§ロシアの旅 - その17 ダナエと壺絵
ゲオルギウス伝説が拠って立つ「ペルセウス・アンドロメダ型」神話は,アルゴス王アクリシオスの娘ダナエが,黄金の雨となったゼウスによって身籠るところから始まる. |
「孫によって殺される」と言う神託を受けたアクリシオスは,ダナエを青銅の部屋に閉じ込めたが,彼女はゼウスの子ペルセウスを生む.
ダナエは,生まれた子とともに箱に入れられ,海に流されるが,セリポス島に漂着する.そこで成人したペルセウスは,怪物メドゥーサを倒し,海の怪物の生贄にされる所だったアンドロメダを救い,彼女と結婚して,ヘラクレスなど後のギリシア人の祖先となる.
ある偶然によって,ペルセウスの投げた円盤にあたって,アクリシオスは死に,神託は成就する.
エルミタージュの古代陶器コレクション
ダナエの壺絵について書く前に,エルミタージュの古代陶器コレクションについて,少し整理してみる.例によって,泥棒を見てから縄を綯っているわけだが,以前から持っていた本を参照する.
澤柳大五郎『ギリシア神話と壺繪』 |
(SD選書)鹿島出版会,1966(以下,澤柳) |
青柳正規/平山東子(著),
小川忠博(写真) |
『写真絵巻 描かれたギリシア神話』講談社,1998
(以下,青柳&平山) |
Tom Rasmussen / Nigel Spivey, eds., Lokking at Greek Vases |
Cambridge University Press, 1991
(以下,ラスムッセン&スパイヴィー) |
さらに,今回入手した本で,期待した内容のものではなかったが,
Anastasia Bukina / Anna Petrakova / Catherine Phillips, Greek Vases in
the Imperial Hermitage Museum: The History of the Collection 1816-69, Oxford:
Archaeopress, 2013(以下,ブキナ)
によって,19世紀に充実した古代陶器コレクションの概要と,その取得経緯などを知ることができる.
エルミタージュの古代陶器コレクションの始まりは,どの時点にあるのかわからないが,ブキナに整理されている年表を参照すると,ロシアの古代コレクションの始まりは,1719年にピョートル大帝が,「タウリスのヴィーナス」を入手した時点に置かれるようだ.
教皇クレメンス11世から譲渡されたこのヴィーナスは,紀元前3世紀もしくは2世紀のギリシア彫刻のローマ時代の模刻で,タウリス(タウリケ)で発見されたわけではなく,名称は,エカテリーナ2世のタウリス宮殿に由来するらしい.もとは,女帝の寵臣で,将軍,政治家として活躍したグリゴリー・ポチョムキンが建設させた宮殿で,彼の死後に女帝が購入し,ピョートルが夏の庭園に置いていたヴィーナスをここに置いたそうだ.
「タウリスのヴィーナス」は,現在,エルミタージュ美術館に展示されているが,今回はどこかに出張していて,観られなかった.
年表には,1781年に,後に皇帝となる大公パーヴェルと公妃マリア・フョードロヴナが陶器を含む古代美術のコレクションを購入したことが特筆され,1816年にアレクサンドル1世がヨーロッパで購入した,やはり陶器を含む古美術コレクションをエルミタージュに寄贈したとされている.
エカテリーナ2世が,既に1764年にエルミタージュを美術館(博物館)としており,このあたりが,エルミタージュの古代陶器コレクションの始まりと考えて良いのだろう.
これに黒海北岸地域からの発掘品と,1833年から34年にかけて,帝国芸術院が購入したピッツァ―ティ・コレクションが加わり,さらにロシア政府も,発掘のためにローマのパラティーノの丘の土地を購入するなどして,コレクションの拡充を図り,ドイツ人学者ルドルフ・シュテファニがロシアに招かれ,これらのコレクションを整理,分類する仕事に着手した.
1861年にイタリアのカンパーナ侯爵のコレクションが購入され,シュテファニは1869年にドイツ語で,『エルミタージュ帝国博物館の古代陶器コレクション』をまとめた.
