フィレンツェだより番外篇
2008年10月21日



 




ジローラモ・ダイ・リブリ作
「聖母子」(部分)
カステルヴェッキオ美術館



§ヴェローナの画家(その3)

しばらく間があいてしまったが,前回予告のとおり,この番外篇の締めくくりとして,ヴェローナの画家たちの「聖母子」と素晴らしい彫刻について報告したいと思う.


 前回紹介したフランチェスコ・モローネとジローラモ・ダイ・リブリは,ドメニコ・モローネの門下から出てきた画家だが,ドメニコと同時代の地元の巨匠リベラーレ・ダ・ヴェローナの弟子筋からは,より多くの画家が育った.

 ニコラ・ジョルフィーノ(1476年頃〜1555)(ニコロ,ニッコロと転写すべき場合もあるが,ここでは美術館の図録に従い,ニコラとする)
 ジョヴァンニ・フランチェスコ・カロート(1445年〜1555 / 58年頃)
 フランチェスコ・ボンシニョーリ(1455年〜1519年)

などは,ヴェローナのルネサンス後期を代表する画家と言ってよいであろうし,さらにカロートの弟子からは

 ドメニコ・ブルーザソルチ(ドメニコ・リッチョ)(1516年〜1567年)

が出た.

 ブルーザソルチは,ヴェローナのマニエリスムを支えた画家とされ,同時代のアントニオ・バディーレ3世の門下からヴェローナ出身の最大の画家ヴェロネーゼ(パオロ・カリアーリ)(1528年〜1588年)が出てくる時代背景を構成している.

 彼の息子フェリーチェ・ブルーザソルチ(1542年〜1605年)も16世紀のヴェローナ画壇の中心人物の1人となった.

 フェリーチェの弟子,アレッサンドロ・トゥルキパスクァーレ・オッティーニマルカントニオ・バッセッティの作品もカステルヴェッキオ美術館で見ることができる.

ということは,この3人の中で最後まで存命したトゥルキが亡くなる1649年まで,リベラーレ・ダ・ヴェローナの系譜は,150年以上芸術家を輩出し続けたことになる.


 リベラーレ・ダ・ヴェローナの弟子筋の中で,私たちの印象に特に残るのは,フランチェスコ・ボンシニョーリの作品だ.

 昨年のヴェローナ訪問時にも,「ジュリエッタの墓」がある旧修道院のフレスコ画博物館で,彼とカロートのカンヴァス画を何点か見ている.

 ボンシニョーリの作品は,カステルヴェッキオ美術館では,右下の写真の「聖母子」と,もう1点,通称ボーヴォ祭壇画と言われる「玉座の聖母子と聖人たち」(左下の写真)が見られる.






 左上の写真の「聖母子」はマンテーニャの影響が色濃いように思われ,実際にカステルヴェッキオ美術館でもマンテーニャの「聖母子」の隣に置かれている.この作品は彼の後期の作品でマントヴァのゴンザーガ家の宮廷画家となって以後のものと考えられている.

 それに比べ,23歳の時に描いた右上の写真の「聖母子」には,ジョヴァンニ・ベッリーニを思わせる作風が漂う.実際,今回は出張していて見られなかったカステルヴェッキオのベッリーニの「聖母子」は,彼にしては丸顔ではなく,面長の聖母で,ボンシニョーリの作品とよく似た雰囲気を持っている.

 カステルヴェッキオのベッリーニの「聖母子」は1475年頃の作と考えられているようで,であれば,時間的にはボンシニョーリが彼の影響を受けた可能性もあるわけだが,どのような形で見たのかが分からなければ,「見たはずだ」とは言えないだろう.

いずれにしても,ボンシニョーリは,むしろ若いときにベッリーニ風の作品を描いていたことになり,ヴェローナの画家たちは,マンテーニャの影響を受けながら,時を追うごとにその影響はベッリーニの影響に取って代わられるという私の「仮説」(?)は,彼に関しては成り立たないことになる.


