フィレンツェだより
2007年4月26日



 




リベルタ広場の近くの教会



§ウフィッツィ,次回に備えて予習復習

ウフィッツィ美術館のブックショップで買った日本語版ガイドブック,

 グローリア・フォッシ,松本春海(訳)『ウフィッツィ美術館』(フィレンツェ,ジュンティ・グループ出版社,1998年)

を参考にして,自分の頭を整理してみたい.


 これは「文化財・文化活動省 フィレンツェ美術館特別監督局」の名前が入っているので,公式ガイドブックといって良いのだろう.このあいだ紹介したサン・マルコ美術館,アッカデーミア美術館のものと同じシリーズの本だ.

 作品数の多い美術館だと,この大きさでは若干不満が残るが,携帯にちょうど良い大きさで便利なので喜んで買った.今度行った時は少し大きめの情報量の多い英語版を買うかも知れない.



 作家名や題名のカタカナ表記は,基本的にガイドブックに従っているが,いちいち確認していないので,原則どおりでない場合もある.イタリア語の日本語表記も古典語に劣らず難しい.

 古典語の場合は,長母音をその通り表記するかどうかで悩む.慣例ならソクラテスというところを,長音にこだわればソークラテースになるが,「ラ」の上にアクセントがあることまではカタカナでは表せない.

 しかも,「ソクラテスよ」という場合は「ソークラテス」となって,アクセントは「ソ」の上にある,さらに「ソクラテスを」は「ソークラテー」になり,第3変化名詞の単数の対格語尾は「ア」であることが多いが,語幹の「エ」と約音して「エー」になるとか,それを知識として知っていても,何の説明もなくカタカナだけで表すことはまず無理だろうし意味がない.

 どっちみち日本語の名詞それ自体は格変化しないので,単数・主格のソークラテースだけを使えばよく,「ソークラテースよ」,「ソークラテースを」と言えばよいだけのことかも知れないが,間延びした印象は免れないので,長音を表す音引きをやめ単純に「ソクラテス」にしてしまう.

 しかし,ソクラテスは良いが,ムーサ(複数ムーサイ)はムサ(ムサイ)ではおかしいだろうと言う人もいて,一律に音引き省略で済ますわけにもいかないかも知れない.

そこで便利なのが,「原則として音引きを省略し,場合によっては慣例に従う(アテーナイではなく,アテナイもしくはアテネ)」というやり方にすることだ.


 私はユノは抵抗があるので,ユーノーはユノーと表記するが,同じ女神のギリシア名ヘーラー(イオニア方言ならヘーレー)をヘラー,ヘレーだとくどいような気もするので,ヘラにしてしまったりする.

 長音は早いうちにやめたが,促音はしばらく残した.カトゥッルスとか言っていたが,ユッピテルよりはユピテルの方が響きが良いように思えて,カトゥッルスもカトゥルスにした.カトゥールスという人物がいれば,同じカトゥルスになってしまうが,この程度のことはやむを得ないと思う.もともと短い「カトゥルス」も有名な家名としてあるので面倒くさいが,一般的な文学史のレヴェルでは,詩人のカトゥルス(カトゥッルス)以外は必要ないだろうから構わない.

 ちなみに私はムーサはムサとは表記せず,慣用と称してムーサもしくは英語風のミューズと言ったり書いたりしている.



 イタリア語は現実に話している人が大勢いる言葉だから,問題はないだろうと思っていた.しかし,たとえば有名な「ピサの斜塔」(ワープロでも一発変換する)のピサは古くからの有名な街だが,これをどう表記し,どう言うかは長い間迷った.習ったイタリア語の原則を優先すればピーザになるが,ピーサという発音もありだろう.ピザになると日本語ではピッツァを意味するからややこしい.したがって,日本語表記ではピサでも良いかなと思う.これが「慣用」というやつだ.

 これが意外にばかにできない.たとえば,日本語でローマは問題ないし,むしろロマだと最近は昔ジプシーといっていた人たちを指すので,胸をはってローマと表記する.ミラーノ,ナーポリ,ジェーノヴァと書いたら,ペダンティックだとは思うが,通常ミラノ,ナポリ,ジェノヴァと言っている都市に同定できるだろう.

