フィレンツェだより番外篇
2014年12月5日



 




「聖愛と俗愛」(部分)
ティツィアーノ作



§2014ローマの旅 - その5 ボルゲーゼ美術館

2度目のボルゲーゼ美術館だが,今回は驚くべきことに,写真撮影可となっていた.


 ボルゲーゼ所蔵の名だたる傑作の多くは,画集等に美しい写真があり,ウェブ上でもかなり上質の写真が見られることも少なくない.それでも,自分で撮影できるのは,たとえガラスが反射したり,窓から差し込む光でよく写らなかったり,興奮しすぎてピントのずれた写真になったとしても,嬉しいものだ.

 デジタル化が進み,スマートフォンをはじめ,高性能な小型機器で手軽に撮影する時代になったことは大きいだろう.撮影可となったボルゲーゼでも,プロカメラマンの使用するような大型のカメラは持ち込み禁止だった.あくまで個人的な撮影に限定して許可するということのようだ.


ラファエロの「キリストの埋葬」について学習する
 ボルゲーゼを代表する作品として紹介されることの多いのは,彫刻ではベルニーニの作品群,絵画ではティツィアーノの「聖愛と俗愛」,そしてラファエロの「キリストの埋葬」ではないだろうか.

写真:
ラファエロ作
「キリストの埋葬」


 この作品は色彩も美しく,何と言ってもラファエロの,しかも有名な作品なので,観られたこと自体は嬉しいけれども,前回も今回も魂を揺さぶられるほどの感銘はなかった.

 しかし,たまたま,

 遠山公一(責任編集)『イメージの探検学II 祭壇画の解体学 サッセッタからティントレットへ』ありな書房,2011


を読んでいて,掲載論文である,

 松浦弘明「ラファエッロ《キリストの埋葬》 若きラファエッロが巨匠レオナルドから吸収したこと」(以下,松浦)


に出会い,なるほど,この作品は絵画史の上では重要な作品であろうということに思い至った.

 若きラファエロ(「ラファエッロ」は正確な発音ではない.もしこだわるなら「ラッファエッロ」とすべきだろう.いずれにせよ,外国語の正確な音写は不可能なことなので,日本語として最もなじみのある表記にすべきだと思う.それでも,「ナーポリ」とか「ミラーノ」とか「ヴェネーツィア」と記すべきだという主張なら,それはそれで一つの見識なので,私がとやかく言う筋合いではない)が,師であるペルジーノの影響下にあったことは,よく知られている.

 ブレラ美術館所蔵の「聖母の婚約」と,,カーン美術館のペルジーノの同主題作品,システィーナ礼拝堂の「天国の鍵の授与」(画面中央に神殿のある構図),ヴァティカン絵画館の「聖母戴冠」(うっとりと天を見上げる群像)と,リヨン市立博物館所蔵のペルジーノ「キリスト昇天」を写真で比較してみれば,素人目にもそれは明らかだろう.

 ラファエロがペルジーノの影響を脱し,大きく飛躍して行く過程において,レオナルドの影響が重要な要素となったこともしばしば指摘される.



 2007年に1年間フィレンツェに滞在するチャンスがあり,それを契機として,もともと出不精な私が年に1,2回だが,ツァーなどを利用してイタリアを中心とするヨーロッパに行き,ささやかな美術作品鑑賞を続けてきた.ラファエロの作品も,ペルジーノ作品も,これまでかなりの数を見た.

 フィレンツェ,ペルージャ,ウルビーノ,ローマ,ボローニャ,ミラノ,パリ,サンクトペテルブルクには行ったが,それでも,イタリア絵画の名品が多数あるアメリカには行ったことがないし,イギリス,ドイツに行ったのは,美術にあまり関心がなかった学生時代で,フランスでもリヨン,カーンは行っていない.

 もちろん現地に行かずとも,どこかで特別展に巡り合う好運に恵まれれば,たとえば

 Hugo Chapman, Tom Henry and Carol Plazzotta, Raphael: From Umbria to Rome, London: National Gallery Company, 2004


という図録に掲載されている作品を鑑賞することもできたはずだが,2004年にロンドンに行っていないので,当然,この特別展は見ていない.

 図録を見ると,さすが,ナショナル・ギャラリーの特別展だけあって,関連するペルジーノ,ピントリッキオ,ジョヴァンニ・サンティの作品数点とともに,ラファエロの初期作品が多数集められたようだ.「キリストの埋葬」も重要作品として解説されている.

 松浦にも言及されているが,この作品はもともとペルージャのサン・フランチェスコ・アル・プラート教会の祭壇画の中心部分で,図録には全体の復元図が示されており,上部には「祝福する父なる神」(ウンブリア国立絵画館所蔵,松浦に拠ればコピー),裾絵は「希望」,「慈愛」,「信仰」の寓意画(ヴァティカン絵画館所蔵とされるが,未見)で,「祝福する父なる神」と「キリストの埋葬」の間に.「プットとグリフォン」のグリザーユに拠る装飾画(ウンブリア国立絵画館)があったとされている.

 ところが,図録をよく見ると,このときの「キリストの埋葬」は,ウンブリア国立絵画館所蔵のカヴァリエール・ダルピーノ(ジュゼッペ・チェーザリの通称)に拠るコピーである.写真とは言え,私には本物と言われてもそれを見破ることはできないほど,よく似ている.このコピーは日本にも来ている.

