フィレンツェだより番外篇
2009年9月28日



 




日曜の朝の大通り
通りの先にスフォルツァ城



§ミラノを歩く - その4 (教会篇2)


大都市ミラノの「地元の画家たち」
 サンタ・マリーア・デッラ・パッショーネ教会に見られた画家たちを含めて,ミラノで活躍したマニエリスム,バロック以降の画家を整理してみる.

ジュリオ・カンピ
1500 - 1572
クレモナ出身 
ジョヴァン・バッティスタ・デッラ・チェルヴァ
 ガウデンツィオ・フェッラーリの弟子
c. 1515 - 1580
ピエモンテ州ノヴァーラ県
ノヴァーラ出身
エルコレ・プロカッチーニ(イル・ヴェッキオ)(祖父)
1520-after 1591
ボローニャ出身
アントーニオ・カンピ
 父も兄弟も画家
c. 1522-1587
クレモナ出身
ベルナルディーノ・カンピ
 カンピ一族の遠い親戚
1522 - 1591 
エミリア・ロマーニャ州
レッジョ・エミーリア出身
アウレリオ・ルイーニ
 ベルナルディーノ・ルイーニの息子
c. 1530 - c. 1592
ミラノ出身
ジュゼッペ・メーダ
 ベルナルディーノ・カンピの弟子
c. 1534 - 1599
ミラノ出身 
ヴィンチェンツォ・カンピ
 ジュリオは異母兄,アントーニオは同母兄
c. 1536 - 1591
クレモナ出身
ジャン・パオーロ・ロマッツォ
 チェルヴァの弟子
1538-1600
ミラノ出身
シモーネ・ペテルザーノ
 ティツィアーノの弟子 カラヴァッジョの師匠
c. 1540 -c. 1596
ベルガモ出身
ジョヴァンニ・アンブロージョ・フィジーノ
 ロマッツォの弟子
1548/155 -1608
ミラノ出身
カミッロ・プロカッチーニ
 老エルコレの息子
 ジュリオ・チェーザレとカルロ・アントーニオの兄
 死後,ロンバルディアのヴァザーリと言われる
1551 - 1629
ボローニャ出身 
カルロ・アントーニオ・プロカッチーニ
 エルコレの第三子 カミッロ,大ジュリオ・チェーザレの兄弟
 小エルコレの父
1555-?
ボローニャ出身
エネーア・サルメッジャ (通称イル・タルピーノ)
 カンピ一族,プロカッチーニ一族を指導
c.1556-1626
ベルガモ出身
グリエルモ・カッチャ (通称モンカルヴォ)
 ロレンツォ・サッバティーニの弟子
1568 - 1625
ピエモンテ州ノヴァーラ県
ノヴァーラ近郊
モンタボルネ出身
ピエール・フランチェスコ・マッツッケッリ (イル・モラッツォーネ)
 石工の息子でローマへ行き,ヴェントゥーラ・サリンベーニ, カヴァリエール・ダルピーノの影響
1573-1626
ヴァレーゼ近郊
モラッツォーネ出身 
ジョヴァンニ・バッティスタ・クレスピ (イル・チェラーノ)
 画家ラッファエーレ・クレスピの息子 
 家族ともに同州同県チェラーノに移住
 1591年にはミラノに住んでいたことが知られる
1573 - 1632
ピエモンテ州ノヴァーラ県
ロマニャーノ・セージアの生まれ
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ
 エルコレ・イル・ヴェッキオの子
1574-1625
ボローニャ生まれ
パンフィーロ・ヌヴォローネ
 カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネの子
 ジュゼッペ・ヌヴォローネの父
1581-1651
クレモナ出身
ジュゼッペ・ヴェルミリオ
 カラヴァッジョ,アンニバーレ・カッラッチ,レーニの影響
c.1585-1635
ピエモンテ州
アレンサンドリーア県
アレッサンドリーア説とミラノ説
フェデリコ・ビアンキ
 ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの弟子
16世紀
ミラノ出身
ダニエーレ・クレスピ
 ジョヴァンニ・バッティスタ・クレスピ,
 ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの弟子
1590 - 1630
ロンバルディア州ヴァレーゼ県
ブスト・アルスィツィオの生まれ
イジドーロ・ビアンキ
 マッツッケッリの弟子
17世紀
ミラノ出身
エルコレ・プロカッチーニ (イル・ジョーヴァネ)(孫)
 カルロ・アントーニオの息子 ジュリオ・チェーザレの弟子
c. 1605 - 1675 / 1680
ミラノ生まれ
フランチェスコ・カイロ
 モラッツォーネ周辺の影響
1607 - 1665
ミラノ出身
カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ
 パンフィーロ・ヌヴォローネの息子 父のもとで修行し,
 アカデミア・アンブロジアーナでダニエーレ・クレスピの生徒
1609-1702
ミラノ生まれ
ステーファノ・マリーア・レニャーニ (通称レニャニーノ)
 父アンブロージョ・レニャーニの弟子
 ボローニャでカルロ・チニャーニの,
  ローマでカルロ・マラッタの工房
 ミラノ,トリノ,ジェノヴァで活躍 ボローニャで死去
1660 - 1715
ミラノ出身
ジュゼッペ・マリーア・クレスピ (ロ・スパニュオーロ) 1665 - 1747
ボローニャの画家


