「聖母子」が最も古拙な感じがする.
巡礼路の小さなロマネスク教会ではなく,小なりといえども古代から栄えた都市の司教座聖堂のまずまずの大きさのロマネスク教会は貴重な遺産であろう.
フィレンツェのサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂を含めて,ピサ,ルッカ,ピストイアに見られるトスカーナの大きなロマネスク教会は,白大理石と緑大理石の組み合わせに特徴があり,それが全く見られないフィエーゾレ大聖堂は独特の重厚感がある.
5日に行った時にあまりにもピンボケの写真しか撮れなかったので,2回目の21日は,再チャレンジの意欲満々でバス停から大聖堂に向かったが,平日の午前中なのに,掃除係の青年に,今日は閉まっている(キウーゾ)と言われた.大聖堂と言えども,昼休み以外にも閉まっていることがあるようだ.曜日,時間帯を前以て確認して行く必要があるかも知れない.
サン・フランチェスコ教会
5日は大聖堂の拝観を終えるとサン・フランチェスコ教会に向かった.途中にはサンタレッサンドロ教会があり,2007年に来たときは,イタリア絵画の特別展が開催されていて中に入ることができたが,今回は閉まっていたので,そのまま先へ進み,サン・フランチェスコ教会に着いた.
中央祭壇の祭壇画はネーリ・ディ・ビッチの「磔刑のキリストと聖人たち」である.この画家に関しては何度か言及しているが,今回,自分の研究とは全く別の脇筋のテーマとして,なぜ,ネーリ,ヴァザーリ,フランチェスコ・クッラーディは数多い注文をこなし,トスカーナのルネサンス,マニエリスムの時代に一定のポジションを獲得できたのか考えてみたいと思っている.
ヴァザーリに関しては,諸芸術家の伝記作家,画家,建築家,祝祭都市の企画者として,十分に偉大な人であり,今更という感じはあるが,今回は画家としての卓越性(そんなものは全くないと今まで思っていた)について考えてみたいと思っている.
クッラーディについては,サン・フレディアーノ教会の「聖母被昇天」を複数回見て,画家として優れていることは認識済みで,この人に多くの注文が来て,作品が現存しているのは,当然のことであろうと思っているが,それについては,今後少しずつ報告をまとめて行く.
しかし,ネーリに関しては,あれだけ多くの天才が輩出したルネサンス期のフィレンツェで,なぜ名門工房の三代目として成功を収め,多くの注文をこなして,作品も相当数現存しているのか謎だ.現代の審美眼などから判断している限り,その疑問から抜け出せないであろうから,フィレンツェ・ルネサンスの一つの側面として考えてみる価値があるのはないかと思う.
何よりも,一見,二見,三見して,なお且つ,やはり下手だとしか思えないこの画家が,なぜ私はこんなに気になるのか,機会があり,材料が得られれば是非考えてみたい.これだけ多くの作品が残っているのだ.彼の作品に安心するのは私だけではなく,彼はトスカーナでは人気画家だったのだと思う.
この教会にはネーリの父ビッチ・ディ・ロレンツォの三翼祭壇画「天使たちの間の聖母子と聖人たち」もある.大聖堂の作品同様,美しい絵だが,明り取りの窓からの光のせいで,ちゃんとした写真は撮れなかった.
ルネサンスの画家ピエロ・ディ・コジモの「無原罪の御宿り」,ラファエッリーノ・デル・ガルボの「受胎告知」もそれぞれこじんまりしているが,綺麗な絵だ.
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写真: チェンニ・ディ・フランチェスコ作 「聖カタリナの神秘の結婚」 |
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ここで初めてチェンニ・ディ・フランチェスコ作品を観ることができた.祭壇画「聖カタリナの神秘の結婚」で,縦長の長方形の板の上三分の二に「神秘の結婚」,下三分の一に「パドヴァの聖アントニウスの前に現れる百合を持った幼児キリストと天使たち」の絵が描かれており,「神秘の結婚」の場面と連続する上部の三角部分には天使が描かれている.
この絵が良い絵かどうかは判断がつきかねるが,交差ヴォールトのない,単純な尖頭型ヴォールトで単身廊の,ゴシック様式ではあるが非常に簡素な堂内で,ビッチ・ディ・ロレンツォの金地板絵,綺麗ではあるが華美ではない,ピエロ,ラファエッリーノのルネサンス絵画とよく調和しているように思う.
伊語版ウィキペディアに拠れば,ビッチは1368年くらいの生まれで,チェンニは1369年に当時画家たちが所属するギルドであった医師・薬種商組合に登録しているとのことなので,当然,後者が20歳から30歳くらい年長と考えられる.とすると,この教会に現存する祭壇画の中では,チェンニの作品が最古のものと考えられる.
教会の建物は相当の修復を経ているようで,堂内の装飾がどのような経緯で今に至ったかを知るすべもないので,あくまでも希望的観測になるが,チェンニの祭壇画はこの教会にとって思ったよりも重要な意味を持っているのではなかろうか.
