フィレンツェだより番外篇 |
ローマ時代の列柱 サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会前 |
§ミラノを歩く - その7 (教会篇5)
様々なものがあるが,古いものも,新しいものも混然として置かれている印象がある.昨日言及したモザイクは,もちろん群を抜いた宝物であるが,こちらの勉強さえしっかりしていれば,古代末期から中世の彫刻,碑文,絵画は垂涎の資料であろう.残念ながら,私は全く勉強が足らず,呆然とした感動の中に立ち尽くしただけだった. ![]()
この作品は,芸術家本人ではなく,周辺の画家の作品としては立派すぎて,むしろ,地方芸術の基底部を理解する資料としては,水準が高すぎるようにも思えるが,これを見られたこと自体が良い経験に思えた.ヒエロニュモスの頭がアンバランスに大きいのが可笑しい. マニエリスム,バロックの新しい絵画もあるが,今回は特に注目するには至らなかった. サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会 古代末期のキリスト教に思いをいたす上で,ミラノのサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会を拝観することは必須であろう.サンタクィリーノ(聖アクィリヌス)礼拝堂のモザイクには,感嘆の言葉しかない. このモザイクの写真は,イタリア語版ウィキペディア(英語版)と,そこからリンクされているウィキメディア・コモンズで前以て見ていたが,特に実物を見ても違う感動を覚えるような作品には思えなかった.しかし,実際には,感動のため足がすくむ思いがした.
「使徒たちに中のキリスト」の若々しい姿を見て,これほど美しいものを実際に見られることは,人生に何度もないだろうと思った.ラヴェンナのモザイク,とりわけガラ・プラキディア霊廟の「良き羊飼いキリスト」を見て以来の感激だった.
![]() 2日目の午前中,サンタンブロージョを拝観した後,ローマ劇場跡を見に行き,今は柵で囲われたただの野原を見終わると,昼休みまでわずかだが時間ができた.宿から大分遠くまで来ている,どうせならもう少し足を伸ばして一度サン・ロレンツォを見て行こうか,ということになった. 聖堂は無料だが,見どころであるアクィリーノ礼拝堂は有料で,昼休みもある.『地球の歩き方』には,多分ミスプリントであろうが,アクィリーノ礼拝堂の開いている時間は9:30-14:30,12:30-18:30とあり,多分,14:30と12:30は逆で,12:30に一旦閉まるであろうと予想された.その時間までもうそれほどの余裕はない.急ぎ足で聖堂を目指した. 聖堂の中に入ると係りの方がおられ,私たちを見てアクィリーノ礼拝堂の券売受付のところに行かれたので,まだ入れるかどうか確かめた上,2,3のご教示をいただいて,2ユーロの拝観料を払って,礼拝堂に入った.短い時間ではあったが,十分な鑑賞ができた. 『地球の歩き方』には,聖堂が開いている時間は7:00-18:45とあったので,聖堂には昼休みはないのかと思っていたが,アクィリーノ礼拝堂と同じく,12:30で閉めるようで,私たちが礼拝堂を出るときに聖堂に入ろうとした数人のツーリストは入堂を断られていた. 礼拝堂から出るときに,案内書, Alessandra Campagna, La Basilica di San Lorenzo Maggiore, Milano: Skiira, 2000 と有料冊子の日本語版,絵はがきを数枚購入し,堂内も少し見せてもらって,扉が閉まりそうになったので,聖堂を辞去した.
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ずっと後世にできたであろう,聖堂前広場のコンスタンティヌス帝のブロンズ像はローマ的雰囲気を醸し出すだけのものだが,さらにその前には,ローマ時代の列柱(トップの写真)があり,その外側のポルタ・ティチネーゼ大通り(コルソ)をトラムが通っていて,少し大げさに言うなら,古代,中世,ルネサンス,バロックと現代が混在している.
![]() 外観は新しく見え,はでな装飾はないが,どこかバロックを感じさせる.ウィキメディア・コモンズの写真や,上記の案内書の写真を見ると,ファサード以外の外観にも魅力的なポイントが複数あるようだが,今回は見ていない.
外観にくらべて,古風で,ラヴェンナのサン・ヴィターレや,まだ写真でしか見たことのないイスタンブールのハギア・ソフィアを連想させる.是非次回は時間をかけて拝観したい. モザイクほどは宝物扱いにはなっていないが,無名の画家たちによるフレスコ画にも個人的には興味を覚えた.何度も見たいと言うほどのものではないが,明らかにレオナルド作品を模した「最後の晩餐」もあった.16世紀のロンバルディアの画家によるものとのことなので,あるいはレオナルドの作品のもとの姿を知る材料にはなるかも知れない.
![]() この日は,午前中にレオナルデスキの中で最も成功した画家と思われるベルナルディーノ・ルイーニの工房が全精力をつぎ込んだサン・マウリツィオ教会を埋めつくすフレスコ画を見,レオナルドの「最後の晩餐」を鑑賞して,一旦宿に戻り,午後すぐに,アンブロジアーナ絵画館の傑作の森をくぐり抜け,時間もエネルギーも相当消耗していた. 聖堂は18時半まで開いているらしいが,ヴィンチェンツォ・フォッパの美しいフレスコ画のあるポルティナーリ礼拝堂は7,8月以外は18時で閉まるという情報があった(『地球の歩き方』)ので,ともかく聖堂に急いだ. そろそろ聖堂が見えるかというあたりで,大きな公園に遭遇した.聖堂付随の旧修道院の裏手にあたる場所で,公園に面した大きな建物の壁面には博物館のバナーがあった.それを見て,もしかしたらポルティナーリ礼拝堂への近道ではないかと思い込み,バナーを目指して一直線に進んだ結果,司教区博物館(ムゼーオ・ディオチェザーノ)に迷い込んでしまった.