そこに記載された1786点に及ぶ個人コレクションの集積と,542点の黒海北岸地域からの発掘品のことを考えると,エルミタージュの古代陶器コレクションが実に膨大で,今回観られたものは,ほんの一部であることがわかる.
カンパーナ侯爵のコレクション
さて,ダナエに話は戻る.トップに掲げた壺絵を観たいと思って,エルミタージュに行った.厳密には「壺」ではなく,2つの取っ手がついてた萼状の下部を持つ混酒器(カリュックス型クラーテール)であるが,明らかに皿絵でない場合は,一貫して「壺絵」と称する.この混酒器は,紀元前490年から480年頃製作されたアッティカ式の赤絵陶器で,画家は通称「トリプトレモスの画家」とされる.
下の写真は,トップの写真とは別に,今回見ることができた,もう一つのダナエの壺絵だ.
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写真:
「箱に入れられ
海に流されるダナエ」
スタムノス(短い頸部と広い
口縁部が特徴の貯蔵用陶器)
紀元前490年頃
アッティカ式赤絵陶器
エルミタージュ美術館 |
エルミタージュのHPに拠れば,ダナエを海に流すために箱に閉じ込める壺絵は,少なくとももう1点エルミタージュにあり,同じく紀元前490年頃の赤絵式アッティカ陶器の,そちらの作者もトリプトレモスの画家とされている.
上の写真では髯の無い若者が箱を閉じようとしていて,見える範囲にアクリシオスらしい老人の姿はない(向かって左端の人物は黒髪だが,もしかするとアクリシオスかも知れない)が,もう一つの壺(これも厳密には混酒器)では,箱を閉じようとしているのは有髯の中年男性で,向かって右側から白髪の老人が指示しており,これがアクリシオスであろう.
後者は,イタリアのカンパーナ侯爵のコレクションから購入したものとのことだ.
ジャンピエトロ・カンパーナは世襲貴族ではなく,教皇庁が設立した慈善団体の管理運営を任されていた一族の出身で,1808年にローマに生まれ,自身もその団体の代表となり,教皇庁への財政上の貢献によって,教皇グレゴリウス16世の手で黄金の拍車騎士団の騎士に叙任された(1835年).
1829年のフラスカーティの発掘から始まって,イタリアの考古学の発展にも寄与した.オスティアの発掘にも重要な役割を果たし,ローマ以前のエトルリア文明への関心も喚起した.
当時南イタリアを支配していたナポリ王国のフェルディナンド2世によってカヴェッリの侯爵に叙せられ,彼のコレクションは,壺,青銅器,宝石とコイン,テラコッタ,ガラス,古代絵画,古代彫刻,イタリア絵画,マヨルカ陶器,ルーカ・デッラ・ロッビアとその周辺の彩釉陶器,エトルリアと古代ローマの骨董など,多岐に渡ったようだ.
しかし,1857年,彼は公金横領の罪で逮捕,告発され,裁判の結果20年の禁固刑を言い渡され,それを免れる代わりに亡命を余儀なくされた.
彼のコレクションは,当時は存在した教皇国家が没収し,売り立てにかけられた.それを購入したのが,エルミタージュ,ルーヴル,メトロポリタン,アルバート&ヴィクトリアだったようである.初期イタリア絵画は,フランス政府が購入し,現在はアヴィニョンのプティ・パレ美術館にあるとのことなので,2011年2月に私たちもそれの一部を観ている可能性がある.また,新エルミタージュ「皇后の間」のラファエロの弟子たちによるフレスコ画もこの時,カンヴァスに移されてロシアが購入したとのことだ.
古代美術以外でも,カンパーナのコレクションの概要を見ると,現在なら評価が復活しているが,当時はそれほど尊重されていなかったものもあり,19世紀以降の「美の基準」のようなものに,彼が大きな貢献をしたのではないかと思わせられる.イタリア統一後,ローマに帰還し,1880年にそこで亡くなった.コレクションの返還を請求したらしいが,成功しなかったようだ.