 渡辺晋輔(責任編集)『ラファエロ』読売新聞東京本社,2013

は,2013年に国立西洋美術館で開催された特別展の図録だが,ここでもカヴァリエール・ダルピーノに拠るコピーを見ることができる.この特別展では,「大公の聖母」,「無口な女」などとともに展示されたようだ.この特別展には行かなかったが,図録は高田馬場のブックオフで購入した.

 「キリストの埋葬」のコピーは,オリジナルがボルゲーゼ家出身の教皇パウルス5世(カミッロ・ボルゲーゼ)の命令でローマに移された時,元の聖堂に飾るようにカヴァリエール・ダルピーノによって描かれたものとされる.

 上の図録の解説に拠れば,当初ペルージャにはジョヴァンニ・ランフランコに拠るコピーがあったそうだが,ある時からカヴァリエール・ダルピーノのコピーに代えられ,ランフランコのものは現在は行方がわからないそうである.

 ラファエロが「キリストの埋葬」を描いたのが1506年か1507年のこととされているので,移されたのが1610年代のこととして,100年もペルージャにあった絵を,美術好きの教皇がローマに運ばせたことになる.パウルス5世の在位が1605年から1621年で,カヴァリエール・ダルピーノは工房にいたことのあるカラヴァッジョの没年(1610年)を越えて1640年まで生きた.

 この教皇の甥で,他家に生まれながら母方の姓を名乗ったシピオーネ・ボルゲーゼは,叔父の教皇就位とともに枢機卿に任ぜられ,ここからボルゲーゼ美術館のコレクションは始まった.

シピオーネはベルニーニの保護者であり,カラヴァッジョの支援者の1人としても知られる.ボルゲーゼ美術館に,ベルニーニとカラヴァッジョの作品が複数展示されている理由はここにある.


 ちなみに,支倉常長を長とする伊達政宗の遣欧使節は1615年のことであり,彼ら(慶長遣欧使節)を迎えたのはパウルス5世である.支倉常長の船を造るのに私の故郷の陸前高田の木材が使われたかも知れない(前々回のページ参照).



 この作品についてヴァザーリは,アタランタ・バリオーニの依頼で描かれたとした上で,

 この神々しい絵は墓へ運ばれて行くキリストを描いたもので,まことに清新かつ入念な作であるから,つい先刻描きあげられたばかりかと錯覚される.この絵を描く際にラファエルロ(「ル」は小さい)は,親しい身内の者が埋葬しに行く肉親たちの悲しみを想像した.死んだ人はその一家の名誉も利益も幸福もすべて背負って立つ人だったのである.聖母は気も失せなんばかりであり,居合わせた人々の泣き顔はみな気品があって,とくに聖ヨハネは両の拳を握りしめ,頭を垂れている.そのさまは酷薄無情な人々の心をも感動させる迫力を持っている.この作品に示された愛情や技術や努力や優雅さに注目する人は,みな感嘆するのも当然で,そこに描かれた人物の表情といい,服装の美しさといい,またあらゆる部分に示された非常な人品の良さといい,みな見る人の心を打たずにはおかないからである(邦訳『ルネサンス画人伝』白水社,所収の平川祐弘訳,pp.172-3)

と,絶賛している.

 ラファエロは,1483年の生まれであるから,この絵を完成した時,23歳か24歳である.天才がその成果を現すのに不足はない年齢だが,37歳という若さで亡くなったと言っても,やはり若き天才の傑作というのにふさわしい作品ということになるだろう.

 一方,天才の力作であることを知識として知っているだけに,実物を前にすると,何かしら物足りなさを感じてしまう.

 ヴァザーリは,背景についてこれ以上は触れていないが,訳注はブルクハルトを引用して,バリオーニ家に起こった出来事を紹介しており,松浦もペルージャの年代記作者フランチェスコ・マトゥランツィオを典拠として,アタランタ・バリオーニの息子が,権力をめぐる一族の内紛に巻き込まれ亡くなった事件と,アタランタがそれに気丈に対応したことを紹介している.

 物語的脚色はあるかも知れないが,背景を知った上で観ると,この作品はバリオーニ家の悲劇を描き,悲しみに暮れる母アタランタは,画面向かって右側で失神している聖母よりも,遺体に駆け寄っているマグダラのマリアに投影されていると思えてしまう.

 若桑みどりは,この作品に関して,「彼はまだ未熟だったのであり,おびただしい習作素描によって我々に知られるような過度の研鑽が,仕上がりをアカデミーの卒業制作のように凝固させてしまった」と断じた上で,

 この絵の主要人物は,バリオーニ家の主だった人々の肖像画であって,彼は歴史画のなかに肖像を描き込むという,クァットロチェントの旧い伝習を持ち込むと同時に,肖像画を理想的にあらわすというのちにヴァティカノ宮殿のスタンツェで大規模にやった修練をここではじめて試みているからである(新潮美術文庫3『ラファエルロ(「ル」は小さい)』,ページ数無し,一部省略)と述べている.

