フィレンツェだより
2007年4月6日



 




サンタ・クローチェ教会と
ダンテ像



§サンタ・クローチェ教会

日本にいるときは,お粥にオクラ入り納豆,野菜サラダが北本宮城家の朝食の定番であった.


 オクラはアフリカ原産だそうだが,中央市場の南アジアからの移民と思われる人がやっている店で手に入るし,納豆はアジア食材の店ヴィーヴィマーケットで売っている.しかも北本のいなげやで売っているのと同じ「おかめ納豆」の3個パックだ.値段の3ユーロを見て,ちょっと躊躇しているが,破産するほどの価格でもないので,いつかは買って食べるかもしれない.今のところ,フィレンツェ宮城家の食卓には納豆はのぼらない.

 それはともかく,当面納豆は食べないけれども,朝食はご飯だ.ジャポニカ種の米を現地でイタリアで生産,精米した「お米さん」(アルボネーゼ在住のモリモト・ハジメさん精米)をヴィーヴィマーケットで売っているので,それを鍋で炊き,日本から輸入された味噌とわかめで作った味噌汁と一緒に朝食にしている.

写真:
イタリア産のジャポニカ米
「お米さん」


 昼は大体スパゲッティに野菜を絡めて食べ,夜はキャンティ・ワインを飲みながら,野菜と肉料理に舌鼓を打つ.食後のコーヒーは少し温かくなった今も欠かせない.パンは今のところ相性が今ひとつだが,何かおいしく食べる方法があるのではと思案中である.

 今日は,妻が学校に行く時間が迫っていたので,朝はパンにハム(プロシュート)だったが,明日からまた朝食は純和風路線にもどるだろう.



 今日の授業も「totally beginners のためのクラス」だというのに,アンナ・マニャーニという昔懐かしい女優の生涯を語った内容のディクテーションから始まる濃い内容の授業だったらしく,ふうふう言いながら帰宅した妻と遅い昼食(スパゲッティにトマトとアスパラガス)をとった後,天気が良いので少し遠出することにして,サンタ・クローチェ教会に行ってみることにした.

 サン・マルコ広場まで行き,相変わらず行列が絶えないアッカデーミア美術館を横目にドォーモまで出る.そして,デル・プロコンソーロ通りをバディア・フィオレンティーナ教会とバルジェッロ国立博物館のところで左折,地図で見て,これは一体何をやっているところだろうと言っていたヴェルディ劇場をついでに確認すべく,ギベッリーナ通りを東進した.

 「ヴェルディ劇場」は大きな劇場だった.貼ってあるポスターは,フランス・ブリュッヘン指揮のボッケリーニ(ストラデッラだったか)の「スターバト・マーテル」とハイドンの交響曲のコンサートを告知するものだったので,かなり期待して凝視したが,4月5日とあったので,前日に終わっていた.惜しいことをした.オケはオルケストラ・ダ・トスカーナとあった.フィレンツェ歌劇場管とはまた別の,こちらは地方楽団であろうが,是非聴いてみたい.



 ヴェルディ劇場を右折すると,その名もジュゼッペ・ヴェルディ通りで,そこから少し南に下がるとサンタ・クローチェ広場に出る.目指す教会はそこにあった.

 広場から仰ぎ見る教会は,青空に映えて実に素晴らしかった.近づくにつれ,向かって左脇の白いダンテ像が大きく迫ってくる.

 フィレンツェから追放され,生涯帰れなかった大詩人の詩碑や記念碑が,この街の随所にある.私は原文も英訳も持っているし,日本語訳も何種類も持っているが,まだこの詩人の真価に開眼するに至っていない.しかし,文学史,文化史を意識していれば,偉大な存在だということはある程度了解しているつもりだ.

それにしても,イタリア,特にフィレンツェにおけるダンテの存在感は大変なものだ.あんな難しい作品を本当にみんな理解しているのだろうか.ウェルギリウスの方がよっぽど分りやすいと思うのだが.


サンタ・クローチェ教会
 サンタ・クローチェ教会にはたくさんの偉人たちの墓がある.ダンテの墓は墓碑と記念像だけ(遺体の納められている墓はラヴェンナにあるそうだ)だが,ローマから遺体を移してきたミケンランジェロをはじめ,ガリレオ・ガリレイマキアヴェッリの墓がある.これらはフィレンツェゆかりの人々だが,ロッシーニの墓があるのは驚いた.


ダンテの墓(本物はラヴェンナ)

マキアヴェッリの墓(本物)


 マキアヴェッリとロッシーニ墓の間くらいにあるドナテッロが製作した「受胎告知」の彫像は見逃してしまいそうだったが,これは佳品だった.

 そして,またしてもジョットである.聖壇の向かって右隣にあるバルディ礼拝堂(礼拝コーナーと言ったほうがピンとくる)に「聖フランチェスコの生涯」を描いたフレスコ画が描かれている.

特にフランチェスコの死の場面を描いたものは傑作の名に値する(写真).


 サンタ・マリーア・ノヴェッラのキリスト磔刑像が衝撃的な感動だったので,ある程度心の準備と予備知識をもって臨んだ今回は,それほどの感激はなかったが,何度も通ってじわじわと良さが分ってくるのではないかと思った.



 革製品の工房があって製品を売っていたが,市中より高めなのは品質も良いと言うことなのだろうか.いずれにしても,今のところ興味がない.売店で英語のガイドブックを買った.サンタ・マリーア・ノヴェッラでもそうだったが,これは大変有益だった.

 ブルネレスキ設計によるパッツィ家の礼拝堂(こちらはほとんど独立した建物)を見るために,中庭に出た.美術館(ムゼーオ)にはチマブーエのキリスト磔刑像があるということだったが,これは時間切れで見られなかった.美術館はそれほど魅力的ではないかも知れないが,サンタ・クローチェ教会には何度でも行きたい.芸術作品がどうのという前に,聖堂の中の荘厳な雰囲気と中庭の明るい空間の対比が何ともいえない.

 帰路,少し散策しようと思い,アルノ川に向かって歩いていると,大きな建物があり,学校のようでもあったが,正面に出てみると「国立図書館」(ビブリオテーカ・ナツィオナーレ)とあった.

写真:
「国立図書館」


 これは近いうちに用のある施設であった.両側の高くなったところに人物像があるが,向かって左側は,例によってダンテである.右側はガリレオ・ガリレイと思われる.人文科学と自然科学の調和というところか.あるいはそうした平凡な発想を超越するほど偉大な二人のフィレンツェゆかりの人物を並べたということかも知れない.