フィレンツェだより番外篇 |
![]() 伝トゥローネ「最後の審判」 サンタナスタージア教会 |
§ヴェローナの画家 (その1)
ヴェローナのルネサンスに活躍したバディーレ一族ですら,名前や作品が忘れられていた時代があるのだから,中世末期に描かれた絵で,作者の分らないがたくさんあるのは止むを得ないだろう. サン・ゼーノ聖堂には,作者の分らない12世紀から15世紀にかけてのフレスコ画がかなりある.「知られざる画家」として,配布の小冊子に作品が取り上げられているのはまだ良い方で,堂内には言及されていないフレスコ画が明らかにたくさんある.また,「サン・ゼーノの第1の親方」,「サン・ゼーノの第2の親方」といった命名もある. ヴェローナの守護聖人「聖ゼーノ」(この教会はサン・ゼーノという名前だが,標準的なイタリア語ならゼノーネとなり,もとはギリシアの哲学者やビザンティンの皇帝と同じゼノーンであろう)の遺体が安置されている地下祭室(クリプタ)にも,フレスコ画の断片がいくつもある. この聖人の英語版ウィキペディアの紹介ページで使われている彩色彫像は,配布小冊子でも13世紀の「知られざる芸術家」の作品とされているが,その背後の壁に残っているフレスコ画には何の言及もない. 修道院回廊にもフレスコ画が相当残っているが,これについても今のところ情報が得られない. サンタナスタージアの下部教会(クリプタ)や修道院回廊,サン・フェルモの下部教会にもかなりのフレスコ画があったし,ドゥオーモから行く2つの小教会(サン・ジョヴァンニ・イン・フォンテ教会とサンテレーナ教会)にもフレスコ画があった.これらについて情報を得ることに,どれほどの意味があるかわからないが,今のところ,全く知見が得られていない. ヴェローナで活動した無名の画家たちの数は少なくないと思われるが,カステルヴェッキオ美術館でも14世紀の絵のかなりの数は,作者がただ単に「ヴェローナの画家」とされている.
![]() トゥローネ・ディ・マクシオ(伊語版ウィキペディア)(14世紀後半に活躍) トンマーゾ・ダ・モデナ(1326-79)(英語版ウィキペディア/イタリア語版ウィキペディア) アルティキエーロ・ダ・ゼヴィオ(1369年から84年まで記録)(1330年頃〜1390年頃) の3人である. イタリア語版ウィキペディアでは,アルティキエーロはドメニコ・ダ・ゼヴィオの子で,トゥローネの弟子であり,トンマーゾ・ダ・モデナの技法から学び,ピザネッロにも影響したとされる.トゥローネとの関係については,今のところ,こことフランス語版ウィキペディアなど,ウェブページ以外に情報が得られないが,この通りだとすると,上記の3人は相互に無関係ではないようだ. トゥローネ・ディ・マクシオ ロンバルディア出身とされるトゥローネは,サン・フェルモ聖堂の2つのリュネット型フレスコ画「キリスト磔刑」を見る限り,ジョット派の影響を受けた立派な画家であり,北イタリアのジョッテスキを代表する芸術家と思われる.私はこの人の絵が好きだ. カステルヴェッキオ美術館には下の写真の板絵がある.私が見た唯一の板絵で,フレスコ画ほどの感動はないが,トゥローネの作品が見られたというだけで満足だ.
彼はサン・フェルモ聖堂の多くのフレスコ画を描いたとされる「救世主の親方」との影響関係が語られることもあるようだが,この親方の作品も素晴らしいと私は思う. サンタナスタージアの中央祭壇のあるセレーゴ礼拝堂の向かって右側の壁には,大きなフレスコ画「最後の審判」(トップの写真)があり,これも伝トゥローネとされる魅力的な作品だが,サン・フェルモの2点の「キリスト磔刑」には及ばない印象を受ける.