 学生さんに教えられて,図書館で借りて来た本だが,

 ジョン・ポープ=ヘネシー,中江彬/兼重護/山田義顕(訳)『ルネサンスの肖像画』中央公論美術出版,2002(以下,ポープ=ヘネシー)


を参照すると,確かに歴史画(宗教画)の中に,肖像が描き込まれる伝統はあったようだ.

 「キリスト埋葬」は松浦と若桑を参照してまとめると,レオナルドの影響によって,ペルジーノ的画風を脱したラファエロが,ミケランジェロの影響(ウフィッツィ美術館のトンド・ドーニを意識しているのは,体を捩って聖母を支えようとしている女性その他からも明らかであろう)をも取り込もうとして,大きな意味での成功を逸した作品と言うことができるだろうか.

 松浦の論点は,作品の成功・不成功にはなく,ミケランジェロへの言及もない.むしろ,ラファエロの描いた「最後の晩餐」の習作(ウィーン,アルベルティ―ナ美術館)を示しながら,レオナルドの完成作を観た可能性,つまり,ラファエロがミラノへ行き,レオナルドの「岩窟の聖母」や「最後の晩餐」を観た可能性を示唆し,当面は記録の欠如から不可能だが,将来的な証明課題の提示を行っている(pp.172-174).

 ラファエロがどの時点で,レオナルド,ミケランジェロの影響を自家薬籠中のものとし,自作に活かしていったか,私には分からないが,「キリストの埋葬」はそのプロセスを示すものとして,観る人に様々な手がかりを与える作品であると言うことは許されるのではないだろうか.上述の特別展の図録にも,ミケランジェロ研究の痕跡は指摘されている.

 若き天才の傑作として有名な「キリストの埋葬」は,私に感銘を与えるかどうかという個人的な感想を越えて,美術史上に燦然と輝くラファエロと言う芸術家を考える上で,重要な作品と言えるようだ.


ラファエロの肖像画
 私は,ラファエロが描いた肖像画が好きだ.今までにラファエロ作とされる肖像画をどのくらい観ただろうか.

 ボルゲーゼの他には,ウフィッツイで数点(「男の肖像」,「リンゴを持つ若者」,「自画像」,「アーニョロ・ドーニ」,「マッダレーナ・ドーニ」,「エリザベッタ・ゴンザーガ」,「グイドバルド・ダ・モンテフェルトロ」,「教皇ユリウス2世」,「ビッビエーナ枢機卿」,「教皇レオ10世と2人の枢機卿」),パラティーナで数点(通称「身重の女性」,「トンマーゾ・インギラーミ」,通称「ヴェールの女性」),国立マルケ絵画館で1点(通称「無口な女性」),ルーヴルで3点(「バルダッサーレ・カスティリオーネ」,自画像を含む二重肖像画,「ナポリ副王妃イサベル」),古典絵画館で1点(通称「ラ・フォルナリーナ」),ドーリア・パンフィーリで1点(二重肖像画)と数えて見ると,意外に観ている.

 あくまでもウェブ・ギャラリー・オヴ・アートに記されている年代だが,この中ではウフィッツィ所蔵の,ペルジーノの肖像の可能性も指摘されたこともある「男の肖像」が1504年頃と最も古い.見たことはないが,ウィーン美術史美術館の「男の肖像」がそれより古いかも知れない.

 いずれにしろ,現存するラファエロ作と一般に認められている肖像画では,1502年くらいの作品が最も古く,ボルゲーゼの「男の肖像」(2つ下の写真)も,最初期の肖像画と考えられているようだ.

写真:
ラファエロ作
「ユニコーンを抱く貴婦人」
(部分)


 ラファエロの「ユニコーンを抱く貴婦人」は,レオナルド風の三角形の構図でも有名だ.私たちも2007年にボルゲーゼで1回,ウルビーノのマルケ国立美術館への貸し出しで1回,上野の東京都美術館のボルゲーゼ美術館展で1回,計3回見ているので,今度で4回目の鑑賞だ.

 制限時間の中で全ての展示作品を見ようと欲張れば,これが最大の目玉の特別展ならともかく,ボルゲーゼの傑作の森の中で,この絵の前で長く立ち止まっていることはできない.世紀の大傑作の1つに数えられるかもしれないこの絵も,観たのか,観なかったのかも実はよく覚えていない.

 この絵はユニコーンがいるので,超現実的な要素が加わっているわけだが,女性が聖母に見えない以上,現実の女性を描いた一種の肖像画と考えて良いのだろう.

 フェデリコ・ゼーリ,大橋喜之(訳)『イメージの裏側 絵画の修復・鑑定・解釈』八坂書房,2000


は,この絵が後世の加筆によって,殉教女性聖人に変えられていたこと,ロベルト・ロンギがオリジナルは,ラファエロ作のユニコーンを抱く女性像であることを看破したことに加えて,

 修復作業は不適当な手段で実行されてしまいました.ほとんどオリジナルの絵と同時代の加筆を掻き削りつつ,ラファエロの描画をも除去してしまったのです.そして今日,この絵は屍のような,亡霊のような姿を晒しており,表面の仕上げ上塗りは身の毛もよだつような惨状を見せています(pp.247-9)

と述べている.この本の元となった講演が行われたのが,1985年とされている(同書の訳者あとがき,p.399).ので,それから特に新しい知見が加えられた訳でもないようなので,ゼーリが言っている絵は,現在の状態と同じようであったろう.

