フィレンツェだより番外篇
2008年9月29日



 




ジローラモ・ダイ・リブリの特別展会場で
カステルヴェッキオ美術館



§ヴェローナの画家(その2)

リベラーレ・ダ・ヴェローナの作品は,ヴェローナの随所で見られる.


 前回のヴェローナ行でも,幾つかの作品に注目した.しかし,“この画家は多分,相当の水準の人なのではないか”と初めて思ったのは,ミラノのブレラ美術館の,マンテーニャやジョヴァンニ・ベッリーニの傑作に満ちている「第6室」と呼ばれる部屋で「聖セバスティアヌス」を見た時だ.

 その写真は,コンテンツの充実したブレラ美術館のHPに掲載されていて,どういう作品だったか,大体のところはイメージできるのだが,残念ながら,とても小さな写真なので,今となっては「美しい作品だ」と思った印象だけが自己増殖していくように思われる.

 と,書きながら,ふと思いついてウェブ・ギャラリー・オヴ・アートをチェックしてみたら,比較的大きな写真があった.十全の写真ではないかも知れないが,「美しい」という感想に変わりはない.

 背景の絵柄も結構独創的だと思うがどうだろうか.古代神殿の廃墟で処刑されている聖人の背景は,中世からルネサンスの運河のある街並みに見える.マルケ州の州都で,アドリア海に面したアンコーナのサン・ドメニコ教会にあったものだそうなので,リベラーレはヴェローナに限定される画家ではないようだ.

 それと知らずに彼の作品を見ていた可能性もある.シエナのドゥオーモにあるピッコロミーニ図書館は美しい挿絵の写本で有名だが,その挿絵を描いた画家の1人がリベラーレだった.もしかしたら,昨年ここを訪れたときに彼の作品を見ていたかも知れない.

さらに驚いたことに,実家の自室に,リベラーレの描いたシエナにある写本装飾画の絵葉書を飾っていた.


 数年前に第二文学部の社会人学生の方からいただいた絵葉書の絵が美しかったので,額に入れて飾っておいたのものだが,作者名を意識することがなかったので,先日まで気がつかなかった.何年も前に,この画家の作品を絵葉書で見ていたことになる.

私はこの画家を過大評価しているのかも知れないが,好き嫌いならば的外れにはならないだろうから堂々と言うが,私はこの画家の絵が好きだ.


 ただ,カステルヴェッキオ美術館で見られる彼の複数の作品に関しては,まだその真価に開眼していない.



 ヴェローナで見られるリベラーレの作品で,今のところ一番好きなのは,サンタナスタージア教会の左側廊の翼廊手前にあるマッゾレーニ祭壇の祭壇画「天使に導かれるマグダラのマリアとアレクサンドリアの聖カタリナ,聖トスカーナ」だ.

 聖トスカーナは13世紀から14世紀,ヴェローナ近郊ゼヴィオ出身の,いわば地元の聖人である.ヴェローナ市内にある,彼女の名を冠したサンタ・トスカーナ教会には,彼女が描かれた美しい三翼祭壇画があって,この作者がリベラーレであるという情報を得ている.『マンテーニャとヴェローナの芸術』にもその写真があったが,実物はまだ見ていない

写真:
リベラーレ・ダ・ヴェローナ作
「天使に導かれるマグダラのマリアと
アレクサンドリアの聖カタリナ,
聖トスカーナ」


 今回確認できた作品としては他に,サン・フェルモ教会の中央祭壇左隣のパドヴァのサンタントーニオ礼拝堂の祭壇画「聖アントニウス」がある.

 これは,リベラーレの個性的作品と言うよりも,もしヴェローナ派というものがあるのなら,その歴史の流れの中に間違いなくいることを想起させてくれる作品に思えた.好き嫌いで言うと,どちらでもない.

