フィレンツェだより番外篇
2014年1月13日



 




「聖ゲオルギウスと龍」
ロストフ派のイコン (15世紀後半-16世紀初頭)
トレチャコフ美術館


§ロシアの旅 - その16 聖ゲオルギウス

ゲオルギウスという聖人がおり,その名前は英語のジョージの語源であることは,関西で暮らしていた時に,ヨルゴスと言うギリシア系キプロス人の知り合いもいて,以前から知っていた.


 それに由来する男性の個人名としては,イタリア語はジョルジョ,フランス語はジョルジュ,スペイン語はホルヘ,ドイツ語はゲオルクで,ロシア語ではゲオルギーに近い発音になるようだ.ユーリイと言うのも,その別形らしい.

 もとは古代ギリシア語である.「ゲオ」のつく語は,全てゲー(ガイア)「大地」に由来し,それとエルゴン「仕事」が組み合わされたゲオルギオス(ゲオールギオス)という合成語は,大地で働く人,すなわち「農民」を意味する.

 古代ギリシア語では普通名詞であるから,私の知る限り,古典期のギリシア人でこの個人名を持つ有名人はいない.おそらく最古の例が,キリスト教の聖人ゲオルギウス(ラテン語形)であろう.この個人名を持つ有名無名の人物は全て,この聖人にちなんで名づけられたのであろう.


過去に見たゲオルギウス関連の作品
 本格的にこの聖人を意識したのは,いつのことか,もうわからない.ただ,この聖人の物語は,世界の神話を調べ,整理,分類した人たちが,ギリシア神話にちなんで「ペルセウス・アンドロメダ型」と名付けた類型に属しているので,授業でペルセウスの神話に言及する時は,ゲオルギウスにも言及していたはずだ.

 たとえばラファエロが,龍を退治してカッパドキアの王女を救うこの聖人の絵を描いたことは,写真等で知っていた.しかし,ルーヴルにある彼のゲオルギウスの絵を初めて見たのは,1981年の学生時代の可能性もあるが,意識して見て,なおかつきちんと記憶にあるのは2011年のことだ.

 2007年3月から1年間フィレンツェに滞在し,そこで見ることができたゲオルギウスの絵画,彫刻を列挙してみる.

ドナテッロ作の大理石像とその下の浅浮彫(バルジェッロ博物館)
(本来はオルサンミケーレ教会の外壁壁龕にあり,もとの場所には滞在当時はブロンズ製の,現在は大理石のコピーが置かれている)
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの多翼祭壇画の4人の聖人たちのうちの1人
(ウフィッツィ美術館)(元は,フィレンツェのサン・ジョルジョ教会にあった)
サン・ジョルジョ教会のある坂道コスタ・サン・ジョルジョを登った所にあるサン・ジョルジョ門の浮彫彫刻と,その裏側のリュネットに描かれたフレスコ画「聖母子と聖人たち」の向かって左側
アンドレーア・デッラ・ロッビア作(もしくはそのコピー)の彩釉陶板
(スティバート美術館外壁)

 思い出せるものは,予想したほど多くない.フィレンツェ以外では,

ヴェローナのサンタナスタージア聖堂のピザネッロのフレスコ画 
ヴェローナのサン・ゼーノ聖堂の古拙だが美しいフレスコ画
パドヴァのサンタントーニオ聖堂の傍にあるサン・ジョルジョ祈祷堂のアルティキエーロによる連作フレスコ画
フェッラーラ大聖堂のポルターユのタンパンの浮彫
フェッラーラの特別展で観たコスメ・トゥーラの「聖ゲオルギウス」(ヴェネツィア,チーニ・コレクション)(大聖堂博物館所蔵のオルガン扉に描かれたコスメ作品は観ていない)
ボローニャの国立絵画館のヴィターレ・ダ・ボローニャの「聖ゲオルギウス」
ヴェネツィアのアカデミア美術館のマンテーニャの「聖ゲオルギウス」

 以上が,強烈に印象に残っている.ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートで,Saint Georgeで検索しても,ヒットする作品で観たものは僅かだ.

