フィレンツェだより番外篇
2009年10月19日



 




チェーザレ・ダ・セスト作
サン・ロッコの多翼祭壇画(部分)
スフォルツァ城絵画館



§ミラノを歩く - その14
   美術館・博物館篇4 ‐ アンブロジアーナ絵画館


バガッティ・ヴァルセッキ博物館,ポルディ・ペッツォーリ美術館など,大貴族の豪華な屋敷を見た翌日,アンブロジアーナ絵画館に行った.


 果たして,この絵画館が以前何だったか,今のところ調べていないが,この絵画館にも一部,宗教的雰囲気と矛盾する装飾を含め,ルネサンス,新古典主義風の部屋もある.

 17世紀にフェデリコ・ボッロメーオ枢機卿兼ミラノ大司教のコレクションを基につくられた絵画館であるから,ルネサンスはともかく,新古典主義的な室内装飾は後の時代のものであろうに,一体誰が,何の目的で作らせたのだろうか.

 ギリシア語やラテン語の標語にも宗教的ではないものもあったように思うが,写真禁止なので,思い出す手段がない.

 この絵画館の詳細な図録に各部屋の簡単な説明があったが,それによれば,概ね新古典主義的な装飾は20世紀のものであり,もともと絵画館の一角としての改築であって,貴族の屋敷の室内装飾というわけでなないようだ.

 シエナ派の大芸術家シモーネ・マルティーニの絵柄に基づくモザイク装飾もあった.

 ペトラルカが書写したウェルギリウスの写本に,シモーネが挿絵を描いたものが,この絵画館併設のアンブロジアーナ図書館にあるが,1930年にウェルギリウスの生誕(紀元前70年)2000年を記念して,この挿絵をモザイクで再構成し,それを中心になされた装飾らしい.

 ちなみに,この部屋にはブレーシャの巨匠モレットの作品が4点ある.

 螺旋階段を昇った上の階の部屋には,「諸徳」(ウィルトゥーテース),「諸学問」(スキエンティアエ)の装飾画があるが,こちらはアンブロジアーナ図書館にある中世写本にあるニコロ・ダ・ボローニャの挿絵に基づいて再構成されたものとのことだ.

 この部屋の収蔵作品は風景画,静物画,寓意画,神話画だが,唯一つ宗教画がある.グィド・レーニの「悔悟するマグダラのマリア」だが,作者の名前に見合う傑作とは思えない.



 アンブロジアーナ絵画館には,宗教画とは異なる新しい絵画も少なくない.「新しい」どころか,17世紀の作品でも,宗教画ではない傑作がある.カラヴァッジョの「果物籠」だ.16世紀の巨匠ラファエロの「アテネの学堂」の下絵もある.

この2点は,陳腐な表現で恐縮だが,アンブロジアーナ絵画館が世界に誇る世紀の大傑作と言えよう.


 芸術的興味からは,この2つの作品が見られれば,この絵画館に関してはほぼ満足だが,今回のミラノ行の主要テーマとも言うべき,

レオナルデスキ
ミラノのマニエリスム,バロック芸術

を考える視点からも,この絵画館訪問は絶対に外せない.レオナルデスキの前の世代の作品でも,フォッパはないが,ゼナーレとベルゴニョーネの高水準の作品が複数ある.

写真:(参考)
ベルゴニョーネ作「聖母子」
ポルディ・ペッツォーリ美術館
(レオナルドの影響以降の絵だろう)


 トスカーナ絵画は,どれも傑作とは言い難いが,15世紀後半のフェッラーラの無名の画家による「聖母の死」は,超現実的な雰囲気をたたえていて,個人的には傑作だと思う.

 レオナルデスキの作品では,「聖家族と幼児の洗礼者ヨハネ」を始めとするベルナルディーノ・ルイーニの作品がすばらしい.