 長い一覧表になってしまった.大都市ミラノの「地元の画家たち」は多様だ.

 大体生年順に並べたが,分かっている限り,確定した同年生まれはマッツッケッリとジョヴァンニ・バッティスタ・クレスピのみである.「頃」を含めても,遠い親戚同士というアントーニオ・カンピとベルナルディーノ・カンピくらいだろうか.

 時代が違うとは言え,私たちの同時代にどれだけの画家がいるかを考えれば,ここに名前の挙がった人々は,少なくとも当時は一流と考えられた芸術家と思われていたことは,容易に想像がつく.この中から,ミケランジェロ・メリージ,通称カラヴァッジョが育ったのだ.

 彼らの多くは,ミラノ,ロンバルディア州,ピエモンテ州のミラノの影響が強かった地域の出身で,その中ではボローニャ出身の画家一族プロカッチーニ家が目立つが,その家の最後の有名画家エルコレ・イル・ジョーヴァネはミラノで生まれ,ミラノで死んだ.

 最後に挙げたジュゼッペ・マリーア・クレスピは,昨年ボローニャで作品を見て以来,私たちが注目している画家だ.彼はブレラ絵画館に作品が収蔵,展示されている以外はミラノとは縁が薄いように思われる,はっきりとした「ボローニャの画家」だ.しかし,上の表にもあるように,クレスピという姓の画家が他にもいるので,あえて挙げてみた,3人のクレスピは,時代も出身地も違い,3人とも血縁関係はないようだ.

 以上が,ミラノの諸教会について予習した段階でよく出てきた名前だが,特に,同じ姓の複数の画家が出てくると,それがミラノで活躍した「画家一族」に思われ,当時の芸術のあり方を考えさせるヒントになるのではないかと想像された.

 実際,かなりの人に父親や親族に画家がいることが多い.当時の芸術家に家職を継承する職人的性格があったことは,ある程度は認めても良いであろう.それでも,よく知られた画家を数代に渡って輩出し,なおかつミラノを中心に,もしくはミラノ周辺で活躍したのは,カンピ一族とプロカッチーニ一族に限られるようだ.

というようなことをにわか勉強しているうちに,ミラノに行く日が来てしまい,この,マニエリスムからバロックの時代のミラノの芸術について知見を得るという「野望」の一つは,あえなくついえてしまう程度の予習しかできなかった.


 これは,今後の課題となったが,とにかく,ミラノで教会,美術館を巡るにあたって,上記の画家たちの名前をまったく意識しないということは不可能だ.



 ミラノ着は14日の夜だった.この日は荷物を整理して,宿で寝るだけで終わった.

 翌15日は,午前中にドゥオーモを拝観して外に出たら雨が降っていた.一旦宿に戻ったが,その後3日間雨だった.

