フィレンツェだより番外篇
2012年4月2日



 




サン・ジョヴァンニ洗礼堂
11世紀(完成は12世紀)



§フィレンツェ再訪 - その8 ロマネスク

サン・ジョヴァンニ洗礼堂の建設は,11世紀に遡る.ローマ帝国支配の時代には,この場所に軍神マルスの神殿があったことが知られている.


 現在の洗礼堂の建築は1059年頃から始まり,1128年に完成したとされる.その後,アルノルフォ・ディ・カンビオが八つの外柱(張り出し部分を足すと10本)を「シマウマ模様」にし,アンドレア・ピザーノが,南門のパネル「洗礼者ヨハネの物語」を,ロレンツォ・ギベルティが有名なコンクール(1401年)を経て,北門のパネル「イエスの生涯と,洗礼者ヨハネ,教会博士たち」を制作,同じギベルティが「天国の門」と通称される東門のパネル「旧約聖書の物語」を創った.

 北門の上部には,フランチェスコ・ルスティーチの彫刻「パリサイ派とサドカイ派の人に説教する洗礼者ヨハネ」が,東門の上部にはアンドレア・サンソヴィーノの彫刻「キリストの洗礼」がある.

 現在は東門に関しては,ギベルティの浮彫パネルもサンソヴィーノの彫刻もコピーが置かれていて,本物は大聖堂博物館にある.

 堂内にはドナテッロ,ミケロッツォ共作の墓碑彫刻があり,この洗礼堂は古代の神殿の跡にできた中世・ルネサンスの芸術作品と言うことになる.

 とは言え,各門のパネル彫刻は別にして,基本的にロマネスク芸術の遺産と言うことができよう.見ものは,外観と堂内の装飾を含むロマネスク建築と天井のモザイク装飾である.


写真:
八角形の天井
サン・ジョヴァンニ
洗礼堂


 首が痛くなるのを覚悟しながら,天井を見上げて1番最初に目に入るのが「最後の審判」で,審判を下す巨大なキリストの左右に3段構成の頭頂部のない三角面があり,上2段は両側とも天使,聖人の横1列の群像で,下段は向かって左(キリストから見ると右)に天国,右に地獄が描かれている.

 古拙感は免れないが,先行する同時代のパレルモやヴェネツィアに勝りはしないが,決して劣るという印象を与えない立派なモザイクだ.

 洗礼堂は八角形(オクタゴン)になっていて,屋根も壁面に対応しており,その裏側である天井には8つの大きな三角面がある.三角面の頭頂部は八角図形をモティーフにした装飾になっており,8つの三角面の頭頂部のすぐ下は,7面が各面に2人の天使を配し,1面は熾天使に囲まれたキリストで,その直下が世界を表す円環の中で審判を下す巨大なキリストだ,

 上記の3面を除く5面が頭頂部の装飾と2人の天使の下にそれぞれ4段の物語の連作モザイクがあり,審判のキリストの私たちから見て左から右に時系列に物語が展開する.最上段は創世記,2段目が旧約聖書からヨセフの物語,3段目がイエスの生涯,4段目が洗礼者ヨハネの生涯となっている.

 「キリストの生涯」は「受胎告知」から始まり.「イエスの復活」に終わっている.「エリザベト訪問」も「ご降誕」,「三王礼拝」,「嬰児虐殺」,「エジプト逃避行」,「最後の晩餐」もあり,「磔刑」,「哀悼」,「復活」と続く.心の余裕を持って,十分な時間があり,双眼鏡を忘れずにじっくり眺められれば,満足の行く鑑賞ができる.

 今回は,「洗礼者ヨハネの生涯」は十分な鑑賞ができなかった.次回が楽しみだ.

写真:
色大理石の
織り成す模様


 トスカーナのロマネスクの1つの特徴である白い大理石と,プラートの緑大理石が織り成す独特の模様は外壁ばかりでなく,堂内にも見られる.モザイクに目が行きがちだが,特に今回は外からの光を取り込む窓の模様に心魅かれた.

 2007年の滞在時,洗礼堂には4月24日に1度行っただけで,特に深く注目しなかった.モザイクにもロマネスクにもさして魅かれることなく,やはりフィレンツェの魅力は中世末期からルネサンスだということを日々確信していった.ラヴェンナ,ローマ,ヴェネツィア,パレルモでモザイクの傑作を見てからは,フィレンツェのモザイクは稚拙に思え,洗礼堂の堂内をもう一度見たいと強く思うことはなかった.

 しかし,ロマネスクの芸術に興味を持ち始めた今,フィレンツェのロマネスクを代表する洗礼堂をもう一度じっくりと拝観したかった.

 今回のツァーに洗礼堂が行程に入っていて,大いに期待していたのに,最終的な予定表では「外観のみ」とあって,がっかりしたが,自由時間に予定していたビガッロの開廊博物館に入場できなかったこともあり,洗礼堂を丁寧に見る時間が生まれた.

 これは幸運だったと思う.ロマネスクを意識するなら,外観だけでも十分ではないかとも思っていたが,堂内を拝観したことで,モザイクの価値を再認識したし,堂内から見る窓のロマネスク装飾も魅力的なことに気づくことができた.



 洗礼堂の近傍に,大司教館があり,その裏側に大司教館の建物に吸収されたサン・サルヴァトーレ・アル・ヴェスコーヴォ教会がある.教会自体は新しい時代の改修が施されており,そもそも拝観の機会がなかなか得られないが,ロマネスクのファサードが残っている.

