フィレンツェだより番外篇
2014年12月25日



 




路上の絵描きの手からパン屑をもらう
ウフィッツィ美術館前の風景



§2014 特別篇 ウフィッツィ美術館展

10月30日,東京都美術館で開催されていた「ウフィッツィ美術館展」に行った.是非,感想を書きたいと思ったのだが,なかなか前の回を書き終わらず,特別展は12月14日に終了し,当初このページを書こうと意図した紹介には意味のない時期になってしまった.


 今回の最大の目玉作品は,ボッティチェリ(ボッティチェッリ)の「ケンタウロスを捕えるパラス」(特別展での紹介題名は「パラスとケンタウロス」)で,イタリア滞在中にウフィッツィ美術館で何度か観たが,日本で観るのも実は2度目だ.

 30年以上前の大学生の時,この作品は西洋美術館に来た.今考えて見ると,他にもすばらしい作品がたくさん来たのに,覚えているのはこの作品だけだ.

 現在はこの作品を,その後あまた観ることができたボッティチェリ作品の中で傑作であると考えているわけではない.果敢に当時の流行思想である人文主義の摂取に挑んだものの,職人階級出身の画家はそれを消化しきれていない憾みを感じる.

 過渡期であることは十分理解できるが,古代的なものの再現は十全ではなく,そうであれば,むしろ,アナクロニズムになっても,画家自身が属する時代を反映しながら,この絵に込められたかも知れない寓意を描いても良かったのではないかと思う.

 とは言え,パラス(ミネルウァ/アテナ)の顔は美しく,ルネサンスという新しい時代の息吹を感じさせる.傑作かどうかはともかく,佳品であることは間違いない.

 写真(参考): ボッティチェリ作 剥離フレスコ画 「受胎告知」
サン・ピエール・スケラッジョ教会跡に展示
(写真展の会場として撮影可だった時に撮影)



現地の美術館で観た作品
 今回,東京都美術館に来た作品のうち,次の表のものは,確信の無いものも数点あるが,それぞれの美術館で観ている.会場で購入した図録

アントニオ・ナターリ/小佐野重利(監修)『ウフィツィ美術館展 黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンヅィーノまで』TBSテレビ,2014(それぞれの見識ではあるが,「ウフィツィ」は少し抵抗があるので,従来通りウフィッツィと表記する.少しでも元に近づけるならウッフィーツィであはあろうが,最も一般的と思われる「ウフィッツィ」を使う)

に従って挙げていくと,

ドメニコ・ミケリーノに帰属  「タッデーオ・ガッディ,ガッド・ガッディ,アーニョロ・ガッディの肖像」 ウフィッツィ美術館ヴァザーリの回廊 
ドメニコ・ギルランダイオ 「聖ヤコブ,聖ステパノ,聖ペテロ」 フィレンツェ,アカデミア美術館
バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニ 「砂漠で悔悟する聖ヒエロニュムス」 サン・サルヴィ博物館
フィリッポ・リッピ 「受胎告知のマリア/大修道院長アントニウス」/「大天使ガブリエル/洗礼者ヨハネ」 ウフィッツィ美術館
ボッティチェリ 聖母子と天使 捨て子養育院
聖母子と幼児の洗礼者ヨハネ パラティーナ美術館
同(帰属) 海の聖母 アカデミア美術館
ペルジーノ 「聖母子と2人の女性聖人」 パラティーナ美術館
フラ・バルトロメオ 「ポルキア」 ウフィッツィ美術館
「沈黙を促す聖ドメニコ」/「アレクサンドリアの聖カタリナ」/「エッケ・ホモ サン・マルコ美術館
マリオット・アルベルティネッリ 嬰児キリスト礼拝 パラティーナ美術館 
フランチャビージョ工房 「聖母子と幼児の洗礼者ヨハネ」 フリーニョ旧修道院美術館
アンドレア・デル・サルト 「ピエタのキリスト」 アカデミア美術館
自画像 ウフィッツィ美術館ヴァザーリの回廊
(図録では「アンドレア・デル・サルトの原画に基づく」)「バッチョ・バンディネッリ像 ウフィッツィ美術館ヴァザーリの回廊
ロッソ・フィオレンティーノ 「男の肖像」 ウフィッツィ美術館
ブロンズィーノ(図録はブロンヅィーノ) 「公共の幸福の寓意」 ウフィッツィ美術館
ヴァザーリ 「無原罪の御宿りの寓意」 ウフィッツィ美術館


 ギルランダイオ,フィリッポ・リッピ,フラ・バルトロメオ,デル・サルトの作品は立派だ.ボッティチェッリは,他に工房作品が数点,顔の改変が致命的に思える「開廊の聖母子」(図録では「ロッジャの聖母」)が来ていたが,上に列挙した作品は全て佳品に思えた.特にパラティーナの「聖母子と幼児の洗礼者ヨハネ」は私の好きな作品だ.