 天気予報を,TVと新聞で毎日確認したが,ずっと思わしくなかった.一昨年,同じくらいの時期にヴェローナ,アッシジ,ラヴェンナを訪れたときは,特に雨に降られなかったので,これほど雨にたたられるとは予想していなかった.もう雨季になりかかっているでのあろう.地方によっては大雨による洪水に見舞われている映像をTVで見た.

 この日は,ともかく一旦ドゥオーモのすぐ裏にある宿に戻り,この後に予定していた,ドゥオーモの屋上は雨天で断念し,近いところにある教会を訪ねて見ようということになった.


サント・ステーファノ・マッジョーレ教会
 一番近いと思われたサント・ステーファノ・マッジョーレ聖堂を拝観することから,ミラノの諸教会詣では始まった.

 厳密にはすぐ隣のサン・ベルナルディーノ・アッレ・オッサ教会の方が近いのだが,宿の前のフォンターナ広場から見えるこの2つの建物が,それぞれ別の教会とは認識できず,サン・ベルナルディーノの方は外観だけで,結果的にサント・ステーファノだけの拝観となった.

写真:
サント・ステーファノ・
マッジョーレ聖堂


 イタリア語版ウィキペディアにリンクされているウィキメディア・コモンズの映像によれば,ジュゼッペ・メーダが設計したサン・テオドーロ祭壇に,カミッロ・プロカッチーニのカンヴァス画「聖テオドロスの殉教」が見られるはずだったが,側廊に10以上ある礼拝堂はすべて封鎖されていた.

 左翼廊の後陣側奥の礼拝堂と,右翼廊からさらに奥に行く,多分聖堂からは独立している礼拝堂は開いていて,絵画も複数あったが,鑑賞の対象というようりは純粋に信仰の助けであろう.ともかく,この教会ではカミッロ・プロカッチーニの絵は見られなかった.

 この聖堂の後陣前の中央祭壇には,丸屋根を数本の柱が支える小神殿(テンピエット)型の祭壇があり,後陣のアーチ型天井の前壁には,キリスト磔刑像が掲げられていた.これは,ミラノの随所で見られる形式で,私が今まで気づいていなかっただけかも知れないが,他のイタリア諸地方では見られなかったような気がする.

 ファサードをはじめとする外観は新しく,決して,私たちが仮にロンバルディア型と思っているタイプではなかったが,やはり,まぎれもなくミラノの教会の特徴を備えているように思われた.


サン・ベルナルディーノ・アッレ・オッサ教会
 サン・ベルナルディーノ・アッレ・オッサ教会では,ヴェネト州北方ベッルーノの出身で18世紀のヴェネツィアで活躍したセバスティアーノ・リッチの絵が見られるはずであったが,今回は拝観するに至らなかった.

 外観はこの目で見たが,堂内は写真でしか見ていない.イタリアに多いラテン十字のバジリカ型ではなく,ギリシア十字の集中型の建築で,このタイプの教会もミラノ市内ではよく見られたように思う.記憶が曖昧だが,トスカーナ周辺では,プラートで見たサンタ・マリーア・デッレ・カルチェーリ教会以外に,あまり記憶はない.

 サン・ベルナルディーノ・アッレ・オッサは,サント・ステーファノ側から見る限り,普通の邸宅(パラッツォ)の上に八角形のお堂のような建物が乗っているように見える.これが最後まで,教会だと気づかなかった理由の一つだ.このような建て方はめずらしいように思えた.

 堂内も写真で見ると,丸く見えるが,多分オクタゴンと言われる八角形の堂塔に対応している形なのだと思う.フォンターナ広場側から撮った写真を見ると,遠目にはラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂の外観に似ている.

写真:
フォンターナ広場側から見た
サン・ベルナルディーノ・アッレ・オッサ教会
(橙色のトラムが走っている)



サンタントーニオ・アバーテ(大修道院長アントニウス)教会
 次いで,サン・ナザーレ・マッジョーレ聖堂を拝観するために,雨中を南へ向かって移動した.