ルーヴルにあるカンパーナ・コレクションに関してはウィキメディア・コモンズで観ることができ,壺絵に関しては,それだけでまとめられている.
これを見ると,売り立てに際して,エルミタージュが先行したようだが,壺絵のコレクションの見事さでは,素人目にもルーヴルが圧倒的に勝っているとしか思えない.しかし,エルミタージュにも優れた作品が多数あることは間違いないので,二見,三見の価値はあるだろう.
「ダナエ」の絵画作品
下の写真の有名なレンブラントの「ダナエ」は,クロザ・コレクションから1772年に入手された作品である.エルミタージュHP,ウェブ・ギャラリー・オヴ・アート,英語版ウィキペディア等よりも,日本語ウィキペディア「ダナエ(レンブラントの絵画)」が大変詳しく,そこに参考文献として挙げられている,
尾崎彰浩『レンブラントのコレクション 自己成型への挑戦』三元社,2004
も初めて知って,今,アマゾンで注文したので,これについては,それらから多くの情報が得られるだろう.
1985年に硫酸をかけられ,修復に長い時間がかかったことも,修復の経緯も日本語ウィキペディアに詳しく書かれ,典拠も挙げられている.そこにも「完全に修復することはかなわなかった」とあるように,私たちが観た「ダナエ」は,レンブラントが完成させた美を十分に伝えるものではない.
1978年,東京国立博物館の「エルミタージュ秘宝展」に,傷つけられる前の「ダナエ」が来ている.
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写真:
レンブラント
「ダナエ」
エルミタージュ美術館
1636年
カンヴァス油彩 |
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金色に描かれた有翼のエロスを拡大写真を見ると,両手を縛られ,苦痛に満ちた顔をしている.その寓意には様々な解釈があるらしいが,ここでは踏み込まない.
深い感銘を受けたわけではないが,今回エルミタージュで観ることができて良かったと思う作品の一つだ.
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写真:
ティツィアーノ
「ダナエと黄金の雨」
エルミタージュ美術館
1553年頃
カンヴァス油彩 |
複数有るティツィアーノの「ダナエと黄金の雨」の実物を初めて観たのは,2008年の2月に滞在中のフィレンツェからヴェネツィアに行った時,アカデミア美術館で行なわれていた特別展だった.プラド美術館所蔵の作品と,ウィーン美術史美術館所蔵の作品を観たはずだ.
昨年3月にローマの特別展で,ナポリ,カポディモンテ美術館所蔵の「ダナエ」を観,この作品はプーシキン美術館の小特別展にも来ていたので,短期間に2回観ることができた.
ヴェネツィアの特別展の図録『後期のティツィアーノと絵画の官能性』に,ロバート・ウォルド「ウィーンのダナエ ティツィアーノ工房の制作と再現の諸考察」と言う論文があり,そこには,良く知られている「ダナエ」の他に数点の工房作品の写真が挙げられている.
ウィーンのダナエは良くできた作品だと思うが,巨匠と工房の共同制作とされることが多く,巨匠だけの名前で言及されるのは,カポディモンテ,プラド,エルミタージュの「ダナエと黄金の雨」である.
カポディモンテの作品が1540年代で最も古く,その他は1550年代の制作で,カポディモンテの絵は向かって右側に有翼のエロス(クピド)が描かれているのに対し,プラドとエルミタージュの作品では同じ位置に,侍女である老婆が雨と降ってくる金貨にような黄金を前垂れのような布で集めており,酷似している.エルミタージュの作品は巨匠と工房の共作と考える立場もあるようだ.
ダナエは娼婦,金を集める老婆はその仲介者に見え,寓意としては自由恋愛と言うよりは売春がどうしても読み取れてしまう.ウィーンの作品に至っては,老婆が天を仰ぎながら,金製の大きな皿か水盤のようなもので,はっきり金貨の形をした雨を集め,ダナエの寝台にも金貨が散乱している.
有名な画家の作品を複数,観ることができたのだから,当然嬉しいが,私はやはりティツィアーノの絵なら,晩年の宗教画が良い.
