フィレンツェだより番外篇
2009年10月15日



 




スフォルツァ城にある碑文



§ミラノを歩く - その12 (美術館・博物館篇2)

スフォルツァ城の諸博物館では,装飾芸術博物館(ムゼーオ・デッレ・アルテ・デコラティーヴェ)は見られなかったが,その他のエジプト博物館,楽器博物館,先史・原始博物館は全て見た.


 日本で,トリノ・エジプト博物館展を見た後なので,それに比べると,ミラノのエジプト博物館はだいぶ小規模に思えたが,「死者の書」のパピルス写本や彩色木棺など,まずまずの見応えだった.

 地下の展示会場で別料金で,「蝶々夫人」の特別展をやっていたが,日本人としてヨーロッパ人の浮薄なオリエンタリズム,ジャポニズムにはついて行けないので,遠慮した.見たら,見たでそれなりに感心したかもしれないが,特に後悔はない.

写真:中庭に聳え立つ
巨大な「蝶々夫人」
写真を撮る人が結構いる


 楽器博物館のすごさは,フィレンツェのアカデミア美術館の楽器コーナーの比ではない.興味のある人は,是非訪れると良いだろう.

 日本語版もある,上質紙印刷の見事な解説を各コーナーごとにくれる.古芸術博物館でも,中世の彫刻に関する情報豊富な解説がいただけた.これらは,私たちの宝物になる



 サプライズがあった.いつの時代のものかは,情報があいまいだが,古代の碑文に見える詩碑(トップの写真)が中庭に通じる入口脇にあった.

 ローマ皇帝たちの名を列挙し,その最後に挙げたテオドシウスの時代に,聖アンブロシウスがミラノの教会(エクレシア・ミラネンシス)の指導者だった,と読める.後4世紀ガリア(現在のフランス)のラテン詩人アウソニウスのものとされている.

 アウソニウスの死(392年頃)は,アンブロシウスの死(397年)に先立っているので,アンブロシウスのミラノ司教襲位が374年で早いとは言え,「聖」(ディーウス)という形容句が気になる.テオドシウスの皇帝即位が379年,いわゆるキリスト教国教化が392年とされるので,微妙だ.少なくとも,生きている人に「ディーウス」は言わないように思う.

 すでにキリスト教時代の人だし,彼は,現存する作品「有名諸都市」の7番目にミラノを歌い上げ,11行にわたって,その繁栄讃えているが,ここに見られる碑文は,すくなくとも私の持っているテクスト(羅英対訳のロウブ叢書2巻本と,詳細な注釈を施した,オックスフォード大学出版局刊行の作品集)には見つからなかった.

 しかし,古典作品らしきものとの出会いだ.さすが,ミラノのスフォルツァ城だ.


バガッティ=ヴァルセッキ博物館
 バガッティ=ヴァルセッキ博物館英語版ウィキペディア)については,ウェブページでミラノの予習をしていて知った.

 ジョヴァンニ・ベッリーニの美しい絵を所蔵する博物館があるという情報を得て,注意して読むと,実は『地球の歩き方』その他の,日本語版ガイドブックにもこの博物館の情報はあった.大方の場合,地図にも場所が記してある.

 『地球の歩き方』には「ミラノの生活を知る博物館」として,おもちゃ博物館と一緒にカテゴライズされており,「裕福なミラネーゼの生活がかいま見える」とある.

写真:
バガッティ=ヴァルセッキ邸


 実際に訪ねてみると,バガッティ=ヴァルセッキ家は「裕福なミラネーゼ」のレヴェルを遥かに超えていて,およそ私たち庶民が常人の生活として想像できる範囲のものではない.鎧兜の隊列や林立する槍衾を横目に見ながら,豪華絢爛の寝室や広間を通って,目当てのお宝の前にたどり着いた.

 ジョヴァンニ・ベッリーニの多くの傑作の中でも,絶対に上位に食い込む傑作だ.今のところ,ヴェローナなどヴェネト州の芸術における見るも明らかなジャンベッリーノの影響の大きさを考えると,偉大な芸術家と認めざるを得ないが,実はそれほど傑作の実物に出会っていない.サンタ・マリーア・デイ・フラーリ教会の三翼祭壇画「玉座の聖母子と聖人たち」,アカデミア美術館の「聖母子と2人の女性聖人」など,ヴェネツィアで見た幾つか作品くらいだろうか.

しかし,この「聖ジュスティーナ」はすばらしい.ふくよかで,まるで仏画のようだが,ともかく上品で美しい絵だ.


