フィレンツェだより番外篇
2009年9月26日



 




ガウデンツィオ・フェッラーリ
「最後の晩餐」



§ミラノを歩く - その3 (教会篇1)

 前回名前を挙げた人々に,

 ベルナルディーノ・ブティノーネ(1435 or 1436-c. 1507 or 1508)
 ジョヴァンニ・ドナート・ダ・モントルファーノ (c. 1460-1502/1503)

の名前を加えれば,ルネサンスまでのミラノの画家はほぼ尽きているだろうか.


 後者は,レオナルドの「最後の晩餐」のあるサンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ教会の旧修道院食堂で,世紀の大傑作の向かいの壁に「キリスト磔刑」の大きなフレスコ画を書いた画家だ.

 画家だった祖父の代からミラノで活躍し,父も画家のようだ.あるいは,祖父はモントルファーノという土地からやってきたかも知れないが,本人は三代目のミラノ人ということだろう.

 ブティノーネは現ベルガモ県トレヴィーリオの出身で,ヴィンチェンツォ・フォッパの弟子で,ベルナルド・ゼナーレの年上の共作者として知られている.

 ブティノーネの「聖母子」はブレラ絵画館で見られるようだが,正直なところ記憶が無い.スフォルツァ城絵画館には「キリストの受難の物語」を描いた折りたたみ式の祭壇画もある.

彼の名前は今回のミラノ行の予習段階で,かなり気になっていた.



 ミラノの教会を学習するにあたって,

 英語版ウィキペディア「ミラノの教会
 イタリア語版ウィキペディア「ミラノの教会

を参考にさせてもらった.特に,後者は情報が豊富だし,そこに多くの場合リンクされているウィキメディア・コモンズには過剰なくらい,それぞれの教会の外観,堂内,芸術作品の写真があった.

 それによれば,ミラノの諸教会で見られる芸術作品の多くは16世紀以降のマニエリスム,バロック期のもので,ルネサンス以前の作品は思ったより少ない.


サン・ピエトロ・イン・ジェッサーテ教会
 5日目の9月19日の午前中2番目に拝観した教会は,サン・ピエトロ・イン・ジェッサーテ教会(英語版イタリア語版)であった.この教会には,伝ベルゴニョーネの作品,ベルナルド・ゼナーレのフレスコ画の他に,ブティノーネとモントルファーノの作品もあるという情報を得ていた.

 伝ベルゴニョーネの剥離フレスコ画,ゼナーレとブティノーネが共作した礼拝堂などはウィキメディア・コモンズに写真があったが,モントルファーノの作品がどこにどのようなものがあるかは,教会を拝観し,簡潔で分かりやすい説明書きを見ることで理解できた.

 それによれば,身廊左側第2礼拝堂の「三王礼拝」,「聖母の婚約と天使たち」,「聖母の死」などがモントルファーノに帰せられるようだ.傑作かどうか別にして,まとまったフレスコ画が見られるのは嬉しい.

写真:
モントルファーノに帰せられる
フレスコ画「聖母の物語」


 レオナルデスキの年長の人々とは同世代でありながら,レオナルドの影響が微塵もない,この時代としては古くさい絵をひたすら描いていたモントルファーノが私は好きだ.彼の「キリスト磔刑」は立派な大作で,レオナルドの「最後の晩餐」とともに,同じ旧修道院食堂に戦災を切り抜けてただ二つ残ったことに天の配剤を感じる.

 左側第3礼拝堂のフレスコ画「修道院長アントニウスの物語」,第5礼拝堂のフレスコ画「洗礼者ヨハネの物語」もモントルファーノの作品とされる.この礼拝堂には2段組みの堂々たる多翼祭壇画もある.

 上段は「天使に支えられた死せるキリスト」(エンジェル・ピエタ)をセバスティアヌスとロッコが囲み,下段は「玉座の聖母子」の両脇に修道院長アントニウスとベネディクトゥスが控えている.さらにまわりには黒衣の修道士(ブラック・マンク)たち描かれているので,ベネディクト会の教会ということなのだろうか.

写真:
左側第3礼拝堂
多翼祭壇画


 写真を拡大して確認するとフレスコ画のように見えるが,今は確証がない.もし,フレスコだとすれば,わざわざ多翼祭壇画風に描く作例が他にもあるのだろうか.この作者に関して言及がないので,やはりモントルファーノと考えて良いのだろう.

 「帰せられる」という表現が随所に見られるので,あるいは作者の確定にはなお問題があるかも知れないが,これだけの分量の,なかなかの作品を描いたとされても不思議はないと考えられている画家だ.レオナルドの引き立て役ばかりではかわいそうだ.私たちはもっと評価しよう.

 午前中で比較的光が良かったが,建物の構造上,各礼拝堂で明るさは様々だ.個人的には,さしこむ光の具合も良く,保存状態が立派で,堂々たる祭壇画のある左側第3礼拝堂を,モントルファーノ関連ではベストと考えたい.