 2009年に国立西洋美術館で行なわれた「ボルゲーゼ美術館展」の図録と若桑には,1935年に修復されたとあるので,ゼーリが「身の毛もよだつ惨状」と言っているのは,私たちが見ているのとほぼ同じ状態ということになる.

 この絵を特に好きだと言うほどではないが,写真で見ると特に見栄えのする絵である.若桑はこの時代に数多見られたレオナルドの影響下にある女性像の中で,「これらの群のなかで,この女性像はもっとも節度があり,悪しきぼかし(スフマート)の乱用に陥っていない稀有の例である」と,世紀の傑作とは言っていないが,ほめている.

写真:
ラファエロ作
「男の肖像」(部分)


 この肖像画は,ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートの解説に拠ると,ラファエロ作と諸家の見解が一致するまで,ペルジーノもしくはホルバインの作品と考えられていたこともあるほど,ラファエロがペルジーノと北方絵画の影響を受けていたことを示している,とのことだ.

 北方絵画の影響やホルバインへの帰属に関しては,想像もつかなかったが,この絵を見た瞬間,ペルジーノの作品ではないかと思った. ペルジーノ作の肖像画で,背景に風景の描かれたものとして,「フランチェスコ・デッレ・オペレの肖像」がある.ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートの解説には,「フランドル的入念さ」が特徴的な絵であるとされている.

 ラファエロ作品に見られる北方的要素は,あるいは師匠のペルジーノを通してのものなのであろうか.もともと,ラファエロが生まれたウルビーノは,ヘントのユストゥスなどの影響もあり,ラファエロの父ジョヴァンニ・サンティを含め,北方絵画の影響が強かったとされる.

 ペルジーノに見られる北方的要素が,やはりウルビーノの宮廷に深く関わったかも知れないピエロ・デッラ・フランチェスカの影響と言うのならば,分かり易いが,ことはそう単純ではないだろう.

 ペルジーノと同世代の,ギルランダイオにも北方の影響は濃厚で,それがフィレンツェで観ることができたロヒール・ファン・デル・ウェイデンの「キリストの埋葬」などの直接の影響だとしても,影響を受ける下地があったということは,イタリア中部以北の芸術環境が,北方的要素を志向する時代になっていたのではないかと思われる.

 いずれにしても,何か参考書がないと,この地味な肖像画に何らかの感想を述べることはできない.

 ポープ=ヘネシーも若桑もこの作品は取り上げていない.ただ,他の肖像画が,全てと言って良いほど,四分の三正面で描かれているのに,この絵は,完全ではないが,ほぼ正面を見ている.肖像画と言えば,横顔か四分の三正面である中,稀有の作品と言って良いかどうかはわからないが,野心に満ちた若者の顔に,やはり若かった画家の気力の充溢を感じ取りたい.


ボルゲーゼで見られる肖像画
 アントネッロ・ダ・メッシーナ作とされる肖像画は,ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートで見ると,少なくとも10点は現存しているようで,その中で私が観たのは,ボルゲーゼのこの作品と,ルーヴル美術館所蔵の「傭兵隊長」(イル・コンドッティエーレ)の通称を持つ「男の肖像」のみだ.

 どの肖像画も1479年に40代で亡くなったと推定される画家の,晩年にあたる1475年前後の作品と考えられているようだ.

 この絵は地味だが,心魅かれる.もちろん,イタリアに北方から油彩画の伝統を移植するのに貢献したという伝説を持つアントネッロの名前を冠しているからということもあるだろう.

写真:
アントネッロ・ダ・メッシーナ作
「男の肖像」


 ポープ=ヘネシーは「アントネッロは実際,単独肖像画を真正の芸術様式にした最初のイタリア人画家であった」(p.51)と語っている.さらに,ルーヴルの「男の肖像」を例に挙げ,「人間の頭部についての彼の構築的な把握は,クリストゥスディルク・バウツの把握に比べるともっと大胆であり,細部への関心には批判力があり,顔の筋肉の動きへの関心はいっそう強烈になっていた」と述べ,「十五世紀のイタリアの画家たちのうちでただひとり,彼だけが,個性の鍵が唇と目にあることをはっきりと認識していた.ティツィアーノ作の肖像でさえ,アントネッロ作の肖像でつくられた生命感を凌駕しなかった」とまで言っている.

 目と唇に個性が表れているのは,ボルゲーゼの作品も同じであろうが,この作品への言及はない.この作品に言及した資料で,今の所,私が参照できるのは,ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートと,

 Paolo Moreno / Chiara Stefani, Galleria Borghese, Milano: Touring Club Italiano, 2000

のみだ.

 後者に拠れば,1611年には,オリンピア・アルドブランディーニが所有していた.彼女はパオロ・バルベリーニと結婚,死別の後,カミッロ・パンフィーリと結婚し,彼女の財産であった,絵画コレクションは,現在のドーリア・パンフィーリ美術館に引き継がれているようだが,その一部がボルゲーゼ家に残ったので,アントネッロの肖像画がボルゲーゼにあるのだろうか.詳細は,調べればわかるのかも知れないが,今はその余裕がないので,一応,上のように理解しておく.