 他には「14世紀前半のヴェローナの画家」の,上手とは言えないが興味深い剥離フレスコ画の「聖母子」もあったし,他にニコラ・ジョルフィーノの「聖母子」も見られた.



 ヴェローナの画家以外では,昨年フェッラーラの特別展で見て注目したハンガリー出身で,国際ゴシックのジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの弟子だったかも知れないミケーレ・パンノニオ,ミケーレ・ジャンボーノ,ジャンボーノの周辺の画家の「聖母子」も,上手い下手は別として興味深く思えた.

 また,1450年オルツィヌオーヴィ生まれで,ヴェローナ,ヴェネツィア,ヴィチェンツァで活躍したバルトロメオ・モンターニャの絵は,今までも何点か見て,注目すべき画家だと思っていたが,カステルヴェッキオ美術館では華やかな「聖ブラシウスと司教聖人」の他に,地味だが堅実な画風の「聖母子」もあった.

写真:
カルロ・クリヴェッリ作
「聖母子」
カステルヴェッキオ美術館


 ジョヴァンニ・ベッリーニの「聖母子」は見られなかったが,ヴェネツィア派ではカルロ・クリヴェッリアルヴェイーゼ・ヴィヴァリーニの「聖母子」が美しい.

 特にクリヴェッリについては

 岡田温司『マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女』中公新書,2005
 同『処女懐胎 描かれた「奇跡」と「聖家族」』中公新書,2007

でも,それぞれ「マグダラのマリア」と「無原罪の御宿り」がカラー写真で紹介されている.どちらも美しい絵だ.後者では「受胎告知」も白黒写真で掲載されている.

 クリヴェッリは,ペーザロで今回の学習項目となったヤコベッロ・デル・フィオーレの門下で,アルヴィーゼ一門の影響も受けたということなので,ヴェネツィア派の中から出てきた画家と言えるだろう.若い頃,パドヴァのスクアルチョーネの工房で働き,後にペーザロ,アンコーナなど現在のマルケ州で活躍した.波乱の人生を生きた人のようだ.

 1435年頃から1495年頃までの人生なので,ヴィヴァリーニ一族では,かろうじてバルトロメオが彼とほぼ同時代人,バルトロメオの年の離れた兄アントーニオはクリヴェッリよりも20歳ほど年長である.下の絵を描いたアルヴィーゼは,そのアントーニオの息子で,クリヴェッリよりも10歳くらい年下になる.

写真:
アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニ作
「聖母子」
カステルヴェッキオ美術館


 ヴィヴァリーニ一族はムラーノ島のガラス職人の家系で,アントーニオの作品は完全にジョヴァンニ・ベッリーニ出現以前の中世的な絵のように思われるが,アルヴィーゼは,叔父バルトロメオの門下として画業を始め,10歳以上年長のジョヴァンニ・ベッリーニの影響を受けるようになった.

 カステルヴェッキオ美術館のアルヴィーゼの「聖母子」は,特に聖母の顔がジョヴァンニ・ベッリーニの作品を思わせるように見える.

 美術館の図録の解説は,繊細な陰影がアントネッロ・ダ・メッシーナを想起させるとしているが,アントネッロがジョヴァンニ・ベッリーニなどヴェネツィア派に大きな影響を与えた画家であって見れば,それもそうかも知れない.制作年代等は情報がない.

 同じヴェネツィアで,違う系譜の画家一族の出自であるアルヴィーゼ・ヴィヴァリーニは,ベッリーニよりも10歳以上年下でありながら,10年くらい早く亡くなっている.

アルヴィーゼがいつこの絵を描いて,どの程度ベッリーニの影響を意識していたのかはわからないが,この「聖母子」を見て,ヴェネト州のルネサンスにおけるジョヴァンニ・ベッリーニの偉大さを思わされる.


 カステルヴェッキオ美術館には,アントーニオ・ヴィヴァリーニの「聖クリストフォロス」もある.佳品だと思う.