写真(参考):
フラ・バルトロメオ
「嬰児キリスト礼拝」
ボルゲーゼ美術館
2014年8月撮影


 ウフィッツィ美術館,パラティーナ美術館,アカデミア美術館等,何度か行った美術館の所蔵で,しかも名前もよく知っている画家の作品であっても,観た記憶のないものも数点あった.

 ロッソ・フィオレンティーノ「男性の肖像」(ウフィッツィ美術館)
 同「女性の肖像」(ウフィッツィ美術館)
 バッキアッカ「トビアスと大天使ラファエル」(アンドレア・デル・サルト《最後の晩餐》美術館)

は,佳品に思われ,観ていれば覚えていると思われるが,残念ながら全く思い出せない.これらはウェブ・ギャラリー・オヴ・アートにも写真がなく,残念だ.と思ったら,2007年のイタリア滞在中に撮って来た写真を探すと,バッキアッカの作品は観たことがあるようだ.シエナのフランチェスコ教会の博物館で作品を観たパッキアとどうしても混同してしまうが,全く違う画家だ.

写真:
左の絵がバッキアッカ
「トビアスと大天使ラファエル」
2007年6月13日撮影


 今回の特別展を地味なものに思った人が多かったのか,私たちが行った10月30日(早稲田祭2014と言う行事に関連して,社会人講座以外は休講だった)は平日だったこともあるが,上野公園には多くの人がいたのに,思ったほどの人出ではなかった.

 素人目にも傑作と言えるのはフィリッポ・リッピが1点,ボッティチェリが3点,ペルジーノが2点,ギルランダイオが1点,フラ・バルトロメオが1点,マリオット・アルベルティネッリが1点,アンドレア・デル・サルトが2点(と彼の原画に基づくとされる肖像画が1点と素描1点)くらいかと思われた.

 他にもロッソ・フィオレンティーノ,ロレンツォ・ディ・クレーディ,フランチャビージョ,バッキアッカ(図録はバキアッカ)などの実力者の名を冠した作品もあったが,傑作というには遠く,ぎりぎり佳作と言える感じの作品だったように思う.

写真:
バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニ
「砂漠で悔悟する
 聖ヒエロニュムス」
サン・サルヴィ博物館
2007年6月13日撮影


 その中で,ギルランダイオ工房のバルトロメオ・ディ・ジョヴァンニの,彼が得意としたとされる祭壇画の裾絵が2点(同じ祭壇画のもの)と板絵が1枚(上の写真),「ペルジーノと工房」作品とされる北方絵画風の「悲しみの聖母」,「フィリピーノリッピに帰属」とされる「老人の肖像」などは,意外性もあって佳品に思われた.

 ところが,バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニの板絵はサン・サルヴィで確かに観たが,その他の作品をそれらを所蔵しているとされるウフィッツィで観た記憶が記憶がない.

 それぞれの美術館で常設展示ではないと思われるこれらの作品が今回選ばれたのは,この特別展が,「美術の都」フィレンツェにおける工房システムとそこから輩出した芸術家たちをテーマとしているからであろう.

 そのことは,図録に掲載されている,

小佐野重利「フィレンツェの大工房の時代 15世紀後半における美術の都の隆盛」


と言う論文からも明らかだ.この論文は工房の系譜よりも,商業都市としてのフィレンツェがフランドル地方と経済的に深いつながりを持ち,そこから芸術的影響を受け,それが工房の発展にも関係していることに焦点がある.


工房の系譜
 上記の作品と作家をたどって整理すると,「フィリッポ・リッピ→ボッティチェリ→フィリピーノ・リッピ」と言う師弟関係,ボッティチェリやペルジーノ,ギルランダイオもいたことがあるとされるヴェロッキオ工房,「ドメニコ→ダヴィデ→リドルフォ(→ミケーレ・トジーニ)」と続くギルランダイオ工房,後にはラファエロが巣立っていくペルジーノ工房,マニエリスム以降の衰退して行くフィレンツェ美術を支える多くの画家の系譜の出発点となるアンドレア・デル・サルトの工房などが浮かび上がってくる.