 元の教会は11世紀まで,ファサードの装飾は1220年まで遡る.今回拝観できる時間を確認して,見る意欲満々だったが,結局行く時間が作れなかったサント・ステーファノ・アル・ポンテ教会同様,ファサードだけのロマネスクだが,ピサ,ルッカの影響を受けながら,それらとは異なり,ロンバルディアとも,プーリアとも違うフィレンツェ周辺のトスカーナのイタリア・ロマネスクの白・緑による幾何学模様が観光都市の街路でひっそりと美しく残っている.

 Lorenzo Capellini, Architectural Guides: Florence, Torino: Umberto Allemandi & Co., 1992(以下,カペッリーニ)

は,フィレンツェの読書週刊に合わせて行われたレプッブリカ広場の書籍バーゲンで入手した思い出深い有益な本だ.津波で流されたが,幸いにもイタリア・アマゾンで再入手できた.

 カペッリーニは時代順に,フィレンツェ周辺の歴史的建築物を紹介している.それに拠れば,前後にフィエーゾレなどの建築遺産が織り込まれるが,フィレンツェ市内の現存する最古の建造物は,大聖堂の地下に残るサンタ・レパラータ教会,2番目が洗礼堂だ.そのあと,バディア・フィオレンティーナ,サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂,サンティ・アポストリ教会,サント・ステーファノ・アル・ポンテ教会,その次がサン・サルヴァトーレ・アル・ヴェスコーヴォ教会のファサードである.

 聖堂全体としては古い部分でもゴシックの時代のものだが,サンタ・トリニタ聖堂のファサードの裏にロマネスクの壁が残っているのは堂内から確認できる.

 13世紀までロマネスクの時代と考えるなら,カペッリーニには市内の「塔」が幾つか掲載されているが,今回は塔には言及しないことにする.

 サンティ・アポストリも再利用された古代神殿の柱頭と,ゴシック風の無骨な外観が目につくが,その柱頭を支える柱も古代建材の転用もあるが,プラートの緑大理石を利用したロマネスクのものも少なくないとのことだ.

 しかし,フィレンツェのロマネスクと言ったとき,最初に思い浮かぶのはやはり,サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂のファサード,説教壇,後陣コンクのモザイクであろう.


写真:
説教壇
サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂


 この教会に関しては,

 Lucia Bertani, San Miniato al Monte, Firenze: Becocci Editore, 1999(以下,ベルターニ)

と言う簡にして要を得た本の英訳版があり,以前この教会のブックショップで購入して持っていたが,実家に置いていて津波で流された.しかし,アメリカ・アマゾンの古書で再入手できたので,また参照できる.

 ベルターニに拠れば,説教壇は1209年に遡る作品で,ライオンが足元にいて,頭に翼を広げた鷲を戴く修道士姿の男性人型柱(テラモン)が特徴的で,鷲が支える四角い板状の物が,聖書を置く台であろう.前方を2本のコリント式柱頭を持つ柱が支え,後部は上部内陣の聖職者席を区切る大理石の装飾塀が支えている.大理石の区切り塀にも幾何学模様や,動物のパターンが見られ,これはいつ行っても,この教会の最大の見ものと言えよう.

 それに比べれば,後陣半穹窿部分(コンク)のモザイクは高水準ではないかも知れないが,大きくて迫力がある.それに,よく見ると「全能のキリスト」(クリストス・パントクラトール)の顔は立派だし,向かって左側の聖母も,右側の聖ミニアス(イタリア語ではミニアート)の姿もビザンティン風に見えながら,それとはまた違った印象を与え,ほっそりとした繊細な姿が根拠はないがイタリア的独自性があるように思える.

 キリストの右肩から反時計回りに,4人の福音史家の象徴である,鷲(ヨハネ),獅子(マルコ),牛(ルカ),人(マタイ)が,楽園のイメージを構成する動植物とともにバランス良く配置されている.「時代遅れで,レヴェルの低い,無名の職人のモザイク」などと思い込まずに,じっくり見ないと,人生を損するように思える.

 暗い堂内に,コインを投入して僅かの間,明かりを灯す仕組みがあり,明かりがついていない自然光だけの姿と,明かりがついて比較的良く見える姿の両方を見て,近くからも遠くからもじっくり眺めると,一見するとなかなかそうは見えないが,実はフィレンツェのロマネスクの代表傑作と言っても良いモザイクを鑑賞できるであろう.ベルターニに拠れば,1260年頃の作品だそうだ.

 周縁のアーチ型の枠の中にも,鍵や剣と言うアトリビュートを持った聖人たち,フクロウなどの様々な鳥,頂点には聖霊を表す鳩など,肉眼ではなかなか確認しにくいものを写真で確認してもしばらくは楽しめるが,やはり暗い堂内で直接見て,大まかな印象の中から,その素晴らしさに気づいていくことが最良ではないかと思う,そのためにも,また,何度でもこの聖堂は訪れたい.

 この教会の堂内には,ロマネスクだけではなく,ゴシックとルネサンスの傑作もある.次回は,サン・ミニアートのゴシック芸術をヒントに,フィレンツェのゴシックからルネサンスを考えてみたい.






瑞々しい色彩の躍る八百屋の店先
街中で春を実感する