フィレンツェだより
2007年5月17日


 




バルジェッロ宮殿
中庭



§文化週間 第5弾 −バルジェッロ美術館再訪−

「文化週間」便乗第5弾は,バルジェッロ美術館再訪である.


 『地球の歩き方 イタリア』によれば,1時50分閉館ということなので,いつもより早めに行動を開始した.行くついでに,アカデミア美術館の横を通って様子をうかがったが,通りが狭いせいもあるのかもしれないが,すごい行列になっているのが見えたので,“あわよくば”はあきらめた.



 バルジェッロ博物館に到着して入場すると,中庭に椅子が並べられ,会場がしつらえてあった.夜にダヌンツィオの詩劇の朗読の催しがあるらしい.

 下の写真は,レオポルド広場にあるCOOPのスーパーマーケットに行く途中,フランチェスコ・ジャンニ通りの並木に連続して立てられている「デジデリオ・ダ・セッティニャーノ展」の大きなバナーだ.バルジェッロ博物館はこの企画に大きく力を入れているようで,街のあちこちで宣伝広告を見かける.

 前回は,通常料金にこの特別展の料金が加算された入場料を払ったが,今回は「文化週間」のおかげで両方とも無料だった.

写真:
並木に連続して架かる
セッティニャーノ展の広告バナー


 広告の写真でもわかるように,セッティニャーノの作品の少年や幼児の笑顔には,なんともいえない魅力がある.子どもは聖母子のイエスであったり,「幼児もしくは少年の洗礼者ヨハネ」(サン・ジョヴァンニーノ)であることが多いが,無名の子どもであることも少なくないし,聖母の表情も良い.

 ドナテッロとの共作とも言われている大理石でできた少年の姿の「洗礼者ヨハネ」が素晴らしい.この作品はバルジェッロ博物館の所蔵だが,その他の作品ではルーヴルや,ベルリン,ボストン,ニューヨークの美術館からも作品が集められており,今度はじっくり見ることができたのは幸せだった.


洗礼者ヨハネ
 大学でギリシア語を初めて学んだ時,教科書はペインという人が書いたBiginning Greek (New York, Oxford University Press, 1961)という本で,前半が『ヨハネ伝』,後半がクセノポンの『アナバシス』の原文を文法を勉強しながら読むというものだった.

 文字を覚えるとすぐに,「エン・アルケー,エーン・ホ・ロゴス」(始めに言葉があった)と『ヨハネ伝』の講読が始まった.

 ギリシア語の文法はもちろんよくわからないし,そもそも『聖書』に関する知識も今よりもさらに無かったが,『ヨハネ伝』が「ヨハネの伝記」ではなく,ヨハネという人が書いたかもしれない「キリストの生涯と教え」であることは,おぼろげながら知っていた.

 しかし,登場人物にもヨハネがおり,この人物が「バプテスマのヨハネ」すなわち「洗礼者ヨハネ」(John the Baptist サン・ジョヴァンニ・バッティスタ)で,作者とされる「福音史家ヨハネ」(John the Evangelisit サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ)とは別の人物ということもよく分かっていなかった.



 ドゥオーモで買った日本語版ガイドブック,ガブリエッラ・ディ・カーニョ『大聖堂 洗礼堂と鐘楼」』(フィレンツェ,2001)に拠れば,洗礼者ヨハネはフィレンツェの町の守護聖人であり,町の強力な商人ギルド「カリマラ組合」の保護聖人(オルサンミケーレの壁龕彫刻参照)であるとのことだ.

 当然ながら,ドゥオーモの前にある「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」のジョヴァンニは福音史家ではなく洗礼者の方のヨハネの名を冠している.洗礼者ヨハネといえば,オスカー・ワイルドの戯曲やリヒャルト・シュトラウスのオペラで有名な「サロメ」の物語で,斬首されて死ぬこともよく知られている.

 「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」の天井のモザイク画は大きなキリストの姿が印象的だが,よく見ると様々な物語が描かれている.

 下の写真の下段は「洗礼者ヨハネの生涯」で,左から「キリストの洗礼」,「ヘロデの面前の聖ヨハネ」,「監獄の聖ヨハネ」の3つの場面が描かれている.

写真:
モザイク
「洗礼者ヨハネの物語」


 さらに右にいくと八角の天井の面が変わり,「2人の弟子への伝言」,「弟子に奇跡を示すイエス」,「ヘロデの宴」,「斬首」,「聖ヨハネの首」,「埋葬」と場面が展開するが,残念ながら私たちのデジカメに写っていて,拡大に耐えるのは写真の3場面だけだった.

 ちなみに上段は「キリストの物語」で,写真に写っているのは「宮参り」,「ヨセフに避難を勧める天使」,「エジプトへの避難」の場面である.

 サン・ジョバンニ洗礼堂の南門の扉のアンドレーア・ピザーノ作のレリーフが,やはり洗礼者ヨハネの生涯を描いたものであることは以前にも紹介した(4月24日).

 下の写真で,右の列の下から2段目(全体としては向かって右扉の右の列の下から4番目のパネル)が「ヘロデアに差し出される聖ヨハネの首」,その下が「埋葬」の場面である.

