フィレンツェだより番外篇
2010年9月8日



 




フラ・アンジェリコ「受胎告知」
プラド美術館
(若い友人F氏撮影)



§スペインの旅 - その13 - マドリッド

8月14日,トレドの観光を終えて,マドリッドに向かった.


 宿は空港には近いが,町には遠いところにあった.チェックインしてしまうと,ゆっくりする以外あとは何もすることがない.あきらめがついて却って休めて良かった.総勢11人のうち,一組のカップルと添乗員のYさん以外は,全員50歳以上であろうから,これは賢明な行程であろう.

 翌15日の朝からマドリッド観光は始まった.マドリッドは美しい街だ.バスで市中も見たし,王宮やスペイン広場も訪ね,闘牛も見学した.しかし,今回は一にも二にもプラド美術館だ.


プラド美術館
 朝一番にプラドに行ったが,居られた時間は短い.

 しかし,論旨明快で,統率力抜群の日本人ガイド(厳密にはガイドの通訳)Bさんのおかげで,ベラスケスとゴヤについて,かなりの知識と,参考になる視点を得ることができた.これで苦手意識のあった,グレコ,ベラスケス,ゴヤの全員に関して,その芸術性をある程度以上に理解し,評価するに至った.

写真:
プラド美術館
ゴヤ門(他にベラスケス門,
ムリーリョ門の入口がある)


 グレコとゴヤに関しては,プラドに来るまでに,前段があって,少しずつ関心を高めていたが,ベラスケスに関しては,今回のスペイン行では,プラドで初めて彼の作品を見ることになる.

 何点か見たベラスケスの中で「女官たち」(ラス・メニーナス)は,確かに傑作だということが良くわかった.王女をモデルに絵を描いているところを国王夫妻が覗いて,その姿は部屋の鏡に映っているというものなので,もちろん,美術館が本来の居場所ではないだろう.

 しかし,絵をある程度,感銘を得ながら鑑賞するためには,作品との適切な距離を取りながら,その大きさ(もしくは小ささ)を実感しながら,見ることも大事だ.Bさんのご指導により,少なくとも3段階の距離をとりながら,この絵を鑑賞した.その都度,見え方と注目すべきと思われるものが違うことに驚いた.私は,通常こういう鑑賞の仕方は苦手だが,「ラス・メニーナス」に関しては,有意義どころか必須のように思われた.

 これまで写真で何度も見た,もしくは見るのを余儀なくされた作品ではあるが,何か雑然とした印象があって,ちらりと見ては,自分の好みではないなと思い,見続ける気力を殺がれる作品だと思っていた.しかし,プラドで見た「ラス・メニーナス」は違った.

 王女,国王夫妻,女官たち,小姓,侍従,犬,画家,その他の登場人物がそれぞれドラマを背負って登場し,一瞬の場面に全てが集約されていて,それでいて,背景の物語も,それぞれの人物の一人一人の立場も,少なくとも,絵を見ている時には,あまり気にならない.知識に惑わされずに目の前に見えている図像を図像として鑑賞すれば,そこに全てが含まれているような気がする.

こうして関心を持ったわけだから,多くの解説が手近に存在するこの絵に関して,知識が増えていくのは間違いないだろうが,この作品だけは,そうした瑣末な知識を捨象して,一生のうちに何度か,プラドに行って,目の前に立って実物を時間をかけて鑑賞したい.


 ベラスケスに関しては,Bさんが強調するリアリズムが,今後この画家の作品を鑑賞する際に,私にとってもキーワードになるだろう.ただ,今回,他の作品に関しては,有名な画家の有名な作品を見られて良かったという以外の感想はない.

 それでも「聖母戴冠」(1645年)だけは,写真で知って,見たいと思っていたので,Bさんは時間の都合で,この前を素通りしたが,私は皆さんの列からしばし外れて,2分ほどの鑑賞を果たした.逆三角形だが,安定した構図で,ヴェネツィア絵画風の色彩が平凡に見えるが,心を惹きつけるものがあった.

