フィレンツェだより番外篇
2014年1月28日



 




有翼のライオン
「平和の祭壇」の装飾



§ローマ再訪 - その12 古代ローマ(6) 描かれた生物たち

古代の彫刻は,様々な意味で魅力的だ.


 ギリシア古典期以降,高名な彫刻家が多数出現したが,彼らの作品の殆んどが失われてしまい,有名な作品は,大体,ローマ時代のコピーで伝わっている.

 このコピーに対する評価は,はっきり意見がわかれる.ローマン・コピーによって,ギリシア彫刻の神髄を知ることは不可能であり,弊害すらあると言う専門家もいる.

 とは言え,多くの場合,ローマン・コピーしか残っておらず,パウサニアスやプリニウスが言及した傑作を,それによってしか知る術がないのも事実で,しかも,「カピトリーニのヴィーナス」に感銘を受けた和辻哲郎のように,多くの人は,決して十分ではないかも知れないが,ローマン・コピーからも感動が得られるようだ.

 ギリシア彫刻の模刻を後世に伝えることができただけでも,ローマ時代の芸術の水準の高さを知ることができるのではないかと,個人的には思う.

 高名な作家の作品ではないオリジナルなら,相当数残っており,ヨーロッパ各地の美術館,博物館をめぐって鑑賞することもできる.

 芸術性の高い傑作だけが,私たちの心を打つわけではない.文学でも,そう言っては差し障りがあるかも知れないが,中世の文学作品で,ダンテやチョーサーの書いた作品以外に,ギリシア・ローマの古典に伍するような傑作があるとは思えないが,それでも人は中世の文学にも魅力を感じ,研究者は読みにくい写本を校合して,刊本を作り,読者も絶えない.

 ギリシア悲劇と中世の演劇を比べれば,その水準には懸絶した違いがあり,それを理解できないのなら,文学を語る資格はない.しかし,中世の文学にはやはり,捨て難い魅力があり,決して,人の心を打つのは,高い芸術性だけではない.

 素朴な味わいや古拙感に魅力を感じるとき,その作品,それが視覚芸術であれ,言語芸術であれ,それを創作した人々,支援した人々,鑑賞した人々の人生の営為を感じることができれば,そこに感動も生まれ,作品への愛情が芽生える.


キリスト教のシンボル
 下の写真の浮彫では,一対の孔雀が向かい合って水を飲み,周辺に樹木などの植物が彫り込まれている.イオニア式柱頭のような装飾があるとは言え,十字架があるので,間違いなくキリスト教的図像であり,楽園をイメージしたものであろう.キリスト教徒の墓碑,もしくは石棺パネルであることは間違いないと思われる.

写真:
孔雀のいるパネル
サンタ・マリーア・
イン・トラステヴェレ聖堂の
ポルティコにて撮影


 ラヴェンナ近郊のクラッセにあるサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂の堂内に置かれた大きな石棺の幾つかには,孔雀や鳩などの鳥が向かい合う姿の浅浮彫があった.中でも胴体部分にクリスム(ギリシア語のクリストスの最初の2文字ΧキーとΡを組合せ円で囲んだもの)の左右に向かい合う孔雀が配されているものが記憶に残る.

 同聖堂には,胴体部分に十字架を囲む向かい合う羊,側面に十字架を囲む孔雀,蓋の側面に十字架を囲む鳩が彫り込まれた石棺もある.蓋の側面に鳩か孔雀か区別がつきにくいが,一対の鳥が見事な装飾壺を囲んでいるものもある.

 ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂,同じ敷地にあるガラ・プラキディア霊廟のモザイクにも,十字架や水の容器を囲む鳩や羊たちがいた.対になってはいないがサン・ヴィターレの堂内に孔雀のモザイクもある.

 いずれにせよ,羊はキリストもキリスト教徒も表し,鳩は聖霊を意味するので,孔雀も重要な象徴動物であったことは間違いないだろう.

 異教(非キリスト教)の装飾には,スフィンクスやグリフィンが向かい合う浮彫も良く見られるようだ.そうした石棺装飾(紀元後1世紀)もディオクレティアヌス浴場跡考古学博物館で観ている.