 マルコ・ドッジョーノの三翼祭壇画「聖母子と聖人たち」(聖人は福音史家と洗礼者の両ヨハネ」は,少なくとも私が見ることができたこの画家の作品の中では一番見事だ.福音史家ヨハネが美しい.

 ジャンピエトリーノとブラマンティーノの作品も複数あるし,レオナルドの有名な弟子サライーノ(ジャン=ジャーコモ・カプロッティ)の「洗礼者ヨハネ」もある.何よりも,この美術館にはレオナルドの真作とされる「音楽家」がある.


「アトランティコ手稿」特別展
 最初,レオナルドの「音楽家」が,あるべき場所にないのでとまどったが,特別展が開催されており,この作品と幾つかの関連作品は特別展のコーナーの方に展示されていた.

 会場となっていたのは,ベルナルディーノ・ルイーニのフレスコ画「荊冠のキリストへの侮辱」が描かれている「ルイーニの部屋」と呼ばれている一角で,ここにジャンピエトリーノとその一派の作品,サライーノの洗礼者「ヨハネ」とともに,「音楽家」が主役として置かれていた.

 この特別展のメインは図書館に所蔵されているレオナルドの手稿である.絵画に関しては,所蔵作品をテーマに寄せてまとめて展示しただけだったし,入館料も特別展のため,1人15ユーロと高かった(ここは通常も7.5ユーロと高い)が,「アトランティコ手稿」を見せるということで,やむを得なかったかも知れない.

 個人的には,この特別展は良いことづくめだった.

 そもそも前回は「ルイーニの部屋」を見た記憶がないし,手稿が展示されていた,その隣の「書庫」に入れたことも嬉しい.また,書庫の出口と反対側の部屋には紀元後4世紀から5世紀頃の古代末期の床モザイクも見られた.しかも今回は書庫の出口が,この特別展全体の出口になっていたので,この出口にあった売店で,この特別展関連の伊英対訳の案内書,

 Marco Navoni, Aula Leonardi, Novara: DeAgostini, 2009

を入手し,前回売っていたのを見た記憶がない,ラファエロの下絵の長い絵はがきを,自分用と,私にイタリア文化を教えてくれるブレーシャ出身の同僚へのささやかなお土産のために2枚買うことができた.

 さらに,この出口から出たおかげで,前回は見られなかった,この絵画館の建物の一部になっているサン・セポルクロ教会のファサードと鐘楼を見ることができた.ロマネスク風だが,19世紀末の改築で今の姿になった新しいものらしい.

写真:
サン・セポルクロ教会
ファサードと鐘楼


 ただひとつ,残念なのは,この特別展のもうひとつの会場の方を見過ごしてしまったことだ.この日の午前中に訪れたサンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会の「ブラマンテの聖具室」である.

 本堂から回廊に出たとき,その一角でレオナルドに関連した特別展らしきものをやっているのに気がついたが,昼休みが迫っていたし,「最後の晩餐」も予約していたので素通りした.

 ここが「ブラマンテの聖具室」であることは後で知った.

 この聖具室は普段は公開されていないかも知れないし,ガンデンツィオ・フェッラーリの未見の絵を見るチャンスだったのに惜しいことをしたし,そもそも,そこが,もう一つの会場だったことは,午後,本会場のアンブロジアーナ絵画館で知った.

写真:(参考)
ガウデンツィオ・フェッラーリ作
「聖母子と聖人たち」
ポルディ・ペッツォーリ美術館


 アンブロジアーナの特別展では,前回見ていないのは,手稿だけのはずだが,絵画の関連諸作品も見た記憶がないものが何点かあった.その中で,ヴェスピーノという画家の「最後の晩餐」と「岩窟の聖母」(聖母子と幼児の洗礼者ヨハネ,大天使ウリエル)は目をひいた.

 完全にレオナルド作品の模倣ということがわかる.後者は特にテカテカして,これだけを見たいと思うようなものではないが,フレスコ画を,それよりは小さ目の,大きなカンヴァス画にした「最後の晩餐」は原作を知らなければ,それなりの水準の作品に思える.「最後の晩餐」のコピーとしては,画家の画力をそれなりに評価できる佳品だと思う.