 ヴェローナがヴェネツィア共和国の支配下に入ったのは1405年だ.ヴェローナのルネサンスはダンテを保護したスカーラ家の時代ではなく,ヴェネツィアの支配下で花開いていたことになる.それにしては,思ったよりもヴェネツィア派の絵が少ないのは,やはりヴェローナの地元の画家たちが根強く,独自の活躍をしていたからだろうか.



 ジョヴァンニの父ヤコポ・ベッリーニの作品は,カステルヴェッキオ美術館で2点見られる.「荒野の聖ヒエロニュモス」と「キリスト磔刑」だ.

 個人的にはどちらかと言えば後者の方が良いように見えるが,どちらも彼の最良の作品ではないだろう.しかし,前者は息子のジョヴァンニに引き継がれるテーマであり,親子の同テーマの絵を比べて見られるという意味では興味深い.

 ヤコポは,1436年にヴェローナのドゥオーモにフレスコ画を描くために滞在し,これらの作品も描いたらしい.残念ながらフレスコ画の方は失われた.

 ところで,この1436年にヴェローナで活躍していた画家は誰だろうか.

 ヤコポと同世代にあたるのはピザネッロだが,ピザネッロがヴェローナで絵を描いたのは1420年代だ.30年代初頭には,ヤコポの師匠であり,彼が助手を務めた可能性があるジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの未完の作品を完成させるためにローマにいたことがわかっている.

 しかし,丁度1436年を中心とする数年間,彼はまたヴェローナに帰ってきて,その時,サンタナスタージア聖堂の「カッパドキアの王女と聖ゲオルギウス」を描いた.

 15歳以上年長の可能性があるようなので,だいぶ年上になるが,ジョヴァンニ・バディーレもヤコポ・ベッリーニの同時代人である.両者の息子も共に画家だが,ジョヴァンニ・バディーレの息子アントニオ・バディーレ(2世)は,1425年頃の生まれなので,ヤコポの息子ジョヴァンニ・ベッリーニより5,6歳の年長ということになる.

 カステルヴェッキオ美術館にはアントニオ・バディーレ2世作とされる絵が2点ある.いずれも三翼祭壇画で,「聖母子と女性の聖人たち」と「聖カエキリア(チェチーリア)と聖人たち」(聖人はトリブティウスとウァレリウス)で,男女とも細身の聖人たちが描かれ,昭和40年代の日本の少女マンガのような「綺麗な」人物像だ.

写真:
アントニオ・バディーレ2世作
「聖母子と女性の聖人たち」
カステルヴェッキオ美術館

聖人は,慰謝する聖女マリアと
アレクサンドリアの聖カタリナ


 小佐野重利(研究者代表)『ヴェローナの画家一門バディーレ家(14-16世紀)に関する包括的な調査研究』収録のセルジョ・マリネッリ「バディーレ一族」に拠れば,少なくとも前者の作者は「カーネーションの花束の画家」と呼ばれることもあるそうだが,この画家をアントーニオ2世と特定したのは20世紀初頭のジェローラという研究者だそうだ.

 美術館の図録には,この絵に関する言及も紹介もないが,「聖カエキリアと聖人たち」はアントニオの作品とされているし,美術館の説明板はどちらの三翼祭壇画ともにアントニオの作品としているので,すでに定説とされているのだろう.少なくとも,この2つの絵が同じ画家によって描かれたという印象は多くの人が受けるものだろう.

 アントニオは相当の力量の人だと思うが,父親のジョヴァンニが描く人物像とはまったく違った印象を受ける.

 フィレンツェの画家たちで,それぞれの世代に対応するのは誰だろうか.厳密には対応しないが,一応ヴェネツィアも含めて整理してみる.さすがに知名度では,ヴェネツィアやフィレンツェに見劣りがするが,人材の豊富さは相当なものだという気がする.
 