 文脈上,ここで出してしまうのは残念だが,

エウヘーニオ・ドールス,神吉敬三(訳)『プラド美術館の三時間』ちくま学芸文庫,1997

は名著だ.ドールスがベラスケス鑑賞の初心の鑑賞者に勧めるものとして,

 神話画:「ウルカヌスの鍛冶場」/「酔っ払いたち」
 宗教画:「十字架上のキリスト」/「隠修士聖パウロと聖アントニウス」
 世俗画:「ブレダの開城」(通称「槍」)/「女官たち」(ラス・メニーナス)/「織女たち」(ラス・イランデーラス)
 肖像画:「オリバーレス伯公爵騎馬像」/「道化役者ドン・フアン・デ・アウストゥリア」/「エル・プリーモ」
 風景画:「ヴィラ・メディチの庭」

を挙げ,「ただし,右にあげた代表的作品を眺めてゆく過程で,他の作品をそっと盗み見ることは一向にさしつかえない」と言っている.「聖母戴冠」を私は,限られた時間の中では,比較的熱心に見たし,上(ドールスの本では「右」)に挙げた諸作品でも見ていないものもある.有名な「ブレダの開城」は見ないでしまった.「織女たち」は写真で確認する限り,「女官たち」と比較しながら見るべき作品で,見なくて残念だった.

 いずれにしろ,スペイン最高の画家とされ,それは多分間違いないだろうと私も思うベラスケスに関して,満足の行く鑑賞ができたわけではない.しかし,「女官たち」(ラス・メニーナス)という作品の魅力に開眼できたのは良かった.Bさんのおかげである.



 ゴヤの「着衣のマハ」,「裸体のマハ」に関しては,特に感想はない.生涯,その魅力に開眼することはないかも知れない.

 「五月三日の銃殺」に関しては,Bさんの熱意溢れる解説のおかげもあるが,多少ともその魅力を理解できた.「カルロス4世の家族」も,多分,今後,その雄弁な芸術性に注目するであろう.スペイン絵画のリアリズムの伝統は怖い.

 しかし,私が,今回ゴヤの作品で,惹きつけられたのは,タピスリーの下絵として描かれたとされる一群の絵だ.ここにも実は能弁なリアリズムがある.ゴヤは私にとってはまだまだ謎だ.まじめに鑑賞するのは,少ししんどい.



 グレコとベラスケスとゴヤに見事に焦点を絞って,ポイントをついた,ガイド付き鑑賞はあっと言う間に終った.

 美術館を出る前に,お手洗いとブックショップに行くために少しだけ自由時間があった.その間を利用して一瞬でもフラ・アンジェリコを見たいと思った.フラ・アンジェリコのある部屋はわかっていたが,プラド美術館は大きい.迷わないように場所を確認しておこうと思い,Bさんのもとに行き,『地球の歩き方』掲載の平面図を示して,「この部屋(イタリア絵画の部屋)がどこか教えてください」と訊ねた.

 まったく予想もしていなかったが,Bさんは決然とした口調で「どの絵が見たいのですか」とおっしゃり,「フラ・アンジェリコの『受胎告知』です」と申し上げると,こういう要望は嬉しいのだと言って,グイグイと私たちを引き連れて,案内を始めてくださった.

 多分,Bさんが本当に見せたかったのは,ヒエロニュモス・ボッシュの「悦楽の園」だったのだろう.フランドル文化がスペインに与えた影響を語り始め,ボッシュの前でしばし立ち止まった.おかげで,全く念頭になかったこの有名な作品も解説付きで鑑賞できたし,時間があるなら是非見たいと思っていたロヒール・ファン・デル・ウェイデンの「キリスト降架」の祭壇画も垣間見ることできた.

