§2014ローマの旅 - その13 ローマ国立博物館
ツァーの日程でも,自由行動の日の計画でも,アルテンプス宮殿の考古学博物館を見学する予定はなかった. |
ところが,自由行動の日に予定していたバルベリーニ宮殿古典絵画館が,開館という事前の情報にも関わらず休館で,急遽,バルベリーニ広場から,バスと徒歩で,アルテンプス宮殿に向かうことになった.
この博物館では,通称「ルドヴィージの玉座」(トップの写真),「ルドヴィージの戦闘石棺」,「自害するガリア人」を始めとする古代彫刻の傑作が相当数見られる.
入場券は他の国立考古学博物館(クリプタ・バルビ,マッシモ宮殿,ディオクレティアヌス浴場跡)と共通のコンバインド・チケットで,1館だけ見るとしたら割高感があるかも知れないが,どこも十分以上に満足がいく内容を持っているから,4つ全部見ることができず,2つだけだったとしても得難い経験となるだろう.
実際,私たちもコンバインド・チケットのメリットを活かせたのはクリプタ・バルビとマッシモ宮殿を見た時の1度きりだ.2013年のツァーで,マッシモ宮殿とディオクレティアヌス浴場跡の博物館は再訪(マッシモ宮殿は3回目)したが,アルテンプス宮殿は一度来たきりになっていたので,変更した行き先がここになったのは,それを補う意味があった.
アルテンプス宮殿のある場所は,古代に軍事教練が行なわれた「マルスの野」(羅:カンプス・マルティウス/伊:カンポ・マルツィオ)にあり,ナヴォーナ広場や,カラヴァッジョの絵があるサンタゴスティーノ教会,サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会も近い.
途中,未拝観の2つの教会に寄って,ローマのバロック芸術について,ささやかだが,新しい知見を得ることもできた.
アルテンプス宮殿は,前回もそうだったが,ガラガラというほどではなくても,見学者が少なく,ゆっくり見ることができた上に,興味深い特別展も開催されていた.
神話の神々
今回の旅行報告を書いている過程で,バロックの天才ベルニーニについて考察を試みたが,下の写真の彫刻は,1622年にカンポ・マルツィオの,おそらくマルス神殿跡から発見され,教皇グレゴリウス15世の甥ルドヴィーコ・ルドヴィージ枢機卿のコレクションに入り,ベルニーニが修復したとされるアレス像だ.
右脚に絡みついているように見えるエロス(クピド)の頭部はベルニーニの後補によるとされる.右の足首から先も後補に見えるが,これもベルニーニの仕事であろうか.
この像は,紀元前4世紀のギリシアのオリジナル作品の,紀元後2世紀のコピーとされるが,髯の無い若者の姿で現されたアレスの美しさに,オリジナル尊重の元祖ヴィンケルマンを含む多くの人が魅せられ,再発見以来称賛の的となって来たとされる.
 |
|
写真:
ベルニーニ監修のもと
修復された
「ルドヴィージのアレス」 |
アレスは,ローマでは軍神マルスに同定され,マルスは建国の祖ロムルスの父とされており,戦争によって国力を拡張していくローマで特に尊崇された神と言えるだろう.
一方,ギリシアでは比較的不人気な神だ.戦争という大きな災厄をもたらすと言う意味では一種の疫病神のように思われたことが稀にあっても仕方がない(ソポクレス『オイディプス王』190行参照)が,この像は私も美しいと思う.初めて観た2008年3月以来,その感想は変わらない.
ギリシア彫刻のローマ時代のコピーでは,他に「エレクトラとオレステス」も見事だと思う.

上の写真の浮彫と彫刻を紹介するのは,特に感銘を受けたからではない.
最近読んだ本に,冥界の神ハデスがあまり図像化されないというようなことが書いてあったような記憶がある(書名は今思い出せない)のに,撮って来た写真を眺めていたら,台座にPLVTONEと書いたパネルのある像(向かって右の写真)が目に入った.プルトーネはイタリア語の表記でラテン語ではプルト(プルートー)だが,もとはギリシア語のプルトン(プルートーン)から借りた神名である.
ハデス(ハーデースもしくはハーイデース)につきまとう死の不吉なイメージを避けるために,別名のプルトンと言う呼称が多用されたが.この名前は「富」を意味するプルトス(プルートス)に由来し,冥界は地下にあるとされることが多く,そこは豊饒の源であり,また人には必ず死が訪れるので,冥界は死者に富んでいるということもあって,そのように呼ばれると考えられている.