 ボッロメーオ家が芸術家に描かせ,そこからバガッティ=ヴァルセッキ家に輿入れした女性が婚資として持ってきたようだが,スケールが私たちの生活水準とは違いすぎる.そのことは想像がつかないが,この絵は素晴らしい.めぐりめぐって,水曜日限定の特別料金3ユーロ(通常は6ユーロ,『地球の歩き方』の情報)で見られた私は果報者だ.

写真:(参考)
ジョヴァンニ・ベッリーニ作
「聖母子」
スフォルツァ城絵画館


 ミラノの博物館は,日本語版も含めて,部屋ごとに充実した解説がある.この博物館の説明書きが日本語だったかどうか記憶が定かではないが,少なくともイタリア語の他に,英語,フランス語はあった.情報量には不満があるが,それでも無いよりはだいぶ良い.

 これを反映した簡潔な案内書があるのかと期待したが,少なくとも博物館に売っていなかった.したがって,この説明書きから得た情報は,上に述べたことくらいで,記憶が不確かだ.

 しかし,幸いなことに,イタリアのインターネット書店ウニリブロでから入手した,

 Mauro Lucco, Giovanni Carlo Federico Villa, eds., Givanni Bellini, Milano: Silvana Editoriale, 2008

によって詳細な情報を得ることができた.これはローマで開かれた特別展の図録だが,これに出張していた「聖ジュスティーナ」のまずまずの写真と詳しい情報が紹介されている.

 ちなみに昨年ペーザロでベッリーニの祭壇画を見損ねたのは,この特別展に出張していたせいだったので,なにかしら因縁があるような気がしないでもない(実は,同じものが神田の一誠堂の2階にもあったのだが,思ったより高かったので,迷っていたら他の人が買ってしまった.結局どうしてもあきらめきれず,送料をかけて取り寄せて,一層高くついてしまった).

 この作品は描かれてから,ずっとミラノ屈指の名門で,聖人も生んだボッロメーオ家にあったが,クリスティーナ・ボッロメーオが,ジュゼッペ・バガッティ=ヴァルセッキに嫁いだとき,婚資として持参された.1882年のことだそうだ.

 博物館公式ホームページの中に,前輪が異様に大きい初期の自転車に乗ったジュゼッペの写真が載っている.兄弟で気球に乗っている写真もある.今は博物館になっている邸宅の装飾や絵画コレクションを見ても,兄のファウストとともに奇人だったことが想像される.こういう人がいるからこそ,文化は輝くのだ.

 それにしても,凄い婚資付きの女性と結婚したものだが,その芸術的水準でベッリーニは群を抜いているとしても,財産価値としては,彼らの莫大な資産のごく一部にすぎないことが想像される.

 他に,この博物館にはジェンティーレ・ベッリーニ,ベルナルド・ゼナーレ,フィレンツェの画家ロレンツォ・ディ・ニッコロ,修復中で見られなかったがヤコポ・デル・セッラーイオの作品もある.

 何よりも,ロンバルディアを中心とした無名の画家たちに拠る祭壇画を,教会や,修道院や個人コレクションから買い集めた姿勢が凄い.芸術的価値が問題ではなく,要するに宗教画オタクだなと思えた.

 その中で,際立っていたのが,ジャンピエトリーノ作とされる「玉座の聖母子と聖人たち」,「救世主キリスト」だ.「聖母子」の部分だけの絵はがきがあったので買ったし,公式HPにもその部分の写真がある.それで見ると,不満はあるのだが,大邸宅の暗い寝室では,傑作に見えた.発見の喜びもあったし,今回のミラノ行の関心の一つがレオナルデスキだったので,見ることができて嬉しい.


司教区博物館
 今回,予定外に見学したのが,司教区博物館だった.ここはサンテウストルジョ教会に行こうとして,誤解によって偶然見ることができたのだが,予習段階でウェブページでチェックし,その収蔵作品に魅力を感じていたので,本来なら予定に組み込むべき箇所だった.

 写真は禁止なので,紹介できる写真がないが,公式HPにコレクションのほとんどの写真が,小さなサイズのもので,博物館のロゴが透かしで入っているが,まあまあ絵柄などは確認できる.

 幾つかのコレクションなどからなっており,最も興味深かったのは,中世末期の絵画を集めたアルベルト・クレスピ・コレクションだった.トスカーナとウンブリアの作品が中心だが,ヴェネトやロンバルディアの画工の作品もある.ベルナルド・ダッディの「聖カエキリア」(サンタ・チェチーリア)が素晴らしかった.これは大きな絵はがきを売っていたので買ってきた.書斎に飾りたい.

写真:(参考)
ベルナルド・ダッディ作
十字架
ポルディ・ペッツォーリ美術館


 アーニョロ・ガッディの「聖母子と聖人たち」もなかなかだ.スタルニーナ,ナルド・ディ・チョーネ,その弟ヤコポ・ディ・チョーネ,シエナ派のタッデーオ・ディ・バルトロ,アンドレーア・ディ・バルトロ,サーノ・ディ・ピエトロ,国際ゴシックの影響を受けたビッチ・ディ・ロレンツォなど,トスカーナの14世紀絵画を支えた大家たちの作品があった.