しかし,大急ぎで1人6ユーロの入場料を払ってしまい,しかも,入ってみればロンバルディアの古い彫刻,レオナルデスキの複数の作品,ミラノのマニエリスム,バロックの絵画に満ちていたので,ともかく,一通り,この博物館を見ることにした.このことは,「美術館・博物館篇」で報告したいと思う, ここで,もともと無かった時間をさらに消費し,サンテウストルジョ聖堂にたどり着いてポルティナーリ礼拝堂の入口を確認した時点では,礼拝堂が閉まるまで十数分という状況だった. サンテウストルジョ聖堂 ![]() この礼拝堂では,写真撮影の可否を確かめずに,何枚か撮ってしまったが,どうも写真不可だったようなので,掲載は控える.フォッパのフレスコ画は遠目には非常に見応えがあるが,あるいは細部を確認すると,大傑作というほどの作品ではないかも知れない. しかし,受付の年配男性に勧められて購入した絵はがきにもなっている受胎告知の「告知する天使」が美しかった.
![]() レオナルデスキの中でも,レオナルド的な硬質の美しさとは異なる,やさしい顔の独自な画風を長い生涯に渡って展開したと思えるベルナルディーノ・ルイーニを考える上では,その先人であるベルゴニョーネとの関係を考える必要があるだろうと想像される.ベルゴニョーネに関しては,可能な限りフォローしていきたい. 今のところ,ブレラ絵画館関連で出版されている Luisa Arrigoni, et al., Due Momenti di Ambrogio Bergognone, Milano: Mondadori Electa, 2006 だけが,わが家にある資料だが,とりあえずこの薄い本(50ページ)を熟読玩味し,それなりの情報のある書籍入手のチャンスを待とう. ![]()
![]() Nadia Righi, La Basilica di Sant' Eustorgio, Milano: Skira, 1999 をチェナコロ・ヴィンチャーノのブックショップで入手した.それによれば,ヴェローナのカステルヴェッキオ美術館の目玉作品の一つで,伝統的にはステファノ・ダ・ヴェローナ(あやまってステファノ・ダ・ゼビオとも)の作品とされる美しい国際ゴシック風絵画「バラ園の聖母」の本当の作者であるとされることもあるミケリーノ・ダ・ベゾッツォの天井フレスコ画「4人の福音史家」がある. 案内書のカラー写真で見ても,保存状態が悪く,傑作とは認識しがたいが,福音史家マルコの傍らに描かれたビアンカ・マリーア・ヴィスコンティの肖像や,福音史家マタイを象徴する天使の拡大写真を見ていると,確かにヴェローナの「バラ園の聖母」の雰囲気を湛えているように思われる.トッリアーニ礼拝堂,別名聖マルティヌス礼拝堂にあるこのフレスコ画の写真を撮るには撮ったが,暗かったのでよく写っていない.そういう意味でも案内書は貴重な資料だ.
![]() 17世紀の作品だが,この聖堂で複数見られるジョヴァン・マウロ・デッラ・ローヴェレ,通称イル・フィアンメンギーノのフレスコ画は注目されるべきだったかも知れない.案内書の写真では「聖ドメニコの母の夢」が美しい作品だ. ![]() 14世紀のフレスコ画「聖トマスの勝利」は,フィレンツェのサンタ・マリーア・ノヴェッラ教会のボナイウートの同時代,同主題のものに比して,決して見事な作品とは言い難いが,ワビ,サビに感銘する日本人の私には,適度に剥落して,枯淡の境地にあるような色合いに陶然としてしまうのではないかと想像される写真だ.これらも見ていない. フィアンメンギーノの作品はミラノの諸教会に見られるようだが,しっかり見たものとしては,サン・マルコ教会のフレスコ画がある.これとサン・シンプリチャーノ聖堂で見られたベルゴニョーネやアウレリオ・ルイーニのフレスコ画に関しては,「続く」としたい.
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ジョヴァンニの作品としては,サン・ゴッタルド教会で,アッツォーネ・ヴィスコンティの墓碑,サン・マルコ教会でランフランコ・セッターラの墓碑を見ているので,少なくとも,彼の作品,もしくは彼に帰せられる作品をミラノで4つ見たことになる. 他にもステーファノとヴァレンティーナ・ヴィスコンティ夫妻の墓碑,ジョーコモ・ステーファノ・ブリヴィオの墓碑,ガスパーレ・ヴィスコンティの墓碑,中央祭壇に置かれている「キリスト受難の祭壇彫刻」など枚挙にいとまがない.それぞれ力作であるのは素人目にに明らかだが,これらを系統的に鑑賞するにはやはり知識と準備が必要だろう.今の私にはその力はない. 13世紀後半から14世紀前半の作品とされる彩色磔刑像も,ジュンタ・ピザーノのような画匠が北イタリアにもいたことを確信させるもので,これが中央祭壇を飾っているのは,この教会の格式を物語ってくれるように思えた. ナヴィリオ地区 石棺や古いフレスコ画の断片を見ながら,この堂内に感じられる中世,ルネサンスを堪能して辞去した後,ティチネーゼ門を越えて,かつてはミラノの街中に張り巡らされていた運河が唯一残っているナヴィリオ地区を訪ね,その下町風情を堪能した.もう足は棒のようだったが,夕陽に染まりながら,ジェラートを片手に散策を楽しんだ. 都市の風景は,人が大勢いてこそだ.ナヴィリオ地区に集う人々は,私たちがミラノにイメージする,貴族やエリートのものとは明らかに違う.ミラノの一面を確実に物語ってくれる地域だ. |
夕方,ナヴィリオ運河で |
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