§巡礼街道の旅 - その8
オビエド(その1 アストゥリアス美術館)
9月13日,サンティジャーナのパラドールで昼食後,オビエドに向かって移動した.オビエドは,アストゥリアス王国の首都だったが,現在でも近代的な大都市だ.町については次回,報告する. |
着いたのは夕刻だったが,夕食まで大分時間があったし,まだ昼の明るさだったので,『地球の歩き方』に20時半まで開いているとあったアストゥリアス美術館を見学することにした.
ホテルは駅の傍にあって,大聖堂を中心とする旧市街まで歩いて行くことができた.荷物を置くと,すぐに出かけ,駅前から伸びるメインストリートをサン・フランシシコ公園まで進んだ.途中,大聖堂はこちら,という案内板も目に入ったが,翌日に拝観することになっていたので,まっすぐ美術館を目指した.
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写真:
アスゥトリアス美術館 |
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公園を越したところから道が入り組んで,少し迷ったが,30分もかからずに美術館に着いた.美術館の建物は,1765年に建てられたバロック建築バラルデ家の邸宅だ.バラルデ家の邸宅はサンティジャーナにもあった.
受付にいた長身美男の男性が上品で感じが良く,「写真とっても良いですか」と聞くと,「フラッシュ無しなら」とにこやかに答えて下さって,「入場料はいくらですか」と聞いたら,「無料です」と言われてびっくりした.後で確かめると,『地球の歩き方』には情報があったので,事前の予習が足りなかった.
ゴシック,ルネサンスのスペイン絵画
この美術館は良いことばかりだった.まず,地上階の地元アストゥリアスの画家の作品を丁寧に見て,階上に行くと,エル・グレコの絵が目に入った.使徒を描いた作品が12枚,回廊のような空間に展示されており,その周囲にはテーマごとの展示室があった.
最初に入った部屋は,ゴシックからルネサンス,バロックのスペイン絵画の宝庫だった.
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フェルナンド・ガジェーゴ
「三王礼拝」 |
フェルナンド・ガジェーゴ(ガリェーゴ)(英語版/西語版ウィキペディア)の作品は,既にルーヴルで「聖母子」(ルーヴルのデータベースに写真)に注目している.1440年頃サラマンカで生まれ,1507年まで生きたイスパノ・フラメンコ様式の画家だ.スペインの画家だが,見るからにフランドル風だ.ゴシックの遺風の中で育ち,スペイン・ルネサンスの前段階を支えた画家と言えよう.ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートでは,プラドの作品の4点,サラマンカの別々の美術館,博物館の作品が1点ずつ,オハイオ州トレドの美術館所蔵の作品1点の写真が見られる.
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ラモン・ソラ
「聖母子」(部分) |
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他に情報がないが,美術館の説明版では,ラモン・ソラは1433年カタルーニャのヘローナ(カタルーニャ語でジローナ)で生まれ,1494年頃まで生きた,やはり最後のスペイン・ゴシックの画家の一人であろう.100年後に現れた時代遅れのシエナ派のように美しい.
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ペドロ・ベルゲーテ
「聖母戴冠」 |
スペインにルネサンスをもたらした画家の1人であるペドロ・ベルゲーテの「聖母戴冠」は,「聖母被昇天」や「無原罪の御宿り」のように,聖母が空中浮遊していて,戴冠を行なっているのはキリストではなく,父なる神の見守るもと,2人の天使である.
浮遊する聖母
エミール・マール『ロマネスクの図像学 上』国書刊行会,1996
に拠れば,イタリアで最も古い「聖母戴冠」はローマのサンタ・マリーア・トラステヴェレ聖堂のモザイク(1140年以後)で,フランスの先行作品の影響のもとに作成されたものだそうだ.(注では,フランスの「聖母戴冠」がイタリアの影響で作成されたとは絶対に言えない,とまで断言している.さすがフランス人だ.根拠としているのは,パリのノートルダム聖堂の失われたステンドグラスに対する,19世紀の言及)
美術館で購入した図録によると,ベルゲーテの「聖母戴冠」は1490年頃の作品で,ティツィアーノがヴェネツィアのサンタ・マリーア・グローリオーサ・デイ・フラーり教会に「聖母被昇天」を描くまで,まだ20数年ある.
