フィレンツェだより
2007年5月6日


 




古本市
サンタ・クローチェ広場



§古本市とオペラ

少し前に,5月6日の日曜日にサンタ・クローチェ教会の前の広場で古本市があると教えていただいたので,楽しみにしていた.


 しかし,このところ連日の雨で,それほど近くもない場所であるし,午後は新作オペラ「アンティゴネ」を見に行くことになっているので,行けるかどうか不安だった.

 今朝,起きて空を見たら,晴れていた.コーヒーを飲み,ビスケットをかじって,サンタ・クローチェ広場へと向かった.

 サン・マルコ広場から,アカデミア美術館の行列を横目にリカーゾリ通りを南進,アルファーニ通りのところで左に曲がり東進,次に右に曲がって,セルヴィ通りをドゥオーモを見上げながら行く.

 サン・ミケーレ・ヴィスドミニ教会の所で左に曲がり,サンタ・マリーア・ヌオーヴァ病院の前を通り過ぎたサンテジーディオ通りで,ロビン・フッドという名の店を見つけた.「パブ」と名乗っているので,そう呼ぶべきだろう.

写真:
イングリッシュ・パブ
「ロビン・フッド」


 ガエターノ・サルヴェーミニ広場から,ヴェルディ通りに出て,少し歩くとサンタ・クローチェだ.広場に着くと,すでに市は始まっていて,多くの店が出て,客足もまずまずのようだった.



 最初の店で,何冊か古典の本を見つけたが,手に取ったのはソポクレスの『オイディプス王/コロノスのオイディプス/アンティゴネ』だった.1977年に出たガルザンティ社の対訳シリーズで,88年に改訳,99年第12刷なのでもちろん珍しい本ではないし,注釈はほとんどついていないが,何せ午後見に行く新作オペラの原作テクストだ.

 ギリシア悲劇の本文はセネカと関係が深い2作を収録したエウリピデスの『イオン/ヒッポリュトス/メデイア/アルケスティス』のロウブ叢書版を持ってきただけだったので,この本を買うことにした.

 同じ店で,アイスキュロスの『オレステイア三部作』,プラトン『ソクラテスの弁明/クリトン』,オウィディウス『アルス・アマトリア』の対訳本を買った.

 古典のテクストは感心するほど対訳が多い.装丁はまちまちだが,BUR(ビブリオテーカ・ウニヴェルサーレ・リッツォーリ)というシリーズのものが多く,廉価版で一般向けの本だ.普通の人が読む頻度が高いということだろう.どの本も注釈はそれほど詳しくないが,原文にイタリア語訳と律儀なほど詳しい解説がついている.



 イタリア文学の本だが,レオパルディの『詩集』を買った.

 サン・ジミニャーノで「金雀枝」(エニシダ)の花を見たとき,柳川さんがふと,ジネストラという詩がレオパルディにありますよね,とおっしゃった.私は不明にしてジネストラというイタリア語も,レオパルディにそれを題材にした作品があることも知らなかった.

 エニシダと言えば思い出すのは,プランタジネットという中世のイングランド王家の家名である.このフランスから来た王家の紋章がエニシダの小枝で,プランタは植物の若枝を意味し,ジネット(ジュネ)はエニシダを意味するラテン語ゲニスタが語源だ.

 先日散文作品を買ったが,詩集は実はすでに持っている.学生時代に岩波ホールでヴィスコンティの映画「熊座の淡き星影」を見て,その題名のもととなった詩人の作品を見てみたくて,イタリア語をまだ勉強していなかったのに,神田のイタリア書房で購入したものだ.分不相応な本だが,その後ずっと,東京,関西とずっと私とともに移動し,今も北本の茅屋にある.

写真:
先日行ったアヤメ園の
「金雀枝」(エニシダ)


 イタリアの本には注釈がついていることが多い.レオパルディは1798年の生まれだから,19世紀の詩人と言って良いが,すでに古典と言うことなのか,本が違えば別の学者が別の注解を付している.上記のBURを出したのと同じミラノのファッブリ書店から1994年に出た一般向けのエディションのようだ.それでも初版は1949年なので,けっこう昔の本だ.定評のあるものかも知れない.フランコ・ブリオースキという人が序文と注をつけたイ・グランディ・クラッシーチ・ディ・ポエジーア(詩の偉大な古典)というシリーズの一冊だ.

 エニシダ(ラ・ジネストラ)という作品は確かにあった.317行に渡る長い詩だ.「あるいは荒地の花」という副題があり,ギリシア語のエピグラフが付されている.

 エピグラフは,「そして人々は光よりもむしろ闇を愛した」とある.「光」,「闇」,ヨハネ伝みたいだと思ったら,イタリア語の訳がついていて「ジョヴァンニ」の3の19とある.やはりヨハネ伝だ.訳は本人がつけたのだろうか.

