フィレンツェだより |
オルサンミケーレ教会 壁龕には聖ペテロ像 |
§オルサンミケーレ教会
今日は拝観することができた.厳粛な祈りの場であることは他の教会と同じだが,ドゥオーモ,シニョリーア広場,ポンテ・ヴェッキオの間にあるという「地の利」のせいか,修学旅行風の観光客が多く,少し騒がしい.写真厳禁なのに撮影する人もいる. 天井や壁のフレスコ画に目を見張りながら,堂内を奥に進み,聖アンナの祭壇の前に出た.聖アンナと聖母子の大理石像がある.後で購入したガイドブックの写真では「我は世の光なり」という聖句がヘブライ語で書いてあるそうだが,気づかなかった. その右隣にある大理石の天蓋型「礼拝壇」とその中にある「慈悲の聖母」の祭壇画が素晴らしい.前者はオルカーニャの名で知られているアンドレーア・ディ・チョーネの作品で,完成したのは1359年,後者は1347年にベルナルド・ダッディが描いたものとのことである.
![]() 先日(4月30日)に写真を紹介したとき,何の像かは知らないと書いたのは,「4人の殉教聖人」像で,ナンニ・ディ・バンコの作品だそうだ.これらの壁龕像は色々なギルド(アルテ)から奉納されているらしいが,ゲオルギウスは武器製造業者の組合,4人の聖人像は石工と木工職人組合から寄贈されたとのことだ.
この「聖ルカ」像は判事と公証人の組合が奉納したジャンボローニャの作品である.したがって比較的新しいもので,1602年の作品とのことだ. 下の左側の写真の聖ステパノスはギベルティの作品なので古く,1426年に羊毛組合から寄贈された.また下の右側の写真の「聖トマスの不信」のブロンズ像はヴェッロッキオが1484年に制作し,その際に工房で修行していたレオナルド・ダ・ヴィンチが手伝ったとのことだ. この像の前で,アメリカ人の長身の男性に見下ろされながら,英語で「キリストの隣の人物は誰だ」と聞かれた.私は知らなかったのでうろたえたが,妻が教えてくれて「聖トマスだ」と答えることができ,感謝され面目を施した.
上の写真は,作者については様々に議論されている「聖ヤコブ」の像で,毛皮業者組合が奉納した. 右下の「聖母子」像は,昨日「薬屋」とサン・バルナバ教会を紹介したときに出てきた医師・薬種商組合によって寄贈されたものだ.フィエーゾレのシモーネ・フェッルッチの作品 (1399) で,「バラの聖母」と称されている.
ほかに,靴屋組合の「聖ピリッポス」(ナンニ・ディ・バンコ,1413),絹織物業者組合の「福音史家ヨハネ」(バッチョ・ダ・モンテルーポ,1515),サン・ミニアート・アル・モンテ教会のとき言及した(5月5日)カリマラ組合の「洗礼者ヨハネ」像(ギベルティが考案してアルビッツォ・ディ・ピエーロが制作,1416),鍛冶屋組合の「聖エリギウス」像(ナンニ・ディ・バンコ,1415),リンネル製造業者と古着商組合の「聖マルコ」(ドナテッロ,1411)がある. さらにギベルティの「聖マタイ」像(両替商組合,1422)があるはずで,傑作の呼び声も高いということなのだが,今日は外されていた.修復中だろうか. この教会には美術館(ムゼーオ)があるとのことだったが,係りの人に訊ねたところ休館中とのことだった.
![]() 以前この建物の前を通ったとき,壁面の浮き彫りが面白かったので写真に収めていた.下の四角の中にはフィレンツェの紋章があり,上部は山羊がいる.これが珍しいように思えた.
ところが,オルサンミケーレ教会の壁龕の上にある彩色テラコッタの中にも山羊がいた.トップに掲げた聖ペテロ像の上にある彩釉陶板である.
この像の奉納者は肉屋組合だから,山羊はそれと関係が深いのだろう.後述のガイドブックにはこの陶板の写真はあるが作者への言及はない.ただし,他の陶板の作者は例のルーカ・デッラ・ロッビアである. ![]() 下の写真がその表紙で,この絵が,ダッディの「慈悲の聖母」(マドンナ・デッレ・グラーツィエ)である.本物の方が金色の光を放っていて美しいが,華やかなので写真を載せることにした.英語とイタリア語対訳の本で勉強になる.ここには掲載していないが,裏表紙の「聖ゲオルギウス」の写真がようやく満足のいくものに出会えたと思うほど良かった.
![]() カヴール通りの前のマルテッリ通りの教会の傍にいつも古本の露店(バンカレッラ・ディ・リーブリ)が出ているが,そこで,フィレンツェとタオルミーナの図版豊富な英語版のガイドブックと,イタリア語版で古い(1968年)が,考古学博物館のガイドブックを買った. 帰宅後妻と読んでいたら,フィレンツェのはフランス語版だった.まあ,これはこれで仕方ないだろう. |
ガイドブック表紙 ダッディ「慈悲の聖母」 |
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