フィレンツェだより |
ヴィラの正門で 上部にはメディチ家の紋章 |
§ポッジョ・ア・カイアーノ
ヴィラの着工は1485年,メディチ家のロレンツォ・イル・マニーフィコが建築家のジュリアーノ・ダ・サンガッロに依頼して建築が始まり,1492年のロレンツォの死で中断したが,ロレンツォの息子である教皇レオ10世によって1520年に完成させられたということだ.広間の大きな壁画にはレオ10世の「偉業」が讃えられていた. メディチ一族をアレゴリカルに描いたフレスコ画は,アンドレーア・デル・サルト,ポントルモ,フランチャビージョ,アレッサンドロ・アッローリによって描かれたと帰宅後参照したウェブ・ページにはあったが,それほどすごいものだとは知らずに見てしまった.
![]() コジモ1世の息子で大公となったフランチェスコ1世は最初の妻ロレーナ(後世,大公家となるロートリンゲン家)のクリスティーナの死後,愛人のビアンカ・カッペッロを大公妃としたが,この別荘での二人の死が一日しか違わなかったので長い間毒殺と噂されたそうだ. 今日見せてもらった一室の壁にビアンカの肖像入りプレートがあったが,あれは何か意味があるのだろうか. その後,メディチ家,ロートリンゲン家のトスカーナ大公たちの別荘として愛好された.19世紀のイタリア統一(リソルジメント)に際し,一時期フィレンツェがイタリア王国の首都となった時期があったが,その時トリノ(トリーノ)から来たサヴォイア王家のヴィットリオ・エマヌエレ2世(ヴィットーリオ・エンマヌエーレ)も滞在を好んだそうだ. ![]() 当初建築を依頼したロレンツォ・イル・マニーフィコの時代の趣味を反映しているのか,入り口はギリシア神殿風で,彩色陶板による装飾も神話的主題で,室内の壁画にもオデュッセウスに助言する女神アテネや,アンドロメダを救うペルセウスと思われる絵柄のものがあった. 小さなパイプオルガンのあるコンサートの間や,ビリヤードの大きな台のある部屋,寝室や浴室その他,当時の(といっても16世紀から20世紀と幅が広いが)大国ではない地方国家の王侯貴族の生活が垣間見え,興味深かった. ただ,栄華の跡,というか過去の豪奢な建築の現在の姿にはどうしても一抹の寂しさが漂う.むしろ,庭に咲く小さな花,地中海風の堂々たる松,開きかけたバラの蕾などが印象に残る. この時期のイタリアの路傍には野生の芥子(ポピー)が真っ赤な花を咲かせている.ラテン語で芥子はパパーウェル(中性名詞なので複数はパパーウェラ)で,古代の作品にもでてくる.イタリア語ではパパーヴェロというそうだ(男性名詞).
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こういう風景が,私はたまらなく好きだ.バルビゾン派の絵画に描かれた風景とはもちろん違うが,明るい日の光の中の,緑豊かで,のどかな田園という意味では共通している.豪奢な邸宅よりもこの景色が好きだ. でも,そもそもメディチ家の別荘がなければここに来て,この風景を見ることはなかったので,別荘を建てさせたロレンツォとレオ10世に感謝しよう.メディチ家は確かに偉大だ. ![]() 老コジモからロレンツォにいたる三代のメディチに保護された思想家のフィチーノが開講したプラトン・アカデミーがあったと言われるカレッジの別荘が見られるなら是非見てみたい.メディチ家に関係する田舎としては,メディチ家発祥と地とされるムジェッロにも行ってみたい. |
![]() 館から庭園に行く途中 回廊にて |
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