後者の説に関しては,例えば,ソポクレス『オイディプス王』のプロロゴスにおいても,疫病のせいで冥界が「富んでいる」という言い方に反映している.
長髪,有髯で,ヘッドバンドをしているこの胸像がなぜ,プルト(=ハデス)なのか,その根拠は判然としないが,グーグルの画像検索で,「Pluto」もしくは「Hades」で探しても,この胸像が出てくる.グーグル画像検索やウィキメディア・コモンズを参照しても,古代図像としては他に,おそらく後幾つかしか見いだせない.
クレタ島イラクリオンの考古学博物館のハデス像は,王冠を戴き,王杖を持ち,冥界の3頭の番犬ケルベロスを従えている.大英博物館所蔵の陶器画(前5世紀)は,杯を持って,ペルセポネを伴っている.
上の写真の向かって左は,やはりアルテンプス宮殿で見ることができた古代の浮彫だが,これも博物館が付したであろう,神々の名を記したパネルが下にあり,それによると,プルトンは左から2人目の角杯を持つ人物だ.豊饒の角のような杯を持つハデスは,やはり古代の陶器画に見られるようだ(ウィキメディア・コモンズ「陶器画のハデス」参照).
その右側の女性は,ラテン名のプロセルピナではなく,ギリシア語形のペルセポネとある.この図像だけでは,その根拠ははっきりしないが,更に右の男神が三叉の矛を持つネプトゥヌス(ポセイドン)で,その右の女性がアンピトリテであれば,プルト(ハデス)の隣にいるのはペルセポネ(プロセルピナ)と考えて間違いないだろう.
パネル下の表記は,左端のユピテルとネプトゥヌスだけがラテン語名(イタリア語ならジョーヴェとネットゥーノ)で,その他の人物はギリシア語式で,統一感がないが,博物館がつけた表記で古代のものではないので,この際それは問題ではない.
ハデス(プルト)の図像を今まで見たことがあるかどうか思い起こしてみると,ボルゲーゼのベルニーニ作品「プロセルピナの誘拐」には,間違いなく,力強い壮年の男性として彼が登場している.王冠を被っていることで冥界の王であることが示され,足もとにはケルベロスがいる.
また,カジーノ・ルドヴィージの天井画「ユピテル,ネプトゥヌス,プルト」も見ている.海馬であろうか,その首を抱えた,カラヴァッジョの自画像のように見える神はネプトゥヌスで,その隣りで,ネプトゥヌスのアトリビュートである三叉の矛(トライデント)のように見え,しかし,よく見ると刃が2つの「二叉の矛」(バイデント)とでも言うべき矛を持っている神は,足許にケルベロスがいるので,プルトであろう.
英語版ウィキペディア「プルト」には,このバイデント(bident)と言う項目があり,古代図像には見られないアトリビュートであるとしている.
それに拠れば,バイデントをプルトのアトリビュートとするのはルネサンス以降のことで,例えば,ラファエロ工房作のファルネジーナ荘の天井画に,三叉の矛を持つネプトゥヌスの隣に,バイデントを持つプルトが描かれている.ファルネジーナ荘には行ったことがないので,ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートの写真を参照すると,足許にケルベロス」がいるので,間違いなくプルトであろう.
ラファエロ工房の作品が最古かどうかはわからないが,カラヴァッジョ作品の80年前にはバイデントを持つハデス(プルト)が描かれていたことになる.「冥界のゼウス」(ユピテル・インフェルヌス)と言われながら,ゼウスの雷電や鷲,ポセイドンの三叉の矛のような分かりやすいアトリビュートも思いつかず(ケルベロスが出てくる例としてはヘラクレスが多いように思える),なかなか古代図像の見られないハデス(プルト)を2点見ることができた.
やはり,アルテンプス宮殿は,ただの博物館ではないという思いを新たにした.
「自害するガリア人」
ハデスは冥界の王であるから,当然そこから思い浮かぶものは「死」である.またアレス(マルス)は軍神であるから,「ルドヴィージの戦闘石棺」ともども,戦争とともにやはり死を想起させる.
しかし,アルテンプス宮殿の中で,最も「死」を思わせる作品は「自害するガリア人」(英語版/伊語版ウィキペディア)であろう.
