フィレンツェだより番外篇
2013年8月29日



 




エルミタージュ美術館 「冬の宮殿」
サンクト・ペテルブルク



§ロシアの旅 - その1

ロシアに行ってきた.例によって,旅行会社が企画した旅(以下,ツァー)だ.エルミタージュ美術館に3日通うと言う内容に魅かれた.

 エルミタージュで観たかったものは,3つだった.

 1.ジョルジョーネ「ユディット」
 2.フランチェスコ・メルツィ「フローラ」
 3.古代ギリシアの壺絵「ダナエと黄金の雨」

 1に関しては,申込み後,現在展示されていないので,見られないと言う追加情報があったが,その情報は現地で訂正され,観ることができた.

 2に関しては,数年前に,パヴィアで開かれたレオナルデスキの特別展の情報を日本人のブログで知り,特別展のHPと,イタリア・アマゾンで入手した図録で写真を見て,いつかエルミタージュで観たいと思っていた.

 3に関しては,3月のローマ旅行以来,初心に帰って,古代ギリシア,ローマへの関心が強化されている.授業の資料作成の際,ウェブ上にある写真を参照し,一部を紹介していることもあって,「龍の牽く車で去って行くメデイア」の壺絵を是非観たいと思ったが,これがエルミタージュにあると思っていたのは私の誤解で,その絵が描かれた壺はクリーヴランド美術館の所蔵だった.それでも,やはり授業で紹介している「ダナエと黄金の雨」がエルミタージュにあることを確認し,これほどのものがあるのであれば,相当立派なコレクションであろうと期待し,古代の絵壺,絵皿が置かれた一画は是非行きたいと思った.

 幸いなことに,上記の1,2,3は全て観ることができた.

 メルツィの師匠であるレオナルドの作品とされる「リッタの聖母子」,「ブノワの聖母子」(フランス革命後,ロシアに亡命した一族の家名なので,ロシア語読みがあるのであろうが慣例に従いフランス語読みの「ブノワ」Benoitを用いる.ロシア語の綴りはБенуаとなり,「ベヌア」と読むのであろう)はエルミタージュ自慢の所蔵作品であるが,これらの素晴しさも堪能することができた.

 それぞれの作品の真作性や状態の悪さに関しては,今は措くことにする.

 また,棚の上段に置かれ,プレートも見た限り無かったので,確認はできていないが,「龍の牽く車で去って行くメデイア」と思われる壺絵もあった.


美術館での写真撮影
 レオナルドの作品に関しては,レオナルデスキの作品とともに後日報告するが,その素晴らしさもさることながら,有名な絵を観て,写真に収めたいという人々の迫力に圧倒される思いだった.

 私たちもツァーで行った訳だが,添乗員の方を入れても総勢9人であり,これに日本語を巧みに話す現地ロシア人ガイド,ロシア語で解説するエルミタージュの学芸員を加えて11人で行動していた.それに対して,イタリア人,アメリカ人,ドイツ人のそれぞれの団体(どうも,クルーズ旅行の一環のようだ.不凍港を求めて建設されたサンクトペテルブルクならではだろう),取り分け,アジアの某超大国の皆さんは,猛然と有名作品に群がり,激烈な勢いで写真を撮り,押し合いへし合いして嵐のように去って行く.

 これでは芸術作品を冷静に鑑賞する環境とは言えない.

 ロシアの美術館の多くは,少なくともサンクトペテルブルクとモスクワでは,入館料の他に,撮影料と言うのを設け,写真撮影を希望する人は券を購入する仕組みになっている.エルミタージュは表向きそのような仕組みにはなっていないようだが,外国人向けのかなり割高な入館料には,撮影料も入っているというのが,現地ガイドさんの解釈のようだ.

 私も,記憶の助けのために,写真を撮らせてもらえるのは嬉しいし,撮影料が設定されている全ての美術館で,撮影券を購入し,総計で2000枚ほどの写真を撮った.もちろんエルミタージュでも,できるだけ,空いている時間帯に,空いている空間で,撮影させてもらった.

 しかし,レオナルドやラファエロにように,ウェブ上に良質な写真がたくさんある有名画家の作品の前に怒濤のように押し寄せて,写真だけ撮って去って行くのは,それぞれの人の勝手であり,どうこう言うのは余計なお世話だとは思いながらも,「?」と言う気持ちにならざるを得ない.