 左翼廊はグリーフィ礼拝堂になっており,ここにはゼナーレとブティノーネの共作になるフレスコ画「聖アンブロシウスの物語」がある,修復されていても状態はあまり良くない.美術館で見られるゼナーレの板絵を高く評価する私も,特にこのフレスコ画を見て感銘を受けるにはいたらなかった.

 むしろ,天井部分のブティノーネ作とされる奏楽の天使たちの絵は晴れやかで,端整であり,見られて良かったと思う.

写真:
ブティノーネ作
奏楽の天使たち


 右翼廊の後陣側の壁に掛けられた伝ベルゴニョーネの剥離フレスコ画は,トゥールの聖マルティヌスの葬儀に聖アンブロシウスが現れた奇跡を描いているのだろうか,これも特に感銘はないが,見られたことは嬉しい.

 この他の礼拝堂にも板絵,カンヴァス画,フレスコ画があり,中央祭壇や後陣も厳かな雰囲気を持っていて,それぞれ魅力的だが,この教会に関しては,今のところ,案内書などが入手できておらず,堂内に入ったすぐ左手にあった新しくて充実した案内板や,各礼拝堂についている説明書きの写真を撮ってきたが,暗くてあまりよく写っていないのでわからずじまいになったところが多い.ウェブ上の情報も十全ではない.

 その点は残念だが,モントルファーノに帰せられるまとまった分量のフレスコ画(「聖母の物語」,「修道院長アントニウスの物語」,「洗礼者ヨハネの物語」)と見事な祭壇画,明確にゼナーレとブティノーネの共作とされる「聖アンブロシウスの物語」とブティノーネの天井フレスコ画「奏楽の天使たち」,伝ベルゴニョーネの剥離フレスコ画を比較的じっくりと見ることができたので,良しとしたい.

 光があまりさしていなかった身廊右側の礼拝堂にもモンコルヴォという画家に帰せられるフレスコ画「聖マルコの物語」,ジョヴァンニ・バッティスタ・セッキ(この画家はウェブ検索で唯一「三位一体」の画像が見つけられたが,今のところ他に情報は無い)作のカンヴァス画「三王礼拝」があるようだが,あまり印象に残っていないし,残念ながら,写真でも確認できない.



 ウミリアーティというイタリア語を小学館の『伊和中辞典』で引くと,「12世紀にロンバルディーア州で原始キリスト教の清貧を理想として発生し,16世紀に解散した宗教運動.現在も同名の信者会がある」という説明が見られる.

 過去分詞(もとの動詞umiliareは英語のhumiliateにあたる)から派生した名詞の男性・単数形には「ウミリアート会(員)」とあるので,変に日本語にせず,ウミリアート会という訳語を使わせてもらうと,同会の修道者たちの集まる場所があり,ジェッサーテという名称はそれに由来するが,15世紀にベネディクト会修道士たちの管理に委ねられ,現在の教会もそのとき建設されたらしい.

 詳しくはわからない(説明板には,イタリア語と英語で簡潔に説明してあるのが写真でもわかるが,残念ながら,拡大しても全く読み取れない).

 ボッティチェッリの墓もあるフィレンツェのオンニサンティ教会もウミリアート会の創建だが,16世紀にフランチェスコ会の管理に委ねられた.ウミリアート会という修道会もしくは宗教運動の衰勢と深くかかわるのであろうが,そうしたことに関しても,今後勉強してみたい.



 この教会にはヴィンチェンツォ・フォッパの「キリスト降架」があったが,ベルリンの美術館に移され,第二次世界大戦で消失したとのことだ.非常に残念なことだ.

 フォッパの存在が,その弟子とされるブティノーネ,ブティノーネの同郷の後輩であるゼナーレがこの教会で仕事をする契機となったのであろうかと想像する.

 ゼナーレとブティノーネは,彼らの故郷トレヴィーリオのサン・マルティーノ教会に共作の多翼祭壇画を残している.ウェブ上の写真で見たところでは,華やかで美しい作品だが,初歩的な段階に思える遠近法がかえって古くさい感じを与える.

 こうしたブティノーネ的作風から脱して,画家として進化していく重要な契機となったのがレオナルドの影響で,以後の作品にはその意志が明確に見られるとのことだ.その分岐点となった作品が,サン・フランチェスコ・ア・カントゥ教会に納めた1502年の多翼祭壇画だ.

 この作品は,中央部の「幼児キリストの礼拝と奏楽の天使たち」が,現在,アメリカのポール・ゲッティ美術館にあり,両脇の4人の聖人たちの絵は,「聖フランチェスコと洗礼者ヨハネ」はミラノのバガッティ・ヴァルセッキ博物館,「聖ステパノとパドヴァの聖アントニウス」がポルディ・ペッツォーリ美術館にある.

アメリカの大金持ちが作った美術館に一番良い部分があり,両脇の聖人たちは半分ずつ,ミラノの大貴族の邸宅だった博物館・美術館にあるというのも,19世紀から20世紀にいたる欧米の歴史を考える上で興味深い.