写真:
リベラーレ・ダ・ヴェローナ作
「聖アントニウス」
サン・フェルモ教会



ジローラモ・ダイ・リブリ
 リベラーレだけでなく,やはり彩色写本の装飾画(英語版ウィキペディアイタリア語版ウィキペディア)も描き,画家としても一家を成したヴェローナの画家がいる.ジローラモ・ダイ・リブリ(ダーイ・リーブリ)(1474/ 75-1555)だ.

 やはり写本装飾画家であるフランチェスコ・ダイ・リブリの息子で,父の母方の祖父,本人からすると曽祖父にあたる人物も写本装飾画家ということなので,累代の職人ということだろう.それは「姓」のように使われている通称(「リブリ=書物」)にも現れている.

 リベラーレ・ダ・ヴェローナとジローラモ・ダ・クレモーナがシエナで一緒に仕事をしており,フランチェスコはこの2人と仕事をともにし,影響を受けている.この線からジローラモ・ダイ・リブリはリベラーレにつながる.

 さらに,パドヴァの画家スクァルチョーネの周辺で修業したと思われるジローラモ・ダ・クレモーナは,マンテーニャの影響を受けているとされるので,北イタリアの絵画史の大きな流れの中からジローラモ・ダイ・リブリが出てきたことが想像される.

写真:
(左)フランチェスコ・モローネ作
(右)ジローラモ・ダイ・リブリ作
カステルヴェッキオ美術館特別展


 今回,偶然にもカステルヴェッキオ美術館の特別展でジローラモの作品をまとめて見ることができたうえ,内容充実の図録も購入した.

 彼の絵に特徴的な,聖母や聖人たちの「綺麗な顔」は,同時に15世紀後半から16世紀にかけてのヴェローナの画家たちの多くに共通する特徴のように思われる.

思わず,「要するに挿絵風の綺麗さではないか」と言ってしまいそうになるが,彼らは本当に写本装飾という挿絵を描いていたのだ.


 彼らの絵はジョッテスキのような力感,コスメ・トゥーラのような鬼面人を威す迫力は持っていないが,何かしら魅かれるものがあり,何度か見ると,やっぱりそれなりにすごいのではないかと思わせるものを持っているような気がする.

 特に,今回,特別展のおかげで写本装飾にも興味が湧いてきたので,リベラーレとジローラモに関してはフォローして行きたい.


モローネ親子
 祭壇画の作者としてのジローラモ・ダイ・リブリの師匠は,リベラーレと同時代にヴェローナで活躍したドメニコ・モローネ(1442年頃〜1518年)とされる.

 ドメニコの作品は,ヴェローナの幾つかの教会で見られるようだが,私たちは,マントヴァのドゥカーレ宮殿の「ボナコルシ家の追放」,カステルヴェッキオ美術館で,伝ドメニコ・モローネとされる剥離フレスコ画(下の写真)などを見たに過ぎない.

写真:
伝ドメニコ・モローネ作
剥離フレスコ画


 サン・ゼーノ聖堂の近くのサン・ベルナルディーノ教会の図書館だった部屋にあるフレスコ画が有名で,その部屋は現在「モローネの間」と言われていて,ヴェローナの重要な観光ポイントの一つになっているようだが,今回は見ることができなかった.(サン・ベルナルディーノ修道院の紹介ページがあり,そこで堂内の写真を幾つか見られる)

 ヴェローナの観光案内ページの紹介によれば,カステルヴェッキオ美術館で彼の作品は4つ見られるということだが,残念ながら図録で「伝」とされるものも含めて2つしか確認していない.ちょうど気ぜわしく移動していたあたりにあったので見落としたのだろう.両者とも次回を期したい.

 ドメニコの師匠は誰かはわからないが,ピザネッロとマンテーニャの影響が見られるとのことだ.それはこの時代の,この地方の画家であれば,ある意味で当然のことだろう.他に影響を与えた画家としてチーマとカルパッチョの名前が挙げられており,であれば,やはりヴェネツィアの画家たちの影響があったということだろう.

 しかし,1431年生まれのマンテーニャはドメニコのほぼ10歳年上であるのに対し,チーマとカルパッチョは1460年頃の生まれと,かなり若い.若い画家たちの影響も受け容れたということなのだろうか.