写真:
エルミタージュ美術館
ミケランジェロ作
「うずくまる少年」の前で

嵐の前の静けさ


 ミケランジェロは世紀の天才であり,未完のそれほど有名でない作品にも何かしらの魅力がある.それ故に,私も凝視して立ち止まるわけだが,天才が放つ閃光に恍惚となった瞬間に,英語話者の巨大な白人に「はやくどけ」とこづかれ,私たちと見た目はよく似ているけれど,甲高く絶叫する全く別の言語を話す某超大国の皆さんに押しのけられてしまう.

 某超大国からの皆さんでも,プーシキン美術館の上品なコレクションや,ロシア美術館とトレチャコフ美術館のイコンから近代までのロシア絵画を鑑賞している人たちの場合は,エルミタージュに激浪のように澎湃と押し寄せて,芸術空間を荒涼としたものにしてしまう人たちとは全く違っていた.

 少人数のグループで来て,大きなロシア絵画の前で,記念写真を撮りあう若い人たちは,まことにほほえましい.某超大国も過渡期にあるのだということはよく分かる.

 トレチャコフの現代美術を集めた別館では,某超大国の方々を全く見なかった.レオナルド,ラファエロ,ミケランジェロは確かに世紀の大天才であり,彼らの作品を見て,人生が全く変わってしまうほどの影響力を持っているだろう.しかし,それらの前に群がって,人を押しのけて写真だけ撮り,満足して去って行くことに何ほどの意味があるのだろうか.

 もちろん,有名な絵を見て,その写真を家族や知人に見せて自慢することは,その人の成功の証しであり,幸福感を噛みしめながら,その後の人生の自信になると言う意味はあるかもしれない.それが愚かだと言うほど自分は賢くもないし,戦後日本の高度成長期にその余慶に預かって育ったので,そうした気持ちをかなりの部分,理解できるつもりだ.

 しかし,山登りをする時は,荒天に遭いたくないというのと同じ気持ちで,できれば,芸術を鑑賞する場では,某超大国の皆さんの集団には遭遇したくない.

写真:
プーシキン美術館
本館「イタリアの間」

古代,中世,ルネサン
ス芸術作品の多くは高
水準の石膏模造


 レオナルドを見た日は火曜日で,ガイドさんの話では年によって曜日が違うそうだが,今年は火曜日がクルーズの観光客が集中する日とのことだ.しかし,どの曜日に行っても,某超大国の方々は,大人数で,甲高い声を出し,高価で大きなカメラを構えながら押し寄せてくる.

 某超大国の皆さんには,皆さんなりの理屈と文脈があるわけだから,問われるのはむしろ,エルミタージュ美術館の営業政策ではないだろうかと思う.

 以前,ウフィッツィ美術館で思ったことだが,あれだけの芸術作品に溢れたイタリアでも,人が混みあうほどの美術館,博物館,教会は限られていて,世紀の大傑作や,知る人ぞ知る名品のある空間でも,多くの場合,少し時間を置けば,観ているのは私たちだけということが少なくなかった.

 それに比べれば,トレチャコフ美術館は,場合によってそう言われることがあるほどガラガラではなかった.

 芸術鑑賞によって何ほどかの個人的幸福感を得たいと言う,ロシア人,アメリカ人(かどうかは確証がないが英語話者),フランス人,ドイツ人,イタリア人,中国人,韓国人,日本人がそれなりに観に来ていて,静かに鑑賞していた.ガイドの解説は,やはりイコンなどの前では必須のようだが,それでもいまどきは,皆,イヤホン・ガイドを使用しているので,邪魔にはならない.

写真:
トレチャコフ美術館


 美術館,博物館(ロシアでは有名な教会も多くは博物館として入場料を取る,博物館なので拝観料とは言えないだろう)を維持するためには当然多額のお金もかかるわけだから,稼げるところで稼ぐ,つまり,ウフィッツィやブレラなどの人気美術館に多くの人が殺到してお金を落とす,これは,必要なことだと思う.

