フィレンツェだより
2007年4月30日



 




雨の「4月27日」通り



§雨の日,フィレンツェ雑感

雨が全然降らないと書いたら,今日は雨だった.雷も鳴った.


 街を歩いている時,日本だと夏によく出る大きな雲が山の方に出ているのを見て,夕立にでもなるのではないかと思うことが何度かあったが,それでも雨は降らなかった.

 今日は朝から曇天だったが,午後になって雷鳴が響き渡り,雨も長い時間降った.それでも日本の土砂降りのようにはならなかった.昨年9月にローマで激しい雨に遭ったが,その時期は雨季だったらしい.

 今日は外出できなかったので,撮りためた写真をもとに,考えたこと綴ってみる.



 テアトロ・コムナーレに行くときは,サンタ・マリーア・ノヴェッラ広場からフォッシ通りへと進む.27日は日差しが強かったので,そこから先は日陰の多いオンニサンティ通りを,28日は日没後だったので,川沿いの道であるアメリゴ・ヴェスプッチと名づけられた道(「通り」ヴィーアではなく「ルンガルノ」という名称のようだ.アルノ川沿いの道ということだろうか)を行った.

 オンニサンティ通りには骨董屋(アンティーク・ショップと言うべきか)など面白そうな店が多く,ショーウィンドウを覗くのも楽しい.手工芸品の店の品物に日本語の説明がついていた.

写真:
ショーウィンドの日本語


 日本人は大事なお客さんなのだろう.ガイドブックなどは日本語版だけでなく,中国語やハングルのものも見られる.特に中国人は,住んでいる人も多いし,フィレンツェで見かけるアジア人は観光客に限って言えばまだ日本人が優勢だが,そのうち中国人の方が多くなるかも知れない.中国の人たちの持つパワーと人口にはどうやってもかなわないような気がする.

 同じ通りで「SEIKO」と書かれた時計屋(オロロジェリーア)を見かけた.日本の製品と意識されているかどうかはわからないが,かなりのブランド力があるのだろう.家電製品や自動車などは日本製もかなり見られるようだが,韓国のサムソンやヒュンダイも多いようだ.

 逆に,日本の企業だと思っていたものをこっちでみかけて,国際資本の会社だったことを初めて知ることもある.日常的に眼にしていると,なかなか気づかないのだろう.



 イタリア語では「ザンザーラ」という怪獣のような名称だが,これは「蚊」だ.

 フィレンツェはザンザーラに悩まされることが多いというので,蚊取り線香を持ってきたのだが,エッセルンガでも売っていた.さすがにこれはもとは日本の発明だろうが,売り場にあったのは日本の製品ではなかった.それだけ「蚊」は覚悟しなければならないということだろう.

 エアコンも網戸もまだまだ一般的ではないようだし,寓居にもないので,ともかくすでに出没してきた「蚊」の被害に対する心構えはしなくてはなるまい.



 写真はフォッシ通りで見かけた装飾だ.下の浮き彫りはオリエント風(「三王礼拝」だろう)だが,リュネットの中の剥ぎ取られた跡は聖母子に見えるので,もとは教会だったのだろうか.その建物には庶民的なリストランテと,英語名の寝具店が入っているようだ.

写真:
建物壁面の凝った装飾


 右下は,以前,アルノ川南岸をヴェッキオ橋からサンタ・トリニタ橋まで向かうサン・ヤーコポ通り(この「通り」はヴィーアではなく,ボルゴだった)で見かけたものだ.これも詳細はわからないが,細部までしっかりしており,絵柄といい由緒ありげに見えた.

写真:
「受胎告知」を中心とした装飾


 下の写真は,先日外側だけ見ることができたオル・サン・ミケーレ教会の壁龕だ.「聖ゲオルギウス像」のように,本物はどこかの美術館にあって,これはコピーかも知れないが,由緒は調べればすぐにわかるだろう.今のところ調べていないが,オル・サン・ミケーレ教会の歴史と関係が深いかもしれないので,それは今度本格的に訪ねていくときまでに調べておこう.

写真:
オル・サン・ミケーレ教会の壁龕
4人の聖人の彫刻が立ち並ぶ


 私の故郷には仏像や仏画で有名な寺社仏閣はなかったが,それでもお寺や神社,小さな祠や石碑を見ると心がなごんだ.じじくさい子供だったせいかも知れないが,今でもその傾向はある.

 有名な教会だけでなく,さりげなくある町や村の教会も好きだ.もちろん信仰の場だから,地元の人たちの顰蹙を買わないようにしなければならないが,そうした教会も訪ねてみたい.知らずに入った教会にすごい美術品があったりするのもまた,この街のすごさだと思う.





ポッジョ・ア・カイアーノの教会
右側に美しい鐘楼もあった