写真(参考):
ダヴィデ・ギルランダイオ作
剥離フレスコ画
「キリスト磔刑と聖人たち」
サン・サルヴィ博物館
2007年6月13日撮影


 フラ・バルトロメオとマリオット・アルベルティネッリも,コジモ・ロッセッリの工房で修業したとされ,後に両者は協力関係を結んで工房を経営,アンドレア・デル・サルトも,コジモ・ロッセッリの弟子であるピエロ・ディ・コジモの指導下にいたこともあり,アンドレアの友人だったフランチャビージョは,マリオット・アルベルティネッリのもとで,画家としてのキャリアが始まったとされる.

 こうして見ると,フィレンツェ出身の芸術家の殆んどが,幾つかの系統の工房で育ったことがわかる.

 その天才性故に出身工房の名声を打ち消してしまうほどの存在である芸術家であっても,レオナルド・ダ・ヴィンチはヴェロッキオ工房,ミケランジェロはギルランダイオ工房,ラファエロは父であるジョヴァンニ・サンティの工房とペルジーノ工房(石鍋真澄『誰も知らないラファエッロ』(新潮社,2013)は,ヴァザーリが言う「弟子入り」ではなく「協力者」としての工房参加だったと推測している.p.46)にいた.

写真(参考):
ドメニコ・ディ・ミケリーノ作
「聖母子と聖人たち」
ヴォルテッラ大聖堂宗教芸術博物館
2008年3月20日撮影


 ドメニコ・ディ・ミケリーノ(フィレンツェ大聖堂に飾られる有名な「『神曲』を手に持つダンテ」を描いた画家)に帰属する,ガッディ家3代の肖像は,14世紀を代表するガッディ工房を想起させるし,「ネーリ・ディ・ビッチの工房」作品とされる「聖母と幼児の洗礼者ヨハネによる嬰児キリスト礼拝」は,14世紀後半のロレンツォ・ディ・ビッチからビッチ・ディ・ロレンツォ,ネーリ・ディ・ビッチと15世紀後半まで3代にわたって続いた工房を想起させる.

 ドメニコの師匠はフラ・アンジェリコとされ,ドメニコと近い関係にあったアレッソ・バルドヴィネッティはドメニコ・ヴェネツィアーノの弟子で,フラ・アンジェリコの影響も受けと考えられている.バルドヴィネッティの工房でギルランダイオが修業したのであろう.

 コジモ・ロッセッリは,ネーリ・ディ・ビッチの工房から育ったので,やはり,フラ・バルトロメオやアンドレア・デル・サルトの系譜もフィレンツェの大工房に遡ることができることになる.

 これらの大芸術家の系譜をたどると,大工房の経営者とは言え,自身は芸術家として3流以下のネーリ・ディ・ビッチの工房に行きつくところがおかしい.

 今回出展されたネーリ・ディ・ビッチ工房作品が,図録にあるように1480年から90年頃に描かれたものとすれば,親方の手は入っているかどうかわからないが,ネーリ・ディ・ビッチは,60代から70代(1419年の生まれで約72歳で亡くなったとされる)の最晩年だ.

 図録を参考にすると,出展作品の図像的先例としてフィリッポ・リッピの作品「嬰児キリスト礼拝」(ウフィッツィ美術館),メディチ・リッカルディ宮殿にあったメディチ家の個人礼拝堂(現在は別の画家によるコピーが置かれている)のための「森の聖母子」(ベルリン国立美術館)があるようだ.前者は,嬰児の脚の形が出展作品に良く似ている.リッピ工房出身のボッティチェリやセッライオにも類似作品が見られるとしている.

 流行に敏感で,顧客の注文に即応できたことが,ネーリが工房を維持できた大きな理由の一つだったかも知れない.

写真(参考):
ヤコポ・デル・セッライオ作
「嬰児キリスト礼拝」
ヴェッキオ宮殿
ロウザー・コレクション
2008年2月10日撮影


 ヤコポ・デル・セッライオの類似する作品を,ヴェッキオ宮殿のロウザー・コレクションで観ている(上の写真).

 彼の作品も数点来ていた.この画家は好きだが,今回観られた作品が特に優れているとは思えない.それでも,「エステル記」に取材した3点の作品(ウフィッツィ美術館)は,細密な描写に実力を発揮している.