 その意味では,エルミタージュは圧倒的にロシアの美術館,博物館の稼ぎ頭であろうから,ここで得られたお金が,エルミタージュだけでなく,その他の美術館,博物館の運営や,芸術作品の保護に使われるのであれば,エルミタージュに多くの観光客が来るのは,むしろ慶賀すべきことだろう.

 それでも,もう少しうまいやり方はないものかと思った.少なくとも,レオナルドとラファエロの前では,写真撮影を一切禁止にするというのは一つの考えだろう.クルーズからの団体客や,某超大国の皆さんに関しては,これは当然国籍その他では分けることはできないので,一度に入れる各団体の人数を制限して,小分けにする努力が必要なのではないだろうか.


街中の建物を見て思うこと
 視覚芸術の重要な一分野として建築があることは,最近ようやく理解できるようになった.子供の頃から,歴史の本を読んでいて,それに乗っている写真で一番興味があったのは,寺社,城郭の建築で,特に五重塔と天守閣は魅力的に思えたから,建築に魅かれる要素はあったのだと思うが,それが「芸術」として認識されることには,なかなか理解が至らなかった.

 今回の旅で,最も印象に残ったのは,サンクトペテルブルクとモスクワの街中に見られる建物の外観であった.ロシア人というと,これは全くの偏見に過ぎないが,武骨な人たちで,都会的洗練さからは程遠く,繊細な美的感覚を持ち合わせているとは思えなかった.

 しかし,2つの都会を実際に見て,どちらも少し個性が強いが,間違いなく洗練されたヨーロッパの都会であり,風格の中に美的な要素が自然に備わっている美しい都市に思えた.これについては,別の回で感想を述べたい.

勤務先には複数のロシアの専門家がいて,その中には仕事を通じて友情が芽生えた同僚もいるというのに,私は,ロシアの何を知っていたのだろうか.


 文学部に進学する人間としては人並み程度のロシア文学への関心があって,高校時代に有名作家の複数の有名作品を読んでいるし,大学受験の選択科目に世界史を選択したので,ロシアの歴史に関しても多少の知識はあったわけだが,サンクトペテルブルクが瀟洒な都会であり,モスクワが経済発展の活力の中に美的要素を失わない巨大都市であるなどと考えたことは全く無かった.

写真:
モスクワ 赤の広場
ワシリー寺院


 上の写真のワシリー寺院(ポクロフスキー聖堂)のような,玉ねぎ型のクーポラを持った建物を,私たちはロシア的と考える.実際に,特にモスクワにはこのような屋根を持った教会が多いし,サンクトペテルブルクにも少なくはない.だが,2つの都会の重要な構成要素となっている,街路を飾る多くの建築は,厳密に言えば様々な様式が混在しているのであろうが,私が「新古典主義」的と感じるヨーロッパ建築であり,それが,いかにも町全体と違和感なく調和していることが,私が初めてのロシアで体験した最も大きな驚きであった.

 大都会ではない地方に行けば,また別の感想を抱くかも知れないが,少なくともサンクトペテルブルクとモスクワでそのように感じ,前者に関してはまだしも多少想像力が働くとしても,後者に関しては本当に意外だった.

 日本にも「洋館」という伝統があり,個々の建築はそれなり以上に心魅かれる物が多く,日本の洋風建築も決して,引け目を感じるようなものではない.しかし,それが都市の中で違和感なく調和しているとは言い難いのではなかろうか.

 別に報告をまとめたいが,サンクトペテルブルクに多く見られた,ドーリス式,イオニア式,コリント式の柱頭を持つ柱は,ギリシア神殿とは異なり,構造的には無意味なものが多いとしても,装飾としてそれらを選択したことは,西欧への憧憬を通じて,ある時代のロシア人たちが,古典ギリシア的な美を志向している事を示すように思われた.あるいは考え過ぎかも知れないが,一考の価値はあるだろう.


今回の旅で見られたもの
 今回の旅程は以下の通りである.