ウェブ・ギャラー・オヴ・アートで,assumptionを検索すると,相当数の画像がヒットするので,これをヒントに,ちょっとだけ考えてみる.
ギルランダイオがサンタ・マリーア・ノヴェッラ聖堂のトルナブオーニ礼拝堂のフレスコ画の一部が「聖母被昇天」になっているが,ベルゲーテと同じくらいの時代の作品だ.ローマのサンタ・マリーア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂のフィリピーノ・リッピのフレスコ画もほぼ同じ時代の作品と言えよう.
少し前の時代から,1490年前後までに,ベノッツォ・ゴッツォリ(カステルフィオレンティーノ,市立図書館,フレスコ画),バルトロメオ・デッラ・ガッタ(コルトーナ,教区博物館,祭壇画),バスティアーノ・マイナルディ(フィレンツェ,サンタ・クローチェ聖堂,バロンチェッリ礼拝堂,フレスコ画)が浮遊感のある聖母被昇天を描いているが,いずれもいわゆる「腰帯の聖母」タイプだ.ゴッツォリには1450年頃描いた同主題の祭壇画(ヴァティカン絵画館)もあるが,浮遊感には欠けている.
フィレンツェの大聖堂の外壁彫刻にナンニ・ディ・バンコの浮彫彫刻は1410年代くらいの作品で,被昇天の聖母がマンドルラ(アーモンド型光背)の中にいる.フィレンツェでは初期ルネサンスだが,相当に古い.これも,「腰帯の聖母」型に見える.
シエナのサーノ・ディ・ピエトロのテンペラの祭壇画は,それよりも少し後になる.
14世紀半ばの作品には,写本挿絵などもあるようだ.フィレンツェのオルサンミケーレ教会の,オルカーニャに拠る大理石の神殿型祭壇の浮彫は,真に芸術の名に値する作品だが,マンドルラの中にいて天使たちに囲まれている被昇天の聖母の浮彫(1358年)がある.ただし,よく見ると,明らかに「腰帯の聖母」型だ.
14世紀前半の絵画では,見たことはないが,ドン・シルヴェストロ・ゲラルドゥッチの2つの作品(1.祭壇画/2.写本挿絵)(1はヴァティカン絵画館,2はロンドンのブリティッシュ・ライブラリー)が被昇天の聖母を,マンドルラの中に描いている.
ベルゲーテの作品はマンドルラはないが,天使たちが囲む形がマンドルラ型で,オルカーニャの浮彫が,見たところ一番似ているように思える.もちろん,直接の関係はないのだろう.是非,ベルゲーテ以前の作品で,特にフランドル絵画の作例を見たい(ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートで探す限り,ドイツ人だが,ヨハン・ケールベッケの「聖母被昇天」が,聖母に浮遊感あって,似ていると言えるかも知れない).
浮遊感のある聖母は一体,どの時代から描かれ,「聖母戴冠」として描かれた類例はあるのだろうか. |
シエナ大聖堂の後陣のステンドグラスは1288年にドゥッチョが下絵を描いたものらしいが,一番上は「聖母戴冠」で,中央はマンドルラに囲まれた聖母被昇天に見える.この「聖母戴冠」がオリジナルなら,エミール・マールの,イタリアではローマのサンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂の後陣モザイクの「1296年まで待たねばならない」と言う言葉と矛盾するように思えるが,どうなのだろう.
今までに見た絵画作品の中から,ベルゲーテの「聖母戴冠」に似たタイプの作品を思い起こすとすると,ボローニャの国立絵画館で見たロレンツォ・コスタの作品が,強いて言えば似ている.撮ってきた写真で,題名を確認すると「被昇天の聖母と一群の天使たち」(もしくは天使たちの合唱隊)となっている.
ベルゲーテの作品も,美術館の図録に「聖母戴冠」(コロナシオン・デ・ラ・ビルヘン)とあるから,それを尊重したが,題名は「聖母被昇天」も有りうるかも知れない.最上部には「父なる神」がいて,天使たちに「戴冠」を行わせているので,確かに「聖母戴冠」でも,納得が行くが,今まで相当数見てきた同主題の作品と随分違うものに思われる.