 ヴァザーリは,ドメニコをリベラーレ・ダ・ヴェローナと並び称される,この地方の画家としてしているようだ.彼の弟子筋にあたるのが,息子のフランチェスコ・モローネ,ミケーレ・ダ・ヴェローナ,ジローラモ・ダイ・リブリということになる.

 私たちが見た限り,ドメニコの絵は「綺麗な顔」の絵とは言えないように思う.美術館では剥離フレスコ画を2点確認しただけなので,何とも言えないが,彼の作とされる絵の人物の顔は,ただ綺麗なだけではなく,もう少し堂々たる精神性を湛えているような気がした.色落ちや剥落でかえってありがたく見えただけかも知れないが.

 一方,息子のフランチェスコ・モローネ(1471年〜1529年)の描く絵は,これこそカステルヴェッキオ美術館で何点もの作品を見たときに,「綺麗だけど,感銘しない」と思ったものだ.良くも悪くも,ヴェローナのルネサンス絵画の特徴を凝縮した画家との印象を受けた.

 しかし,傑作の森であるミラノのポルディ・ペッツォーリ美術館のHPでは,所蔵作品のフランチェスコの「サムソンとデリラ」を写真付きで掲載し,「15世紀末から16世紀初頭のヴェローナで最も重要な画家の一人であり,ドメニコの息子で,父から市内最大の工房を引き継いだ」と紹介している.

 また,サンタ・マリーア・イン・オルガーノ教会の聖具室に彼が描いたフレスコ画をヴァザーリが賞賛しているとのことだ.今回もこの教会は拝観していないので,次回を期したい.

 今回,カステルヴェッキオ美術館で,あらためて彼の作品を見て,サンタ・マリーア・デッラ・ヴィットーリア・ヌオーヴァ教会にあったとされる「三位一体と聖人たち」という祭壇画,ヴェローナ県トレニャーゴの教区教会にあった「イエスの誕生」と「洗礼者ヨハネ」は再見,三見の価値がある作品に思えた.

 彼の作品で最も感銘を受け,これから何度でも見たいと思ったのは,より大きな祭壇画の一部であったと考えられ,背景の旗と景色が印象に残る「聖母子」(下の写真)だ.

写真:
フランチェスコ・モローネ作
「聖母子」
カステルヴェッキオ美術館


 図録にはモスカルド・コレクションから,美術館の説明板にはベルナスコーニ・コレクションからとあって(どちらかは別の「聖母子」かも知れない),いずれにせよ,元々がどこにあったのはわからないようだが,「綺麗な顔」が最も成功している絵ではないだろうか.ジローラモ・ダイ・リブリの作品ともつながるように思えた.

 この絵は『マンテーニャとヴェローナの芸術』でも取り上げられており,そこで見られる写真が美しいものだったが,残念ながら,今のところ他に情報はない.

この絵の中に,ジョヴァンニ・ベッリーニの影響は見られないのだろうか.北方風の風景などは,この時代の共通の流行であろうから,特にそれが何かの証拠になることはないだろうが,父親との画風の違いについては,個性を認めると同時に,マンテーニャからジョヴァンニ・ベッリーニへと,時代を代表する画家が変わっていく,大きな流れを感じたい.大ハズレかも知れないが.


 マンテーニャとベッリーニはほぼ同年齢で,死んだ年で比べると,マンテーニャ(1506年)がベッリーニ(1516年)よりも10年早い.このあたりについて,勉強して,少し考えてみたい誘惑にかられるが,週10コマの授業と,意欲ある人たちとの勉強会,新しい校務と,遅れている様々な仕事が待っている.あと1回,ヴェローナの画家たちの「聖母子」と,見落とし勝ちだが実は素晴らしい彫刻について報告をまとめて,今回の「フィレンツェだより」番外篇は終わりとしたい.





カステルヴェッキオ美術館
入口の上に特別展の垂れ幕