エルミタージュでペルセウス関係の近代絵画では,ルーベンスの「ペルセウスとアンドロメダ」を観ている.ペガサスを従えているタイプのものだ.
オウィディウス以前の伝承では,ペルセウスはペガサスに乗っておらず,壺絵でもペガサスに乗っているのはベレロフォンであるから,中世末期かルネサンス以後(今の所,最古の言及としてはボッカッチョ)の伝承を踏まえた作品だ.ロンドン・ナショナル・ギャラリーのティツィアーノの作品はペルセウスはペガサスに跨っていない.
女怪,龍(大蛇)のいる壺絵
下の壺(アンフォラ=両取っ手付き貯蔵用壺)に関しては,説明プレートを撮ってくることができなかったので,詳細はわからないが,ルーヴル美術館所蔵の,紀元前6世紀末(520-510年頃)のアッティカ黒絵式のアンフォラが似ていると思われるので,その時代のものであろうか.
ルーヴルの作品は,美術館のデータベースに両面から撮った写真はあるが,詳しいデータはない.大きさと取得年(1859年)くらいだ.
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写真:
「有翼のゴルゴン」
黒絵式アンフォラ
紀元前6世紀末?
エルミタージュ美術館 |
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首の部分に取っ手がついていて,両面に有翼のゴルゴン(装飾に使われる場合はゴルゴネイオン)で,植物の文様があるのは共通だが,ルーヴルのアンフォラではゴルゴンの下に蛇がいて,下段にはライオンの列が装飾文様化されている.個人的にはエルミタージュのものが,より良いできのように思われるが,ルーヴルの作品も芸が細かい.
メドゥーサも3人のゴルゴンの1人だが,この壺絵はメドゥーサとは特定できない.魔除け装飾としての女怪であろう.
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写真:
赤絵式「鐘」型混酒器 「龍車」で逃げるメデイア
紀元前340-330年頃
エルミタージュ美術館 |
上の写真は,展示室の壁面ガラスケースの棚の高い所にあった絵壺の絵柄が,メデイアのように見えたので写真を撮って来たものだ.見たところ説明プレートもなく,ただ,遠目に見える絵柄だけが,もしやと思わせた.
そもそもエルミタージュの古代陶器コレクションを観たいと思い始めたのは,クリーヴランド美術館所蔵の有名な「龍車で逃げるメデイア」の壺絵が,エルミタージュにあると誤解してのことだった.旅行前に,この誤解は解けていたので,この壺絵を見つけたのは,全くの偶然だった.
身長の低い(158センチ)私が,一所懸命手を伸ばし,不安定な状態で,しかもガラスが反射する状況で,下から撮ったものなので,良く写っているとは言い難く,これがメデイアかどうか今一つ確信がなかったが,「Medea vase Hermitage」で画像検索すると,メデイアの古代図像を解説しているページに行き当たり,そこには白黒だが比較的良く写った写真が掲載され,エルミタージュ美術館所蔵とある.比べると間違いなく,上の写真の壺(これも厳密には両側に取っ手のある混酒器)なので,メデイアであることに確信が持てた.
メデイアが両手に抱えているのは,彼女が殺した自分の子供たちである.有翼の龍が牽く車は,祖父ヘリオスのものと説明される場合もあるようだが,ヘリオスが後にアポロンと同一視された場合は,オウィディウス『変身物語』の第2巻の有名なパエトンの物語では馬車であるので,これもいつか伝承の整理が必要であろう.
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写真:
渦巻型取っ手付き混酒器
「トリプトレモス」
紀元前375-350年頃
イリウペルシスの画家
(イリウペルシス=トロイア落城)
南イタリア,プーリア州出土 |
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上の写真の中央で,龍もしくは大蛇(ギリシア語ではどちらもドラコーン)が牽く車に乗っているのは,トリプトレモスであろう.これも取っ手が最上部についていて渦巻き状になっているので,渦巻型混酒器呼ばれるタイプのものだ.多くの場合に「渦巻」となっている部分に,この陶器では馬の浮彫があり,厳密には「渦巻型」とは言えないが,ほぼ同じ造形と言えよう.