カピトリーニ博物館の「瀕死のガリア人」(英語版/伊語版ウィキペディア)とともに,古代彫刻の傑作と言いたいところだが,両者ともヘレニズム時代のオリジナルの,ローマ時代の模刻と考えられている.
|
写真:
カピトリーニの「瀕死の
ガリア人」などと合わせた
想像復元像
後方に見えるのが
アルテンプス宮殿所蔵の
「自害するガリア人」の実物 |
 |
これらの彫刻は,もともとは紀元前3世紀のヘレニズム諸王国の1つペルガモンのアッタロス1世が,小アジアのガラティア地方にいたケルト人(=ガリア人)に対して収めた大勝利を記念する彫刻群の一部であった.
と言うことは,これらの「ガリア人」がユリウス・カエサルが『ガリア戦記』に描いた「ガリア人」よりも150年ほど前の「ガリア人」だったことがわかる.ギリシア人たちは彼らを「ケルトイ」(ケルト人)と呼んでいたはずだ.この呼称はヘロドトス『歴史』にも登場する.カエサルも「彼ら自身の言葉では」「ケルタエ」と呼ばれると言っている.

「自害するガリア人」に関連する特別展示 様々な瀕死の姿態の彫刻が並ぶ |
この特別展示のために,ルーヴル美術館(1点),ヴェネツィア国立考古学博物館(3点),ナポリ国立考古学博物館(4点),ヴァティカン博物館(1点),エクサンプロヴァンス・グラネ博物館(1点)などから,関連作品が集められ,アルテンプスの所蔵する「自害するガリア人」の傍には,研究成果を反映した想像復元図が置かれていた.
このような特別展示を見られるとは予想もしていなかったので,驚いた.博物館の案内書等は,以前に買ったものや,イタリア・アマゾン等から入手したものがあるので,基本的に買わない方針だったが,この特別展示の解説書(単に「図録」と言う以上に,研究成果報告の色彩が強い),
Filippo Coarelli, La Gloria dei Vinti: Pergamo | Atene | Roma, Milano:
Mondadori Electa, 2014
は,ブックショップで躊躇することなく入手した.
これについての勉強は今後の課題だ.ユリウス・カエサル所有の庭園を,彼の死後,現存する『対カティリーナ戦記』,『対ユグルタ戦記』の著者として知られる歴史家のサルスティウスが手に入れ,その親族から,第2代皇帝ティベリウスに渡り,その後,代々の皇帝が継承した「サルスティウスの庭園」と称される場所に,これらの彫刻はあったとされる.
ヴェネツィア国立考古学博物館から出品されていた作品には,今年の3月のヴェネツィア旅行で再会した.きっと縁があるのだろう.
図録名の「敗れた者たちの栄光」は当を得ている面もあり,勝利者の栄光を喧伝するために造られたのに,結局は,戦争の悲惨さと,死者たちの姿に込められた芸術美だけが遺された.解説でも読まない限り,誰もアッタロスの勲功には思いが至ることはない.全て模刻でありながら,壮絶な迫力で見る者に訴えかける力を持っている.
家名を冠したコレクション
アルテンプス宮殿の考古学コレクションはもともと,複数のコレクションからなっており,それらのコレクションは,それぞれアルテンプス,マッテイ,ルドヴィージ=ボンコンパーニ,ドラーゴなどの家名を冠している.
ドラーゴと言う家名は他で聞いたことがなかったが,やはり,他の家系のように,枢機卿のような有力者が出たのであろうか.
 |
|
写真:
「足を洗う儀礼」の
石棺パネル |
上記のパネルに,博物館が付しているプレートには「新婚の花嫁/ヴェールを纏うヒッポダメイア」とあるが,案内書
Francesco Scoppola / Sella Diana Vordemann, Museo Nazionale Romano: Palazzo
Altemps, Milano: Electa, 1997
には「足を洗う儀礼を描いた石棺の正面パネル」とあって,ドラーゴ・コレクションの一部との説明があるだけだ.上のハデス(プルト)夫妻,ポセイドン(ネプトゥヌス)夫妻が彫られたパネルもドラーゴ・コレクションのもので,2階回廊の壁に掛けられている.
今回は触れられなかったら「ルドヴィージのヘラ(ユノー)」(頭部像)に関して,ゲーテが『イタリア紀行』で絶賛しているという情報も,上記案内書にはあり,アルテンプス宮殿は,一見しても,再訪しても,素晴らしい感銘を与えてくれる博物館だと思う.
何度でも行きたい.できれば,次回は,アルテンプス宮殿自体の室内装飾にも注目したい.
|

豊かな空間にまばらに人
アルテンプス宮殿
|
|

|
|