一方,聖母の足元に三日月型の造形がある姿は,黙示録(12章1節)をヒントとして,スペインの「無原罪の御宿り」の図像が形成されたことを思い起こさせる.フランシスコ・パチェーコの「無原罪の御宿り」まで,約100年あるので,これも斬新な図像なのか,あるいは伝統に則ったものなのかを知りたい.知っている人にとっては,何でもないことなのだろうが,今のところ,私は納得する模範解答が得られていない.
(その後)
(マンドルラに包まれた,浮遊感のある被昇天の聖母に関してはは,ベルゲーテと同時代の画家ピントリッキオ作と伝えられる「聖母被昇天」がローマのサンタ・マリーア・デル・ポポロ聖堂にある.この絵は写真を撮っているが,有名な「ヒエロニュモスのいる幼児イエスの礼拝」があるヒエロニュモス礼拝堂の向かって左隣にあるバッソ・デッラ・ローヴェレ礼拝堂に,工房との共作とされる一連のフレスコ画あり,その中の1面が「聖母被昇天」で,棺を覗く使徒たちの上方に,マンドルラに囲まれた立ち姿の聖母が描かれている.マンドルラの外周は熾天使たちで,それを有翼の天使たが礼拝したり,支えたりしている.
Claudia La Malfa, Pintoricchio a Roma: La Seduzione dell' Antico, Cinisello
Balsamo, Milano: Silvana Editoriale, 2009
を参照しているが,この本には,やはりローマのサンタ・マリーア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂のカラーファ礼拝堂の,フィリピーノ・リッピの「聖母被昇天」も紹介されている.1490年前後の作品,ピントリッキオ工房の作品もほぼ同時期の作品のようなので,ベルゲーテともほぼ同時代だと言えるだろう.
ピントリッキオ工房は,上記の本によれば,ヴァチカン宮殿のボルジア家の間と呼ばれる居室のリュネットによく似た「聖母被昇天」を描いている.熾天使のマンドルラの中に聖母は腰かけた姿で,腰帯を垂らしてはいないが,左下にトマスが腰帯を持って礼拝しているので,「腰帯の聖母」だ.しかし,マンドルラの周囲にいる奏楽の天使たちの上部に2人の天使が,聖母に王冠を被せようとしている.
さらに,田中仁彦『黒マリアの謎』(岩波書店,1993)を読んでいて,パリのノートルダム大聖堂北壁の浮彫の写真が紹介されている(p.195)のを見つけた.マンドルラの中の聖母を6人の天使たちが支え,上部には2人の天使がいるが,手が欠けていて王冠を捧げているかどうかはわからない.
早速,馬杉宗夫『パリのノートル・ダム』(八坂書房,2002),エミール・マール『ゴシックの図像学』(国書刊行会,1998)を参照した.マールの著書の下巻に,この浮彫の写真が掲載されている(p.84).マールに拠れば,サンスの大聖堂のタンパンの浮彫が,2段4面の構成で,下段に向かって右から,聖母の「死」,「埋葬」,「被昇天」が刻まれ,上段中央は「聖母戴冠」で両脇に天使が拝跪している.マールはこれを「聖母戴冠」の現存最古(ただし,源泉は別の教会のステンドグラスだと言うのが彼の持説と思われる)の作例としている.
確かにサンスのタンパンと,ノートルダムの北壁の「聖母被昇天」はよく似ている.マールの表現(の日本語訳)を借りれば「ときには縁が波うった海の貝に似た光背の中を上昇する聖母」と言うことになる.
奇妙な構成としながら,マールは「ステンドグラスの光り輝く映像を石に置き換えようとした彫刻家は,光を凝固させる以外に,マリアの輝かしい肉体から発する光を表現する方法を知らなかったのだ」と断じている.
少なくとも,浮遊感のある「聖母被昇天」が13世紀まで遡ることができ,さらにどうもその源泉は,少なくともマールに拠れば,フランスの芸術にあることがわかった.(イタリアが出て来なくて残念だが,勉強になった.)
人物画,肖像画
前述のエル・グレコの12枚の使徒の絵の中に,もちろんペテロはいたが,ムリーリョが描いたペテロの絵もあった.描かれている人物がペテロだからなのか,彼にしては峻厳な感じがする絵だ.グレコのペテロは気難しい老人のようにも見える.