農業の起源を示すトリプトレモスの神話は,アポロドロス『ギリシア神話』(岩波文庫),オウィディウス『変身物語』(岩波文庫),ヒュギヌス『ギリシア神話』(講談社学術文庫)にそれぞれあり,細部は異なるが,穀物の女神デメテル(ラテン語ではケレス)がトリプトレモスに,龍が牽く車と穀物の種を与え,トリプトレモスが空から種を播く話は共通している.
渦巻型取っ手付き混酒器
エルミタージュで観た渦巻型取っ手付き混酒器では,下の写真の「冥界の場面」が,「トリプトレモス」と同じく渦巻になるべき部分に浮彫があるタイプで,こちらはメドゥーサ(もしくはゴルゴン)の顔の浮彫がある.
「冥界の場面」は首の部分に,永遠に回る車輪に縛り付けられたイクシオンの絵があり,胴体部分には中央にハデス,傍らにペルセポネとヘルメスがいる王宮もしくは神殿が描かれ,下部にはダナオスの娘たちがパターン模様のように描かれている.
作者は「ボルティモアの画家」の追随者とされているが,「ボルティモアの画家」とは,アメリカ東部メリーランド州のボルティモアのウォルターズ・アート・ミュジアム所蔵の渦巻型取っ手付き混酒器を作成した可能性のある,南イタリアのプーリア州の壺絵製作者で,英語版ウィキペディア掲載の写真で見ると,下の写真の作品同様,中央に神殿や宮殿などの建造物を描き込む画風が特徴なのだと思われる.
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写真:
渦巻型取っ手付き混酒器 「冥界の場面」
紀元前325-300年頃
ボルティモアの画家の追随者 南イタリア,プーリア州
エルミタージュ美術館 |
渦巻型取っ手付き混酒器は複数あったが,その中でも下の写真のものが見事だった.エルミタージュ美術館の解説プレートには「ヘクトルの身代金により遺体返還」と題名が付けられていた.
上段には,息子ヘクトルの遺体を貰い受けに来たトロイアの老王プリアモス(向かって左端)の願いを聞きいれるよう,アキレウス(寝台に腰かけている)を説得する女神アテナ(兜をかぶった女性)とヘルメス(つば広帽子と杖がアトリビュート)が描かれている.
下段左は,2人の若者がヘクトルの遺体を運び,中央の祭壇の上で,ヘクトルの遺体に冠を被せようとしているのは,兜をかぶっているので,軍神アレスで,その右隣りで杖を持っている女性は,傍らに有翼の少年エロスがいるのでアプロディテ(ヴィーナス)であろうと思う.
であれば,その隣りの若者はパリスではないかと想像する.どの人物にもギリシア文字で名前が示してあるが,写真では小さすぎてわからない.
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写真:
渦巻型取っ手付き混酒器
紀元前350年頃
リュクルゴスの画家
南イタリア,プーリア州
ルーヴォ出土
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『イリアス』24巻で,怒れるアキレウスの心を鎮め,英雄ヘクトルの葬儀によって長大な叙事詩を終わらせる重要な物語である.
最下部の台座部分には,植物に囲まれて,杯を持って腰かけている女性像があり,向かって右側にいる男性が有翼のエロスならば,アプロディテだが,彼女は胴体部分の宮殿(もしくは神殿)の向かって右外側にも描かれているので,別の女神かも知れない.
トロイア戦争に関連するモチーフの壺絵は多い.渦巻型混酒器ではないが,今回観られたもののとして,次の作品を紹介する.
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写真:
「オレステス,ピュラデスと
一緒に逃げるイピゲネイア」
アンフォラ
紀元前330-320年頃
イクシオンの画家
南イタリアのカプア出土 |
ほっそりとしているが,首の部分に取っ手のあるタイプのアンフォラで,絵は白く見えるが赤絵式であろう.
