フィレンツェだより番外篇
2009年10月18日



 




ダンテのステンド・グラス(部分)
ポルディ・ペッツォーリの書斎



§ミラノを歩く - その13 (美術館・博物館篇3)

「博物館」というイメージには遠いが,「マンゾーニの家」はムゼーオ(イル・ムゼーオ・マンゾニアーノ)とされているので,一応,博物館としておく.


 アレッサンドロ・マンゾーニ(英語版イタリア語版ウィキペディア)は19世紀の人で,イタリア最高の小説家とされる.最高の「詩人」がダンテとすれば,それに匹敵する「小説家」が,マンゾーニということになる.

 散文文芸作家としては,ルネサンス初期に,すでにボッカッチョがいるが,近代小説とは異なる作品だし,ボッカッチョには韻文作品も少なくないので,やはり「小説家」と言えば,時代は下るがマンゾーニということになる.もっともマンゾーニも詩作も劇作もしている.

 ブレラ絵画館にアイエツ作の肖像画がある.

 19世紀後半から20世紀には綺羅星の如くに輩出するイタリアの小説家たちだが,19世紀までは,彼が空前の作家であった.ヴェルガも,ピランデッロも,パヴェーゼも,カルヴィーノも,タブッキも,マンゾーニがいなければ,あるいは違う形の作家活動になっていたかも知れない.

 マンゾーニの代表作が,1825年から27年に書かれた『いいなづけ』(イ・プロメッシ・スポージ)であることには異論のある人はいないであろう.長大な作品で,邦訳も少なくとも2種類あるが,読破は容易ではない.

 マンゾーニはミラノで生まれて,ミラノで死んだが,家系は北ロンバルディアのレッコの貴族とのことだ.1873年4月28日に亡くなって,サン・マルコ教会で葬儀が行なわれ,大作曲家ジュゼッペ・ヴェルディが彼のためにレクイエム(鎮魂ミサ曲)を書いた.いわゆる「ヴェルディのレクイエム」だ.

 イタリア統一後に上院議員となった.まさにリソルジメント(イタリア統一)の時代を生きた国民作家ということになる.

写真:
中央の茶色の建物が,現在,博物館として公開されている「マンゾーニの家」


 特別行事があって,寝室のある2階は見せてもらえなかったが,1階の書斎,書庫は見ることができた.イタリア人にとって漱石,鴎外のような存在で,全国民が教科書で学ぶ大作家だが,私には遠い存在だ.

 しかし,イタリアの偉人の旧跡の訪ね,その書斎,書庫を見ることができたのだ.しかも,その書斎の机で,『いいなづけ』が書かれた,とのことだった.イタリア語に全く堪能でない外国人にも聞き取れるように,丁寧でわかりやすく,ゆっくりと説明してくれる.入場無料だ.作家も偉大だが,イタリアと言う国も偉大だ.

 複数のブログのイタリア旅行記で訪問体験が報告されているが,それぞれ体験が違うようだ.写真を撮った人もいるようだが,「内部は撮影禁止」と書いている人もいる.私も「写真を撮っても良いですか」と聞いたが,「禁止されている」という答えだったので,写真は外観のみである.ノートに漢字で記帳して,辞去した.


ポルディ・ペッツォーリ美術館
 マンゾーニも貴族の出身だが,マンゾーニの家は邸宅ではあっても,豪邸というほどではない.それにくらべると,この後に訪問したバガッティ・ヴァルセッキ博物館は,大貴族の大豪邸だった.ポルディ・ペッツォーリ美術館も大貴族の大豪邸だ.

 バガッティ・バルセッキの寝室も,金持ちの趣味人が贅を尽くしたものだが,ポルディ・ペッツォーリの書斎もかなりのものだ.ダンテをモティーフにした立派なステンド・グラスを特注し,時代を代表する芸術家に母親の胸像を作らせた.庶民感覚では,そのような贅沢を想像することも困難だが,実際に目の当たりにすると,目を見張ってしまう.