ヴェローナ ヴェネツィア フィレンツェ
トゥローネ・ディ・マクシオ
(14世紀後半に活躍)
ロレンツォ・ヴェネツィアーノ
(14世紀後半に活躍)
アーニョロ・ガッディ
(c.1350-c.1396)
アルティキエーロ
(c.1330-c.1390)
ヤコベッロ・デル・フィオーレ
(15世紀前半に活躍)
ロレンツォ・モナコ
(c.1370-1425)
バルトロメオ・バディーレ
(14世紀後半に活躍)
ヤコポ・ベッリーニ
(c.1396-1470)
フラ・アンジェリコ
(c.1390-1455)
ステファノ・ダ・ゼビオ
(c.1375-1438)
ミケーレ・ジャンボーノ
(c.1400-c.1462)
パオロ・ウッチェッロ
(1397-1475)
ジョヴァンニ・バディーレ
(1379-1451)
ドメニコ・ヴェネツィアーノ
(c.1410-1461)
マザッチョ
(1401-1428)
ピザネッロ
(c.1395-c.1455)
アントニオ・ヴィヴァリーニ
(c.1415-c.1480)
フィリッポ・リッピ
(1406-1469)
アントニオ・バディーレ2世
(c.1424-before1512)
カルロ・クリヴェッリ
(c.1430-c.1495)
アンドレア・デル・カスターニョ
(c.1421-1457)
ドメニコ・モローネ
(c.1442-1518)
ジョヴァンニ・ベッリーニ
(c.1431-1516)
ベノッツォ・ゴッツォリ
(c.1421-1497)
リベラーレ・ダ・ヴェローナ
(c.1445-1529)
バルトロメオ・ヴィヴァリーニ
(c.1432-c.1499)
サンドロ・ボッティチェッリ
(1445-1510)
フランチェスコ・ボンシニョーリ
(c.1460-1519)
アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニ
(c.1445-c.1505)
ドメニコ・ギルランダイオ
(1449-1494)
フランチェスコ・モローネ
(c.1471-1529)
チーマ
(c.1459-c.1517)
レオナルド・ダ・ヴィンチ
(1452-1519)
ジローラモ・ダイ・リブリ
(c.1474-1555)
ヴィットーレ・カルパッチョ
(c.1460-c.1525)
フィリピーノ・リッピ
(c.1457-1504)
ニコラ・ジョルフィーノ
(1476-1555)
ジョルジョーネ
(c.1477-1510)
ピエロ・ディ・コジモ
(1462-1522)
ジャンフランチェスコ・カロート
(c.1480-c.1555)
パルマ・イル・ヴェッキオ
(c.1480-c.1528)
ミケランジェロ
(1475-1564)
フランチェスコ・トルビード
(1500-1581)
ティツィアーノ
(c.1485-1576)
アンドレア・デル・サルト
(1486-1531)
ドメニコ・ブルーザソルチ
(c.1515-1567)
セバスティアーノ・
デル・ピオンボ(c.1485-1547)
ロッソ・フィオレンティーノ
(1494-1540)
ヴェロネーゼ
(1528-1588)
ティントレット
(1518-1594)
ポントルモ
(1494-1557)
フェリーチェ・ブルーザソルチ
(1542-1605)
パルマ・イル・ジョーヴァネ
(1544-1628)
ブロンズィーノ
(1503-1572)


 ヴェローナで見られる「聖母子」から,ヴェローナのルネサンス,ヴェネツィアのルネサンス,北イタリアのルネサンスへと連想は広がるが,もとより,2回美術館を眺めただけでわかるような問題ではない.今後とも,多くのことを勉強しながらフォローしていきたい.

 世の中には,これについて私の百万倍も理解している人は無数にいると思うが,自分の目で絵を見て,自分の頭で考えることが私にとっては大事だ.


ヴェローナで見られる彫刻作品
 ヴェローナの彫刻もまた素晴らしい.教会巡りをしても,そのことは簡単に理解できるが,カステルヴェッキオ美術館所蔵の彫刻も立派だ.

写真:
「聖マルティヌスと物乞い」
カステルヴェッキオ美術館


 上の写真は,ヴェローナ県アヴェーザのサン・マルティーノ修道院にあった「聖マルティヌスと物乞い」である.無名のトスカーナ出身の彫刻家の作品ということなので,地元の彫刻家ではない.サンタナスタージア聖堂にも,ミケーレ・ダ・フィレンツェのテラコッタ浮彫彫刻連作があるので,むしろ芸術に対して排他的な風土ではなかったことがわかる.