写真:
キリスト教徒リキニア・
アミアスの墓碑
紀元後3世紀初頭
ディオクレティアヌス浴場跡
考古学博物館


 上の写真の墓碑の上部に刻まれたDMは,ディース・マーニブス(DIS MANIBUS)「地下(の霊)なる神々に」と言うラテン語であり,キリスト教以前の墓碑に見られる非キリスト教的決まり文句だ.

 一見,一神教のキリスト教の墓碑にふさわしいとは思えないフレーズだが,ローマ教皇をラテン語で,ローマの大神祇官と同じポンティフェックス・マクシムスと言うのと同じことで,古代的伝統を慣習的に引き継いでいると言うことであろう.

 その下のギリシア語イクテュース・ゾーントーンは,「生ける者たちの魚」と言う意であり,これがあるので,キリスト教徒の墓碑であるとわかる.

 その下の魚の絵は2尾いるので,複数形のイクテューエスになるはずなのだが,単数形であるのは,以前触れたように,「イエス・キリスト・神の・息子・救世主」(ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡイエースース・クリストス・テウー・ヒュイオス・ソーテール)のそれぞれの語頭の文字を組み合わせる※と,イクテュースと言う「魚」の単数形になるからであって,これが複数形やラテン語では,この意味するところを表現できない.(※acronymアクロニムと言うギリシア語語源の英語があるようだ.)

 大文字の「Σ」がラテン文字の「C」のように表記されることは良くあることだ.

 「生ける者たちの」を意味する現在分詞の男性・複数・属格は,「洗礼によって生まれ変わり,真に生きている者たち」を意味している(フリッジェーリ,p.164).また,2尾の魚の間にあるのは「碇」で,これは救済を意味するものらしい(同書,p.163).

 この墓碑は,博物館の解説版でも「最古の」キリスト教墓碑の1つとされている貴重なものだ.

写真:
キリスト教徒の墓碑
ディオクレティアヌス浴場跡
考古学博物館


 鳩とオリーヴの枝と言えば,ノアの洪水の40日後に,水のひき具合を確かめようと,ノアが箱舟から放した鳩が,1度目は止まるところなく戻って来たので,水がひいていないことを知り,7日後の2度目はオリーヴの葉を加えて戻って来たので,地上から水がひいたことを知り,さらに7日後3度目に放ったら,もう戻って来なかった(「創世記」8章8-12節)という「故事」にちなむ平和の象徴であり,苦難が去ったことを告げるキリスト教的「徴」と考えられる.

 鳩の上の,ギリシア文字のΧ(キー)とΡ(ロー)の組合せがあるので,後者は反転して書かれているが,キリスト教徒の墓碑であることは間違いない.



 ところで,このギリシア文字のΧ(キー)とΡ(ロー)を組合せた徴を「クリスム」と言うのだとずっと思っていた.日本語で「クリスム」を検索してもヒットするページもある.よくできた分かり易いページだ.

 さらに,以前言及したように,馬杉宗夫『ロマネスク美術紀行 スペインの光と影』(日本経済新聞社,1992)に,一通り説明した後で,「この円はクリスム(傍点)といい,キリストを象徴的に表現している」(p.108)とある.文脈のとらえ方に私の誤解がないという前提で,キリスト教美術の専門家のことばなので,そのまま鵜呑みにしていた.

 しかし,英語のchrism,イタリア語のcrismaなどを辞書で引いても,「香油≪洗礼は叙階などの儀式に用いる油≫」(電子辞書の『ジーニアス大英和辞典』)と言う意味の登録しかなく,chrismでウェブの画像検索をしても,延々「香油」の画像が出て来る.ただ,一つだけ,ΧとΡの組合せを円で囲んだ徴をそう呼んでいる英語ページがあったが,これについては,確認が必要だ.

 この段階で,今後,「フィレンツェだより」では,より一般的な「ラバルム」(日本語ウィキペディアもこの読みで立項),もしくは「キー・ロー」(電子辞書の『ジーニアス英和大辞典』に拠れば,英語ではChi-Rhoと書き,キアロウもしくはカイロウに近い発音になるようだ)と称することにしようかと,一瞬思った.

 さらに,文字を意味するギリシア語のグランマと組み合わせてクリストグラムという言い方もあるが,この場合は,イエースースとクリストスのそれぞれの最初と最後の文字を組み合わせたΙCΧC(CはΣの別形)のことを言うようだ.