 ボルゲーゼで見られる肖像画は,ラファエロ作とされる2点(別に古典絵画館所蔵の通称「ラ・フォルナリーナ」のコピーと「教皇ユリウス2世」のコピーがある).アントネッロ・ダ・メッシーナが1点,ベッカフーミの「若者の頭部」,パドヴァニーノ「教皇パウルス5世」,ブレシャニーノ「若い女性の肖像」,パルミジャニーノ「若い男の肖像」,ニッコロ・デッラバーテ「女性の肖像」,ジローラモ・ダ・カルピ「男性の肖像」,インノチェンツォ・ダ・イーモラ「女性の肖像」,ボルトラッフィオ「女性の肖像」,ロレンツォ・ロット「貴紳の肖像」,ベルナルディーノ・リチーニオ「女性の肖像」,同「家族の肖像」,サヴォルド「若者の肖像」,アレッサンドロ・アッローリ「コジモ1世」,ヤコピーノ・デル・コンテ「ヴィットーリア・ファルネーゼ」(同じ画家の「クレオパトラ」のあるがこれは肖像画とは言えないだろう),ガスパーレ・ランディ「自画像」,同「アントーニオ・カノーヴァ」,ピエトロ・ダ・コルトーナ「マルチェッロ・サッケッティ」,アンドレーア・サッキ「クレメンテ・メルリーニ」,ラヴィニア・フォンターナ「若者の肖像」,アンニーバレ・カッラッチ「笑う若者の肖像」,パルマ・イル・ヴェッキオ「若者の肖像」などがあり,さらに彫刻家ベルニーニが描いた「自画像」(若者成人)も複数ある.

 ロレンツォ・ロットの作品が圧倒的に有名な作品だと思うが,ベルナルディーノ・リチーニオの作品は,もう1作の帰属作品「女性の肖像」も含め,立派な作品に思える.

 「ボルゲーゼ美術館展」で日本にも来た,リドルフォ・デル・ギルランダイオの「若者の肖像」はやや線が細い感じがするとは言え,やはり印象的だ.19世紀まではラファエロ作とされたこともあると言われ,今見ればラファエロとはだいぶ趣を異にしており,画力も落ちると多くの人が思うであろうが,フィレンツェで交流を持った若い画家同士が,同じ時代の雰囲気を濃厚に反映しているということなのだろう.

 ラファエロはローマで大芸術家となり,リドルフォは故郷でローカルな画家として衰退するフィレンツェの芸術を支えた.リドルフォの肖像画もウェブ・ギャラリー・オヴ・アートで複数見ることができ,注文主もコレクターもすぐれた画家と認識していただろうことは察しがつく.

 いずれにしても,おそらく最古はアントネッロ・ダ・メッシーナ(15世紀後半)から,最も新しいのはガスパーレ・ランディ(英語版伊語版ウィキペディア)(19世紀初頭)まで,時代,地域も様々な画家の肖像画を鑑賞することができる.今は,その気力も知識もないが,ボルゲーゼで観られる肖像画を鑑賞,考察することは興味深いことに思える.

 そもそも歴史画でも宗教画でも登場人物には画家と同時代のモデルが多くの場合いるだろうから,それぞれの表情や迫真性,あるいは写実を超えた寓意性を味わうことができるだろう.

 鑑賞には時間的余裕がほしい,2時間は短い.


レオナルデスキの部屋
 レオナルデスキの作品も複数あり,小部屋にまとめて展示されていた.なかでも,ジャンピエトリーノの「授乳の聖母子」は傑作に思えたが,ガラスに向かい側の絵が反射してうまく写らなかった(ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートにも写真がないし,グーグルの画像検索でも白黒写真しかヒットしない).

 マルコ・ドッジョーノの「祝福するキリスト」,アンドレーア・ソラーリオの「十字架を担うキリスト」は平凡な作品だが,ともかく見られて良かった.

写真:
フランチェスコ・メルツィ作
「フローラ」


 フランチェスコ・メルツィの「フローラ」はエルミタージュの同名作に続いて観ることできた2作目のメルツィ作品ということになる.厳密にはボルゲーゼは2度目なので,ボルゲーゼの「フローラ」を最初に観ているわけだが,メルツィと言う画家を全く意識していなかったので,今回でようやくエルミタージュに続いて2作目という感じがする.

 エルミタージュの作品の方が美しいようにも思えるが,ボルゲーゼの作品は乳房を露出しておらず,顔も上品で,花も丁寧に描き込まれている.衣の質感や襞の精緻な描写も成功しているように思えるのは両者に共通している.

 レオナルデスキの絵は,巨匠を意識するあまりかルイーニを除いて,顔の陰影がきつ過ぎるように思えるが,メルツィはその弊を免れているように思う.これで,ベルリンにあると言う「ポモーナとウェルトゥムヌス」を観ることができれば,メルツィの独創性が生きている現存作品に関しては,満足のいく鑑賞を果たしたことになる.

写真:
ソドマ作
「聖家族」


 レオナルデスキ同様,ロンバルディア出身だが,ソドマはシエナを拠点に,ローマで活躍し,ラファエロとも共に仕事をし,「アテネの学堂」のラファエロの自画像の手前にその姿を描き込んでもらっている.