ここに登場するのはタウリケ(タウリス)のアルテミス神殿から逃れるイピゲネイア,オレステス姉弟と従兄弟のピュラデスだ.エウリピデスの『タウリケのイピゲネイア』では,この後,イピゲネイアに懸想していた王のトアスが追いかけて来るが,女神アルテミスが機械仕掛けの神として現れ,トアスに追跡を断念させ,起源譚を語る.
ハッピーエンディングとなるタイプの「悲劇」で,ギリシア軍のトロイア遠征に際して,犠牲にされたイピゲネイアが女神の配慮で実は生きていたと言う前提で,この逃走の直前に,姉弟再会の認知場面がある.
その場面を描いた壺絵を,2007年にローマに行ったとき,コロッセオの特別展で見て,2007年10月11日のページで紹介しているが,この壺(「鐘」型混酒器)はルーヴル美術館の所蔵らしい.ルーヴルの混酒器はジャン=フランソワ・トションと言う人物のコレクションだったことが美術館データベースで紹介されており,トション・コレクションの古代陶器はウィキメディア・コモンズに複数の写真が紹介されている.他には,カンパーニャ地方からの出土らしいことくらいしかわからない.いずれにしても,イタリアで発掘されたものだ.
知識と鑑賞を深める
古代陶器に関しては,まだまだ勉強すべきことが山のようにある.澤柳の巻末に「器種略解」と言うページがあり,分かり易いし,青柳&平田の「用語解説」の3「器形」は文字による説明としては簡便で,本文に掲載された写真および説明と一緒に読むと,理解が進むだろうと思うが,自分自身は未だに,どのような形の器が,どのような名称を持つのかも,覚えきれておらず,図像に関しても,美術館のプレートや,案内書,ウェブページで情報が得られないものはよくわからない.
エルミタージュのHPにも相当な情報があるが,自分が興味を持った壺に関する情報はほとんど無い.かろうじてルーヴルのデータベース(英語版もあるが,仏語版の方が情報豊富)にカラーは少ないが,最低でも白黒写真と簡単な解説(絵柄,製造年代,形状,大きさ,取得年代)があり,これで勉強することで,相当な知見が得られるのではないかと期待している.
エルミタージュの古代陶器,彫刻,石棺のコレクションは立派だ.しかし,陶器に関しては,ガラスケースに入っているので,鑑賞が難しく,時間も限られていたので,大きな満足は得られなかった.しかし,ダナエ,メデイアの描かれた壺をこの目で見ることができたので,今回はまずまずだった.
イタリアで古代の絵壺を観たのは,フィレンツェの考古学博物館,フィエーゾレの考古学博物館,ターラントの修復中だった考古学博物館の臨時展示場,小邑ヴァステの考古学博物館,オルヴィエートの考古学博物館,コロッセオの特別展,パレルモの考古学博物館,アグリジェントの考古学博物館で,これらの博物館では写真を撮ることもできた.
ローマ,ヴェローナ,ヴォルテッラの考古学博物館では良いものがたくさん見られたが,ギリシア陶器は見ていない.パドヴァの市立博物館にも古代コレクションがあったが,写真厳禁なので,古代陶器があったかどうか覚えていない.
アレッツォ,レッチェ,ペルージャ,フェッラーラでは考古学博物館に行っていない.特にレッチェとフェッラーラには立派なギリシア陶器コレクションがあることは知っているので,是非,いつか行きたい.
さらに今まで,いろんなものを丁寧に鑑賞して大きな満足を得られた美術館,博物館の中でも,ルーヴルとヴァティカンでは古代陶器のコレクションは,時間の関係で割愛した.この2つの美術館には,万難を排して再訪を果たしたい.もちろん,エルミタージュの古代コレクションも,できることなら,何度でも観たい.
日本国内の博物館,美術館や個人が所蔵している作品の写真を掲載し,なおかつ分かり易い解説が付された,
古代オリエント博物館/岡山市立オリエント美術館(編)『壺絵が語る古代ギリシア 愛と生,そして死』山川出版社,2000 |
は,特別展の図録を一般向けにも販売したものだが,必読の名著だろう(日本語著作としては例外的なほど詳しい図付きの「さまざまな器の形」と言う見開きのページがあり,製造工程の説明もある).