 モザイクのキリスト像には,キリストの顔の両脇にΙCとΧCのそれぞれの上に,スペイン語のnを口蓋音音化するティルデ「̃」(tilde)のような記号が付される.聖母の両脇にΜΡ(メーテール「母」),ΘΥ(テウー「神の」)に「̃」着いた文字が付されるケースと同じだ.

 一連の用語の中に,クリスモンと言う語もある.単一の文字,もしくはその組合せによる記号をギリシア語でモノグランマと言うが,これにラテン語で「キリストの」を意味するクリスティー(ギリシア語ではクリストゥー)を付し,クリスティー・モノグランマと言う句ができて,そこからクリスモンと言う語ができた.

 この語は英語版ウィキペディアに立項されているが,電子版『ジーニアス英和大辞典』には登録されておらず,『リーダーズ英和辞典』の方にはある.クリズモンに近い発音になるようだ.複数形はギリシア語の中性名詞同様クリズマとなり,意味はキー・ローを見よとある.

 こうして,あれこれ調べたり考えたりしているうちに,ようやく,馬杉先生の用語は,フランス語(パリ大学で勉強された)であったことに思い当たった.chrismeは旺文社『ロワイヤル仏和辞典』に登録され,記号も示されている.

 自分の専門でも,知らないことは一杯あるが,キリスト教も美術も全く専門外なので,時々基礎的知識が欠如していることに愕然とする.「唯一の取り柄はラテン語が読めること」と言いたいが,実は,この碑文で一か所読めないところがある.

 「彼(関係代名詞)は2月13日の6日前に28年の生涯を生き終えた」と読めるように思う(ただ「6日前」は少し怪しい)のだが,先行詞のウィクトルが「勝利者」なのか,固有名詞なのかは間にある文字をどう読むかに拠る.かろうじて「神の」(デイー)は読めるが,その他は正直お手上げだ.

 英語とイタリア語による解説板も撮ってきたのだが,写真が小さすぎるうえ,拡大してもピントがあっていなかったので,全く読めない.フリッジェーリの『ディオクレティアヌス浴場跡国立考古学博物館の碑文集成』にも言及がない.残念だが,「解読」は後日の課題とする.

(後日:フリッジェーリの英訳版の親本にあたるのかどうか確認していないが,

 Rosanna Friggeri / Maria Grazia Granino Cecere / Gian Luca Gregori, eds., Terme di Diocreziano: La Collezione Epigrafica, Milano: Mondadori Electa, 2012

をイタリア・アマゾンで購入したところ,この墓碑も取り上げられており,様々な古典文法や正字法とは違う読みが提案されていた.

 私が「勝利者」もしくは,「ウィクトル」と言う固有名詞だと思ったVICTORは,その次の文字で私が前置詞ABだと思った文字の前の方のAを続けて,VICTORAと読み,正しくはVICTORIA(エラスムス式ではウィクトーリアと読み,「勝利」の意味だが,ここでは女性の固有名詞)となる人名とされている.

 ABだと思った後ろのBは,その次の私がIRCO(この形で奪格なら前置詞の被支配格になるが,辞書登録形が古典語では全く思いつかない)と呼んで意味がわからなかったIRGOと続け,BIRGOとして,これはVIRGO「乙女」の別形として,後続のDEI「神の」と連動させ,「神の乙女」と言う結婚せずに,敬虔な生活を送った女性たちの一人の主格と取るようだ.

 さらに,私が関係代名詞の間違いなく男性・単数・主格と考え,そのゆえにこそ「ウィクトル」と言う男性を想起したQVIは,女性・単数・主格のQVAEと同じものと考えるとのことだ.関係代名詞は,ラテン語の子孫であるイタリア語やフランス語では確かに男女同形になるので,民衆語のレヴェルでは不思議はないだろう.

 vは,エラスムス式では「w」音と考えられているが,口語レヴェルでは既に「v」音となり,さらに現代スペイン語のように「b」音と同一視されているらしいこと,固有名詞化した基礎的な普通名詞が若干の変化を蒙っていること,さらに,関係代名詞の男女同形化が見られるなど,私たちが教室で学んだラテン語とは異なる変化が生じていることが想定されていて,勉強になった.以上の解釈を盛り込めば,この墓碑のラテン語は