 しかし,さすがにプロだ.さっと,切り上げて,私が見たいフラ・アンジェリコがあるイタリア絵画の部屋に連れて行ってくださった.ようやく会えた.

フィレンツェのサン・マルコ旧修道院の階段を昇って,目の前に現れたフレスコ画の「受胎告知」を見て以来,私の心はこの画家の虜だ.


 サン・マルコ美術館で小さな別のフレスコ画や,祭壇画の一部に描き込まれた「受胎告知」も見たが,何よりも3度通ったサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの参事会聖堂付属美術館の「受胎告知」,たった一度しか見ていないコルトーナの司教区博物館の「受胎告知」が素晴らしかった.

 そして,この2点の祭壇画に構図が良く似た祭壇画の「受胎告知」がもう1点,プラドにあることを知ってから,いつかプラドに行きたいと思い続けてきた.連れて来てくれた妻と,短時間での鑑賞を手際よくさせて下さったBさんに心から感謝したい.

 どういう経過でスペインに来たのかは知らないが,かつてはフィエーゾレの丘のサン・ドメニコ修道院にあったとされる,華やかな色彩の「受胎告知」だ.3点比べてみて,それでもやはり,3度通ったサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの「受胎告知」が最も好きだが,ともかく,プラドのフラ・アンジェリコに出会えたのだ.

 冒頭の写真は,フィレンツェでお世話になった,若い友人のFさんが,かつてプラドに来た時に撮ったものである.Fさんから,プラドは写真撮れますよ,と言われて,何点かの作品に関して,短い時間でも,自分の資料として写真を撮らせてもらえればと思っていた.

 しかし,Bさんの話では,「何度注意されても,フラッシュを焚く者が絶えないので」,保護の観点から,つい最近禁止されたとのことだ.今年買って,スペインに持参した2007年出版の『ワールド・ガイド』にもまだ「写真撮影は可」という情報があるというのに,残念だ.

 そうは言っても,素人の撮った写真は,所詮それだけのものに過ぎない.大体,私が興奮して撮った写真は殆ど焦点がボケる.何よりも大事なのは,この目で見られるということだ.



 フラ・アンジェリコの向かって左隣にあった,コレッジョの美しい「我に触れるな」と,ボッティチェリとその工房作とされる「ナスタジオ・オネスティの物語」を見て,さらにベルナルディーノ・ルイーニの「聖母子」も見られたので,満足して,Bさんに連れられて集合場所に戻った.

 ドールスはプラドのイタリア絵画を取り上げ,コレッジョを讃えている.マンテーニャの「聖母の死」に関しては絶賛と言って良い.アンドレア・デル・サルトの「秘蹟」もかなり評価している.マンテーニャを見たいと思っていながら,ボッティチェリ如きに注意を奪われて,見逃したのは迂闊だったし,デル・サルトも見られなかったは残念だ.

 カラヴァッジョの「ダヴィデとゴリアテ」にはドールスは言及していなかったが,いずれにしろ,知っていて見忘れるには大物を逃してしまった.

 ルーカ・ジョルダーノの「ソロモンの夢」は,よく見るジョルダーノ絵画の構図だが,その中では,写真で見る限り最高水準の絵だ.パルミジャニーノも,たくさんあるヴェネツィア派も1枚も見ないでしまった.いずれにせよ,プラドには近いうちにまた行きたい.できれば,マドリッドに滞在して,4日くらいはプラドに割き,一回につき5時間ずつくらい見たい.

 Bさんが,ティッセン美術館もお忘れなくとおっしゃった.もちろん,ギルランダイオを見るためにも是非,行きたいと思っている.マドリッドも町中には,ギルランダイオの「ジョヴァンナ・トルナブゥオーニの肖像」を使ったティッセン・ボルネミッサ美術館のバナーが各所で見られた.

 翌日は自由時間があったが,月曜で美術館は休みだった.いずれ,体力が残っていなくて,無理だったが,行けなくて残念だった.