 とは言え,バガッティ・ヴァルセッキに比べて,ポルディ・ペッツォーリは傑作芸術に溢れているので,貴族の生活だけを考えている暇がない.ポルディ・ペッツォーリの1階には鎧兜のコレクションもあるが,見ている時間がない.ただ,調度などのコレクションは豪華だし,これにはなるべくなら時間を割きたい.

写真:
ポルディ・ペッツォーリの書斎


 昨年3月以来,2回目の訪問であったが,ピエロ・デッラ・フランチェスカ,コスメ・トゥーラ,マンテーニャ,ジョヴァンニ・ベッリーニ,ボッティチェッリの傑作,伝ラファエロの十字架,レオナルデスキとミラノのルネサンスを支えた画家たちの諸作品,中世末期の宗教画コレクションなど,記憶に残っている作品群とは,意識の上でも「久しぶりの再会」という気持ちだった.

 ただし,私が一番好きなリッポ・メンミの「ハンガリーの聖エリザベト」は修復のためか,どこかの特別展に出張なのか,外されていた.次回は,是非「再会」を果たしたい.2番目に好きなヴィターレ・ダ・ボローニャの「謙譲の聖母」とは再会を果たせた.

 ヴェローナで注目したフランチェスコ・モローネの「サムソンとデリラ」は,前回はあまり目を留めなかったが,今回はじっくり見た.特に優れた作品とは思えなかったが,ともかくモローネの作品なので,見られて嬉しい.

 ほかに注目した作品としては,「グリゼルダの親方」と称される画家の作品「アルテミシア」がある.「グリセルダの親方」は,スフォルツァ城で見たフレスコ画「グリセルダの物語」の作者であろうか.

写真:
「アルテミシア」
「グリゼルダの親方」作


 その巨大な墓が世界の7不思議の一つとされ,「霊廟」(マウソレウム)の語源となった,小アジアのハリカルナッソスの地方君主マウソロスのために,巨大霊廟を建設した妻で,夫の死後カリアの女王(前4世紀半ば)となった人物の絵である.

 フェイレンツェのホーン美術館で,フランチェスコ・フリーニの「アルテミシア」を見ている.私にとっては,ヘロドトスの『歴史』に出てくるペルシャ戦争で活躍したアルテミシア(前5世紀前半)の方が馴染み深く,こちらの方が,百年以上前の人物である.さらに言えば,ヘロドトスはハリカルナッソスの人なので,様々な知識が錯綜して,わかりにくい.

 ポルディ・ペッツォーリで見られる「アルテミシア」は,上品な長身の女性に描かれていて,まるでこの時代の宗教画のようだ.15世紀後半の作品であるし,スフォルツァ城で見られたボッカッチョに取材したフレスコ画は,パルマの君主の城の一角に描かれたものとのことだ.ロンバルディアではないが,北イタリアのルネサンスの一面を物語る作品と言って良いだろう.アルテミシアもルネサンス的絵柄と言える.

 この「アルテミシア」の向かい側の壁に掛けられているのが,ベルゴニョーネの祭壇画の一部「アレクサンドリアの聖カテリーナ」だ.傑作ではないが,ベルゴニョーネらしい,可憐なカテリーナである.

 「聖カテリーナ」といえば,ベルナルディーノ・ルイーニの作品をサン・マウリツィオ教会で少なくとも4点見たが,ポルディ・ペッツォーリにも,彼の「聖カテリーナの神秘の結婚」がある.カテリーナがシエナの聖女の場合もあるが,壊れた車輪があるので,アレクサンドリアの聖女であろう.これもベルナルディーノの最高傑作ではないが,レオナルドの影響が色濃くても,やはり彼の個性がにじみ出ている佳品である.

 レオナルデスキの作品としては,ボルトラッフィオの真作とされる「聖母子」,アンドレーア・ソラーリオの「聖母子」もあり,彼の「エジプト逃避行」,「エッケ・ホモ」もある.

