フィレンツェだより |
リベルタ広場の近くの教会 |
§ウフィッツィ,次回に備えて予習復習
これは「文化財・文化活動省 フィレンツェ美術館特別監督局」の名前が入っているので,公式ガイドブックといって良いのだろう.このあいだ紹介したサン・マルコ美術館,アッカデーミア美術館のものと同じシリーズの本だ. 作品数の多い美術館だと,この大きさでは若干不満が残るが,携帯にちょうど良い大きさで便利なので喜んで買った.今度行った時は少し大きめの情報量の多い英語版を買うかも知れない.
![]() 古典語の場合は,長母音をその通り表記するかどうかで悩む.慣例ならソクラテスというところを,長音にこだわればソークラテースになるが,「ラ」の上にアクセントがあることまではカタカナでは表せない. しかも,「ソクラテスよ」という場合は「ソークラテス」となって,アクセントは「ソ」の上にある,さらに「ソクラテスを」は「ソークラテー」になり,第3変化名詞の単数の対格語尾は「ア」であることが多いが,語幹の「エ」と約音して「エー」になるとか,それを知識として知っていても,何の説明もなくカタカナだけで表すことはまず無理だろうし意味がない. どっちみち日本語の名詞それ自体は格変化しないので,単数・主格のソークラテースだけを使えばよく,「ソークラテースよ」,「ソークラテースを」と言えばよいだけのことかも知れないが,間延びした印象は免れないので,長音を表す音引きをやめ単純に「ソクラテス」にしてしまう. しかし,ソクラテスは良いが,ムーサ(複数ムーサイ)はムサ(ムサイ)ではおかしいだろうと言う人もいて,一律に音引き省略で済ますわけにもいかないかも知れない.
私はユノは抵抗があるので,ユーノーはユノーと表記するが,同じ女神のギリシア名ヘーラー(イオニア方言ならヘーレー)をヘラー,ヘレーだとくどいような気もするので,ヘラにしてしまったりする. 長音は早いうちにやめたが,促音はしばらく残した.カトゥッルスとか言っていたが,ユッピテルよりはユピテルの方が響きが良いように思えて,カトゥッルスもカトゥルスにした.カトゥールスという人物がいれば,同じカトゥルスになってしまうが,この程度のことはやむを得ないと思う.もともと短い「カトゥルス」も有名な家名としてあるので面倒くさいが,一般的な文学史のレヴェルでは,詩人のカトゥルス(カトゥッルス)以外は必要ないだろうから構わない. ちなみに私はムーサはムサとは表記せず,慣用と称してムーサもしくは英語風のミューズと言ったり書いたりしている.
![]() これが意外にばかにできない.たとえば,日本語でローマは問題ないし,むしろロマだと最近は昔ジプシーといっていた人たちを指すので,胸をはってローマと表記する.ミラーノ,ナーポリ,ジェーノヴァと書いたら,ペダンティックだとは思うが,通常ミラノ,ナポリ,ジェノヴァと言っている都市に同定できるだろう. しかし,パレールモとかヴェネーツィアになると,抵抗感だけでなく,そこまでしなくてもと思ってしまうかも知れない. そもそもヴェネツィアは英語風のヴェニス,それも「ウ」に濁点は日本語表記になじまないとしてベニスという人も多いから,余計にややこしい.さすがにフィレンツェは英語風のフローレンスはかえってペダンティック(これもペダンチックと表記した方が良いだろうか)な感じがする. イタリア語で「花」はフィオーレで男性名詞だが,ラテン語でも男性名詞のフロースで,「花の」というときにフローリスになって変化形にはrが出てくる.そこで「花」と関係して命名された町の名前がフローレンティアになった.これはプリニウス(これも原音に近いのはプリーニウスだが慣用に従う)やフロールス(これが原音に近いが,音引き省略のフロルスは言いにくい)などの紀元後の古典には出てくる地名だそうだ. したがって,英語風のフローレンスはもとのラテン語の発音に近い. イタリア語にもフィオレンツァという古風な言い方もあり,この方が「花」に近い.今でも「フィレンツェの」という形容詞はフイオレンティーノで,この女性形のフィオレンティーナはサッカー・チームの名称としてとして私たちにも馴染み深い. ![]() ギリシア人が地中海世界に多くの植民都市をつくって栄えたが,その中でも本土のアテネと並び称されるほど栄え,プラトンが海を越えて三度も足を運んだシュラークーサイのことだ.牧歌詩人のテオクリトスや科学者のアルキメデス(アルキメデース)が出たことでも知られる. 現在でもシチリア島※の中の有力な都会だが,古代ほど栄えてはいない.中世以降は,やはり古代からの都市パレルモがシチリアの首邑である. ラテン語ではシュラークサーサエになるが,長音なしのギリシア語シュラクサイもラテン語シュラクサエも言いにくい.抵抗はあるが,私は「シュラクサイ」と表記することにしている (※シチリアは,古代ギリシア語でシケリアー,ラテン語ではシキリア,イタリア語ではシチーリアとなり,英語風のシシリーという人もいるが,私はこのように表記することにしている)
