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フィレンツェだより |
ジョットの鐘楼から見たメディチ家礼拝堂 右手前はドゥオーモのファサード |
4月4日(水曜日)
1階にもメディチ一族の墓とその墓碑があったが,2階にある歴代のトスカーナ大公たちの大理石の棺は巨大で人を驚かせるものであった.しかし,たとえ豪華でも,あの冷たい棺に眠るのが幸せだとは思えない.もっとも死んでしまえばどこに眠っていても一緒だから,生き残った人々を威圧するだけでも意味があるということか. ![]() この男女がどういう組み合わせか疑問に思ったが,帰宅後アンナさんが置いてくれていた英語の解説書にイタリア語の名称が付されていたので問題は氷解した.「昼」(ジョールノ)と「黄昏」(クレプスクーロ)は男性名詞,「夜」(ノッテ)と「曙」(アウローラ)は女性名詞なので,それぞれが男性,女性の像になっているわけだ. これらの彫刻の力感に満ちた姿は傑作だと思う.ただ,暗くて寒い場所柄せいだろうか,私の体調が悪かったのだろうか.どうしてももう一度見てみたい作品とは思えなかった.俗っぽいことを言うようだが,写真集でも十分かなと思ってしまった. せっかくいい天気で,洗濯物が乾いていたはずなのに,外出するとき取り込まなかったら,通り雨が降ってきて,帰宅後取り込んだら,やはり濡れていて悔しい思いをした.確かにミケランジェロ作の彫刻もあって,見るべきものが少なくはなかったが,行列した上に,洗濯物を取り込み損ねるなら,もう行かなくても良いかも知れない.
![]() 食事を振舞っていただいた部屋にあった「トゥーランドッド」の北京公演のポスターが印象的だった.トゥーランドット(圖蘭多)も,プッチーニ(普契尼)も,ズービン・メータ(祖賓・梅塔)も漢字で表記されており,演出をした映画監督で有名な張藝謀(チャン・イーモウ)だけが当て字でないのが不思議だった.これは同作品の有名な演出で,私たちも昨年日本でこの演出を見たわけだし,よく考えればフィレンツェ歌劇場のプロダクションなので,あっても何の不思議はないのだが,すごく新鮮な感じがした. 探索ついでに路上観察 4日は午後は前日にもしかしたらそちらが近いかもしれないと柳川さんが教えてくださったガエターノ・ミラネーゼ通りにあるエッセルンガに行ってみた. ヴェンティセッテ・アプリーレ通りからインディペンデンツァ広場を越えて,バッソ要塞の傍を通って,小さな川を渡り,線路の下をくぐるためにデル・ロミート通りまで行き,フランチェスコ・ボナイーニ通りを左に曲がって,かなり大きな住宅地に出て,幾つかの商店がある中にエッセルンガはあった.マザッチョ通りの方が広かったし,こちらはかなり客の年齢層が高いように思えた.行きの経路だとそれほど近くはなかったが,線路をムラトーリ広場の駅のような建物の下でくぐるとより近いのは帰路に確認できた. デッロ・スタトゥート通りを直進し,川を越えたあたりから,たまねぎ型の屋根がある「ロシア教会」(キエーザ・ルッサ・オルトドクスィカ)が見える.行きに通り過ぎたバルドゥヌッチ教会も風情のあるたたずまいだったが,ロシア教会のほうがはるかに大きな建物で,遠くからでも目をひく.近くの駐車場から遠景の写真を撮ったが,そこの壁に「詩人によるダンテ朗読会」と「モーツァルトのミサ曲とヘンデルのメサイア演奏会」のポスターがあり,いろいろおもしろい企画があちこちであるように思われた. フィリッポ・ストロッツィ大通りに出て,バッソ要塞の傍を過ぎ,リドルフィ通りで左折してインディペンデンツァ広場をぬけて,ヴェンティセッテ・アプリーレ通りに出て帰宅した. |
4月5日(木曜日) サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会 午後に,この間行かなかったサンタ・マリーア・ノヴェッラ教会に行った.最初,付属する美術館も見て,その後,やはり一昨日行けなかったサン・ロレンツォ教会にも行くつもりだったが,ともかくサンタ・マリーア・ノヴェッラ教会のすごさに驚き,今日はその感動を大事にし,なおかつ興奮して疲れた体を休ませるために,聖堂だけ見て帰ってきた.
マザッチョの「聖三位一体」もすばらしかった.聖霊を表す鳩が見当たらないが,父と子の姿とジョットの磔刑像にも描かれた聖母マリアと洗礼者ヨハネが仏像の脇侍のようになっていて,聖人である彼らのさらに外側に俗人(しかし信仰者)がいる形が実によく奥行きを出していて,私たちがルネサンスという時に思いつく遠近法とは違う技法で描かれているように思えた. ジョットの作品が最初に記録に現れるのは1312年とのことなので,13世紀の終わりくらいの作品と考えられているようだが,その古さには驚く.先日登った「ジョットの鐘楼」はダンテが讃えたものだそうなので,ジョットという人は中世の人で,ルネサンスの前提になった芸術家と言えるのだろうか.電子辞書の広辞苑によれば1266年頃生まれて,1337年に死んだ人らしいので,ダンテ(1265-1321)とまさに同時代人ということになる. マザッチョは1401年に生まれて,1428年もしくは29年に死んだということなので,15世紀のごく初期の人ということになる.文学者ではペトラルカやボッカッチョが,より若い後者が死んだのが1375年なので,マザッチョはルネサンスの芸術家と言っても良いのだろうが,私たちが「ルネサンス」と言う時にすぐ思い浮かぶ,レオナルド(1452-1519)やミケランジェロ(1475-1564)よりはだいぶ上の世代ということになる.
他にもブルネレスキ,ギルランダイオ,フィリピーノ・リッピ,ギベルティ,ボッティチェルリ,ヴァザーリの作品があるし,この教会は,何せ中央駅(その名もサンタ・マリーア・ノヴェッラ!)のすぐ前だ.フィレンツェに来た人は,行列に驚いてまだ行ってないので僻んで言うわけではないが,時間がないのにウフィッツィ美術館やアッカデーミア美術館に並ぶくらいなら,まずサンタ・マリーア.ノヴェッラ教会を訪ねるべきだ.今日も空いていて実に良かった. 外は暖かい陽気になったのに,中は寒いのが玉に瑕だったが,建物も含めてその素晴らしさには圧倒される.もちろんサンタ・マリーア・ノヴェッラと言えば必ず言及されるステンドグラスも素晴らしい.現役の宗教施設で敬虔な信者も多く訪れる.そこにお邪魔させてもらっている私たちは写真をとりたい欲望はストイックにおさえて,信仰は得られなくてもせめて荘厳で崇高な雰囲気に素朴に感動する姿勢は堅持したい. |
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