 それでも,ボルゲーゼの「聖家族」はやはり,レオナルドの影響が見られると思う.レオナルド自身にも影響したと考えられる,ロンバルディアの画家に共通して見られる光沢のある滑らかな衣の質感が,この作品では特に顕著なように思える.

 ソドマはレオナルデスキと一括りにはできないと思うが,この作品は,ロンバルディアの画家たちの絵が展示された部屋に置かれるのにふさわしい.美しい作品だ.憫笑を買うかも知れないが,今回ボルゲーゼに観ることができた作品では,私はこのソドマの「聖家族」が一番好きだと思った.

 ポープ=ヘネシーは,上掲書の第三章で,レオナルド作の肖像画とその影響を論じているが,章のタイトルが「精神の活動」(the motions of the mind)となっている.

 上述のボルゲーゼ美術館図録において,ソドマの「聖家族」を解説するのに,この「精神の活動」に該当するであろうmoti mentiliという用語が使われている.あるいはそれこそが,ソドマが間接的にであってもレオナルドから受けた影響ということであろうか.

 そう思いながら,図録の美しい写真を見ていると,聖母の顔にやや緊張感が欠けるように感じ,現場で受けた感銘は少し割り引いた方が良いかも知れないと思い直している.ソドマがレオナルドやラファエロほどには評価されないことにはやはり理由があるだろう.

 前回は,どちらかと言えばそちらの方が印象に残ったが,もう1点ソドマの作品として小さな「ピエタ」がある.この絵の暗い色調は,間違いなく私にソドマのイメージを植え付けたが,今回はそれほど印象に残らなかった.

 それでも,間違いなく高水準の作品だと思う.今回,バルベリーニ宮殿の古典絵画館を見られなかったので,そちらにある「アレクサンドリアの聖カタリナの神秘の結婚」が見られなく残念だった.


フェデリコ・バロッチ
 何度も授業で写真を紹介してきたこの絵を,自分で写真に収められる日が来ようとは思わなかった.少し気負いこみ過ぎたせいもあったかも知れないが,多分光の関係でうまく撮れず,残念だ.ボルゲーゼで最も写真に収めたい作品は,ベルニーニの彫刻,ローマ時代の床モザイクとともにこの作品であったのだが,まあ,撮らせてもらえただけでも良しとしよう.

 トロイアの王族アエネアス(アイネイアス)は,父のアンキセスを抱え,息子ユルス・アスカニウスの手を引いて,妻クレウサ(トロイア王プリアモスの娘で,英雄ヘクトルの妹)とともに,炎上する王都を逃れ,亡命の道を選ぶ.しかし,クレウサははぐれて,落命し,叙事詩『アエネイス』ではその亡霊が夫に先を急ぐように促す.

 この絵でもアンキセスは家の守り神の像を持っており,同じくボルゲーゼにあるベルニーニの彫刻「亡命のアエネアス」と同じだ.しかし,ベルニーニの彫刻でアスカニウスの手にある,後のローマのウェスタの火は,バロッチの作品には見られない.

写真:
フェデリコ・バロッチ作
「アエネアスの亡命」


 これとほぼ同じ図柄の本の挿絵を見て,少年シュリーマンがトロイアへの憧憬をかきたてられ,後年の発掘につながった話は有名だ.

 実際にトロイア戦争があったとすれば,紀元前1200年頃とされており,その時代に,私たちが前6世紀以降のギリシアの遺構でよく知っている神殿建築などが存在したとは思えないが,その富をたたえられたトロイアだから,豪華な建築物はあったかも知れない.

 時代考証は別として,アエネアスがギリシア戦士と同じような甲冑姿をしており,ギリシア神殿のような建築物が描かれていることは,バロッチの時代(1598年制作)にはローマ遺跡の発掘がある程度なされ,古典古代への知識それ以前よりも増大したことが示されている.

 ピンクや赤に特徴のあるバロッチが,紅蓮の炎に包まれるトロイアをよく表現した作品だと思う.ルーヴル美術館所蔵のピエトロ・ダ・コルトーナの「アエネアスの前に現れるヴィーナス」と並んで,アエネアス伝説を扱った作品としては双璧と思われる.

 上の写真ではわからないが,図録で見ると,アスカニウスの向かって左側欄干の基壇に「FED BAR VRB / FAC MDXCVIII」とラテン文字が描き込まれている.「ウルビーノの人フェデリコ・バロッチが1598年に制作」と言う意味であるのは明らかだ.

 父はミラノ出身であるが,バロッチはラファエロについでウルビーノが生んだ偉大な芸術家である.彼の絵は,フィレンツェでも,ミラノでも,ローマでも観ることができる.「受胎告知」などで聖母を描くとピンク色の頬に特徴があるように思えるが,この絵でもクレウサは頬紅をさしたように紅潮している.彼の絵によく見られる丸顔の女性で,同じモデルだったのだろうか.

 ボルゲーゼに彼の作品はもう1点,「聖ヒエロニュムス」があり,こちらも傑作に思われる.