 「2月13日の6日前に28年の生涯を生き終えた,神の乙女ウィクトラ(ウィクトリア)」

と読めることになる.しかし,virgoウィルゴーはbirgoビルゴーと綴りまで変わったのに,Victoriaウィクトーリアは,何と読んだのかは推測するしかないが,綴り上「V」をそのまま残しているのは,若干疑問にも思う.しかし,これに関しては,こうした碑文を山ほど読んでいる人の経験と知識の蓄積を信じるしかないだろう.少なくとも,私は博物館に行かない限りは,碑文を直接読むことはないので,謹んで勉強させてもらうのみだ.

 今回,入手した本は,是非熟読玩味したいが,紙表紙本にも関わらず,800頁の大冊で,これを壊さずに読むのは至難の業だと予想される.)(2014年2月14日記)


猛獣たち
 下の写真は石棺の蓋の部分の浮彫で,本体には,『アエネイス』第4巻(130-159行)で重要なエピソードである「アエネアスとディド―の狩り」が彫り込まれている.

 本体正面はアエネアス,ディド―,アエネアスの子でカエサル家の祖先とされるユルス・アスカニウスの他に有翼のエロス(クピド)が彫り込まれ,向かって右半面には猟犬による鹿狩りの様子が描かれている.

 側面には,ミネルウァ,ウェヌスと河の神,もう一方の側面には猪狩りをするアスカニウスが彫られ,「蓋」部分正面は,『アエネイス』と無関係だが,2人の狩人が,雌ライオンからその子を奪い,舟で川を渡って逃げる様子が,馬が雌獅子に襲われ狩人が落馬する場面(したの写真)を含めて彫り込まれている.

写真:
「アエネアスとディドーの狩り」
の浮彫がある石棺の「蓋」の
部分の浮彫
マッシモ宮殿
紀元後2世紀後半


 この石棺には,女児の遺体と死出の装束が収めらていたとのことで,雌獅子から子を奪う狩人の浮彫は,成長せずに亡くなった幼児の弔いのモティーフと解釈されているようだが,果たしてどうか.

 確かに,『アエネイス』から題材を取った浮彫よりも,雌獅子の場面の方が,躍動感があって,見事に彫り込まれているように思える.

写真:
プロトメー
(甲板横梁先端獣頭装飾)
マッシモ宮殿
考古学博物館


 プロトメー(最終音節にアクセント)と言うギリシア語を知らなかったが,辞書を引くと,「切り落とす」と言う動詞から派生した,切り落とされた動物の頭部のことを意味する語のようだ.

 一般に道具類の装飾に使われたようだが,上の写真は船の甲板に使われる横梁の先端を飾ったもののようだ.他に,狼とメドゥーサのものが展示してあった.

 海で使われた船ではなく,ローマ市のあるラツィオ州の,女神ディアナの聖域のあるネミ湖に浮かべられた船に取り付けられたものとのことだ.現在,現地にはネミ・ローマ船博物館がある.

 プロトメーと言う語自体は,後世,様々な獣頭装飾だけではなく,人頭装飾にも使われるようだが,『オックスフォードギリシア語辞典』に拠れば,古代では人頭に使われるのは稀とされる.

写真:
パラティーノの丘に
転がっていた造形


 パラティーノの丘には,様々な遺跡の断片が転がっている.

 上の写真は,柱か像の一部,あるいは何かの台座か,それすら分からないものに施された動物装飾だ.角らしきものがあるので羊か山羊のようにも見えるが,前足と思われる部分は猛獣の足のように見えるし,牙もあるので,ヘラクレスが着ているネメアの獅子の毛皮かも知れないが,この角度からしか見ていないので,今の所,何か思い当たらない.資料もヒントも無い.

 今回観ることができた古代遺物の中で,最大の謎の装飾だ.


有翼の動物たち
 ライオンと山羊と言えばキマイラで,それを退治した英雄ベレロフォンが跨っていたのが,有翼の馬ペガサス(ペガソス)であった.