 注によれば,1836年にヴェスヴィオ火山の山裾にあるフェッリーニのヴィラに客人として逗留していたとき,トッレ・デル・グレーコ(ギリシア人の塔)で書かれた,とある.「ギリシア人の塔」というのは地名だろうか.暗い詩のように思えるが,長いので,自分の実力と相談しながら,少し高望みだが,時間をかけて読んでみることにする.



 この本屋で買ったものの中で,というか本日の最大の成果は左下の本だろう.イソップ寓話の散文と韻文のテクスト(ギリシア語)を選んで,簡単な文法解析も含んだ注解(イタリア語)を付している.鉛筆の書き込みがあって勉強したあとがある.

写真:
本日最大の成果
「イソップ寓話」の表紙

写真:
「老人と死神」 の話が
載っているページ


 薪を切り出して運んでいた老人が,長い道のりを歩き疲れ,荷物を下ろして休憩した時に死神を呼んだ.何で呼ばれたのかと尋ねたら,「荷物を持ち上げてもらおうと思って」と老人が言った.教訓は「たとえ不運な境遇でも,人は誰でも生きている間は,生を愛しているのだ」とあった.なるほど.

 40ページほどの薄い冊子だが,1933年フィレンツェの出版で,「新ギリシア・ラテン古典叢書」(ヌォーヴァ・ビブリオテーカ・デーイ・クラッシーチ・グレーチ・エ・ラティーニ)というシリーズの1冊だったことがわかる.ネポスの『英雄伝』,アイスキュロスの『ペルシア人』,カエサルの『ガリア戦記』,ホメロスやウェルギリウスの叙事詩の巻別注解が叢書中にあったらしいので,いつか出会いたいものだ.

 6冊で20ユーロ.

 同じ本屋にダンテ『神曲』が注釈つきテクストで全3巻5ユーロで売っていた.惜しかったが,こちらで保管する場所と,日本に送る手間隙を考えると,たくさん買うのは躊躇せざるを得ないので,優先順位を考えて買わなかった.



 他の店を一通りまわるなかで,1950年代に出た『日本の演劇』(テアートロ・ジャッポネーゼ)という本は面白そうだった.日本関係のものは他に「禅」や「柔道」の本があったが,それらにくらべれば随分レヴェルの高い本に思えた.「つな と こはる」という戯曲の翻訳があり,これは何だろうと思った.あるいは有名な作品の有名な翻訳・研究書なのかも知れないが,見送った.

 ルネサンス期の未知の作家の牧歌小説があった.これは欲しいと思ったが,他の店をまわっているうちに忘れて買わなかった.

 『イリアス』,『オデュッセイア』,『アエネイス』のイタリア語訳は挿絵・注解入りで面白そうだったが,これも優先順位が低いと判断して見送った.『アエネイス』は書き込みがありボロボロで,こういう本こそイタリアでないと買えないなとは思ったが,買う決心はつかなかった.

 もうそろそろ最後というあたりで,3冊10ユーロの山の中から6冊買った.ペトラルカ『抒情詩集』(ヴィアネッロ注解,ミラノ,ビエッティ書店,1966年),マキアヴェッリ『書簡集』(ガエータ校訂,ミラノ,フェルティネッリ書店,1961年),マキアヴェッリの喜劇『マンドラーゴラ』(サッソ&イングレーゼ序論・校訂・注解,1980).

 『マンドラーゴラ』はおなじみになったBURのシリーズで,同じシリーズからジョルダーノ・ブルーノとレオナルド・ダ・ヴィンチの作品も買った.これで5冊なので,3冊の倍数にするために作品としてはダブるが,ペトラルカと同じ叢書のレオパルディ『詩文集』(1967)も購入.ちなみにこちらのテクストでは,「ラ・ジネストラ」のエピグラフはギリシア語本文はなく,イタリア語訳だけだった.

この山の中にはBURのシリーズで,バイロン,シェリー,ポーの英伊対訳作品集や,『イーゴリ公戦記』の中世ロシア語とイタリア語の対訳という,いかにもレヴェルの高そうな本もあり,同僚の英文学者やロシア文学者にお土産にどうかとも思ったが,誰もが私のように廉価本が好きなわけではないだろうから,と思い直して断念した.


 イソップ以外はどれも,新書版のごく一般的に流通した本で,「古書」というよりいわゆる「古本」(リーブリ・ウザーティ)で,特に掘り出し物をしたというわけではないが,楽しい時が過ごせた.

 最後の露店で,セモニデス,テルパンドロス,ピンダロスの断片に注解を付した本を買った.これはレヴェルの高い本だ.1990年にローマで出版された「現存するギリシア抒情詩」というシリーズの中の3冊で,1冊1ユーロだった.古典を勉強しているといっても,ラティニストの私には猫に小判だが,折角の出会いなので喜んで購入した.