 パドヴァのグァリエントの「キリスト磔刑と聖人たち」もあったし,バガッティ・ヴァルセッキで見たロレンツォ・ディ・ニッコロの「告知する天使」があった.

 正直な所,心から良いと思ったのは,ベルナルド・ダッディとアーニョロ・ガッディだけだったが,満足の行くラインナップだった.

 私が好きなシエナ派のタッデーオ・ディ・バルトロも聖母は良かったが,幼児イエスの顔が今一つ,14世紀のフィレンツェが生んだ天才ナルド・ディ・チョーネの作品も彼の実力が発揮されたものではない.

 ヴェネト,ロンバルディアの無名の画家たちは,まだ,こちらの勉強が足りない.しかし,これだけの作品が,本来あるべき場所が無くなったのなら,一箇所に集められて,体系的に鑑賞され,研究されることには絶対に意味がある.

 予算の都合もあり,1冊だけ,この美術館で入手した,

 Museo Diocesano di Milano, ed., I Fondi Oro della Collezione Alberto Crespi al Museo Diocesano di Milano: Questioni Iconografiche e Attributive, Milano: Silvana Editoriale, 2009

は貴重な資料だ.こうした中世末期の絵画の作者がいかに特定されるか,その過程を学べるものなら,少しは情報を得てみたい.

(後日:博物館のブックショップには無かったが,インターネット書店,ウニリブロで,

 Paolo Biscottini, ed., Museo Diocesano di Milano, Milano: Touring Club Italiano, 2005

を入手した.簡潔だが,必要な情報を提供してくれていて,写真も全作品載っていて,小さいが美しい.良い本が手に入って素直に嬉しい.)



 「司教区からの収蔵品」と称される一連の絵画には,ミケリーノ・ダ・ベゾッツォの作品がある.ベゾッツォは現在のヴァレーゼ県に属する北ロンバルディアの町なので,彼は15世紀前半のロンバルディア芸術を代表する画工ということになる.

 ルネサンス期の作品としては,ベルゴニョーネの「アレクサンドリアの聖カテリーナ,聖人たちと寄進者」,「聖痕を受ける聖フランチェスコ」,マルコ・ドッジョーノの「玉座の聖母子と聖人たち」,「被昇天の聖母と聖人たち」がある.

 他に目につくのは,やはり16世紀後半以降の,マニエリスム,バロックの時代の作品で,シモーネ・ペテルザーノの「受胎告知」をはじめ,見応えのある作品が群をなして並んでいた.

 印象に残ったのが,ヴェネツィアで生まれ,ミラノで死んだ19世紀の巨匠フランチェスコ・アイエツの「磔刑のキリストとマグダラのマリア」だ.時代的には,随分古くさい絵と言うことになるろうが,美しい.

 アイエツの宗教画はめずらしいように思えるが,他にもあるのだろうか.ボローニャ市の絵画コレクションで「ルツ」を見ている.ダヴィデの祖先にあたる女性で,旧約聖書の登場人物だから,宗教画ではあろうが,半裸の美しい女性像で,とてもそうは見えない.それに比べれば,「磔刑のキリストとマグダラのマリア」は典型的な宗教画と言えよう.英語版ウィキペディアで,随分たくさんの絵を紹介しているが,この作品はない.

 この一群の絵の中に,サン・マルコなどミラノの教会で作品をが見られるレニャニーノの「聖ヨセフと幼児イエス」(サン・ジュゼッペ・コル・バンバーノ)がある.

 私が知らないだけなのだろうが,山ほどあるマドンナ・コル・バンビーノに比べて,きわめてめずらしい絵柄に思えた.同じ絵柄の傑作が,別室のモンティ・コレクションにあった.グィド・レーニの「サン・ジュゼッペ・コル・バンビーノ」だ.美しい.ボローニャの巨匠の佳品に見入ってしまった.

 モンティ・コレクションも,ミラノのマニエリスム,バロックの絵画に満ちている.この時代の絵画に興味がある人は,このムゼーオを訪れることは必須だろう.私も,十分は無理だろうが,多少なりとも勉強してから,このムゼーオをもう一度訪れたい.その際には,このムゼーオの私にとっての最高傑作,ベルナルディーノ・ルイーニの剥離フレスコ「聖母子」をはじめとする,ルネサンス・ミラノの作品もじっくり鑑賞したい.





1713年に旧マッジョーレ病院の
共同墓地として造られた「ロトンダ」
現在は展示会も行なわれる公園である