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バルトロメオ・エステバン・ムリーリョ
「聖ペテロ」
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エル・グレコ
「聖ペテロ」
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ミランダは,スペイン・バロックを代表する宮廷画家だが,アストゥリアス州アビレス出身の「地元の画家」だ.最初に,ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートで,「サンティアゴ・マタモロス」の絵を確認して以来,既知の芸術家となった.
ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートに,ミランダの作品は13点見られるが,アストゥリアス美術館の作品は1点もない.
撮って来た写真で確認できるだけでも,「アッシジの聖フランチェスコ」,「悔悟するマグダラのマリア」,自画像の可能性のある男性の肖像画,「聖エルメネヒルド」(聖人の紹介),「カルロス2世の肖像」の5点を見ることができた.さすが,「地元の画家」だ.
「カルロス2世の肖像」は,後日に行ったエル・エスコリアルに殆ど同じ絵が少なくとも2点あった.マドリードの王宮とは別のアル・カサルにもあるようだ.半身像だが,カリフォルニア州サンフランシスコの美術館にも1点あるようだ.
カルロス2世が継嗣を残さずに亡くなり,スペイン王室の家系はハプスブルク家からブルボン家へ移る.カルロス4世の家族を描いた,有名なゴヤの作品がプラド美術館にあるが,下の作品は,それよりも数年前に描かれたものだ.ゴヤの絵はもう1点あり,小さな美術館にしては,充実した収集だろう.
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ファン・カレーニョ・デ・ミランダ
「カルロス2世の肖像」(部分)
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フランシスコ・ゴヤ
「カルロス4世の肖像」
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他に,バルトロメ・ゴンサレスとビセンテ・カルドゥチョ(ヴィンチェンツォ・カルドゥッチ)のそれぞれの「受胎告知」が美しかった.前者はバヤドリッド出身で,マドリッドで亡くなったバロック時代の宮廷画家で,肖像画を多く残している.後者はルーヴルでも作品を見ているが,フィレンツェ生まれのイタリア人で兄が師匠のフェデリコ・ズッカーリについてスペインで仕事をした時に一緒に来て,スペインで活躍し,スペインで亡くなった.2人とも,16世紀後半に生まれて,17世紀前半まで活躍した同世代の画家と言えよう.ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートやウィキメディア・コモンズで見られる作品の写真と比べると,アストゥリアス美術館にある作品の方が圧倒的に良いように思われる.
さらに上の階へと展示は続いた.時代は新しくなり,近現代のスペインの画家の作品の他に,ピカソ,マチスがそれぞれ1点,藤田嗣治が2点あった.
バルセロナのモデルニスモ(カタルーニャ語ではモデルニスム)を代表する画家で,モンセラット修道院の傍の美術館で初めて出会って,心魅かれたラモン・カサスの作品も1点あり,特に優れた作品と言う印象はなかったが,彼の作品を初めて写真に収めることができたので,嬉しかった.

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写真:
藤田嗣治
「夢」 |
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写真:
ホセ・デ・リベーラ
「キリスト埋葬」 |

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最後に紹介するのは,バレンシア出身で,ナポリで活躍したホセ(フセペ)・デ・リベーラの「キリスト埋葬」だ.この美術館所蔵の最高傑作あろうか.個人的には,ゴシックの遺風を色濃く残したスペインのルネサンス絵画に魅力を感じるが,リベーラ,スルバラン,ムリーリョのバロック絵画が,スペインの芸術が最高潮に達した時代に生み出された作品であろうことは,アストゥリアス美術館を見ても,納得が行く.ベラスケスの作品はないが,この美術館は素晴らしい.
北スペインの旅をしていると,かつてのアストゥリアス王国の首都オビエドは間違いなく大都市に見える.しかし,日本の都市規模で考えると,中規模都市に過ぎないだろう.それにしては,アストゥリアス美術館は立派だ.スペイン経済の現状を考えると,様々な困難が予想されるが,是非,今後とも地域の中核美術館として存在し続けてほしい.
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スルバラン作「十字架の上の死せるキリスト」
左はグイド・レーニ 右はリベラの作品
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