 驚いたのは,「十字架から降ろされた墓の前のキリスト」(アカデミア美術館)という作品だ.フィリッポ・リッピの弟子で,年齢的には弟弟子にあたるであろうボッティチェリの協力者でもあったとされるヤコポが,コジモ・ロッセッリや,その師匠とされるネーリ・ディ・ビッチを思わせるよう顔の絵を描いている(コジモは2歳,ネーリは30歳年長).

 上記の図録では,主としてギルランダイオ工房の作品を通じて北方絵画の影響が広まったことが指摘されており,確かにこの特別展に出品されたギルランダイオ工房の「キリストの埋葬」同様,この作品も,ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの「キリストの埋葬」(ウフィッツィ美術館)を思わせる構図で,その点は納得せざるを得ない.彼はバルトロメオ・ディ・ジョヴァンニとも共作したらしいので,根拠も十分であろう.それに比べれば,コジモやネーリの絵のように見えると言った私の感想は,全くの素人考えに過ぎない.

 他にフランチェスコ・グラナッチドメニコ・プリーゴフランチェスコ・サルヴィアーティなど,たとえ周辺作家の作品であったり,下絵を元にしたタピスリーであっても,一応以前から知っている画家に関連する作品も展示されていたが,今回の特別展では,名前を初めて聞く画家の作品も少なくなかった.

 サン・ミニアートの画家
 マッラーディの画家
 16世紀フィレンツェの画家
 アンジョリーニの画家
 ジョヴァンニ・ディ・ロレンツォ・ラルチャーニ
 ヤコピーノ・デル・コンテ
 フランチェスコ・デル・ブリーナ
 ジョヴァンニ・デル・ブリーナ

である.

 フランチェスコ・グラナッチはドメニコ・デル・ギルランダイオの,ドメニコ・プリーゴはリドルフォ・デル・ギルランダイオの,サルヴィアーティ(本名デ・ロッシ)は最終的にはアンドレア・デル・サルトの工房にいたが,最初に師の中にジュリアーノ・ブジャルディーニの名があり,この人はやははりドメニコ・デル・ギルランダイオの工房の出身なので,いずれもギルランダイオ工房に関連している.

写真(参考):
ジュリアーノ・ブジャルディーニ
「授乳の聖母」
サン・サルヴィ博物館
2007年6月13日撮影


 プーリゴの作品は,今回,ボルゲーゼ美術館で「聖母子と2人の天使たち」を観た可能性があるが覚えていない.しかし,フィレンツェのサンタ・マリーア・マッダレーナ・デイ・パッツィ教会で,「聖母子と聖人たち」(「聖会話」型,1527)を観て写真を撮っている.

写真(参考):
ドメニコ・プリーゴ
「聖母子と聖人たち」
サンタ・マリーア・マッダレーナ・
デイ・パッツィ教会
2007年7月6日撮影


 今のところ,ラルチャーニに関しては伊語版ウィキペディア,フランチェスコ・デル・ブリーナに関しては仏語版ウィキペディア(兄弟としてジョヴァンニにも言及)くらいしか情報源がないので,図録の「作家解説」は貴重だ.

 伊語版ウィキペディアにも図録にも言及されているように,ラルチャーニは,美術史家のフェデリコ・ゼーリが「クレース・コレクションの風景画の画家」作とした絵の作者であり,このことは,フチェッキオ博物館(図録は「フチェッキオ公立美術館」)の「聖家族と四聖人」に関する新資料の発見によって判明した.

 フランチェスコ・デル・ブリーナは,図録に拠れば「ミケーレ・トジーニに師事」とある.ミケーレは師匠だったリドルフォ・デル・ギルランダイオに「ギルランダイオ」の名乗りを許された,輝かしい「ギルランダイオ工房」最後の親方である.とすればデル・ブリーナ兄弟のうち少なくともフランチェスコはギルランダイオ工房の出身ということになる,ミケーレのは1577年,フランチェスコは1586年,その弟ジョヴァンニは1599年に亡くなっている(全て図録の「作家解説」の情報).

 ギルランダイオ工房の栄光の時代は過ぎ去り,その後,イタリア芸術の中心ではなくなったフィレンツェ画壇を支えたのがアレッサンドロ・アッローリで,彼は1607年まで生きた.アレッサンドロの作品「受難の象徴をともなう嘆きの聖母」(ウフィッツィ美術館)も,ミケーレ帰属の作品「聖家族と少年の洗礼者ヨハネ」も今回の特別展に展示されていた.