 しかし,下の写真のようにペガサスに角が生えている図像は,古代のものでは今のところ見当たらない.角の生えたペガサス,あるいは有翼のユニコーンがいたかどうかはわからない.

写真:
フレスコ画
有翼の一角馬?
マッシモ宮殿
国立考古学博物館
紀元後2世紀?


  ペガサスがギリシア神話に登場するのは多くの人が知っているが,ユニコーンに関しては,紀元前5世紀の医者でのクニドス出身のクテシアスが,ペルシア王の侍医の立場を活かして,ペルシアとインドに関する報告をまとめている中で,後者に1本の角が生えた野生のロバがいると言っているのが最古の言及らしい.

 アリストテレス(前4世紀),ストラボン(紀元前後),大プリニウス(後1世紀)が,それらしいものに言及しているが,いずれも実物は未確認で,牛や鹿の類からの想像と考えられる.

 紀元後2世紀から3世紀(c.175-c.235)のアイリアノスが,『動物の特性について』で,インドには一角の馬がいると述べ,同じ著書の別の箇所で,薬としての効能についてクテシアスを引用しながら,角のあるロバにも言及している,

 クテシアスについては,英訳本が出ているので注文したが,アイリアノス『動物の特性について』は希英対訳のロウブ古典叢書の3冊本があるので,確認した.一角の馬がインドにいることに関しては「~という話だ」(パースィ)とあり,伝聞であることがわかる(3巻41章).一方,馬と同じくらいの大きさのロバがインドにおり,額に角があると言うことに関しても「学んで知っている」(ペピュズマイ)と断っている(4巻52章).

 そして,さらに一角の動物(ゾー(イ)オン・モノケローン)がインドにいて,カルタゾーノスと呼ばれていると言っている(16巻20章).ロウブ叢書の校訂と英訳を担当したスコフィールドは,古代インドの「犀」を意味する語が転訛してできた語と注釈をつけている.

 英語版ウィキペディアは,アラビア語の「犀」が語源の可能性があるとしているが,スコフィールドの注にあるように,ペルシア語の「犀」の語源がインドの文語のサンスクリットや俗語のプラークリットであれば,ペルシア語からアラビア語に移入した可能性があると想像するが,安直な推測は控える.

 いずれにせよ,インドに生息したとギリシア人が考えた一角馬,もしくは馬ほど大きい一角ロバは,もしかしたら犀に関する伝聞が誤って伝わったものだったかも知れないが,アイリアノス自身は,「犀」と「一角獣」は別のものと考えていたようだ.

 「犀」はギリシア語ではリーノケロース(リーノス「皮」+ケラース「角」の造語)と言うようで,これが英語のrhinocerus(ライノケラスに近い発音)「犀」の直接の語源になるが,『オックスフォードギリシア語大辞典』を引くと,この単語の初出はカッリクシノスと言う前3世紀の歴史家の断片で,その次はストラボン(紀元前後)であり,現存する文献で見る限り,ヘレニズム時代以降の語で,アイリアノスにも用例(17巻44章に3回)があるので,これが私たちがよく知っている「犀」であるのは間違いないようだ.

 ギリシア語では「一角の」と言う形容詞がモノケロース(モノス「単独の」+ケラース「角」)になり,これのラテン語形からユニコーンの語ができたが,ラテン語では形容詞形ウーニコルニス(ウーヌス「1」+コルヌー「角」)の初出が上述の大プリニウス『博物誌』,名詞がウーニコルヌウスで,これはテルトゥリアヌス,アンブロシウスなどキリスト教文献にしか出て来ないようだ.

 旧約聖書で,ヘブライ語の「野牛」を意味する語が時として「一角獣」と解されたことと関係あるかも知れないが,これ以上は力に余るので踏み込まない.

 ユニコーンは,中世以降のキリスト教伝説と視覚芸術では聖母マリアと結び付けられるし,貴族の家紋などに多用されており,たいへん興味深い.もう少し深く調べてみたいところだが,他にも喫緊の課題があるので,後日の楽しみとする.

写真:
レオグリーフォのリュトン
マッシモ宮殿
考古学博物館


 このリュトン(「つの」状の杯ということで「角杯(かくはい)」と言う訳語もあるようだが,以下「リュトン」で通す)を観た時,間違いなくペガサスをもとにした造形に思えた.ところが,解説版と案内書にはレオグリーフォとある.