 私はアメリカに行ったことがないので,「礼拝」は見ていないが,両脇の聖人たちは見ることができた.確かにゼナーレに抱く古風なイメージとは違う作風に思えた.たとえば,私が一番好きなのはアンブロジアーナ絵画館にある祭壇画の一部と思われる「トゥールーズの聖ルイと聖ボナヴェントゥーラ」であるが,同じくフランチェスコ会の聖人たちを描いていながら,前述のフランチェスコやアントニウスと比べると,随分時代も技法も異なる作品に見える.

 アンブロジアーナ絵画館の図録によれば,この作品を絵画館が入手したときは,ベルゴニョーネの作品とされていて,後にブティノーネ作とされ,最終的にゼナーレの絵とされたとのことだ.1490年頃の作品で,その頃彼はブティノーネの影響下にあったが,フォッパやベルゴニョーネの影響も見られるらしい.細かい議論にはついていけないが,この絵の上品で爽快な美しさに魅かれる.

 今のところ,ゼナーレに関しては,レオナルドの影響以前の作品の方が私は好きだが,ミラノのルネサンスを考える上で,サン・ピエトロ・イン・ジェッサーテ教会で,ブティノーネとゼナーレの共作フレスコ画を見られたのは,まことに幸運なことだった.

 いずれもミラノ出身ではなくて,ミラノで活躍したロンバルディア出身の画家たちだが,フォッパ,ブティノーネ,ゼナーレという流れを(今は,フォッパの作品は失われてしまったが)考えられるこの教会をまた訪れてみたい.

 モントルファーノの位置づけは,今のところ考えていない.

 15世紀に建てられた教会の建物も,他の諸教会もあわせて比較すると,おぼろげならミラノ風,ロンバルディア風の建築のように思われる.それについては,別の機会に整理してみたい.

写真:
サン・ピエトロ・イン・
ジェッサーテ教会



サンタ・マリーア・デッラ・パッショーネ聖堂
 同じ日(19日)の午前中,サン・ピエトロ・イン・ジェッサーテ教会の前に,サンタ・マリーア・デッラ・パッショーネ聖堂(英語版には情報がない/イタリア語版)を拝観していた.ファサードは,ロンバルディア風ではなく,バロック建築を思われる壮麗さだ.

写真:
サンタ・マリーア・デッラ・
パッショーネ聖堂
写真:
堂内の風景


 この教会で第一に見たかったのは,ガウデンツィオ・フェッラーリのカンヴァス画の「最後の晩餐」(トップの写真)だが,それ以外にも多くの作品が鑑賞できた.

 幸いこの教会にも分かりやすい案内板がある上に,5ユーロの喜捨で,ファサードが写っている表紙以外はすべて白黒写真だが, 簡潔で要領を得た案内書をいただけるので,ほとんどの作品とその作者を確認できる.

 案内書にはベルナルディーノ・ルイーニの「キリスト降架」があると描いてあるが,写真はなく,私たちも確認していない.1400年代のものと推定される無名の画家のフレスコ画「ピエタと聖人たち」(別称「サンタ・マリーア・デッラ・パッショーネ」),フェッラーリの「最後の晩餐」,伝ブランマンティーノの通称「カラヴァッジョの聖母」(福者ジャンネッタの前に現れた聖母)以外の,この教会で見られる諸作品を描いた画家たちを列挙すると,多分,ミラノのマニエリスム,バロックの絵画史が見えてくるかも知れない.

 しかし,煩瑣になるので,それは次回整理することにして,パンフィーロ・ヌヴォローネの後陣の半穹窿型天井の「聖母戴冠」,ヴィンチェンツォ・カンピの「キリスト磔刑」,シモーネ・ペテルザーノの「聖母被昇天」と「受胎告知」,エネーア・サルメッジャの「キリスト笞刑」が,目で見て印象に残った作品だと報告するに留める.

 身廊左側,左翼廊の作品が多いのは,光が良かったせいもあるだろう.教会の堂内の絵画鑑賞は,天候と時間に左右される.

エネーア・サルメッジャ作
「キリスト笞刑」
サンタ・マリーア・デッラ・
パッショーネ聖堂


 聖堂の奥にあるらしい,聖堂参事会室にはベルゴニョーネのキリストと聖人たちを描いたフレスコ画があるようだが,公開されているかどうかわからないので,見ていない.喜捨により一部の絵はがきをいただいてきたのと,案内書にある白黒写真だけが資料だが,キリスト像が堂々としていてすばらしいように思える.やはりルネサンスはこの教会にも,フェッラーリだけではなく,垣間見られるようだ.

 この教会の右となりの建物は,おそらく旧修道院であろうが,現在は,多くの音楽家を輩出したジュゼッペ・ヴェルディ音楽院である.





右)ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院
左)サンタ・マリーア・デッラ・パッショーネ聖堂