 ゲオルギウスの名を冠した建造物は,

フィレンツェのサン・ジョルジョ・アッラ・コスタ教会(外観のみ)(サント・ステーファノ旧教会博物館にあるジョット「聖母子」が以前はあった)
フィレンツェのサン・ジョルジョ門
ヴェローナのサン・ジョルジョ・イン・ブライダ教会(遠景のみ)(祭壇画はヴェロネーゼの「聖ゲオルギウスの殉教」)
マントヴァのサン・ジョルジョ城(マンテーニャのフレスコ画で有名)
パドヴァのサン・ジョルジョ祈祷堂
フェッラーラのサン・ジョルジョ大聖堂
ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂(遠景のみ)(パッラーディオの設計)

 殆んどの場合,外から見ただけで,堂内もしっかりと拝観したのは,パドヴァのサン・ジョルジョ祈祷堂の他は,ローマのパラティーノの丘とテヴェレ川の間にあるサン・ジョルジョ・イン・ヴェラブロ教会だ.

 この教会は,ロマネスクの鐘楼とポルティコのある,ローマに特徴的な建物が印象的だ.堂内に観光の目玉となるような芸術はないが,向かって左端に白馬を連れた聖ゲオルギウスが描かれている後陣のフレスコ画は伝ピエトロ・カヴァッリーニの作で,丁寧に見ると中世のモザイク装飾の断片もある.

 しかも,事実ではないかも知れないが,8世紀に南イタリア出身のギリシア人教皇ザカリアスがカッパドキアから移したという聖人の頭骨が,聖遺物として保管,展示されている.


龍退治の伝説
 ローマの兵士だったゲオルギウスが,悪龍の生贄にされようとしているカッパドキアの王女を助け,キリスト教を広めようとしたが,異教徒の迫害に遭い,殉教するというのが,この聖人の伝説の骨子だ.

 多くの聖人伝説を集大成した13世紀のジェノヴァの大司教ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』では,ゲオルギウスがカッパドキア出身で,悪龍退治と王女救済は北アフリカが舞台となっている.龍を退治して王女と結婚すればペルセウスやスサノオの神話とほぼ同工異曲となるが,王女との結婚はゲオルギウス伝説にはない.

ノヴゴロド派「聖ゲオルギウス」
ロシア美術館 
15世紀後半
「聖ゲオルギウス」
詳細不明
 トレチャコフ美術館


 実在の人物だとすれば,ディオクレティアヌス帝の時代の303年に殉教したローマ兵士で,図像としては,シナイ半島の聖カタリナ修道院の蜜蠟画「玉座の聖母子と聖人たち」が本当に6世紀のものならば,それが現存する最古の「聖ゲオルギウス」像と言うことになるだろうか.この蜜蠟画に描かれた聖人は,テオドルス(テオドーロス)とゲオルギウスとされていて,向かって左側の有髯の人物がテオドルスである場合は,右側の若者がゲオルギウスと言うことになる.

 テオドルスもゲオルギウスも殉教聖人で,兵士だった共通点を持っているが,兵士の姿で描かれているようには見えず,タブリオンを纏っているので,ビザンティンの貴族の姿に見える.もちろん,龍を退治している姿ではなく,馬も連れていない.

 龍退治の伝説は,10世紀以降にアルメニアやグルジアで流布し,十字軍の戦士たちによって東方からもたらされたと考えられているようだ.西方世界で伝説がテクスト化されたのは,13世紀のボーヴェのウィンケンティウス『歴史の鏡』,ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』を待ってのことのようだ.

 ロシアで龍退治の伝説が定着するのは,いつのことなのだろうか.アルメニアやグルジアでは,11世紀にはこの伝説が形成されていたとされるので,より西欧に近いことを考えると,もっと早い伝播も可能だと思うが,十字軍の帰還兵士がその伝播に関わっていたとすれば,必ずしもロシアやビザンティンの方が早かったとは言えないかも知れない.

 真ん中の大きな絵にゲオルギウス,悪龍,王女と全て揃っている下の写真のイコンが14世紀前半のものだとすれば,これ以前にロシアで龍退治の伝説が知られていたのは間違いないだろう.