8月19日(月)   サンクトペテルブルク
   ロシア美術館
 血の上の救世主教会(外観のみ)
 聖イサク聖堂
 デカブリスト広場
 ペトロパブロフスク要塞(外観のみ)
 聖ニコライ教会(予定外だったが,現役の教会に入堂)
 8月20日(火)  サンクトペテルブルク
   エルミタージュ美術館(イタリア絵画)
 ペテルゴーフ(ピョートル大帝の夏の宮殿)
 8月21日(水)  サンクトペテルブルク
   エルミタージュ美術館
  午前:オランダ・フランドル絵画と黄金の間
  午後:自由時間(古代部門,スペイン絵画,特別展,イタリア絵画)
 8月22日(木)  サンクトペテルブルク
   エルミタージュ美術館(近代フランス絵画)
 ツァールスコエ・セロー(現プーシキン市) エカテリーナ宮殿
 8月23日(金)  サンクトペテルブルク→モスクワ
   プーシキン記念美術館(ヨーロッパ・コレクション部)
 同(本館)
 8月24日(土)  モスクワ
    トレチャコフ美術館(本館):イコンから20世紀初頭までのロシア美術
 同(新館):20世紀のロシア美術
 赤の広場
 ワシリー寺院(外観のみ観光予定だったが,自由時間に内部も拝観)
 8月25日(日)   モスクワ
     クレムリン
   武器庫
   ウスペンスキー聖堂
   ブラゴヴェシチェンスキー聖堂(外観のみ)
   アルハンゲルスキー聖堂(外観のみ)
   リザパラジェーニヤ教会など(外観のみ)

 25日に上記の観光を終え,帰国の途に就き,良く26日の朝8時過ぎに成田に到着した.

 美術館にフォーカスした旅だったので,やむを得ないが,ロシア正教の教会も,特にモスクワでは古い由緒のあるものが多くみられるのに,殆んど見ていないか,外観をバスの車窓から垣間見ただけであった.その意味では,新しい教会ではあったが,初日にロシア人ガイドのアンナさんがやや町はずれの聖ニコライ教会に予定外に連れて行って下さったのは貴重な体験であった.

 美術館も,できれば余裕を持って見たかったが,特にエルミタージュは巨大で,とても全てを見ることはできなかった.エルミタージュはやむを得ないとしても,せめて,プーシキンとトレチャコフは,あの素晴らしいコレクションをもう少しじっくり鑑賞したいものだと言う思いが残った.



 7月一杯で授業は終わったので,大変恵まれた状態ではあるが,オープンキャンパスや採点の締切,昨年9月から引き受けた新たな校務に付随する業務と,不測の事態への対応で,今回も,最悪に近い状態で旅行に突入し,直前に行った地元の病院で貰った薬(要するに消化を助ける薬だが)を飲みながらの旅だった.

 それでも,旅に出てしまえば,一時的にせよ仕事のプレッシャーからは解放され,すばらしい芸術に日々心を打たれて,体調が回復するという効果があった.現金なもので,成田に降りる前後から,また胸が痛みだした(逆流性食道炎とか食道裂孔ヘルニアというそうだ)が,最悪の状態には戻っていない.

 研究と言うような大げさなものではないが,自分の知的関心の上からも,現在担当している授業その他の面からも,ヨーロッパに行くことには,意味があるだろう.それだけではなく,今回からは「休養」という意義が完全に加わったと思う.特に,今回は全く勉強したことのない言語が話されている国だったので,連れて行ってもらった美術館その他で,多少の自由時間を活用しただけで,その意味でも,「休養」の意味合いが大きかった.

 残念なのは,エルミタージュのような超有名な美術館で3日間に渡って,学芸員の解説付きの充実の鑑賞ができる企画であるにも関わらず,催行されたものの,旅行会社の当初の催行保証人数を満たしていなかったことだ.

 この会社の企画には,まるで私のその時の関心を知っているのではないかと思うような,心憎いコースが用意されている.果たして次に行きたいと思って既に申し込んだ,今回よりもはるかにマイナーな企画に,人が集まるかどうか,これは神のみぞ知る,と言うところであろう.

 今回の報告をまとめるにあたり,それぞれの分野の著作を参考にするが,全体としては,事前に予習したのは,例によって,

 『地球の歩き方A31 2012~2013年版 ロシア ウクライナ ベラルーシ コーカサスの国々』ダイヤモンド社,2013(改訂第13版第12刷)(以下,『地球の歩き方』)

である.その他の本に関しては,初出の時に,紹介する.






ネヴァ川対岸からエルミタージュを望む
逝者如斯夫 不舎昼夜