 レオグリーフォとは,レオーネ(ラオイン,ラテン語ではレオ))とグリフォーネ(グリフィン,ラテン語ではグリュプス)からの造語であろうと思われたが,頼りにしている小学館『伊和中辞典』にはleogrifoの登録はない.

 グリフィンは想像上の動物で,鷲の嘴と頭部,翼,鉤爪のついた脚,ライオンの胴体,尻尾,後ろ脚を備えているとされる.

 ギリシア語でグリュプスへの古い言及は,ヘロドトス『歴史』3巻116章にある.そこにはヨーロッパの北方でなぜ金が大量に産出されるかということに関して,「伝えられるところでは,一つ眼のアリスマポイという人種が怪鳥グリュプスから奪ってくるのだという」(松平千秋訳,岩波文庫,上,p.358)とあるだけだ.しかも「怪鳥」は訳者の付加で,原文は「グリュプスどもから」(ヒュペク・トーン・グリュポーン)と複数形で,何の説明もなく使われている.ロウブ叢書の英訳にも,ハウとウェルズの注解書にも何の言及もない.

 岩波文庫の訳注には「巻四,一三節参照」とあるので,参照すると「一つ眼のアリスマポイ人」と「黄金を守る怪鳥グリュプスの群」と名前が挙げられているだけ,さらにその訳注を見ると,「巻三,一一六節参照」とあるだけだ.ここでも「怪鳥」は,やはり訳者の付加で,「黄金を守る」(クリューソピュラックス)と言う修飾語が複数・対格で,グリュプスを形容しているのみだ.

 しかし,ハウとウェルズの注解(オックスフォード大学出版局,1912)にグリュプスへの詳しい説明がある.

 これに拠れば,アイスキュロス作とされる『縛られたプロメテウス』(803-804行)にも,主人公が合唱隊に語る台詞「鋭い口をもつ,決してほえぬゼウスの犬,/グリュプスに気をつけるのだ」(講談社世界文学全集2,岡道男訳)として言及があり,やはりアリスマポイ人と結び付けられている.

 これが最古かどうか判然とはしないが,ヘロドトスよりも古いであろう.「鋭い口を持つ,ゼウスの犬」と言う句は,ゼウスの神鳥である「鷲」を想起させるので,ヘロドトスの場合よりも,私たちが知っているグリフィンを想像しやすい.

 より詳しい説明としては,やはり後代の,ギリシア語であればクテシアス,ラテン語では大プリニウスに拠らなければならないようだが,ここでは深入りしない.

 ヘロドトスは,北方のものとしているように思えるが,クテシアスはインドと関係づけており,いずれにせよ,ギリシアの外,多くの場合東方と結び付けられる.



 グリフィンをめぐっては,この怪物が雌馬との間に儲けたヒッポグリフという別の動物が想起されることがある.ヒッポスは馬を意味するギリシア語で,ルドヴィーコ・アリオストと言う16世紀のイタリアの詩人が物語的叙事詩『狂えるオルランド』で造語したippogrifo(イッポグリーフォ)が最古の例とされる.この語は小学館『伊和中辞典』に登録がある.

 この発想の原点は,紀元前1世紀後半の大詩人ウェルギリウスの『詩選』(内容から『牧歌』とも訳される)の第8歌に「すぐにも,グリュプスどもは,馬どもに結び付けられるだろう」(27行)とあることに拠っている.

 ただ,ウェルギリウスの作品では明らかに「不可能事」(アデュナタ)の中の一例として挙げられており,古代世界の発想では「有り得ないこと」として認識されていたことになる.

 上述のように,解説を見るまで,このリュトンは,ペガサスをもとにした造形だと思っていた.それが無理もないと今でも思う根拠は,たてがみと前脚の蹄である.これを見ると,本当にヒッポグリフの発想がイタリア・ルネサンスの時代まで,不可能事以外の痕跡が無かったかどうか,確信が持てなくなる.

 マッシモ宮殿の作品は,ローマのカピトリーニ美術館にある,ギリシア人ポンティオスが作ったとされるリュトンの小さ目の複製とされる.ポンティオスはウェルギリウスと同時代か少し前の紀元前1世紀の作家だ.