「無原罪の御宿り」
 プラドで,見忘れて残念だったイタリア絵画として,ティエポロの「無原罪の御宿り」(1769年)がある.時代が新しいのと,このテーマを,この構図で,イタリアの画家が描いたのはめずらしいように思えた.

 わずかでも,このテーマと関連する作品を描いた画家として,私たちが見たのは,ピエロ・ディ・コジモ(フィエーゾレ,サン・フランチェスコ教会,フィレンツェ,ウフィッツィ美術館),ルーカの甥フランチェスコ・シニョレッリ(コルトーナ,司教区博物館),ジョルジョ・ヴァザーリ(フィレンツェ,サンティ・アポストリ教会,アレッツォ,中世・近代美術館),エンポリ(フィレンツェ,サン・ビアージョ教会)の作品が挙げられるが,いずれも,スペインで見たスルバランやムリーリョの「無原罪の御宿り」とは絵柄が異なる.

 ボローニャの画家フランチャの作品もルッカの国立博物館で見られたが,マンドルラの中の神が,向かって左手に畏まっている王冠を戴いた女性に何かを授け,画面の下で5人の聖人たちが,多分「無原罪の御宿り」に関して議論しているのであろうが,天を見上げている,一見すると「聖母戴冠と聖人たち」に見える絵だった.

 ムリーリョの作品は有名で,日本のテレビ(TV東京の「美の巨人たち」など)でも紹介された.しかし,やはり,スペインではスルバラン,ムリーリョのみならず,ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートで見られるだけでも,ホセ・アントリネス(マドリッド,ラサロ・ハルディアノ美術館,ビルバオ,美術博物館),アロンソ・カーノ(ビトリア,県立美術館),エル・グレコ(マドリッド,ティッセン美術館,トレド,サンタ・クルス美術館),マリアーノ・マエーリャ(マドリッド.プラド美術館),バルデス=レアル(パリ,ルーヴル美術館),ベラスケス(ロンドン,ナショナル・ギャラリー)他,多くの作品が挙げられる.

 イタリアの(トスカーナの,と言っても良いかもしれない)画家の「無原罪の御宿り」は,聖人が議論していたりして,この絵柄の主題には,安定しない宗教的問題があることを想像させるのに対し,スペインの多くの「無原罪の御宿り」は,美しく清らかな聖母が中空に浮くような感じで描かれ,これから人間世界でヨアキムとアンナ夫妻の子として生まれることを待っている,何の疑念もない,安定した図像であるように思われる.

 英語版ウィキペディア「無原罪の御宿り」の小項目「芸術における無原罪の御宿り」にも,この図像を確立したのは,ベラスケスの師匠で義父のフランシスコ・パチェーコであり,それが,スルバラン,ベラスケス,ムリーリョの作品に影響したことを指摘している.

 エンリーケ・バルディビエーソ/神吉敬三(監修)「スペイン美術展1 16・17世紀 エル・グレコ,ベラスケスの時代」西武美術館,1985

という図録を古書店で買って,書架に置いていた.池袋にあった西武美術館で行なわれた特別展の図録だ.特別展自体は見ていない.

 この特別展にパチェーコの「ミゲール・シッドのいる無原罪の御宿り」(1617年頃,セビリアの大聖堂)が来ていたようだ.セビリアでこの作品を見ていないし,写真で見る限り,スルバランやムリーリョの作品が持っている魅力に欠けるように思われるが,この図録は白黒写真の参考図として,やはりセビリアの大聖堂にあるパチェーコの「無原罪の御宿り」を紹介している.後者の方が,すぐれた作品に思える.