 本名アンドレーア・ビアンキで,16世紀末から17世紀前半にミラノで活動した画家という以外の情報は,絵画館の図録にもない.アンブロジアーナにはもう1点「シビュラ」があるが,これを写真で見ると,「最後の晩餐」を描けたのは,レオナルドの原作あってこそという印象を受ける.とすれば,かなり忠実に当時の「最後の晩餐」の状況を伝えてくれている可能性がある.

 特別展案内書に拠ると,この絵画館の,いわば創設者であるフェデリコ・ボッロメーオのお気に入りの画家で,ルネサンス作品の多くのコピーを依頼されたらしい.コピーは原作者と模倣者に2人の芸術を楽しめると考えたらしいフェデリコ枢機卿にとっては,あるいは有用な画家だったかも知れない.

 見られて良かったのは,ジャンピエトリーノの「キリストへの侮辱」と,ボルトラッフィオの習作2点だ.前者は絵画館図録にも写真が掲載されていて,「福音史家ヨハネ」とともに写真でもその出来の良さが確認できるが,ボルトラッフィオの習作は普段は公開されていないのかも知れない.こうしたまとまって展示には意味があるように思える.

 さらに前回も見た記憶があるが,ジョヴァンニ・アンブロージョ・デ・プレーディスの作品とされる「貴婦人の肖像」も注目されて良いだろう.

 1455年頃ミラノに生まれ,1509年にミラノで死んだミラノの画家だが,この絵はレオナルドの作品と考えられていたこともあり,イザベッラ・デステの妹ベアトリーチェ・デステの肖像画と思われていたこともあるようだ.「音楽家」がミラノ公(イル・モーロ)と考えられ,その対になる作品とされていたこともあるようだが,今は全く否定されている.

 この絵の質の高さはある程度評価しながら,レオナルド作とするには平板過ぎるというのが一般的評価のようだが,印象には残る作品だ.私は好きだ.



 ミラノのマニエリスム,バロックの作品も数多く,なおかつ質も高いように思えるが,今回は勉強が足りない.ヴェネツィア派でもティツィアーノをはじめビッグネームの画家の作品があるが,この美術館の特徴はコピア(写し)やレプリカ(複製),スクオーラ(派),チェルキア(周辺)とされる作品が多いことだ.

 これも,コピーをある程度以上に評価したフェデリコ枢機卿の趣味を反映しているだろう.若きミケランジェロのピエタや古代彫刻のコピーもある.

 北方絵画のコレクションもこの絵画館の特徴だろう.近代美術のコレクションも見逃せない.少なくとも4点あるアイエツの肖像画はどれも素晴らしい.1932年にミラノで死んだエミリオ・ロンゴーニが貧しい2人の少女を描いた絵は前回絵はがきを購入したほど魅力的に思えた.

 冷静に,図録をめくっていると,どの作品も大傑作というわけではないが,目の前にあると,どれもそれなりの魅力を湛えている.

 ポルディ・ペッツォーリの書斎のものと同じ絵柄のステンドグラスがある.アンブロジアーナの方が大きな作品だ.図録によって,1800年代(オットチェント)のミラノの芸術家ジュゼッペ・ベルティーニの作品であること,原画はヴェルチェッリのベルゴーニャ博物館にあることがわかる.ブレラ美術学院の教授と校長を務めた,時代と地域を代表する芸術家だった.少なくとも,その経歴は,19世紀ミラノの典型的な芸術家と言えるかも知れない.

 この絵画館は様々に楽しめる.ミラノに行った時は,やはり是非訪れたい.100回行けば,100通りの顔を見せてくれるだろう.今度は,ミラノのマニエリスム,バロックの絵画を見るために,行きたい.





サンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会の横手
後方はブラマンテの聖具室あたりか