 しかし,パレールモとかヴェネーツィアになると,抵抗感だけでなく,そこまでしなくてもと思ってしまうかも知れない.

 そもそもヴェネツィアは英語風のヴェニス,それも「ウ」に濁点は日本語表記になじまないとしてベニスという人も多いから,余計にややこしい.さすがにフィレンツェは英語風のフローレンスはかえってペダンティック(これもペダンチックと表記した方が良いだろうか)な感じがする.

 イタリア語で「花」はフィオーレで男性名詞だが,ラテン語でも男性名詞のフロースで,「花の」というときにフローリスになって変化形にはrが出てくる.そこで「花」と関係して命名された町の名前がフローレンティアになった.これはプリニウス(これも原音に近いのはプリーニウスだが慣用に従う)やフロールス(これが原音に近いが,音引き省略のフロルスは言いにくい)などの紀元後の古典には出てくる地名だそうだ.

 したがって,英語風のフローレンスはもとのラテン語の発音に近い.

 イタリア語にもフィオレンツァという古風な言い方もあり,この方が「花」に近い.今でも「フィレンツェの」という形容詞はフイオレンティーノで,この女性形のフィオレンティーナはサッカー・チームの名称としてとして私たちにも馴染み深い.

 フィレンツェという地名を聞いたことのない日本人は少ないだろうが,シラクーザとなると知らない人の方が多いかもしれない.

 ギリシア人が地中海世界に多くの植民都市をつくって栄えたが,その中でも本土のアテネと並び称されるほど栄え,プラトンが海を越えて三度も足を運んだシュラークーサイのことだ.牧歌詩人のテオクリトスや科学者のアルキメデス(アルキメデース)が出たことでも知られる.

 現在でもシチリア島※の中の有力な都会だが,古代ほど栄えてはいない.中世以降は,やはり古代からの都市パレルモがシチリアの首邑である.

 ラテン語ではシュラークサーサエになるが,長音なしのギリシア語シュラクサイもラテン語シュラクサエも言いにくい.抵抗はあるが,私は「シュラクサイ」と表記することにしている

(※シチリアは,古代ギリシア語でシケリアー,ラテン語ではシキリア,イタリア語ではシチーリアとなり,英語風のシシリーという人もいるが,私はこのように表記することにしている)



 脱線が長くなってしまったが,たとえばコージモ・デ・メーディチと言われたら,慣用でコジモ・デ・メディチと表記している人物だとなかなかピンと来ないし,ピンときても抵抗があるのはやむを得ないだろう.

 私も迷いながら,画家の名前をロレンツォ・モーナコとか,ピエーロ・ディ・コージモとか表記してきた.専門家にとってはなじみのある名前だろうが,素人の私にとってはこちらに来て初めて聞く名前だから,「慣用」も何もないので,とりあえず,学校で習ったイタリア語風の発音で表記することにした.

 けれども,たとえば私たちはモナコという国名を日本語で使う.モナコ公国で何語が話されているか今知らない(ウィキペディアの日本語版ですぐ調べられるだろう)が,地名のもとはイタリア語のモーナコだろう.これは英語のマンクと同じで,修道士という意味からきているだろうし,もとをたどればギリシア語のモナコス(単身の)で,修道士は独身だからなのか,人と交わらないからかはすぐにはわからないが,なにせ「一人の,一つの」を意味する古代ギリシア語に遡ることは間違いないだろう.

 これも調べてみないとわからないが,多分画家のモーナコは苗字ではなく,修道士だったからそう呼ばれるのではないかと想像している.ちなみにイタリア語でモーナコというと修道士という普通名詞のほかに,地名のモナコが二つある.モナコ公国とドイツのミュンヘンだ.後者はモーナコ・ディ・バヴィエーラ(バイエルンのモナコ)とも言うらしい.

 閑話休題.