 この図録の解説によれば,自著である『絵画論』においてもパチェーコがこだわったポイントは,

 「胸の高さで手を合わせて空を舞い降りる.その顔は若く,乙女のようで,純潔の理想にふさわしい年齢である.太陽を暗示し,天上の力を強調する黄金色の光背が彼女の姿を囲繞し」(以下,略)


とある.以下の文は,図録の絵に特定の表現で,他の作品とは共通しない部分なので省略したが,パチェーコが確立した図像の特徴をわかりやすく説明している.

 セビリアでこのような特徴を持ったスルバランとムリーリョの「無原罪の御宿り」を見たわけであるが,この画題のスルバランとムリーリョの作品がプラドにもある.特にムリーリョのものはウェブ・ギャラリー・オヴ・アートにも少なくとも3点プラド所蔵作品が紹介されており,得意とした図像であったことがわかる.

 今回のスペイン旅行で得た新たな学習項目として,セビリアから,スペイン絵画を支えた多くの画家が出たということがある.特にベラスケスとムリーリョがセビリア出身であることは,この都市の17世紀を輝かしいものにしている.

 ベラスケスの師匠だったパチェーコが確立した図像が,スペインで山のように描かれ,教義的にはカトリック教会の公式の承認を得るためには19世紀を待たねばならなかったにも関わらず,傑作が多い.ということは,多額の報酬で,多くの注文が出され,スペインで特に好まれた絵柄であることを物語っている.

 先のパチェーコが確立した図像を思わせる絵で,スペイン以外の画家が描いた作品もウェブ・ギャラリー・オヴ・アートに散見するが,その中では,ルーベンス(「無原罪の御宿り」)とティエポロが大物であろう.どちらのもプラドの所蔵作品であることは,やはり,スペインで特に好まれたことを裏付けていると思う.

 何はともあれ,今回,プラドではスルバランとムリーリョの作品を見ていない.次回は,必ず,系統的にスペイン絵画をじっくり見たい.「無原罪の御宿り」はたとえ,下手な画家の作品でも,今後見られる限り,見て行きたい.



 ドールスは,フラ・アンジェリコの「受胎告知」を絶賛している.それを導入として,プラドの誇るべきコレクションであるフランドル絵画を紹介し,さらにスペインの「プリミティヴ絵画」を紹介している.ペドロ・ベルゲーテ「アビラの祭壇衝立画」を構成した幾枚かのパネル画,ルイス・デ・モラーレスの「聖母子」,フアン・デ・フアーネス(ビセンテ・マシプ)の「最後の晩餐」,「刑場へ引かれていく聖ステパノ」,「聖ステパノの埋葬」などである.

 マシプの絵は写真で見ても,もう「プリミティヴ」という形容はふさわしくないし,彼はパチェーコと同世代であるから,すでにバロックに時代は向かっている.中世の遺風から,短いルネサンスとグレコのマニエリスムを経て,バロックで花咲くスペイン絵画の土壌を,ドールスはプラド美術館の収蔵作品を使って巧みに説明している.

 この本は,イタリアから帰国した直後の2008年5月に,高田馬場のブックオフで買ったものだ.この時点ではスペインへの関心はきわめて薄く,ともかくイタリア,という時期ではあったが,それでも読むチャンスは随分有ったことになる.しかし,スペインに行って来て,たとえ僅かでも,プラド美術館を見,スペイン絵画にも興味と多少の知識を得た今だからこそ,この素晴らしい名著を熟読玩味できるように思う.

 今度,プラドに行ける時には,事前に何度も,このドールスの本を読んで行こう.


ソフィア王妃芸術センター
 プラド美術館を思い出しながら,つい,興奮を抑え切れなかったし,まだまだ思ったことは他にもあるが,ともかく話を先に進める.

 後ろ髪引かれながら,Bさんに深く感謝しながら,プラドを後にして,ソフィア王妃芸術センターに向かった. 18世紀に建てられた病院を改修して造られた国立美術館で,主に20世紀の現代美術を展示している.