 カピトリーニの作品は見た記憶がないが,案内書の写真を参照すると,前脚の膝は破損しているものの,マッシモのものでは壊れている「杯」の部分が完存しており,そこに「踊るマイナスたち」の浮彫がある.こちらの作品も「蹄」が残っており,マッシモ宮殿のものと同様,「馬」を想起させる.

 マッシモ宮殿で撮って来た写真を拡大すると,確かに顔は馬ではなく,ライオンに見えるので,解説板のレオグリーフォと言う造語は不当ではないだろう.後世のヒッポグリフを遥かに先取りして,ライオンの顔,馬のたてがみと首,前脚と蹄,鷲の翼が融合した造形と言えよう.

 このリュトンの写真は何枚も撮っているので,よほど興味を魅かれたのだと思うが,それにしては,あれほどたくさん古代彫刻と石棺の写真を撮ったカピトリーニで,この原型であるリュトンに気付かなかったとは奇異なことだ.

 下部の波状の彫刻は,レオグリーフォが泉で水浴びをしていることを表現しているようだ.


海の生物が描かれたモザイク
 壁のフレスコ画,床のモザイク,マッシモ宮殿に展示されたローマ時代の住居装飾はどれもすばらしく,2006年に初めてローマに行った時から魅せられ続けている.

 フィレンツェ滞在していた2008年に再訪し,今回で3度目の訪問だが,彫刻その他の見事な展示に見惚れて,くたくたになった後で,重い足を引きずって,広く高い階段を上り(一応,エレベーターもある),たどりついた先の住居装飾の見事さに目を見張るパターンは,毎回一緒だ.

 生物が描かれた作品が数多あるマッシモ宮殿の床モザイクの中で,下の写真の作品を選んだことに,これと言った理由はない.

 強いて言えば,海の生物のモザイクがたくさんあったので,そのどれかを紹介しようと思い,生き生きとした描写が魅力的なこのモザイクを取り上げることにした.

写真:
モザイク「海のティアソス」
紀元後2世紀
マッシモ宮殿考古学博物館


 向かって右側の女性は,冠をかぶって,海中にいるので女神であろう.女性が牛に跨って海中にいるとエウロパかと思ってしまうが,この牛はゼウスが変身した牡牛ではなく,海牛(下半身が魚)である.案内書には,女性はネレイス(ネレウスの娘で,複数形はネレイデス)とあり,女性の右側にも左側と似た人物がいるが両方とも櫂を肩に担いだトリトンと説明されている(Carlo Gaspari / Rita Paris, eds., Palazzo Massimo alle Terme: Le Collezioni, Milano: Electa, 2013, p.456).

 トリトンは,ヘシオドス『神統記』で海神ポセイドンとその妃アンピトリテの子供とされ,黄金の宮殿に住むという由緒ある所伝を持つ神だ.アンピトリテはネレイスの一人なので,この女性がアンピトリテの可能性はある.

 だが,この絵柄を見て,ふと別の話を連想した.出典を確かめる余裕がないが,高津春繁の『ギリシア・ローマ神話辞典』とピエール・グリマルの『古典神話事典』に,ボイオティアのタナグラで,ディオニュソスの祭礼の時に,女性たちが湖で沐浴していると,そこにトリトンが襲い掛かり,女性たちの祈りで,ディオニュソスがトリトンを追い払ったという話がある.また,その湖の湖畔で,トリトンは家畜の略奪を習慣としていたが,ワインの入った甕が岸辺に置かれ,それをトリトンが飲んで酔っ払って寝てしまったところを,斧で殺されたとする伝承もあるとのことだ.

 ここまでを比べながら読むと,大先生の労作がいかに先行する業績を参考にしたかがよく分かる.さらにグリマルに拠れば,トリトンの名は一人の神ではなく,ポセイドンの従者たちに適用されることがあるとのことなので,このモザイクの女性,2人のトリトンと牛の図像は,そこから説明できるかも知れないと思った.

 しかし,そうなると,冠をかぶっていても女性は女神ではないことになり,これをディオニュソスの祭礼への参加の印と解釈できるかどうか.