 以下のリストで,題名だけではわかりにくいので,Web Gallery of Art にある作品はリンクしてあるが,その全ての画像が良いわけではない.しかし,画像があると作品の雰囲気は知ることができる.題名と年代は基本的にガイドブックのものを使っているが,場合によっては簡単に言い換えるか,Web Gallery of Art にある情報によって補っている.もちろん詳しくは専門書を参考にするしかないだろう.

 先日ウフィッツィ美術館で,印象に残った作品は,

ジョット オンニサンティの聖母
(1310頃)
「バディアのポリプティック」
(1300頃)
パオーロ・ウッチェッロ サン・ロマーノの戦い
(15世前半から半ば)
 
フラ・アンジェリコ 聖母戴冠」(1435頃)  
フィリッポ・リッピ 聖母子と二天使
(1465頃)
聖母戴冠」(1439−47頃)
(協力者)
フィリピーノ・リッピ 聖母子と聖人たち」(1485頃) 東方三博士の礼拝」(1496)
ボッティチェルリ メダルを持つ若者の肖像
(1470年代)
剛毅」(1470頃)
マニフィカトの聖母
(1480年代前半)
東方三博士の礼拝
(1475頃)
ヴィーナスの誕生」(1484頃) 」(1482頃)
パラスとケンタウロス  
ドメニコ・ギルランダイオ 玉座の聖母と天使と聖人」(1480頃) 
ヴェロッキオ & レオナルド キリストの洗礼」(1470年代)  
レオナルド 東方三博士の礼拝」(1481)  
ペルジーノ ピエタ」(1490年代前半) 聖母子と聖人たち」(1493)
ピエロ・ディ・コジモ キリストと御托身」(1498−1505頃) アンドロメダの解放
(1510−13頃)
ポントルモ 老コジモの肖像」(1519−20頃)   
ロッソ・フィオレンティーノ 奏楽の天使」(1521)  
ブロンズイーノ エレオノーラ・トレドと息子ジョヴァンニの肖像」(1545頃)
ロレンツォ・ディ・クレーディ 受胎告知」(1480−85頃)  
ルーカス・クラナッハ(父) アダムとエヴァ」(1528)  
ミケランジェロ 聖家族と幼い洗礼者ヨハネ」(トンド・ドーニ)(1506−8頃)
リドルフォ・デル・
ギルランダイオ(推定)
「肖像画のカバー」(1510頃)  
フラ・バルトロメオ 受胎告知/神殿奉献と降誕」(1497頃)
ラファエロ 教皇レオ10世と枢機卿ジュリオ・デ・メディチとルイージ・デ・ロッシ
(1518)
アンドレア・デル・サルト ハルピュイアの聖母」(1517)  
ティツィアーノ フローラ」(1515−7頃) ウルビーノのヴィーナス」(1538)
ピオンボ アドニスの死」(1512)  
パルミジャニーノ 聖母子と聖人」(1550頃) 長い首の聖母」(1534−39頃)
ヴェロネーゼ 聖ユスティナの殉教」(1570−75頃)  
ティントレット 「レダと白鳥」(1550−60頃)  
ヴァザーリ 「ウルカヌスの鍛冶場」(1564頃)  
フォンテーヌブロー 一派 「入浴する二人の女」(16世紀後半)  
フランソワ・クルーエ 「フランス王フランソワ1世の騎馬像」(1540頃)
ロレンツォ・ロット スザンナの貞操」(1517)  
ジョヴァンニ・バッティスタ
モローニ
「スアルド伯爵の肖像」(1563)  
ゴヤ チンチョン伯爵夫人マリア・テレーザの肖像」(1798頃)
カナレット ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿の風景」(1755以前)
カラヴァッジョ バッカス」(1596−1600頃) 同「イサクの犠牲」(1592-1604頃)
メドゥーサ」(1592-1600頃)  
グイド・レーニ ゴリアテの首を提げるダヴィデ」(1605頃)
(画像は同じ作家のルーヴル所蔵の絵)



空に輝くマルゾッコの雄姿
(ウフィッツィ美術館より撮影)





 先日確かに見たのだけれど,あまり注目せず,今度こそじっくり見たい作品は,以下の通りだ.