写真:
ボルトラッフィオ作
「聖母子」


 チェーザレ・ダ・セストの「聖母子と子羊」が,レオナルドの模倣作品でありながら,画家の個性が垣間見える傑作と思われることは何度か言及した.ボルトラッフィオとソラーリオの作品は平凡なものだが,それでも彼らの作品が見られることは,ミラノにおけるレオナルドの影響と存在感に興味を抱いた者にとって大事な意味を持つことは言うまでもない.

 この美術館の作品は,一般に上品な作品のものが多く,ミラノ貴族の性格が持つ上質な面を物語っているであろう.



 ポルディ・ペッツォーリ美術館で,レオナルデスキの作品を十分な鑑賞ができた上で感じたことは,トスカーナ絵画の卓越性と,ロンバルディアの芸術家たちの中でのヴィンチェンツォ・フォッパの偉大さである.

 この小さな美術館にあるトスカーナ絵画の傑作は,挙げればきりがないが,やはり伝ピエロ・デル・ポッライオーロの「女性の肖像」,ボッティチェッリの作成時期も個性も違う2点の作品,ピエロ・デッラ・フランチェスカの「トレンティーノの聖ニコラ」,小品だがフィリッポ・リッピの「ピエタ」,フラ・バルトロメオの2つの作品などであろう.

 バルトロメオの好敵手マリオット・アルベルティネッリの折りたたみ祭壇画「聖母子と女性聖人たち」も傑作と言えよう.ここにもアレクサンドリアの聖カタリナが描かれている.

 ヴェネツィア派の画家についても,カルロ・クリヴェッリ,バルトロメオ・モンターニャなどのすぐれた作品を複数所蔵しているが,ヤコポ・ベッリーニの「聖母子」は,偉大な息子ジョヴァンニのルーツは,能才であった父にあるのだということを思わせる.

 後にはジョヴァンニ・ベッリーニに学び,その影響を受けたヴィットーレ・カルパッチョの最初の師匠とされるラッザーロ・バスティアーニの「聖母子と奏楽の天使と聖三位一体」(一番下の写真)は華やかな絵だ.この画家の作品はヴェネツィアのコッレル美術館で見ているはずだが,記憶にない.新たな学習項目だ.

 その中で,ブレーシャの画家アレッサンドロ・ボンヴィチーノ,通称モレットの「聖家族と幼児の洗礼者ヨハネ」は見事な絵で注目される.16世紀前半のロンバルディア絵画を支えた巨匠と言えよう.彼はローマで亡くなったそうだが,彼に関してはそれも含めて,いつの日かブレーシャを訪ね,少し勉強してみたい.今回,ブレラとスフォルツァ城絵画館で複数の作品が見られたことは,多分私にとって意味があるだろう.

 そのモレットより数十年前に,ブレーシャ周辺で生まれ,15世紀後半のロンバルディア絵画に君臨したのがフォッパだ.彼はブレーシャで亡くなったので,ブレーシャ・ローカルを遥かに超えた芸術家とは言え,ブレーシャの画家と言っても良いだろう.

 スフォルツァ城美術館のブックショップで,

 Giovanni Agostini, Mauro Natale, Giovanni Romano, eds., Vincenzo Foppa: Un Protagonista del Rinascimento, Milano: Skira Editore, 2002

を入手した.ブレーシャで開催された特別展の図録だ.副題になっている不定冠詞付きの「ルネサンスの主役」は過褒ではないと私は思う.

 フォッパの描く人物は,見るからにフォッパという特徴を備え,さらに言うと,決して綺麗に描かれているわけではないので,作者の個性に溢れていると言えよう.もちろん,多少学習をした(ミラノの随所で彼の作品が見られ,ある時代に人気を博した画家であることは一目瞭然となる)影響もあるが,どうしてこの画家の絵に魅かれるのかは,作品のオーラとしか言いようがない.