アルティキエーロ・ダ・ゼヴィオ もし,アルティキエーロがトゥローネの弟子だとしたら,間違いなく出藍の誉れだが,それにしてもトゥローネや「救世主の親方」の存在があって,ヴェローナ派の始祖とされるアルティキエーロがいるように思う. アルティキエーロの大きな作品はパドヴァのサンタントーニオ聖堂とその隣のサン・ジョルジョ祈祷堂で見られるのみで,ヴェローナではサンタナスタージアのカヴァッリ礼拝堂の「聖母子にカヴァッリ家の者たちを紹介する聖人たち」の他には,彼に帰せられる作品や,彼の弟子,周辺の人々の作品とされるものばかりである. その中で傑作と思われるのはサン・ゼーノの「キリスト磔刑」だ. カステルヴェッキオ美術館にも彼に帰せられる多翼祭壇画がある.地名に拠ってボイ多翼祭壇画と称されるこの「玉座の聖母子と聖人たち」(聖人は大ヤコブ,修道院長アントニウス,福音史家ヨハネ,クリストフォロス)は写真で見ると,なかなか立派で,今回しっかりあらためて鑑賞したいと思っていたが,実物からはそれほどの感銘は得られなかった.むしろ,アルティキエーロの周辺の画家によるとされる,剥落した剥離フレスコ画「聖母戴冠」とその下絵がまずまずのものと思われた. いずれにせよ,アルティキエーロは,場合によっては「ヴェローナ派の始祖」とされるのに,ヴェローナよりパドヴァで大きな作品が見られる. 国際ゴシック期の画家 アルティキエーロがヴェローナの後期ゴシック芸術を代表するジョッテスキの1人だとすれば,彼が40代の頃に生まれたと思われる ステファノ・ダ・ヴェローナ(1375年頃〜1451年) はヴェローナのローカルな国際ゴシック期を代表する画家と言えよう. フランス人画家ジャン・ダルボアの子なので,ジャンのイタリア語形によってステファノ・ディ・ジョヴァンニ(ジョヴァンニの子ステファノ)とも呼ばれ,アルティキエーロの出身地ゼヴィオとの関係は誤解によるものとも言われるが,ステファノ・ダ・ゼヴィオという通称でも知られている. ピザネッロ(1395年頃〜1455年頃) はステファノの同時代人で,ピサの出身だが,母の故郷とされるヴェローナで幼少期を過ごしたらしい.しかし,彼の活動はヴェローナという一地方を遥かに越えている(ヴェネツィア,マントヴァ,フェッラーラ,リミニ,ローマ)ので,地元の画家とは言えないだろう. 彼の作品は,ヴェローナではサンタナスタージア教会のフレスコ画「聖ゲオルギウスとカッパドキアの王女」,サン・フェルモ教会の「受胎告知」,カステルヴェッキオ美術館の「鶉の聖母」がある.
英語版ウィキペディアは,彼はアルティキエーロかステファノ・ダ・ヴェローナの可能性があるヴェローナの画家のもとで修業したと考えているようだが,アルティキエーロだと年代的には難しいのではなかろうか. ステファノ・ダ・ヴェローナだとすると,「国際ゴシック」的画風に共通の特徴がある両者が師弟であるのは話としては都合が良いが,片やローカルな画家,片や15世紀のイタリアを代表するローカルを超えた芸術家という組み合わせだから,果たしてどうだろうか.華やかで繊細と言う意味では似ているといえば似ているが,両者とも個性的過ぎて,文献的裏づけがないと断定は困難だろう. ![]()
良い絵かどうかわからないし,その周りを包む込むように描かれたアルティキエーロのフレスコ画「玉座の聖母子にカヴァッリ一族を紹介する聖人たち」のすごさに圧倒されて,その存在にすらなかなか気づくことができないが,今回じっくり見て,下手な絵ではないし,仏画のような味わいのある作品だと思った. しかし,カステルヴェッキオ美術館の「バラ園の聖母子」のような華やかな個性には欠けるような気がする.
ただ,この「バラ園の聖母子」(右下の女性はアレクサンドリアの聖カタリナ)は,通常ステファノ・ダ・ヴェローナの作とされることが多いが,美術館の英語版図録では,最近の研究で,ロンバルディア出身で,ヴィチェンツァとヴェネツィアで活躍したミケリーノ・ダ・ベゾッツォの可能性があるとして,作者を「伝ステファノ・ディ・ジョヴァンニ,通称ステファノ・ダ・ヴェローナ」としている. 図録には紹介されていないが,美術館の説明表示では「ステファノ・ディジョヴァンニ作」とされる剥離フレスコ画の断片「聖母子と寄進者」がある.ヴェローナのサン・コージモ教会にあったものだそうだが,これは力感に満ちていて素晴らしい作品に思えた.ローカルを超えきれなかった画家だとしても,実力者だったことに間違いはないだろう. 作品を見ていないが,ステファノの息子とされている,ヴィンチェンツォ・ディ・ステファノ・ダ・ヴェローナ,もしくはヴィンチェンツォ・ダ・ヴェローナという画家がおり,英語版ウィキペディアにはサンタナスタージアに彼のフレスコ画があるとしているが,どこにどういう絵があるのかは私は確認できていない.
ここで15世紀後半のヴェローナのルネサンスを代表する画家リベラーレの名前が出てくると,その関連は文献的にも画風の上でも断定は難しいかも知れないが,アルティキエーロからリベラーレを経て,以後のヴェローナの画壇の歴史的連続が見えてくる.それについては明日以降に「続く」としたい. |
![]() サン・ゼーノ聖堂の堂内 左側はクリプタへの階段 |
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