チマブーエ サンタ・トリニタ教会のマエスタ」(全体像)(1280-90頃)
ドゥッチョ・ディ・ポニンセーニャ マエスタ」(1285頃)  
シモーネ・マルティーニ
&リッポ・メンミ
受胎告知」」(1333)  
アンブロージョ・ロレンツェッティ 聖ニコラウスの四物語1」(1330-32頃)
「福者ウミルタの祭壇画」
(1340頃)
 「神殿奉献」(1342)
サンタ・チェチリアの師匠(?) 聖チェチリアの生涯」(1304以降) 
ベルナルド・ダッディ サン・パンクラツィオのポリプティク」(1342頃)
ジョッティーノ ピエタ」(1360-65頃)  
アンドレーア・ディ・チョーネ
(通称オルカーニャ)
&ヤコポ・ディ・チョーネ
聖マタイのトリプティク」(1368-68頃) 
ロレンツォ・モナコ
&コジモ・ロッセッリ
東方三博士の礼拝」(1420-22頃)  
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ 東方三博士の礼拝」(1423)  
マザッチョ&マゾリーノ 聖アンナ・メッテルツァ」(1424頃)  
ドメニコ・ヴェネツィアーノ サンタ・ルチア・ディ・マニョリの祭壇画」(1445頃)
フィリッポ・リッピ ノヴィツィアート祭壇画」(1445頃)  
アントーニオ
&ピエーロ・デル・ポッライウォーロ
聖ヤコブ,聖ヴィンケンティウス,聖エウスタキウス
(1466-68頃)
アントーニオ・ポッライウォーロ 貴婦人の肖像」(1475頃)  
ヘラクレスとアンタイオスヘラクレスとヒュドラ」(1475頃)
ボッティチェルリ ユディトの帰還ホロフェルネスの遺骸の発見」(1470-72頃)
サンタブロージョの祭壇画」(1470頃)
誹謗」(1495頃)  「聖母戴冠」(1488-90頃)
アンドレア・デル・サルト 「ペトラキーノを持つ貴婦人の肖像」(1528頃) 
ブロンズィーノ ルクレツィア・パンチャティキの肖像」(1541頃)
サルヴィアーティ 慈愛」(1543-45頃)  
ルーカ・シニョレッリ 「聖家族」(1584-90頃)  
ペルジーノ フランチェスコ・デッレ・オペレの肖像」(1594)
デューラー 東方三博士の礼拝」(1504)  
ベッリーニ 聖なる寓意」(1487-1501頃)  
ジョルジョーネと協力者 モーセの火の試練」(1502-5頃) 「ソロモンの審判」
(1502−8頃)
アンドレーア・マンテーニャ 「キリスト昇天と割礼」
(1462-70頃)
「東方三博士の礼拝」
(1462頃)
コレッジョ 幼子イエスを礼拝する聖母」(1524-26頃)
マリオット・アルベルティネッリ 聖母のエリザベト訪問」(1503)  
ロッソ・フィオレンティーノ 聖母子と聖人たち」(1518)  
ポントルモ エマオの晩餐」(1525)  
ブロンズィーノ 聖家族と幼い洗礼者ヨハネ」(1540頃)
ドッソ・ドッシ 妖術(ヘラクレスの寓意)」(1535-38頃)
ルドヴィーコ・マッツォリーノ 「嬰児虐殺」(1525頃)  
フェデーリコ・バロッチ 民衆の聖母」(1579)  


 最後の画家についても何の知識もないが,よく授業でアエネアス伝説を説明するときに使わせてもらう,「落城するトロイアから亡命するアエネアス」(ボルゲーゼ美術館)を書いた画家のようだ.


今日はエッセルンガに行く途中,リベルタ広場の周辺を少し歩いた.
広い並木道は車が多く,空き地にはバラの花が咲き始め,見知らぬ教会がひっそりとある.イタリアの春だなあと思った.


 先日は何らかの事情で見られなかったが,いつかは見たい作品は,以下の通りである.