写真:
「聖ゲオルギウスとその物語」
ノヴゴロド派
ロシア美術館
14世紀前半


 木村浩に拠れば,ロシア語ではゲオルギー・ポペドノーセツ(勝利をもたらす者ゲオルギウス)は,農民(木村には「農婦」とあるが「農夫」の誤植か.もっとも,女性が助けられる話の主人公だから,これで良いのかも知れない)と軍人に守護聖人として人気があって,彼の武勲が,文字の読めない中世の民衆が読み聞かせてもらう物語として好まれていた可能性に言及し,文字を介さぬ「愛読」の対象として,このイコンを例に挙げている(木村,pp.84, 96-97).そこでは,周辺の絵のことを「駒絵」と言っている.

 漢字が「馬」を想起させるところに,ゲオルギウスが騎馬の英雄なので,違う連想が働くことを避けて「コマ絵」と呼ばせてもらうと,このノヴゴロド派のイコンのコマ絵は,殆んどが殉教に至るまでの拷問の様子である.これほどの目にあっても信仰を守ったという趣旨に力点があるのかも知れない.

 龍退治のゲオルギウスが乗っている馬は,殆んどの場合は白馬である.これは東西の違いはあまりないように思える.ただ,ヴィターレ・ダ・ボローニャの作品の場合,白馬ではないようにも見えるし,ヴィットーレ・カルパッチョの作品では,龍退治の聖人は明らかに茶色の馬に跨っている.

 ピザネッロは,ヴェローナのサンタナスタージアのフレスコ画では,聖人が連れている馬を白馬に描いているが,ロンドン・ナショナル・ギャラリーの「修道院長アントニウスとゲオルギウスの前に現れた聖母子」では茶色の馬の手綱を引いている.

 見た記憶がないが,14世紀ノヴゴロド派のイコンに,黒馬に乗って龍を退治するゲオルギウスが描かれており,トレチャコフ美術館が所蔵しているらしい.美術館のHPには説明がないが,ウェブページを探すとトレチャコフ美術館のイコンが写真付きで網羅的に紹介されているページがあって,まずまずの写真で確認することができる.そこにもゲオルギウスは相当点数あるが,黒馬は,やはり1つだけだ.黒馬に跨って龍を退治するゲオルギウスのイコンはロンドン・ナショナル・ギャラリーにも1点あるそうだ.

 上述のページには,10点以上の「聖ゲオルギウス」があっても,2つ上の写真の右側のイコンは紹介されていない.間違いなくトレチャコフで写真に収め,解説プレートもあったのは確認できるのに,肝心のプレートを撮って来なかったのが悔やまれる.

 このイコンの場合,龍退治のゲオルギウスは白馬に跨っているが,向かって左上に,小さく,多分彼の兵士としての出自を表現するためか,騎馬で敵を倒している姿が描かれている.この馬は黒,または濃い茶色の馬だ.

 隣に挙げたノヴゴロド派のイコンでは,画面の向かって右上に,雲間(?)から神の祝福の手が覗いているが,詳細不明のイコンでは,城市の向かって左上(つまり,絵全体の完全に右端ではない所から)ほぼ神が全身を表して祝福している.さらにコマ絵が,周囲ではなく下の方に集められているのも,他のコマ絵のあるイコンと違っている.


立姿のゲオルギウス
 馬を伴っていない,そして「龍退治」を前提としない,兵士の姿のゲオルギウスは,下の写真のイコンが12世紀のものだから,もう少し古くからあったであろう.

 トレチャコフのイコンの相当数を紹介しているウェブページでも,幾つかこのタイプのものがあるが,いずれも16世紀くらいの新しいもので,その意味でもこの作例は貴重だと思われる.

写真:
聖ゲオルギウス
ノヴゴロド派
1130-1140年
トレチャコフ美術館
写真:
聖ニコラウスと聖ゲオルギウス
15世紀前半
ロシア美術館


 シチリアのチェファルー大聖堂の,他の兵士の姿の聖人たちとともにゲオルギウスが槍と楯を持つ武装した若者の姿で描かれているモザイクが,同じく12世紀のもののようだ.ウェブ検索で探しても,なかなかモザイクはないので,貴重に思える.

 フレスコでは,ノヴゴロドよりさらに古いロシアの都市スターラヤ・ラドガ聖ゲオルギウス教会に,12世紀末のフレスコ画があるが,これは白馬に跨るゲオルギウスが龍を退治しているタイプで,救われる王女のような人物も見える(英語版ウィキペディアに写真).