岡山市立オリエント美術館には,まだ行ったことはないが,数年前の研究会で訪れた(本当は「帰った」と言いたいところだが)京都で,下鴨北園町にある「京都ギリシアローマ美術館」を見学した.大学院在学中に友人の下宿があったこともあり,よく行ったあたりだが,当時はどうも前身の美術館が倉敷にあったらしく,存在すら知らなかった.
私は古代美術を専門に勉強したことはないし,器形の名称も曖昧なくらいの素人であるが,古代の文化には人一倍関心があって,自分の周りにいる人たちから,京都のギリシアローマ美術館の話を聞いたら,記憶していそうなものだが,憶えがない.もちろん,話の流れで聞き飛ばした可能性もある.
しかし,実際に見学した時,「すごい」と言うほどではないが,堅実なコレクションをまじめに展示しているのに,なぜ話題にならないのだろうと疑問に思ったし,専門家の言及があまりないのも残念に思った.
上記の本は,青柳&平山の著者の他にも,国内ではよく知られたギリシア考古学の専門家も執筆しているが,この本に紹介されているくらい,信頼のおける美術館なので,是非,京都に行かれた際は見学されたい.
なぜ,「信頼のおける」という言わずもがなのことを言ったか.
大学院生の時,奈良の大和文華館で1988年に開催された「特別展 古代ギリシアの壺絵」を見に行った.当時,壺絵に感心するだけの準備ができておらず,何で大和文華館でギリシアの壺絵なんだろうと思ったくらいだが,それでも少しでも勉強になればと思い,図録も買ってきた.今でもギリシア美術の専門家として知られている先生の監修と解説であった.
図録そのものは実家に置いていたので津波で流されたから,今,それを思い出して,日本の古本屋で検索してみたら1点しか出品されていなかった.よほど関心を惹かなかったのかも知れないと思いながら,割高だったが注文した.
この特別展に付随して思い起こされるのは,偽物が出品されているとの指摘があり,話題になったことだ.この事件について『芸術新潮』1989年5月号に,「「ギリシアの真贋事件」の真実 緊急レポート」と言う記事があり,読むと,1988年10月4日に読売新聞が一面で取りあげたことで,大きな話題となったようだが,この「レポート」の結論としては,もともと美術の専門家にとってはとっては「最初から馬鹿馬鹿しい」「騒ぎ」であったとし,贋作を言い立てた人物を怪しい人物と断じている.
この贋作騒ぎに高名な研究者も意見を述べ,その結果,印象としては「贋作」側に加担したような書き方をされている.一方,「レポート」の後の,美術商の方の「赤絵式アラバストロン 本物の証明」と言う一文を読むと,騒動が起きた時に対応が遅れた,特別展の責任者である別の教授に対して,「学者としては低次元の問題など無視すれば済むかもしれないが,信用の上に成り立つ私のような立場はそうもいかないのである」と明らかな不満を述べて締めくくっている.やはり関係者には深い傷を残したようだ.
この事件に関しては,幾つかのキーワードでネット検索しても,全くそれらしい記事が見当たらないので,全くの取るに足らない「騒ぎ」として決着し,人々の記憶からも忘れ去られたようだが,1982年に三越で行われた「古代ペルシャ秘宝展」の偽物騒ぎが発端となり,三越の社長の解任にまで発展した事件があったので,大和文華館のことも印象に残った.
古代の美術作品には,こうした問題が起こる可能性がある.正直,真贋を見分けるほどの勉強は生涯かけてもできないが,本物とされる作品を丁寧に見ていって,少しずつ勉強していきたい.
なお,「古代ギリシア陶器」専門の日本語ページもウェブ上にあり,特に「SHAPES」と言う形状の説明ページが参考になった.
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新エルミタージュ1階 「二十列柱の間」
ここで古代ギリシアの壺絵を観ることは
旅の目的の一つだった
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