写真:
サン・ジョバンニ洗礼堂
南門の扉
アンドレーア・ピザーノ作


 このように聖書に出ている故事から,周辺の伝説にいたるまで,「洗礼者ヨハネ」のキリスト教芸術における登場率はたいへん高い.町の守護聖人であり,商人が中心の町の有力組合の保護聖人であれば,フィレンツェの芸術に「洗礼者ヨハネ」がたくさん出てくるのも道理であろう.


ジョヴァンニーノ
 中世の絵画でも,大人の姿のヨハネは毛皮の衣を着て,十字架の杖を持って,キリストを指差している.これがいわば「洗礼者ヨハネ」であることを示す印であるわけだが,聖母子の隣に幼児もしくは少年の姿のヨハネ(ジョヴァンニーノ)が描かれる場合も,多くは「ラクダの皮衣」か,「十字架の杖」か,「指差し」のすべて,もしくはどれかが付されている.

 そう思いながら,ドゥオーモのファサードを見たとき,中央扉の上の絵のあるリュネットの脇の柱に「毛皮を着た少年」の彫刻があるように思えた.

写真:
ファサードの彫刻


 この謂れを知りたいと思い,先の日本語版ガイドブック『大聖堂』を見ると,そもそもドゥオーモのファサードは中世からのものではなく,大変新しいものであることは書いてあったが,上の写真と同じ部分の写真が載っているのに,私たちが注目した2つの像がその写真にはなかった.

 ジョヴァンニーノかと思った像が,そもそもガイドブックの写真に載っていないので,驚いてしまった.事情はわからない.多分,詳しい人に聞けばわかることなのだろうし,時間がたてばそれについて触れてある資料(簡単なガイドブックも含む)に出会うかも知れない.

 すっかりジョヴァンニーノに魅せられてしまった私にとって,ラファエロの「聖母子,洗礼者ヨハネ,聖人たち」と「椅子の聖母」のジョヴァンニーノ,パラティーナにあるボッティチェルリの「聖母子」のジョヴァンニーノと並んで,セッティニャーノのジョヴァンニーノは大傑作の名にふさわしい作品に思える.

バルジェッロにはもう一つジョヴァンニーノがあった.ミケランジェロの未完の聖母子像「トンド・ピッティ」の向かって左側にかすかに見える幼児の洗礼者ヨハネである.


 バルジェッロには見るべき作品が本当に多い.ミケランジェロやチェッリーニ,ジャンボローニャの作品が置かれている1階もさることながら,2階の大広間にあるドナテッロの彫刻群は何度見ても飽きない.

 彩色された「ニッコロ・ダ・ウッザーノの胸像」と大理石の台座の上に座る砂岩の「マルゾッコ」,その先の「聖ゲオルギウス像」が一直線になるように配置されている.そして,ゲオルギウスの左下方には帽子をかぶった少年のダヴィデ像(ブロンズ)がある.

 写真厳禁なので,この素晴らしい眺めが紹介できないのはまことに残念だが,やむを得ない.他に大理石のダヴィデ像もある.

 「聖ゲオルギウス像」の台座については,像本体がバルジェッロに移された後も,オリジナルがオルサンミケーレ教会にあったが,最終的に1984年にバルジェッロに移管されることになった(本体は1892年)とのことである.したがって,オルサンミケーレにあるのは台座もコピーということのようだ.

 この部屋では,サン・ジョヴァンニ洗礼堂の第2の門の製作者をカリマラ組合が公募した際にギベルティが提出した「アブラハムによるイサクの犠牲」のパネルと,同じテーマでブルネレスキが作ったパネルを見比べることができた.両方ともすばらしいもので見入ってしまった.



 今回は2回目なので,少し余裕を持って色々なものを見ることができた.

 ロッビア一族(ルーカの作品アンドレーアの作品)の系図を参考にしながら,大量の彩色陶板(彩釉テラコッタ)を鑑賞することができたし,「ダヴィデ像」をはじめとするヴェロッキオの作品群をじっくりみて,あらためてその偉大な才能に感銘を覚えた.このダヴィデ像もドナテッロのブロンズ像と同じく少年の姿である.

 ボーボリ庭園の巨大な「島の泉水」の中央に「大洋の噴水」があり,そこに聳え立つ「大洋」(オケアノス)像はジャンボローニャの作だが,現在はコピーが置いてある.オリジナルはバルジェッロの1階の回廊に置かれているが,これも確認した.

 中庭から階段をあがった2階(イタリア式では1階)のロッジアにもジャンボローニャその他の様々な彫刻が置かれているが,前回不注意で見逃したフランカヴィッラの黄金の羊の毛皮を持った「イアソン」(ジャゾーネ)も見ることができた.大理石なので,羊の毛皮も白かったが.

 この際だからとヴェッキオ宮殿に寄ったが,ここは無料ではなかったので,再訪は次の機会にすることにした.ドゥオーモに寄り,地下の聖レパラータ教会の遺構を見ようかと思ったが,ここも無料ではなかったので,ドゥオーモの内陣をまたじっくり見るだけにして,体力温存のため帰宅した.





再訪したドゥオーモ
厳かな雰囲気の中で