最古の龍退治のゲオルギウス
 現在トルコ共和国のあるアナトリア地方にあるカッパドキアと言う有名な地域にギョレメという町があり,それを中心としたギョレメ国立公園に,古いフレスコ画がたくさん残る教会群がある.

 英語のウィキペディアから,ウィキメディア・コモンズで「ギョレメの諸教会」にたどりついて,そこに掲載された写真を見ると,11世紀のものとされる,「龍を退治するゲオルギウスとテオドルス」,さらに驚くべきことに別の教会には8世紀から9世紀のものとされる「龍を退治するゲオルギウスとテオドルス」と言うフレスコ画が残っている.

 聖人同様に光輪があるので,可能性は低いかもしれないが,前者の向かって左端の人物は救われる王女のようにも見える.

 年代に関しては,今の所,ウェブページの紹介を鵜呑みにするしかないが,もし,この年代が正しければ,ゲオルギウスがテオドルスと協力して騎馬で龍を殺して,誰かを救う話は早ければ8世紀には図像化され,後世の付加でなければ,どちらの絵にも両雄には光輪があるので,キリスト教の聖人の物語として成立していたことになる.

 古い方のフレスコでは両雄共に白馬に跨っているが,11世紀の作品ではゲオルギウスは白馬,テオドルスは茶色の馬に乗っている.

 現在,ロシアに属している地域では,スターラヤ・ラドガのフレスコ画が12世紀末(1180年代)が,「龍を退治して王女を救うゲオルギウス」としては圧倒的に最古であろう.



 イタリアでは,何が最古かわからないが,もし,ヴェローナのサン・ゼーノ聖堂のフレスコ画が13世紀のものであれば,「龍を退治して王女を救うゲオルギウス」と,「兵士の姿で龍を踏みつけているゲオルギウス」と2つあり,後者の方がむしろ新しく見えるが,それ以外に今の所,13世紀以前の可能性のあるものは,自分が観たものではなかなか思い当たらない.

 ウェブ検索で「saint George romanesque」で検索してヒットする,ロンバルディア州レッコ県のチヴァーテにあるロマネスク教会サン・ピエトロ・アル・モンテ聖堂のナルテックス(拝廊)にある11世紀のフレスコ画は,聖母子を中心に天使たちが集まって,向かって左側の人物を中心に槍で悪龍を突き刺している.

 しかし,この図像は伊語版ウィキペディアにあるように「黙示録」12章を典拠にしたものであり,それは概ね次のように要約される.身籠って子を産んだ女性の前に龍が現れ,子供を食べようとしたが,子は玉座に引き上げられ,女性は荒野に逃れる.大天使ミカエルとその一党が龍と戦い,敗れた龍は地上に投げ落とされる.

 サン・ピエトロ・アル・モンテのフレスコ画は古く,見事なもので,これがゲオルギウスならばと,今は思わせられるが,それでも全くの空振りではないだろう.ゲオルギウス崇敬の流行を支えたのは,もちろん民衆の救済への願望であろうが,龍は悪魔,王女は教会と考えれば,ゲオルギウスの伝説は,起源はペルセウス・アンドロメダ型の神話かも知れないけれども,見事にキリスト教的寓意として,この「黙示録」の物語を具現するものであったように思われる.

 フェッラーラ大聖堂ポルターユのタンパンの浮彫は,ヴェローナのサン・ゼーノ聖堂の入り口両脇の浮彫彫刻と,扉上リュネットの浮彫彫刻も作成したニッコロ(ニコラウス)の作とされる.彼がフェッラーラで仕事をしたのが,1135年,ヴェローナで仕事をしたのが1138年とされる(伊語版ウィキペディア)ので,12世紀の作品と言うことになる.

 フェッラーラ大聖堂の浮彫には王女は出てこないが,少なくとも騎馬のゲオルギウスが悪龍を退治している.

 であれば,イタリアでもやはり12世紀にはゲオルギウス伝説は間違いなく図像化されていたことになる.『歴史の鏡』,『黄金伝説』以前のことである.


油彩の作品
 トレチャコフ美術館のHPにはカンディンスキーの作品は6点紹介されているが,この作品は取り上げられていない.私は分かり易くて良いと思うが,カンディンスキーの芸術にはまっている人には物足りないかも知れない.