写真:
カングランデ1世の騎馬像
カステルヴェッキオ美術館


 上の写真はサンタ・マリーア・アンティーカ教会のスカーラ家の廟墓の頂を飾っていた彫刻で,カングランデ1世の騎馬像だ.現在,カステルヴェッキオ美術館の渡り廊下に置かれているのがオリジナルで,廟墓にはコピーが置かれている.

 毀誉褒貶はあろうが,カングランデ1世は亡命者だったダンテを保護し,ヴィチェンツァやパドヴァをも支配下に収めた中世最後の英主と言えるだろう.堂々たる武者姿だ.

 カステルヴェッキオ美術館1階に置かれている彫刻群はどれも見事だが,殆どが12世紀以降の中世のものだ.1点だけ6世紀末から7世紀初頭にかけての,ランゴバルド人支配時代の出土品があるようだが,これは見逃してしまった.



 カステルヴェッキオ美術館の彫刻には,ピサ,シエナ,フィレンツェで見られるような,現代にまで名前が伝わる巨匠の作品は一つもないが,その中で「サンタナスタージアの親方」と呼ばれている彫刻家の作品群が目をひく.

 14世紀前半に活躍したらしいので,ジョットの同時代人かも知れない.

 この彫刻家の作品は,「アレクサンドリアの聖カタリナ」,「聖カエキリア」,「洗礼者ヨハネ」,「聖マルタ」,「キリスト磔刑像」,「聖母の卒倒」,「キリスト磔刑と聖母と福音史家ヨハネ」,「聖バルトロマイ」と少なくとも8点以上はある.

写真:
「サンタナスタージアの親方」作
「キリスト磔刑と聖母と福音史家
ヨハネ」
カステルヴェッキオ美術館


 図録で見る限り,サンタナスタージア聖堂にあったものは一つもなく,「聖アナスタシア」の像があるわけでもないので,どうして「サンタナスタージアの親方」と呼ばれているのか,今のところ情報が得られていないが,サン・フェルモ聖堂にあった作品が少なくとも2点あるので,ヴェローナで活躍した彫刻家とその工房であろう.

 右上の写真の作品を含めて多くの彫像があったサン・ジャーコモ・エ・ラッザーロ・アッラ・トンバ教会は,疫病は不治の病に苦しむ人々のための病院の役割を果たしていたということなので,そうした人々の苦悩と救済への希求を思わせる作品となっているのであろうか.



 名前の分かっている数少ない彫刻家の1人として,1400年頃に生まれて,出所不明の「聖ペテロ」(使徒)の彫像を遺したバルトロメオ・ジョルフィーノの名は注目しても良いかもしれない.孫か,ひ孫くらいの世代にあたる画家ニコラ・ジョルフィーノは一族の出身とのことだ.

 フィレンツェやヴェネツィアのように,よく知られている画家を輩出したわけではなく,ローカルを超えているのはアルティキエーロ,ピザネッロ,ヴェロネーゼの3人だけだとしても,これだけ多くの芸術家が活躍したヴェローナが,いかに栄えた町であったかは容易に想像がつく.

 特に15世紀初頭以降はヴェネツィアに支配されていただけに,その上での地元の芸術家の間断ない輩出は驚嘆に値する.

 これで,今回の「番外篇」は終わりにしたいと思う.ただ,10月7日,50歳の誕生日に損保ジャパン東郷青児美術館で見た「ジョットとその遺産展」が充実した特別展だったので,その感想を「番外篇」のさらに番外篇としてまとめてみたい.

 書きたいことはあるのだが,時間を調整するのがへたなので,特別展終了の11月9日までに,まとめられかどうか自信がない.





サンタナスタージア聖堂ボルディエーリ祭壇
ルネサンス時代の職人の手になる聖人たちの像
(中央の殉教者ペテロの手にはヴェローナ市の模型)