 ウフィッツィ美術館の「地上階」(こちらでは,私たちの感覚で1階にあたるところをピアーノ・テッラ,もしくはピアンテッレーノと言い,日本で言う2階は「1階」プリーモ・ピアーノ,3階は「2階」セコンド・ピアーノになる)にもと教会のサン・ピエール・スケラッジョの間と言うのがあり,そこに他所から移されてきた一連のフレスコ画があったらしいが,気づかず,見逃した.ガイドブックに写真があるのは3つである.

 アンドレーア・デル・カスターニョ「トミリス女王」(1449−50頃)
 同「ヒッポ・スパーノの肖像」(1449−50頃)
 同「ペトラルカの肖像」(1449−50頃)

 なおガイドブックにはないが,このコーナーには「ダンテの肖像」,「ボッカッチョの肖像」,「シビュラの肖像」などもあるようだ.

 以下は見られなかった作品で,レオナルドの「受胎告知」は日本に出張中で,ルーベンスとレンブラントのある部屋(ベラスケスはもしかしたら見たかも知れない)はその日は閉まっていた.その他は修復中ということらしい.

 ピエーロ・デッラ・フランチェスカ「ウルビーノ公爵夫妻の肖像」(1467−70頃)
 同「バッティスタ・スフォルツァとフェデリーゴ・ダ・モンテフェルトロの勝利の馬車」(1467−72)
 レオナルド「受胎告知」(1475−80頃)
 ラファエロ「ヒワの聖母」(1505−6頃)
 ルーベンス「勝利」(アンリ4世のパリ入城)(1627−30)
 同「イザベラ・ブラントの肖像」(1625頃)
 ベラスケスと工房「スペイン王フェリペ4世の騎馬像」(1645頃)
 レンブラント「若き頃の自画像」(1634頃)

 ガイドブックに写真のなかった作品で,一応見たと思われる作品は,以下の通りだが,確信はない.Web Gallery of Art で有名な作家を検索していて,ウフィッツィ蔵とあるのに気づいたものだけである.

 ボッティチェルリ「メーラグラーナの聖母」(1480頃)
 同「受胎告知」(フレスコ画)(1481)
 同「カステッロの受胎告知」(1489−90)
 同「聖母子と4人の天使と6人の聖人」(1488頃)
 同「聖アウグスティヌスの幻視」(1488頃)
 同「墓のキリスト」(1488頃)
 同「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」(1488頃)
 同「聖イグナティウスの心臓摘出」(1488頃)
 同「ロッジアの聖母」(1467頃)
 同「聖母子」(1469−1470)
 同「バラ園の聖母子」(1469−1470)
 同「僧房の中の聖アウグスティヌス」(1490−94)
 同「東方三博士の礼拝」(1500年頃)
 同「パトモスの聖ヨハネ」(1490-1492)
 同「僧房の聖アウグスティヌス」(1490-1492)
 同「受胎告知」(1490-1492)
 同「悔い改める聖ヨハネ」(1490-1492)
 同「エリギウスの奇跡」(1490-1492)
 ラファエロ「自画像」(1506)
 ティツィアーノ「エレオノーラ・ゴンザーガの肖像」(1538頃)


 3月26日の夜フィレンツェに着いたので,滞在2か月目に入った.昨日はいつもより高いワインを開けた.クラシコではないが,キャンティで,レオナルド・ダ・ヴィンチの顔がラヴェルになっているその名もレオナルドという6.95ユーロのワインを,いつものように二人で3分の1飲んで無事を祝った.

 今日は記念すべき日として,初めて2人で外食した.同じ通りに「李慶餘飯店」という中華料理店があるのが前から気になっていて,記念日は行こうと言っていた.念願かなって今日行ったが,きれいな店で満足の行く味の上に,安かった.2人のコースにチンタオ・ビール1本にチップも含めて40ユーロ.ささやかな贅沢をしたが,中華料理のスープは幸せな気持ちにしてくれる.また行こう.





本日のドゥオーモ
ウフィッツィ美術館のバールから