フィレンツェだより
2008年3月19日



 




ジュノーネ(ヘラ)神殿
アグリジェント



§シチリア行 - その2

パレルモはフェニキア人が建設した都市でありながら,その名称の語源がギリシア語であることからもわかるように,古代からある程度以上にギリシア文化の影響を受けていた.


 パレルモの州立考古学博物館にはそれを示す展示物が少なからずある.

 一方,第1次ポエニ戦争後にシチリアがローマ支配下の最初の属州となって以後も,フェニキア文化が根強く残っていたことを示す,パレルモ周辺で発掘された展示物も相当ある.

 19世紀以前に王室や貴族のコレクションだったものもかなりあるので,パレルモ以外のシチリア,南イタリアからの出土品も多い.博物館自慢の収蔵品の一つがシチリア南西部のギリシア人植民都市セリヌンテ(セリーヌース)からの出土品だ.

 セリヌンテは,アテネのあるアッティカ地方にあるが,スパルタやコリントスと同じようにドーリス人の町であるメガラからの移住者によって建設された.今も現地にはAからGまでアルファベットで呼ばれるものと,もう一つ,合計8つ神殿の遺跡がある.そのうち神殿E,通称「ヘラ神殿」のみが,私たちが知っている神殿の形に建て直されて,観光ポイントになっているが,交通は相当不便な所のようだ.

 博物館の展示では,セリヌンテの神殿Cと神殿Eのメトープの浮彫,それからどの神殿からのものか不明のメトープの浮彫が見事だった.

 話が長くなるので,ここではとりあえず,神殿Cの「四頭立ての馬車を駆る太陽神」と「メドゥーサを倒すペルセウス」の写真を紹介するにとどめたい.これらは紀元前6世紀のものというから,大変貴重なものだ.ペルセウスの左に立つ女神アテナの衣にはかすかに赤い彩色が残っている.

写真:
セリヌンテの神殿Cのメトープ浮彫
「四頭立ての馬車を駆る太陽神」
写真:
セリヌンテの神殿Cのメトープ浮彫
「メドゥーサを倒すペルセウス」


 貴重なものと言えば,下の写真の「エウロパの誘拐」はどこの神殿のメトープだったかはわからないらしいが,紀元前6世紀半ばのもので,ルネサンス絵画でおなじみの主題の相当に古い作例ということになる.

写真:
「エウロパの誘拐」
紀元前6世紀


 牡牛に変身したゼウスがフェニキアの少女エウロパを誘拐し,海を越えて,自分が育ったクレタ島まで連れて行く.そこでエウロパはクレタ王家の祖ミノスを産み,ヨーロッパの名祖となる.海を渡っていることは,牡牛の下の海豚で表されている.

 ヘロドトスがペルシャ戦争を記述した『歴史』で,アジアとヨーロッパの対立という図式を念頭に置き,それを説明する際にこの神話に言及している.ヘロドトスよりも100年以上,ペルシャ戦争よりも半世紀以上前の作品だ.



 他にもトスカーナ州のシエナ近傍のキウージで出土したエトルリア人の遺物がかなりある.キウージ近辺に土地を所有していたカズッチーニ伯爵のコレクションとのことだ.

 私たちにはおなじみの骨灰棺もあったが,石棺の浮彫彫刻が見事だった.フェニキア人の遺物では紀元前1世紀のローマ人に支配された時代の祠型の墓碑が,彩色された絵が残っていて興味深かった.

 ブロンズ像,大理石像,壺絵,皿絵にも立派なものが少なくなかったが,紀元後3世紀の新しいものではあるが,ローマ時代のモザイクの床装飾に見応えがあった.

 特に海神ネプトゥヌスの絵のあるものと,中心に楽を奏して動物たちを魅了するオルフェウスが描かれたものが見事だった.

写真:
モザイクの床装飾
楽を奏でるオルフェウスと
集まって聴き入る動物たち



アグリジェント
 ロドス島とクレタ島からの移住者によって,紀元前689年に植民都市ジェーラ(ゲラ)が建設されたが,そのゲラから紀元前581年に分かれたのがアグリジェント(アクラガス)だ.今回の旅行コースにアグリジェントは最初から組み込まれていた.「神殿の谷」(ヴァッレ・デーイ・テンプリ)は入場料を取って見学させる考古学公園になっている.

 旅行3日目の3月13日,パレルモから自動車でアグリジェントに向かった.

 山間の台地も開墾されて牧草地や畑になっており,羊や牛の群が所々に見られた.大きな岩が遠くからは草を食む羊と見まごう程小さく春の緑の中に点在している様子は,のどかでもあり雄大でもある.ハイスピードの車中なので写真を撮れなかったのが残念だが,絶景の多いシチリアでも特に美しい風景に思えた.

 シチリア島北岸のパレルモから南岸のアグリジェントに向かって内陸部を突き抜けて走り,海が見えてきた頃,右手の丘の上にジュノーネ(ヘラ)神殿が見えた.遠目にも見事だった.考古学公園の入口で降ろしてもらい,このヘラ神殿から見学を始めた.

 ヘラ神殿から,整備された道をゆるやかに下っていくと,通称コンコルディア(協和の女神)神殿(名称は,発掘されたラテン語碑文断片に拠っており,神殿自体はギリシア神殿)が見えてくる.前5世紀の神殿だが,おおよその形が再建されている.

