§巡礼街道の旅 - その6 (ブルゴス - 2)
9月12日,ブルゴス大聖堂を拝観する前に,近郊にあるミラフローレス修道院を観光した.ドイツの宗教者,聖ブルーノを始祖とするカルトゥジオ会の修道院で,修道院としても現役だ. |
1441年(1442年),カスティーリャ王フアン2世による創建で,もとはフアンの父,エンリケ3世が狩りを楽しむための離宮として建てられた(1401年)が,フアンによってカルトゥジオ会に委ねられ,修道院となった.王室の墓所にするという意図があったようだ.
1452年に火災により崩壊,再建を委託されたのは,ブルゴス大聖堂でもその腕を振るった,ドイツ出身の名匠フアン・デ・コロニア(ケルンのヨハン)と,その子シモンだ.1454年に着工,1484年に完成している.
 |
|
写真:
ミラフローレス修道院
付属教会 |
付属教会の献堂は1499年だが,この時,既にカスティーリャ王は代替わりしていて,カトリック両王の一人イサベルだった.修道院全体の建築様式はスペインの遅いゴシックで,教会はイサベル様式との解説もある.ゴシックからルネサンスに移行する過渡期の最後のゴシック様式と言えようか.
タンパンは「ピエタ」で,ポルターユ上部には,向かって左側にフアン2世個人の紋章と,右側にはカスティーリャ王国の紋章が見える.「城」(カスティージョ/カスティーリョ)はカスティーリャ王国を,ランパン(後ろ足で立ち上がっている姿)のライオンはレオン王国を表し,カスティーリャがレオンとの同君連合であったことを示している.
|
写真:
天井もトラスコロも
華やかに装飾されている |
 |
拝廊(アトリウム)には,聖ブルーノの彫刻がある.17世紀ポルトガル出身で,マドリッドで亡くなったマヌエル・ペレイラの作でイベリア半島のバロック芸術であるが,感銘を受けるにはこちらの勉強が足りない.
むしろ,作者不詳のフランドル風折り畳み三翼祭壇画が印象に残る.
 |
|
写真:
フランドル絵画の祭壇画
作者不詳
15世紀後半 |
合唱隊席のある内陣(トラスコロ)が立派だ.ステンドグラスは,1484年にフランドルからもたらされたもので,17世紀の修復を経ているが,これも見事だ.
だが,やはり最高傑作は,中央祭壇の祭壇衝立と,フアン2世と王妃ポルトガルのイサベルの墓碑彫刻であろう.どちらも作者は,スペイン・ゴシックの最後の大芸術家ヒル・デ・シロエであり,祭壇衝立の彩色と金箔はディエゴ・デ・ラ・クルスによって施された.
ディエゴ・デ・ラ・クルスは,15世紀後半にフランドルで生まれた,イスパノ・フラメンコ様式の画家だ.最初の記録はブルゴスで,この仕事を担当したことだそうである.現在,彼の作品はプラド美術館に1点(聖母と福音史家ヨハネの間の嘆きのキリスト)ある他,ブルゴス,バルセロナ,ビルバオで見られる.
|
写真:
祭壇前に安置された
アラバスターの棺
ヒル・デ・シロエ作 |
 |
フアン2世夫妻の墓碑彫刻は,これはスペイン後期ゴシックの最高傑作と言えるのではなかろうか.一部破損しているようだが,驚くほどの精密さに,芸術家の魂が込められているようで,感銘を受ける.両親のためにカスティーリャ女王イサベル1世が注文したものだ.
中央祭壇に向かって左側壁に,フアン2世夫妻の息子,イサベル1世の弟アルフォンソの墓碑もある.これもまたヒル・デ・シロエの作で,原材料はこれもアラバスター,見事な作品だ.貴族たちに担がれて,少年の身で異母兄エンリケ4世に叛旗を翻し,国王を称して戦ったが,志を達成せずに夭折した.後に同母姉のイサベルが王位についたので,立派な墓碑が造られたのであろう.
 |
|
写真:
サイド・チャペルは
展示室になっている |
身廊を左側壁にある出口から博物館に行くことができる.最大の注目作品は,スペインの遅いルネサンスをリードしたペドロ・ベルゲーテの「受胎告知」だ.やはりフランドル絵画の影響が濃いように思える.
しかし,この画家がイタリアに行き,そこでイタリア・ルネサンスの精神を学んだことを知識として持っていると,「ルネサンス」と言うには古風な作品に思える.ゴシック風でありながら,明確に遠近法を意識している所が,あるいはルネサンス的なのだろうか.
|
写真:
「受胎告知」(部分)
ペドロ・ベルゲーテ |
 |
この画家の作品のまとまった鑑賞にはプラド美術館に行く必要がある.昨年,足早に駆け抜けたプラドでは彼の作品を見ていない.
この後,オビエドのアストゥリアス美術館で1点見ることができたので,ウルビーノの国立マルケ州絵画館の1点(フェデリコ・ダ・モンテフェルトロの肖像)と合わせて,少なくとも私の記憶では,3点見られたことになる.息子のアロンソとともに,私にとっては注目のスペイン・ルネサンスの画家だ.今後とも可能な限り,作品をこの目で見て行きたい.