 途中,サンタントーニオ通りを下っていると,まるで旧教会(エクス・キエーザ)のように見える建物があった.実際には現役の教会で,拝観候補にも一度はリストアップしていたサンタントーニオ・アバーテ(大修道院長アントニウス)教会であった.

 おそるおそる入っていくと,多分ボランティアの方であろう,年配の女性と男性が英語版のパンフレットを下さり,色々教えてくださった.「写真を撮っても良いですか」と聞くと,例によって「フラッシュ無しなら」(センツァ・フラッシュ)良いとおっしゃって下さった.

 絵画の前に置いてある写真付きの立派な説明板には,トゥーリング・クラブ・イタリアーノの名前が入っていた.

写真:
サンタントーニオ・アバーテ教会


 予習段階で,ある程度は予想していたが,この教会は,比較的狭い堂内に華やかなマニエリスム・バロック絵画が満ちた空間であった.

 ジョヴァンニ・バッティスタ・クレスピ(通称チェラーノ)の「キリスト復活」,「福者ガエターノの法悦」,フランチェスコ・カイロの「福者アンドレーア・アヴェッリーノの失神」など,バロック的画題である神秘体験としての恍惚の絵を始めとして,カミッロ・プロカッチーニの「聖母子と天使たち」と「聖アントニウスへの誘惑」,ベルナルディーノ・カンピの「聖母子と聖人たち」,アントーニオ・フィジーノの「聖母の誕生」,ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの「受胎告知」などが飾られている.まさにミラノのマニエリスム・バロック絵画の宝庫と言えるだろう.

 特に翼廊のフランチェスコ・マッツッケッリ(通称モラッツォーネ)の「三王礼拝」の近くには,ボローニャの有名な画家一族の一人ルドヴィーコ・カッラッチの「牧人礼拝」が見られ,見応えがあった.

 見た記憶がないのだが,パルマ・イル・ジョーヴァネの「ゴルゴタへの道」,ジョヴァンニ・バッティスタ・トロッティ(通称イル・マロッソ)の「キリスト昇天」もあったようである.前者はヴェネツィア派の画家として知られるが,後者はクレモーナ出身で,ロンバルディア,エミリア・ロマーニャ,ヴェネトで活躍した画家で,ミラノにも複数彼の作品が見られ,パンフィーロ・ヌヴォローネの師匠にあたるようなので,ミラノの絵画史にも重要な影響を与えたことになる.

 目の前に迫ってくる豪華な装飾と,比較的小さな堂内にある「これでもか」というほどの質と量のマニエリスム・バロック絵画に圧倒されて,やや消化不良気味だったが,ボランティアの方々に親切にしていただき,充実した説明板と,頒価5ユーロで入手した案内冊子によって,この教会について勉強することができた.次回,機会があれば再訪して,十分な拝観をしたい.


サン・ナザーロ・マッジョーレ聖堂

 サンタントーニオ・アバーテ教会を出て,再び雨中を,ミラノ大学の入っているカ・グランダを横目に見ながら,サン・ナザーロ・マッジョーレ聖堂(サン・ナザーロ・イン・ブローロ聖堂もしくはサンティ・アポストリ聖堂とも)に向かった.

 巨大で立派な後陣が見えたが,入口がわからず,小さい道を回りこんで,ポルタ・ロマーナ大通りに出ると,聖堂正面に大きな礼拝堂の建物が付け足されている変わった構造で,そこから入堂させてもらった.

ブラマンティーノ作
トリヴルツィオ礼拝堂
サン・ナザーロ・マッジョーレ聖堂

大勢の学生たちが足早に入っていく


 昼休みに入る時間帯だったが,多分,ミラノ大学の学生たちと思われる大勢の若者が,係員にせかされるように着席して,何か宗教儀式が始まる雰囲気だったので,一目見渡しただけで辞去した.残念だが,教会は信者のものだから,しょうがない.

 この後,もう一つ教会を訪ねて,午前からの活動を終りとしたが,それは「明日に続く」としたい.





朝陽の中
フォンターナ広場で