写真:
ソフィア王妃芸術センター
ロイ・リキテンスタインの作品


 この美術館にはピカソの「ゲルニカ」がある.「ゲルニカ」以外は撮影可だが,写真厳禁の「ゲルニカ」の前でも,何人もの人が,フラッシュをバンバン焚きながら写真を撮っていた.もちろん,BさんとYさんがしっかり事前に注意し,もともと謙虚に指示を守る人ばかりの,私たちの一行は誰一人として,そんなことはしていない.

 「ゲルニカ」の写真はあちこちで見ることができる.まず,折角目の前にある実物を見ることが肝要だろう.歴史的背景や,図像の意味をBさんがしっかり説明してくださって,勉強になったし,私もこの作品を見ることができて,良かったと思う.

写真:
Bさんの解説で
ダリの作品を鑑賞


 ダリの絵も良かったし,やはり現代(と言っても,ダリやピカソのように比較的長命だった物故者の作品はすでに古典だろう)芸術には,古い作品とはまた違う魅力がある.

 そういう意味でも,ソフィア王妃芸術センターを見ることができたのは,良かったと思う.


マドリッドの町を歩く
 下の写真の記念碑は,スペイン広場から王宮前広場に歩いて移動する際に偶然,途中の広場で見かけ,写真に収めた.

 この碑の下壇部分の,向かって左側の面には,「ディエゴ・ベラスケス 1599-1660」と,この碑で顕彰もしくは記念されている人物名が記されている.向かって右側の面には,ラテン語ではなくスペイン語で「この場所に,教区教会だった聖ヨハネ教会があり,そこには画家ディエゴ・デ・シルバ・イ・ベラスケスが埋葬されていた」という碑文が刻まれていた.

写真:
ベラスケスが埋葬された
教会跡に建つ記念碑


 ウェブ上に,スペイン美術研究の権威の講演原稿がある.

 大高保二郎「ベラスケスと国王 絵画の王道を求めて」2007年3月13日,如水会館

である.「無断転記無断転載を禁ず」と赤い字で強調されているので,引用は遠慮するし,講演時に見せたと思われる写真がなくて,わかりにくいけれど,おおよそ「対ナポレオン独立戦争の際に破壊されて教会は残っていないが,教会の跡に彼の記念碑が建っている」としている.

 セビリアでムリーリョの,マドリッドでベラスケスの墓所であった場所に参ることができた.いずれも対ナポレオン戦争の被害で,埋葬された教会が破壊され,「このあたりに埋葬されたはずだ」ということしか分からない状態になってしまった.

 ベラスケスの死は1660年,ムリーリョの死は1682年,いずれも17世紀を生きた芸術家たちで,貧窮のうちに亡くなったスルバランと異なり,最後まで栄光に包まれて死に,手厚く葬られた.にも関わらず,彼らの遺体が.どこにあるのか,今となっては正確にはもうわからない.

 まして,紀元前後に生まれた哲学者セネカは,コルドバに生まれ,ローマで亡くなったことは万人が認めているが,生家も埋葬地も永遠にわからないままだろう.去年の冬,確かに雪は降ったが,同じ雪の痕跡を見出すのは,人間が生活している場所では難しい.それは,それで仕方のないことだ.

写真:
マドリッドの王宮


 プラド,ソフィア王妃芸術センターを見た後,私たちがフィレンツェで通っていた庶民的な店よりはだいぶ立派な中華料理店で昼食をとり,セゴビアに向かい,マドリッドに戻った後,闘牛を見て,ホテルに帰り,翌日の帰国に備えた.

 翌日は,人数がそろえば,セルバンテスの故郷へのオプショナル・ツァーも提案されていたが,何せ少人数のツァーだから成立しなかった.それは,それで幸いだったので,朝ゆっくりして,帰国の途についた.

 後1回,セゴビア観光の報告をして,今夏の「フィレンツェだより」番外篇は終了とする.





ソフィア王妃芸術センター入口
1992年 開館
マドリッド