![]() 私も迷いながら,画家の名前をロレンツォ・モーナコとか,ピエーロ・ディ・コージモとか表記してきた.専門家にとってはなじみのある名前だろうが,素人の私にとってはこちらに来て初めて聞く名前だから,「慣用」も何もないので,とりあえず,学校で習ったイタリア語風の発音で表記することにした. けれども,たとえば私たちはモナコという国名を日本語で使う.モナコ公国で何語が話されているか今知らない(ウィキペディアの日本語版ですぐ調べられるだろう)が,地名のもとはイタリア語のモーナコだろう.これは英語のマンクと同じで,修道士という意味からきているだろうし,もとをたどればギリシア語のモナコス(単身の)で,修道士は独身だからなのか,人と交わらないからかはすぐにはわからないが,なにせ「一人の,一つの」を意味する古代ギリシア語に遡ることは間違いないだろう. これも調べてみないとわからないが,多分画家のモーナコは苗字ではなく,修道士だったからそう呼ばれるのではないかと想像している.ちなみにイタリア語でモーナコというと修道士という普通名詞のほかに,地名のモナコが二つある.モナコ公国とドイツのミュンヘンだ.後者はモーナコ・ディ・バヴィエーラ(バイエルンのモナコ)とも言うらしい. ![]() 以下のリストで,題名だけではわかりにくいので,Web Gallery of Art にある作品はリンクしてあるが,その全ての画像が良いわけではない.しかし,画像があると作品の雰囲気は知ることができる.題名と年代は基本的にガイドブックのものを使っているが,場合によっては簡単に言い換えるか,Web Gallery of Art にある情報によって補っている.もちろん詳しくは専門書を参考にするしかないだろう. 先日ウフィッツィ美術館で,印象に残った作品は,
![]() 空に輝くマルゾッコの雄姿 (ウフィッツィ美術館より撮影) 先日確かに見たのだけれど,あまり注目せず,今度こそじっくり見たい作品は,以下の通りだ.
最後の画家についても何の知識もないが,よく授業でアエネアス伝説を説明するときに使わせてもらう,「落城するトロイアから亡命するアエネアス」(ボルゲーゼ美術館)を書いた画家のようだ.
![]() ウフィッツィ美術館の「地上階」(こちらでは,私たちの感覚で1階にあたるところをピアーノ・テッラ,もしくはピアンテッレーノと言い,日本で言う2階は「1階」プリーモ・ピアーノ,3階は「2階」セコンド・ピアーノになる)にもと教会のサン・ピエール・スケラッジョの間と言うのがあり,そこに他所から移されてきた一連のフレスコ画があったらしいが,気づかず,見逃した.ガイドブックに写真があるのは3つである. アンドレーア・デル・カスターニョ「トミリス女王」(1449−50頃) 同「ヒッポ・スパーノの肖像」(1449−50頃) 同「ペトラルカの肖像」(1449−50頃) なおガイドブックにはないが,このコーナーには「ダンテの肖像」,「ボッカッチョの肖像」,「シビュラの肖像」などもあるようだ. 以下は見られなかった作品で,レオナルドの「受胎告知」は日本に出張中で,ルーベンスとレンブラントのある部屋(ベラスケスはもしかしたら見たかも知れない)はその日は閉まっていた.その他は修復中ということらしい. ピエーロ・デッラ・フランチェスカ「ウルビーノ公爵夫妻の肖像」(1467−70頃) 同「バッティスタ・スフォルツァとフェデリーゴ・ダ・モンテフェルトロの勝利の馬車」(1467−72) レオナルド「受胎告知」(1475−80頃) ラファエロ「ヒワの聖母」(1505−6頃) ルーベンス「勝利」(アンリ4世のパリ入城)(1627−30) 同「イザベラ・ブラントの肖像」(1625頃) ベラスケスと工房「スペイン王フェリペ4世の騎馬像」(1645頃) レンブラント「若き頃の自画像」(1634頃) ガイドブックに写真のなかった作品で,一応見たと思われる作品は,以下の通りだが,確信はない.Web Gallery of Art で有名な作家を検索していて,ウフィッツィ蔵とあるのに気づいたものだけである. ボッティチェルリ「メーラグラーナの聖母」(1480頃) 同「受胎告知」(フレスコ画)(1481) 同「カステッロの受胎告知」(1489−90) 同「聖母子と4人の天使と6人の聖人」(1488頃) 同「聖アウグスティヌスの幻視」(1488頃) 同「墓のキリスト」(1488頃) 同「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」(1488頃) 同「聖イグナティウスの心臓摘出」(1488頃) 同「ロッジアの聖母」(1467頃) 同「聖母子」(1469−1470) 同「バラ園の聖母子」(1469−1470) 同「僧房の中の聖アウグスティヌス」(1490−94) 同「東方三博士の礼拝」(1500年頃) 同「パトモスの聖ヨハネ」(1490-1492) 同「僧房の聖アウグスティヌス」(1490-1492) ![]() 同「悔い改める聖ヨハネ」(1490-1492) 同「エリギウスの奇跡」(1490-1492) ラファエロ「自画像」(1506) ティツィアーノ「エレオノーラ・ゴンザーガの肖像」(1538頃) ![]() 今日は記念すべき日として,初めて2人で外食した.同じ通りに「李慶餘飯店」という中華料理店があるのが前から気になっていて,記念日は行こうと言っていた.念願かなって今日行ったが,きれいな店で満足の行く味の上に,安かった.2人のコースにチンタオ・ビール1本にチップも含めて40ユーロ.ささやかな贅沢をしたが,中華料理のスープは幸せな気持ちにしてくれる.また行こう. |
本日のドゥオーモ ウフィッツィ美術館のバールから |
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