写真:
ワシリー・カンディンスキー
トレチャコフ美術館
厚紙に油彩,1915年頃


 ティントレットのゲオルギウスは,ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵の作品が有名であり,エルミタージュの作品は,記憶で比較すると随分似ているように思われた.

 しかし,写真を並べて比べると,細部は随分違う.エルミタージュの作品では王女がずっと小さく,英雄は画面前方に突進するようにして龍を退治している.ロンドンの作品は,王女が前方に向かって逃げていて,英雄は後方で向かって左向きに龍を水辺に追い詰めている.

写真:
聖ゲオルギウス
ティントレット
エルミタージュ美術館
1543-4年頃
カンヴァス油彩


 エルミタージュの作品では画面が水際なのかどうかはっきりしないが,それでも画面上方の立派でルネサンス建築のような城壁と,向きは違うが裸の男の死体が横たわっている点は共通しており,似ているような印象を持ってしまう.

 エルミタージュの作品が1540年代,ロンドンの作品は1550年代で,10年ほどエルミタージュの作品が先行しているようだ.

 ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートにはもう1点,ティントレットの描いたゲオルギウスの登場する作品が紹介されている.武装して白馬を従えるゲオルギウスと死んだ龍に跨る王女は良いとして,フランチェスコ会の聖人トゥールーズの聖ルイがいるのは奇異な感じがするが,これはこの作品の依頼者が,ジョルジョ・ヴェニエルとアルヴィーゼ・フォスカリーニだったからのようである.ジョルジョがゲオルギウスを意味するのは言うまでもないが,ヴェネツィア人に固有の名前アルヴィーゼはイタリアの他の地方ではルイージにあたる名前で,フランス語ならルイになる.

 こうなると,悪魔から教会を守る寓意も何もないように思える.そもそもティントレットの「聖ゲオルギウス」は「龍を退治して,王女を救う」と言う伝統的主題でありながら,何かファンタジックな物語を近代的手法で描いた作品のように思え,宗教的なありがたみに欠ける.私は,フェッラーラの浮彫,ヴェローナのフレスコ画,古拙に思えても,ロシアのイコンの方が好きだ.

 それに比べれば,カンディンスキーの「聖ゲオルギウス」は,ずっと宗教的なありがたみを感じさせる.ティントレットが意図したであろう躍動感も,カンディンスキーの方が優れているように思われる.もちろん,個人の好みの問題に過ぎないが.


ロシアにおけるゲオルギウス
 トレチャコフ美術館のファサードの浮彫彫刻は,龍を退治する若者のゲオルギウスで,王女は見たところいない.

 この美術館を建てた弟はパーヴェル,その兄はセルゲイ,彼らの父はミハイルであるから,彼ら個人の守護聖人と言うわけではないが,モスクワ市の市章にもなっているし,ロシアの守護聖人であるから,特に奇異でもないのだろう.

 そういえば,エルミタージュの冬の宮殿の玉座のある部屋が,「聖ゲオルギーの間」と呼ばれ,玉座の天蓋の上にはゲオルギウスの浮彫があった.

写真:
トレチャコフ美術館本館
上部に聖ゲオルギウスの
浮彫がある
ヴァスネツォフの設計


 モスクワではあちこちで,ゲオルギウスの商標を見たような気がする.

 スペイン人がイスラム教徒との戦いを通じて大ヤコブ(サンティアゴ)を精神的支柱としたように,ロシア人は「タタールの軛」から脱することを目指した戦いの中で,戦士の聖人ゲオルギウスを彼らの心の支えとしたのであろうか.

 ロシア美術館でもトレチャコフ美術館でも見ることができた「ボリスとグレーブ」のような,ロシアに特化される聖人でもなく,使徒や司教聖人でもないゲオルギウスのイコンが,他地域に比べて圧倒的に多いように思われるのは,やはり,ロシアの固有の歴史が背景にあるのであろうと思われる.

 ロシア以外のスラブ地域にも多いようだが,それはウクライナのようにやはり「タタールの軛」を経験した地域もあるし,オスマン・トルコなどイスラム勢力の脅威に直接曝されていた地域もあるだろう.それらの事情は,勉強する機会があれば,別途考えてみたい.






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