写真:
コンコルディア神殿


 少し先に進むと,列柱だけを立て直したヘラクレス神殿があり,これを見てから,一旦出口を出て,道路を隔てた別の入口から,もう1つのエリアに再入場した.考古学公園は道路を挟んで2つのエリアに分かれていて,それぞれ入場口がある.

 もう一つのエリアではジョーヴェ(ゼウス)神殿,ディオスクロイ神殿などを一通り見学した.双子座として知られるディオスクロイ(カストルとポリュデウスケス)の神殿の傍には,デメテルとコレ(ペルセポネ)の聖域が見られる.

写真:
アグリジェンの考古学公園
デメテルとコレ(ペルセポネ)の聖域


 ペルセポネがエトナ山の裾野のエンナの花園で花を摘んでいるとき,叔父の冥界の王ハデスにさらわれ,その妃となった.彼女の母で,穀物の神であり大地母神でもあるデメテル(デーメーテール=デー「大地」+メーテール「母」)がそれを悲しみ,大地が実りを産み出さなくなったので,神々の王ゼウスの仲介によって,定期的にペルセポネが母のもとに帰ることになった.その時はデメテルの悲しみが晴れて,地には花が咲き,穀物が実るようになる.季節の循環を説明する神話だ.

 この舞台がいつからシチリアとされたのかはわからないが,アグリジェントに女神たちの聖域があるのはシチリアのギリシア人都市にふさわしいように思える.

 ゼウス神殿の遺構で,リュックを背に一人でぐいぐい歩いている小柄なドイツ語話者の年配の女性に出会った.照りつける日射しの中を,キビキビと熱心に見て回っている姿が印象的だった.翌日シラクーザの考古学公園でも,この女性に出会った.どうも向こうも私たちのことを覚えていたようだ.妻はいたく感動したようで,将来はこの人のようになりたいと言っている.

 柵で囲われた考古学地区を出て,外にある「テローネの墓」の周辺を見てまわった.春の花が咲いて美しく,のどかな風景だったが,道路は車の交通量が多く,歩道がないので散策には注意が必要だ.



 予約してもらっていたレストランで昼食を採り,考古学地区からやや離れたホテルにチェックインした後,バスでもう一度考古学地区に戻り,今度は国立考古学博物館を見学した.

 ゼウス神殿を支えていた人型の巨大な柱が展示されていて,これは壮観だった.

写真:
巨人の柱の横に立って


 壺絵,皿絵,石像,石棺にも見るべきものが多く,殆どはアグリジェントで出土したものだが,母市ジェーラで発掘された「アマゾン族の女王と戦うアキレウス」の絵がある壺が大きくて見事だった.

写真:
「アマゾン族の女王と戦う
アキレウス」の絵がある壺


 有名な大理石像「青年」と,シチリアのあちこちで土産物になっている頭の周りに膝を曲げた三つの脚がある人物像(トリナクリア)の原型とも言うべき前7世紀の絵皿は特別展に出張中で見られなかった.

 考古学博物館のある建物は,旧修道院の一部を使ったもので,隣にはその修道院の教会であるサン・ニコラ教会もある.修道院と教会は中世からのものだが,同敷地には古代の遺跡もあり,アクラガスの僭主ファラリスの祈祷所と呼ばれる建物と,円形劇場型の市民集会所の遺構が見られる.

 幾つか見なかった遺跡もあるが,主なものは見て,体力を使い果たして帰路に着いた.


人情に出会って
 行きも帰りもホテルで教えてもらった路線バスを利用したが,行きの時,同じバス停から乗って,親切にも考古学博物館の前でちゃんと降りられるように気配りをしてくれた男性が,偶然,帰りのバスでも一緒だった.おまけに運転手さんも行きと同じ人で,乗り込むときにホテル名を言うと,その近くのバス停で降りられるように取り計らってくれた.

 親切にしてくれた人も同じバス停で降りた.歩き出してしばらくして振り返って見ると,私たちがちゃんと宿の方向に行くどうか,通りの向こうから見守ってくれていた.「ありがとうございます」と言っても,シャイな感じで,後ろ向きに手を振るだけで,このあたりのメンタリティは日本人と共感しあえるかも知れない.

 のどかな風景で,人情の豊かなアグリジェント滞在は1日だけだったが,忘れがたい思い出となった.

写真:
神殿の柱の間から
眼下に野原を眺める


 アグリジェントの「神殿の谷」は何度か訪れる価値があるだろう.

 しかし,夏は避けたほうが良いと思う.フィレンツェはまだ春先なのに,シチリアの太陽は3月でも強烈な光線を発し,私は日焼けして顔がヒリヒリした.東北人の私は,夏に行ったら生きて帰れないような気がする.

 観光シーズンには大型バスでたくさんの人が乗り込んできて,交通量も大変なものになるだろう.アグリジェントは花が美しく咲き誇る3月が最高だと勝手に思い込んでいる.

 ギリシア植民都市時代のアグリジェントから有名な人物が出ている.もしかしたらエトナ山に身を投じたかも知れない詩人哲学者のエンペドクレスだ.彼の銅像が中世・近代地区の市街地にあるらしいが,今回はホテルが市街地から遠かったので見ていない.

 ノーベル賞作家のルイージ・ピランデッロもアグリジェント出身とのことで,郊外に記念館になっている彼の家があるそうだが,ここも今回は訪ねていない.





春の風景の中に
エルコレ(ヘラクレス)神殿