下方三分の一のパドヴァのアントニウスの部分は随分新しい感じがするが,ここもチェンニが描いたのだろうか.上方三分の二の部分にはフランチェスコ会の聖人が出てこないので,そのバランスを取ったのかも知れないが,両者の関連性も少し疑問に思う.
フィエーゾレでの出会いが,チェンニ体験の出発点となり,その後,プラート,エンポリで彼の祭壇画を観て,カステル・フィオレンティーノで剥離フレスコ画を観て,5月10日にはヴォルテッラに行き,同地のサン・フランチェスコ教会に描かれたフレスコ画「真の十字架の物語」を観て,11日にはチェルタルドの宗教芸術博物館で剥離フレスコ画と祭壇画を観た.
日本を出発する時は頭の中に無かった名前が,4月5日に出会って,それから僅か1カ月ちょっとの間に,トスカーナのあちこちの町で次々に作品を観る機会を重ねて,作家としてのイメージが少しずつ肉付けされて来た.
そこで次回は,順番通りではないが,ヴォルテッラに行った報告を,チェンニの「真の十字架の物語」を中心にまとめる.
サンタ・マリーア・プリメラーナ教会
大聖堂もサン・フランチェスコ教会も二度目だが,新たに拝観することができた教会がある.サンタ・マリーア・プリメラーナ教会だ.
ミーノ・ダ・フィエーゾレ広場でバスを降りると大聖堂が目の前に見えるが,そのまま右手を見上げるとこの教会が見える.小道を挟んだ隣はプレトリオ宮殿で,バス停からは歩いて1分だ.
956年には記録があるということなので,かなり古い教会だが,19世紀に付されたポルティコがこの教会を新しく見せている.外壁も堂内も修復されていて新しい.
それでも,中央祭壇に飾られているロヴェッツァーノの親方に帰せられる13世紀の「聖母子」と,身廊の中央祭壇に向かって右の壁に,見た目にもジョッテスキが描いたであろう彩色板絵十字架型の磔刑像が,この教会の由緒を思わせる.
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写真:
14世紀のジョット派の磔刑像
サンタ・マリーア・プリメラーナ
教会 |
中央祭壇の両側壁面に残るフレスコ画断片はニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニの作とされ(伊語版ウィキペディア),小品だが,中央祭壇の右壁面に,フランチェスコ・ダ・サンガッロの浮彫による自身とフランチェスコ・デル・フェーデの横顔の像もある.
何と言っても,中央祭壇前の左壁面にあるアンドレーア・デッラ・ロッビア工房作とされる彩釉テラコッタの「キリスト磔刑と聖母,福音史家ヨハネ,天使たち」が大きくて見事だ.
初めの拝観で,堂内の新しさとミスマッチな感じがするジョッテスキ風の磔刑像に目を見張った.その時は,ジョット作と言われても信じてしまう程,立派な作品に思われたが,伊語版ウィキペディア情報に拠れば,14世紀のジョット派の作品で,作者はボナッコルソ・ディ・チーノに帰せられているとのことだ.この画家についての情報は得られていない.
バンディーニ博物館
21日にそのためにわざわざフィエーゾレを再訪したバンディーニ博物館の報告が最後になってしまったが,ここも写真可になっていて,前に来たときは撮れなくて残念に思った諸作品を,ゆっくり鑑賞した上で撮影することができた.
ジョット以前の彩色磔刑像や工芸品から,後期ゴシックのジョッテスキの祭壇画,ロレンツォ・ディ・ビッチ,ビッチ・ディ・ロレンツォ,ネーリ・ディ・ビッチ親子三代に渡る作品,ナルドとヤコポのチョーニ兄弟の小品,ジョヴァンニ・デル・ビオンドの「聖母戴冠」を中心とする三翼祭壇画,ルネサンス絵画ではヤコポ・デル・セッライオの「愛,羞恥心,時,永遠の凱旋行進」と言う寓意画が見応えがあるとまとめておこう.
私としてはタッデーオ・ガッディの「受胎告知」,アーニョロ・ガッディの「聖母子」,ナルド・ディ・チョーネの「聖カタリナ」が好きだが,魂を揺さぶられるような傑作と言うわけではない.しょっちゅう魂を揺さぶられていては身が持たないので,このような小品のコレクションの博物館は好感が持てる.古臭い作品ばかりの博物館,美術館は絶対嫌だと言う人以外は,フィエーゾレに行く機会があったら,立ち寄った方が良い.
デッラ・ロッビア一族とその工房の彩釉テラコッタのコレクションも立派だが,ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの「荒野で修行する少年の洗礼者ヨハネ」を紹介して,終わりとする.
次回は,上述のようにヴォルテッラ再訪の報告をする.
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全ての作家は
ジョヴァンニーノの愛らしさを
心を込めて表現する
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