 昨年3月に,この美術館所蔵の彼の「聖母子」を紹介したのは,他の画家の「聖母子」と比べて,彼の個性を考える意味合いが大きかった.だが今,こうして美術館の図録を読み返していても,地味な作品とは言え,この画家の「ジョヴァンニ・フランチェスコ・ブリヴィオの肖像」の神々しさに心打たれる.

写真:
ヴィンチェンツォ・フォッパ作
「ジョヴァンニ・フランチェスコ・
ブリヴィオの肖像」


 ポルディ・ペッツォーリ再訪の最大の成果は,レオナルデスキの諸作品を確認しながら,フォッパの傑出に気付いたことだろう.

 彼の絵を見て,ジョットやマザッチョを連想することは,この時代の画家に対しては褒め言葉とは言えないであろう.フォッパの絵には,多くの人が古くさいという印象をい抱くかも知れない.しかし,「ブリヴィオの肖像」を見て,この画家はその気になれば,どんな絵でも描けたのだと思うに至った.

 インターネット書店ウニリブロで,「安い」というだけの理由で買ったのが,

 Maria Grazia Belzarini, Foppa, Milano: Jaca Book, 1998

だが,この小さな本の白黒写真の中に「ブリヴィオの肖像」の他に,彼の「男性の肖像」と無名のロンバルディアの画家による「アスカーニオ・マリーア・スフォルツァ枢機卿の肖像」が掲載されている.いずれも平凡な男性の横顔を描いたものだが,その迫真性にフォッパの力量とその影響を考えさせられる.ベルツァリーニの記述にはフォッパへの愛に満ちているように思えるが,この画家はそれだけの魅力を持っていると,私には思える.



 今回は,この美術館で,ティエポロの作品もじっくり鑑賞したし,アイエツの「自画像」の魅力に気付くこともできた.アイエツの絵には,その時代(19世紀前半)にしては,新しさを感じない作風かも知れないが,人をひきつける力があると思う.彼の「ジャン=ジャーコモ・ポルディ・ペッツォーリの肖像」も立派だ.この美術館の基礎となるコレクションをした人物であり,ミラノにおけるリソルジメント運動にも貢献したと聞く.

 ジャン=ジャーコモ・ポルディ・ペッツォーリが亡くなった居室には,ダンテをモティーフにしたステンド・グラス他の絢爛とした装飾にまじって,母ローザの胸像もある.プラートで生まれ,フィレンツェで亡くなった彫刻家ロレンツォ・バルトリーニの作品だ.彼の作品としては,神への信頼に身も心も委ねた少女の裸体像もこの美術館にあり,同時代の芸術家に対してもきちんとした評価をしていたことが伺える.

写真:
バルトリーニ作
ローザ・トリヴルツィオ・
ポルディ・ペッツォーリ侯爵夫人像


 侯爵夫人ローザの実家はトリヴルツィオ家であり,フォッパの肖像画の人物ブリヴィオとともに,ミラノの教会にその名を冠した礼拝堂があることからも,ミラノの名門貴族であることが想像される.

 ポルディ・ペッツォーリで考えさせられたことの一つは,バガッティ・ヴァルセッキでの場合とともに,「ミラノの文化における貴族の役割」ということだ.

 歴史上,芸術には常に,支配層,上流階級の保護がつきものだった.スフォルツァ家がその地位を失った16世紀以来,ミラノはリソルジメントまで常に外国の支配と影響力のもとにあった.その中でも,貴族が文化に対して大きな働きをしたことは,

 浅子啓子『ミラノ スカラ座物語』(朝日選書531)朝日新聞社,1995

によっても伺える.

 ミラノに関しては,まだまだたくさん学びたいという気持ちを抱かせる何かがある.経済上の重要性に関しては言うまでもないが,芸術においても,フィンレツェにも,ヴェネツィアにも,ローマにも負けない魅力を持っている.ポルディ・ペッツォーリ美術館はそのことをしっかりと教えてくれた.







 ラッザーロ・バスティアーニ作 
聖母子と奏楽の天使と聖三位一体
ポルディ・ペッツォーリ美術館