ブルゴス郊外には,ラス・ウェルガス修道院,少し足を伸ばすとサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院など,機会があれば是非拝観を果たしたい宗教施設やその遺産がある.それらにくらべれば,あるいは重要度が低い(『地球の歩き方』,『ワールドガイド』,英語版ウィキペディアでは情報が得られなかった)かも知れないが,ミラフローレスで,充実したスペイン後期ゴシック,過渡期のイサベル様式,スペインの遅いルネサンスの芸術を鑑賞することができた.
1ユーロで,受け付けの若い修道士さんから購入できる英語版の小冊子が,簡潔で写真も良い.
ミラフローレス観光後,ブルゴスの旧市街に戻り,美術に詳しいガイドさんの解説付きで,大聖堂の本格的拝観を果たしたのは前回の報告の通りである.
サン・ニコラス教会
朝の散歩で大聖堂まで行った時に,前日ポルターユに興味を抱いたサン・ニコラス教会の扉が開いていたので,堂内を拝観することができた.
フアン・デ・コロニアの息子の1人フランシスコが石を彫った祭壇彫刻が,16世紀ブルゴス芸術の誇りと言う人もいるようだ(Enrique
del Rivero, Burgos Silos & Convarr, Leon: Editorial Everest, 2000,
p.24)(以下,リベーロ).
 |
|
写真:
サン・ニコラス教会
扉の木彫り |
上記のリベーロの本でも,その他の案内書や西語版ウィキペディアにも言及がないので,とりたてて注目すべきものでもなく,新しいものかも知れないが,個人的には,扉の木の浮彫が印象に残った.
浮彫は,この教会の名のもとになっている聖ニコラスの物語で,向かって左は「貧しい貴族の3人の娘に秘かに金を与えて救う話」,右は「3人の善良な市民の冤罪を晴らす話」もしくは「3人の将軍の謀反の疑いを晴らす話」であろうと思われる.特に左側は窓から金を投げ込んでいるのがわかるので間違いないだろう.この教会のファサードは3回見て,その内2回はこの扉は閉まっていた.
|
写真:
サン・ニコラス教会
フランシスコ・デ・コロニア
石の祭壇彫刻(部分) |
 |
この教会には,この珍しい石造のレタブロの他に,祭壇画でも興味深いものがあり,ブルゴスを再訪する機会があり,時間に余裕があって,なおかつ教会の扉が開いていれば,堂内をじっくり見学したい.狭い空間だが,多分,30分以上は,じっくり鑑賞できるだろう.木の扉の周りのポルターユもゴシック風で味わい深かった.大聖堂以外の教会を拝観できたことが,ブルゴスの印象を深くしている.
サン・エステバン(聖ステパノ)教会
宿から,大聖堂に向かう途中に,道を間違えて,出会えたのがサン・エステバン(聖ステパノ)教会だ.全体がゴシックで是非拝観したいと思われる教会だが,修復中だからなのか,扉は閉ざされたままだった.
 |
|
写真:
サン・エステバン教会
修復中だった
ポルターユ上部は鐘楼 |
リベーロに拠れば,もともとロマネスクの教会のあった所に,13世紀後半から14世紀前半にかけて現在の教会が建設された.リベーロの本には,高い所から撮った全景写真があり,この姿は私は見ていないが,ポルターユのあるファサード上部が鐘楼になっており,堂内は現在は,おそらく諸方の教会から集めたのであろうレタブロ(祭壇衝立)が複数見られる教区博物館になっている.やはりスペイン・アマゾンで入手した,
Psscual Izquierdo, Burgos: Guia de la Ciudad, Burgos: Editorial Dossoles,
2005(以下,イスキエルド,アクセント記号省略)
には堂内の写真が掲載されている.ブルゴス再訪の機会があれば,やはり是非拝観を果たしたい.
ホテルの窓から見た遠景の中にあった,ラス・ウェルガス修道院をはじめ,リベーロ,イスキエルドの本には,幾つかの興味深い教会が紹介されている.ブルゴスは1泊2日ではとても見切れない.
ブルゴスの町
大都市なので,「民家」というのは用語不適切だが,近代的な鉄筋コンクリートの集合住宅に他ではあまり見られない特徴に気付いた.リベーロの案内書ではグラスド・バルコニーと言う英語で説明されているサン・ルームのような張り出しだ.やはりスペイン北部は冬は寒いからこのような空間が,集合住宅の各部屋についているのだろうかと思った.
鉄筋コンクリートの建物ではないが,下のサンタ・マリア門の写真の両脇に垣間見える集合住宅にもこのガラス張りバルコニーが見られる.
大都市の町中を流れているにしては美しいアランソン川にかかる橋を渡って,新市街から,大聖堂のある旧市街に向かう途中にサンタ・マリア門がある.アーチの上には,ブルゴスを建設したディエゴ・ロドリゲスや,ブルゴスが生んだレコンキスタの英雄エル・シドの浮彫彫刻があった.
白く輝いて,随分新しく見えるが,1540年にフアン・デ・バジェホ(大聖堂内陣上部のドーム装飾とタンブールの製作者)とフランシスコ・デ・コロニアに建設が委託された,ルネサンスの建築物だ.リベーロに掲載されている写真では煤けているので,たぶん洗浄が施されたのであろう.
2段ある人物群の上段中央はハプスブルク家のカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世ということなので,すでに中世のゴシック建築ではあり得ない.
ブルゴスのような中世から続く古都であっても,間違いなく時は流れて行く.
|

サンタ・マリア門
ブルゴス
|
|

|
|