 マニエリスムからバロックに移り変わっていく時期と思われ,バロッチの作品にもそうした時代背景が影響しているであろうが,それにしても,非常に個性的で,多くの場合,一目見てバロッチの絵と察しがつく.美術史的にはどういう位置づけになるだろうか.1526年生まれのバロッチは,アンニーバレ・カッラッチよりも34歳,グイド・レーニより49歳年長であり,次に写真を紹介するコレッジョより約36歳年下である.

 素人考えでは,コレッジョ,バロッチ,レーニには,何か直線的な影響関係があるように思えるが,気のせいかも知れない.いずれにしても,彼らの絵は,私には好もしいが,計算するとレーニとコレッジョには約85年の年齢差があり,この2人だけを比較することは,意味がないかも知れないが,バロッチという中間の存在を介在させると,あるいは何か結びつくものあるかも知れない.

 ボルゲーゼにあるレーニ作品は「律法の石版を持つモーセ」で,ラヴェンナで観た,同じく旧約聖書のモーセを題材とした「マナを集めるユダヤの民の中のモーゼ」と比べると,より暗く,よりカラヴァッジョの影響が見られる作品のようだ.ラヴェンナの作品の方が,私にとってのレーニのイメージに合致するが,ボルゲーゼで観られるレーニの作品に見られる暗雲を背景にした峻厳なモーセも,やはり巨匠ならではの作品に思える.

 レーニよりさらに16歳年下のグエルチーノの「放蕩息子」は,「ボルゲーゼ美術館展」でも観ることができ,感動した.多分,今回はどこかの特別展に出張中で,観られていないと思う.先行する同名作品がウィーン美術史美術館に所蔵されているようだが,私はボルゲーゼの作品(ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートにも写真が無い)の方が好きだ.やはり,グエルチーノは偉大な芸術家だ.それだけに,今回観られなかった(多分)のは,残念だ.


コレッジョ
 コレッジョ(コッレッジョ)の絵は,今までも数点(ウフィッツィ美術館,ルーヴル美術館,ブレラ美術館,プラド美術館,エルミタージュ美術館,シュノンソー城)で観ているが,綺麗な可愛らしい絵を描く画家とのイメージが先に立つ.

 一方,パルマ大聖堂で,バロックのポッツォらに先駆けて,浮遊感のあるクーポラ天井フレスコ画「聖母被昇天」を描いたことは有名で,実は,壮大な構想を実現できる斬新な画家とも思える.

 しかし,ボルゲーゼの「ダナエ」はやはり,やさしい感じの美しい神話画で,パルマのフレスコ画を観ていない私のコレッジョへのイメージを裏切らない.

写真:
コレッジョ作
「ダナエ」


 もともとは,マントヴァ公爵フェデリーコ・ゴンザーガ2世が注文した「ゼウス(ユピテル)の恋愛」を描いた一連の神話画の1枚らしい.「黄金の雨」の存在感が希薄で,タイトルを見なければダナエの絵だと認識するまでに時間がかかるが,ともかく美しい絵だ.

 ダナエを描いた絵は,エルミタージュで,レンブラントの絵を見ており,エルミタージュの作品を含む複数のティツィアーノの絵を観ている.ボルゲーゼのコレッジョ作品も観るのは2度目になるが,今回も満足の行く鑑賞はできなかった.

 ルチア・フォルナーリ・スキアンキ、森田義之(訳)『コレッジョ』東京書籍,1995

を参照すると,この作品はパルマ大聖堂のフレスコ画の直後に作成された,1531-32年頃の作品(ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートは1530年)で,やはりフェデリーコ・ゴンザーガ(森田訳はフェデリゴ)のために描かれたジュリオ・ロマーノの「恋人たち」(現在エルミタージュ美術館所蔵で,ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートの解説ではゼウスとアルクメネの交歓図の可能性)の影響が見られるとのことだ(p.68).

 さらにティツィアーノの影響を受けた可能性もほのめかしている.

 ゼウス(ユピテル)との仲を取り持つ少年のクピド(キューピッド)の他に,ベッドの下に幼児が2人いるが,これも箙が足もとにあり,一方は矢を持っていることから,小クピド(アモレット)であろうと考えられ,有翼と無翼に描き分けられていることから,「聖愛と俗愛」ではないかとスキアンキは言っている.

 とすれば,影響を受けた可能性のあるティツィアーノ作品とは「聖愛と俗愛」であろうか.


「聖愛と俗愛」
 ティツィアーノの「聖愛と俗愛」については,

 若桑みどり『絵画を読む イコノロジー入門』日本放送出版協会,1993
 高階秀爾『ルネサンスの光と闇 芸術と精神風土』(中公文庫)中央公論社,1987(単行本は三彩社,1971)


が,日本語でこの絵について何等か情報を得ようとする場合に真っ先に読むべき本だろう.若桑は,

 ルネサンスにおいては,裸体像の方が精神的な人物を表していた.その場合には,かえって衣服を身にまとうことが物質的なものによって体を覆い隠すことを意味していた.したがって,一五一五年ころに描かれたこの絵のなかでは,衣服を着て地上の財宝にしがみつき,はかない愛を握りしめた女性は世俗的な愛の擬人像であり,裸体で炎を手にした女性は聖なる愛の擬人像であることが理解できよう(p.49)

と断じている.以前,若桑と高階の著書を読んだ記憶では,どちらが聖愛で,どちらが俗愛か,両者で見解が違うように思えたが,それは私の記憶違いだったようだ.別の可能性を示唆しながらも,裸体の女性が聖愛,着衣の女性が俗愛と大筋で考えられとする点で両者に違いはないようだ.