 前者はまずまずの作品だが,ウフィッツィ美術館で観た記憶がない.後者はいかにもマニエリスム風の絵だが,こんな下手な絵を誇り高い職人芸術家(と私が想像するだけだが)のミケーレが描くはずがない,と思いたい.ただ,デル・ブリーナ兄弟それぞれの「聖母子と少年の洗礼者ヨハネ」はミケーレ帰属の作品と似ており,しかも,それなりの味わいがある.ギルランダイオ工房の最後の作風はこのようであったのかも知れない.巨匠ドメニコ・デル・ギルランダイオの死が1494年,ミケーレの死の83年前である.どれほど偉大な芸術家を始祖とする工房であっても,時代の趣味と,顧客の嗜好に左右されるのはやむを得ないことだろう.



 以前なら「何だ,有名な作品はこれだけか」と思ったかもしれない特別展で,様々な角度から興味を持って一つ一つの作品に向かい合えるようになったのは,一にも二にも2007年にフィレンツェに滞在し,ウフィッツィ美術館を始めとする美術館,博物館,教会その他で,多くのイタリア芸術に出会うことができたからだ.

 その一方で,世紀の大傑作を,せめて3,4点は招来して,さらに,それとの関係で興味が持てるような佳品を十数点展示できると,一般の人のイタリア美術への関心を高められるのではなかろうかと思う.

 作品の見方は人それぞれであることを承知の上で言うのだが,様々な関連作品を系統だって観てこそ,傑作ではない佳品や,素人目には駄作に思える作品が内包する歴史的な意味に気づくことができるように思う.フィレンツェに滞在して,多くの作品を観て初めて,ネーリ・ディ・ビッチのような三流の画家にも愛情が湧く.その意味で,今回の「ウフィツィ(ママ)美術館展」には,多少の不満も残る.

 今回は,巨匠アンドレア・デル・サルトの手になるものかどうかはともかく,彫刻家バッチョ・バンディネッリの肖像に見惚れた.ヴァザーリの回廊で自画像を観ているはずだが,どんな絵だったか思い出せない.ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートに「自画像」(ボストン,イザベラ・ステュアート・ガードナー博物館)の写真があり,確かに美形で繊細な感じのする人物に描かれているが,40代半ばの中年の姿で,「ヘラクレスとカクス」の素描を誰かに紹介している.

 ヴェッキオ宮殿の前の「ヘラクレスとカクス」や,サンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂の自身の墓碑となる「ピエタ」のような,力強くどちらかと言えば武骨な作風の彫刻家に思われるが,メディチ・リッカルディ宮殿中庭の「オルフェウス」には繊細さも感じられ,「自画像」に見られる優美さを備えたインテリの中年,初老の人物までは「なるほど」とも思うが,今回観ることができた肖像画に描かれた,人生と言う大海への船出を前に不安な表情を見せる美青年の姿は,本当に意外な感じがした.

 しかし,服装は異なり,それによって社会階層の上昇が察せられるとは言え,若い頃から身なりに気を付け,自分がどう見えるかへのこだわりのあった人だと言う共通点は感じられる.

 今回展示された肖像画は,図録に拠れば,バッチョ本人が所有していた原作からの16世紀末頃の忠実なコピーであろうと考えられているようだ.私は,複数観た彼の作品は全て好きだが,写真で見比べると,ミケランジェロに対抗心を燃やしながら,やはり世紀の大天才には遠く及ばなかったことを本人も痛感したであろう.

 そうした彼の人生を20歳前後の若者だった頃の肖像画に読み取るのは,いかに何でも恣意的過ぎるだろう.しかし,この不安げで繊細な美青年の肖像画がバッチョを描いていると聞くと,どうしても,共和国から大公国になって行くフィレンツェに生きて,偉大な先人や,才気に満ちた同時代人たちに対抗心を燃やしながら生き,すばらしい(と少なくとも私には思われ,ヴァザーリも高く評価した)芸術作品を産み出しながら,遂にルネサンスの巨匠たちの水準には及ばなかった芸術家の生涯を読み込んでしまう.

 今回の特別展で,若きバッチョの肖像画に最も感銘を受けたと言ったら,「何を見ていたんだ」と誰かに怒られそうな気もするが,自分にとっては,幾つもの工房が支えたフィレンツェのルネサンス芸術の黄昏を強烈に印象付ける1点に思われた.






ミケーレ・トジーニ
通称「デル・ギルランダイオ」作
「聖母子と聖人たち」(参考)
サン・サルヴィ博物館 2007.06.13
メモを取りながら,少しずつ覚えていった