 また,案内書では,ティアソスに対応するティアーゾと言うイタリア語もあるのに,イタリア語ではあまりつかわないthと言う綴りをわざと残して,イタリア語と区別している.これは,この語が通常用いられる,葡萄と酒の神ディオニュソスを取り巻く一団と言うことではなく,海神ポセイドンを取り巻く一団であることを表現しているものと思われる.

 つらつらと考えてはみたが,やはり複数のトリトンと,ネレウスの娘,上半身が牛で,下半身が魚(もしくは海獣)の「海の牛」が描かれた海中の図像と考えるのが良いようで,結局,上記の案内書にある「海のティアソスを描いたモザイク」と言う題名が妥当という結論に落ち着く.



 トーロ・マリーノ(海の牛)という造形が出てきたので,下半身が魚になっている海の生物の造形について,少し調べてみた.

 まず,「海の牛」の床モザイクは,カンパーニャ州サレルノ県のミノーリと言う町に残るヴィラ・ロマーナで見られるようだし,他にもまだあるようだ.

 同じくサレルノ県サプリの紋章には,上半身が牛で下半身が魚(と言うよりもアザラシのような海の生物)の生物が海辺に寝そべっていて,沖に古代神殿が見えるものがある.

 マッシモ宮殿の博物館の床モザイクの中に,大きな床を5×5の格子に分割して,それぞれに別の絵が描かれたモザイクがあるが,その一つに,上半身が山羊で,下半身が魚(と言うよりは海蛇の類に見える)という生物に少年(エロスか幼年時代のヘルメス)が跨っている絵が描かれている.

 これはイタリア語ではエジパーノと言うようだが,ギリシア語はアイギパーンと言い,山羊(アイクスで,属格がアイゴスなので複合語にg音が出る)と牧神パン(パーン)の組合せで,高津春重の『ギリシア神話辞典』には「≪山羊のパーン≫,すなわち山羊の姿のパーン」と説明されている.であれば,アイギパーンがさらに,海に住む想像上の生物の姿で描かれたものであろう.

 下部に海豚がいるので,海洋生物として描かれたのは間違いない.こうなるとなんでもありだ.

 英語でヒッポキャンパス(hippocampus)と言う語があり,ジーニアス英和大辞典には「海馬≪頭と胴は馬で尾はイルカまたは魚の怪獣≫」と説明されている.ギリシア語ではヒッポカンポス(ヒッポス「馬」+カンポス「海の怪物」)と言うようで,古典にも用例がある.イタリア語でもイッポカンポと言う形で辞書登録されている.

 ヒッポカンポスに関しても,マッシモ宮殿で,壁のフレスコ装飾や床モザイクに複数の作例が見られる.

 実在の生物,もしくは空想上の生物を描いた図像表現は,現存するものだけを追っても,きりがないほど存在するようだ.やはり,ギリシア,ローマは恐ろしいほど深い.もちろん,それをさらに遡るエジプトやメソポタミアまでいれると,もうお手上げな感がある.



 いかに,芸術家の力量が優れ,作品に迫真性があろうとも,本物の生き物が目の前に現れると適わない.

写真:
大統領官邸の近くを行進
する騎馬隊
(確か警察ではなく軍隊)


 サンタンドレーア・アル・クィリナーレ教会から,クィリナーレ通りを歩いて,サン・カルロ・クァットロ・アッレ・フォンターネ教会に向かう途中で,騎馬隊の行進を見た.2列に並んだ長い隊列は,整然と道路を行進し,やがてクイリナーレ宮の中庭へと姿を消した.

 ちなみに,大統領宮殿は,古代ローマの七つの丘の一つモンス・クゥイリナーリスがあった,クィリナーレの丘にあるので,クィリナーレ宮殿と言うが,この宮殿の前の広場には,馬を馴らしているカストルとポルックス(カストルとポリュデウケス)の古代石像がある.その像も立派だが,やはり生きた馬の長大な隊列を見ると,その迫力に圧倒される.

 書き出して,半年以上が過ぎてしまい,その間に8月に行ったロシアの旅の番外篇が先に完結してしまったが,これで,ようやく「ローマ再訪」篇が終了する.ローマは,何度でも行きたい街だ.






ぽっかりと明るい空間があいていた
水辺には鳥たちが憩う
ボルゲーゼ公園 「湖の庭園」