 ただ,高階は,古代風の浮彫が施された石の泉水の前の花を「赤バラ」とし,泉の縁の上に置かれた花びらも赤バラ,着衣の女性が持つ花も赤バラとし,かつては全て白かったバラから「赤バラ」が生じた起源譚として,オウィディウス『変身物語』の挿話を紹介し,「バラの色染め」はヴィーナスの失恋と関係が深いと指摘するフリートレンダーと言う学者の説を紹介している.

 一方,若桑はこのばらは赤と白の中間の「ピンクのばら」であるとしている.『薔薇のイコノロジー』と言う大著を書いた若桑は,専門家としての自負を持ちながら,「聖愛と俗愛」の図像解釈におけるバラの重要性を強調するだけでなく,その色をピンクとして,さらにピンクであることの意味を,自己の解釈のキー・ポイントとしている.

 美術史家の常として,高階は高名な先行研究者たちの説を消化しながら自説を展開して行くが,その点では若桑はパノフスキーやウィントと言った碩学の所説を引用している.

 その中で,興味深いのウィントの説である.15世紀の人文主義者ロレンツォ・ヴァッラが『快楽について』と言う対話篇でキリスト教と快楽主義者の理解可能性を説き,マルシリオ・フィチーノも同名の対話篇でそれを敷衍し,ラテン語で著された『快楽について』がヴェネツィア(若桑はヴィネネーツィア)でイタリア語訳出版されたのが,ティツィアーノがこの作品を描く少し前であり,「聖愛と俗愛」は両者の対立を強調するものではなく,両書の影響で,これをイメージ化したものとしているとのことだ.

 さらに若桑は,ピンクのばらこそ,赤ばらと白ばらの中間的存在として,対立する2つの愛の「対話」を通じて調和を示し,それは画面構成と構図の点からも傍証できるとしている.

この「ピンクのばら」に「調和」を読み取るところに,若桑の主張があり,ルネサンス絵画のイコノロジーにおける「花」の意味を解説するこの章(上掲書の第二章)の意義があるのであろう.


 啓蒙書においても自説を説得的に展開する姿勢には,その説の当否はともかく,深い感銘を受ける.以前もどこかで触れたが,学生時代にブリヂストン美術館で若桑の講演を聴いた.内容はよく覚えていないが,ペトラルカの『凱旋行進』(トリヨンフィ)をイタリア語で引用して,人文主義の祖である詩人の作品を研究することの重要性を強調していたのが印象に残る.

 一方の高階の著書にはルネサンス全体にパースペクティヴを与える巨視的な視点があり,名著の名に恥じない.それほど優れた学者同士が,高名な先行研究を引用しながら,同じ作品を論じても,見方が場合によって大きく異なるところがおもしろい.

写真:
ティツィアーノ
「聖愛と俗愛」(部分)


 上の写真の浮彫に関して,若桑は,

 泉をかこんでいる石にはやはり寓意的なクピド(愛の神)の物語が彫られている.ヴィーナスの無分別な子供であるクピドは,いたずらにその矢を人の心臓に射て,やみくもな情熱に人を駆り立てるので,「貞節」の女神であるディアナやミネルウァによって厳しい罰を受ける.右手に横たわった人物にのしかかって鞭で打っている人物がいるが,それは官能の情熱を罰している場面で,左手の,荒馬を調教している場面もやはり同じ教育を意味している.そのことから,この泉の浮き彫りは,動物的な愛欲の衝動が罰せられることを示している(p.51)

と述べているが,それに対して高階は,フリートレンダーの説を紹介して,浮彫の向かって右側の場面は,嫉妬からアドーニスをマルスが打擲する場面としている.これはバラが赤くなった伝承と連動して,アドーニス神話に関連付けられているので,「ピンクのばら」に積極的な意味を見出す若桑とは,同じ所説ではないことになる.

 個人的には,高階が紹介するフリートレンダーに説に魅かれるが,確かに比較的鮮明な写真では,確かにバラはピンクに見えるので,その点からは若桑の説には説得力がある.

 ボルゲーゼ美術館で観られるティツィアーノ作品は,これだけではない.「聖ドメニコ」と「クピド(キューピッド)に目隠しするウェヌス(ヴィーナス)」があり,私は「聖ドメニコ」に1番魅かれる.13世紀の人物であるドメニコに,16世紀の芸術家ティツィアーノがあったはずはないので,この絵は肖像画ではないが,モデルとなった人物がいるすれば,その人物に対して肖像性があるはずだ.肖像画にも優れたティツィアーノの才能がいかんなく発揮された作品だと思う.

 ボルゲーゼで観ることができた作品に関してはまだまだ言い足りないが,ここまでとする.ただし,彫刻とカラヴァッジョの絵画作品に関しては,別に語らせてもらうことにする.






ボルゲーゼ美術館を代表する作品のひとつ
ティツィアーノ作 「聖愛と俗愛」