 総計15冊で43ユーロが本日の成果と費用だった.


新作オペラ「アンティゴネー」
 寓居にもどって,遅い昼食を急いでとっている間に雨が降ってきた.なかなかやまなかったが,3時半からの演奏会のために傘をさしてテアトロ・コムナーレに向かった.

 今日の出し物はイヴァン・フェデーレ(フェーデレだろうか)という1953年生まれの作曲家がつくった,今回初演のオペラで,「アンティゴネー」だから,当然ソポクレスのギリシア悲劇が原作だ.

 現代音楽はしんどいが,一方で聴きやすいと思うこともある.専門家が聴けば技法的におもしろいところは色々あるのだろうが,私には細かいことは全く分らないので,要するに聴いて面白いか,そうではないかしか結果はない.

 で,どうだったかと言えば,すばらしい演奏会だった.曲,台本,演出,舞台,照明,歌手,オーケストラ,合唱と多くの要素が複雑に絡むまさに総合芸術としてのオペラなわけだが,オペラというより音楽つきの現代劇の見事な上演を見たという感じもする.ともかく歌手も曲も演奏も良かった.

 オイディプス(エディーポ)王の息子エテオクレス(エテオークレ)とポリュネイケス(ポリニーチェ)は王位をめぐって争い,兄弟相打ちで果てるが,祖国を守ったエテオクレスには丁重な葬儀が行われる.一方,外国の軍隊を引き連れて祖国を攻撃したポリュネイケスの死体は埋葬が禁じられ,鳥獣の餌食になるがままにせよとの布告が出される.

 叔父である王クレオン(クレオンテ)の命に背いて,王女アンティゴネ(アンティゴーネ)は兄ポリュネイケスの埋葬儀礼を行い,死刑を宣告される.暗い洞窟に閉じ込められた彼女は縊死する.クレオンの息子で彼女の婚約者ハイモン(エモーネ)も自殺し,それを悲しんだ王妃エウリュディケ(エウリディーチェ)も自ら死を選び,王は自らの非を悟るが,全てが遅すぎた.

 ソポクレスの原作には合唱隊の歌が織り込まれ,戦闘後のテーバイに夜明けを運んだ金色の日輪や,人間の不思議さ,愛(エロス)の力など様々なテーマが歌われていて,私は筋もさることながら,合唱隊歌が好きな作品だ.

しかし今回の翻案は色々な要素が切り捨てられて,クレオンの愚行を悲劇の原因として絞り込む単純化が行われていた.これは成功したのではないかと思う.


 イタリアで現代イタリア語上演なのに,字幕がついたのには驚いたが,私たちの貧弱なイタリア語力でもこれは大いに助かった.イタリア語しか書いてないが大丈夫かと念を押されて買ったプログラムにも台詞が載っていて,これもこの上演を振り返る助けになる.

 先日の「オルフェーオとエウリディーチェ」のプログラムもほしかったが,どうやって買ったら良いかわからなかった.でもグルックの場合はCDやDVDがあり,それらに歌詞や字幕がついている.今回の「アンティゴネー」は二度と聴く機会がないかも知れないし,CDやDVDも出ないかも知れない.何年後かでもNHKやスカイパーフェクTVで放映すればエアチェックもできるが,可能性は低いだろう.その意味でもこのプログラムは貴重だ.15ユーロと印刷してあるが,売り場に貼り紙があって10ユーロだった.

写真:
左側がプログラム
右側は古本市で買った
ソポクレスの原作


 今回は新作上演で補助金もつくのか,値段も安かったし,若い人もたくさん聴きにきていた.現代音楽で,現代的な演出で,予言者も出てくるギリシア悲劇,これで,ブラーヴィの嵐だったのは,やはりオペラもギリシア悲劇もこちらの文化だからなのだろうか.もっとも日本にもギリシア悲劇に素晴らしい曲をつけた偉大な音楽家もいるから,もはやヨーロッパだけのものだとは思わないが,これだけ大うけなのはやはりすごい.

 作曲者はたまたま誕生日だったようで,ハッピーバースデイの合唱が起こり,作曲者は53歳になったと指で示していたが,出演者の一人が,やはり指で本当はもっと上だと示していた.

 演奏会場に入ったとき,開演前からすでに舞台にはポリュネイケスの死体が横たわっていたが,上演中微動だにしなかった.カーテンコールの際,最後に彼が起き上がった時には,爆笑と万雷の拍手が起こった.なるほどプロはすごい.ポリュネイケスはクレオンやテイレシアスと抱き合い,称えあっていた.深刻な悲劇を見せられた後はこうでなければ.





本日の成果
総計15冊で43ユーロ