フィレンツェだより |
サン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ教会 |
§オルトラルノの散歩
ヴェッキオ橋を渡って,グィッチャルディーニ通りをピッティ宮殿を横目にして南進すると,以前より行きたいと思っていたサン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ教会の前に出た.ファサードはミケロッツォの設計だそうだ. 多くの教会は大体4時過ぎになると,夕べの祈りに時間となって入れるのだろう.開いていた.
![]() 古いフレスコ画や中世の趣をたたえた宗教画も印象深かった.祭壇には漁港の庶民に見える人々に囲まれた聖母子という現代画もある.入口近くにあるボッティチェリ派の画家によるとされる3人の聖人の絵が大変すばらしい. 外に出ると,教会の付属施設の壁に碑があり,ラテン語が書いてあった.ラテン文学と英詩を勉強した人にはおなじみの詩句だ.ドゥルケ・エト・デコールム・エスト・プロー・パトリアー・モリー「祖国のために死するは素晴らしく輝かしきかな」.ホラティウスである.
彫像の下にその句があり,その下に戦死者の名前が連ねられている.1915年から1918年のイタリア・オーストリア戦争で戦死した人々とあるので,第1次世界大戦で,連合国側となったイタリアが,ドイツと組んで連合国を敵に回したオーストリアと戦った時のときのことであろう.同じ第1次世界大戦で,戦場に行き,若くして死んだウィルフレッド・オーウェンなら,この句を肯定的には受け取れなかったであろう.彼は毒ガスを浴び,戦友の悲惨な死を目の当たりにした. さらに南進して,サンタ・マリーア通りを右に曲がって西進すると目的のゴルドーニ劇場に着いた.
![]() 屋敷はすぐに見つかった.カッペッロは「帽子」という意味なので,正面に帽子の紋章がついている.彼女はヴェネツィア貴族の出身だそうなので,もともとの家紋なのかも知れないが,それは今のところ私たちにはわからない. 下の写真では分りにくいが,正面の壁にはグロテスク模様の掻き絵装飾があり,人によっては華やかと感じるだろう. 写真中央に赤く見えるのはメディチ家の家紋である.この建物とピッティ宮殿が地下道でつながっていて,大公が通ったという話も伝わっている(マッシモ・ウィンスピア,中嶋浩郎訳『メディチ家 美術品収集の黄金時代』リヴォルノ,2001,70頁).
サンタ・マリーア・デル・カルミネ教会 マッジョ通りをそのまま川に突き当たるまで行くとサンタ・トリニタ橋のところに出るが,橋を渡らず,サント・スピリト通りを西進して,サンタ・マリーア・デル・カルミネ教会に行ってみることにした.マザッチョとマゾリーノのフレスコ画が見られるブランカッチ礼拝堂のある教会だ.もっとも拝観には予約が必要だし,すでに公開時間も過ぎていたが,教会自体には入れるだろうと思った.
![]() 外観の古風で重厚な感じからは想像もできないほど,中は明るくて綺麗で,新しい感じがする.夕べの祈りの時間なので,信者の女性たちがイタリア語のアヴェ・マリアを唱えていた.ブランカッチ礼拝堂の向かい側にあるコルシーニ礼拝堂は墓所の装飾になっている彫刻が見事だ ![]() カッライア橋を通ってアルノ川を渡ったが,右手にコルシーニ宮殿が見えた.『最新完全版ガイドブック フィレンツェ』に拠ると,宮殿内にコルシーニ美術館もあり,見学には予約が必要だが,15世紀から18世紀の傑作が収蔵されているということなので,いつか行ってみたい.
サン・ガエターノ教会 コルシーニ川岸通りを東進して,サンタ・トリニタ広場に出ると,トルナブォーニ通りでサン・ガエターノ教会が見えた.以前外観を紹介し,英語版ガイドブック(ロンリー・プラネット)に「開いているのに遭遇した人は幸運」と書いてあると言ったが,開いていた. 少し躊躇したが入れてもらった.お祈りの最中だったので,後方に着席して,しばらくその場にいさせてもらうだけにしたが,見事な堂内で是非再訪したいと思った.英語版のガイドブックを10ユーロで売っていたので,料金箱に10ユーロ札を入れて入手する.新しいものなので,写真が良質なようだ. ![]() |
サン・ガエターノ教会のファサード 後方に鐘楼 |
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