フィレンツェだより
2008年3月10日



 




雨に煙るローマ
サヴェッロ公園より



§4度目のローマ行

ミラノから帰ってきた翌々日の3月7日,再びローマに行った.きっかけはプラートのアルベルティ美術館に電話したことだった.


 この美術館のことはストロッツィ宮殿前の露店古本屋で買ったケルビーニ&バルディーニ『トスカーナ 新しい千年紀』で知った.それによれば,ここにはカラヴァッジョ「荊冠のキリスト」,ジョヴァンニ・ベッリーニ「キリスト磔刑」,フィリッポ・リッピ「聖母子」があるらしい.大変魅力的に思えた.

 日本語のウェブサイトのイタリア旅行記でも,ここでベッリーニに感動したという報告があり,それなりに知られた美術館のようだ.

 インターネットの「プラート市とプラート県の美術館・博物館」でこの美術館に関する情報が得られ,要予約ということで開館時間とともに電話番号が記載されていた.ローマから帰ってきて,ミラノに行くまでに数日間があったので,できれば2月28日の金曜日に行きたいと思い,その前日に予約電話をした.

 すると,「カラヴァッジョとベッリーニはローマの特別展に出ていて,6月まで戻って来ません.では6月に会いましょう」ということだった.

 ローマには2月に行ったばかりだ.しかも,会場であるコルソ通りのルスポリ宮殿の前は,滞在1日目に通った.もし,その時点で行われていたのなら,大変残念なことをしたように思えた.

「6月に会いましょう」と言われても,6月にはもういない.もちろん何年か後に,日本から再びプラートを訪ねるという選択肢もあるわけだが,ここは少し冷静になって,とりあえず,その特別展に関する情報を探すことにした.


 インターネットでルスポリ宮殿のページを見つけ,現在開催中のイベントをチェックしたところ,それが「ヴィチェンツァ国民銀行グループ所蔵コレクションの絵画」という特別展であり,「帰ってくる傑作群」(と訳して良いのかどうか)という副題が付されていることを知った.現在はプラート貯蓄銀行所蔵の上記の作品も,間違いなく展示されるということも確認できた.

 ミラノ行の後は,6泊7日のシチリア大旅行が控えている.随分迷ったが,結局「行ってみよう」ということになり,ユーロスターの乗車券を購入したのが3月3日だった.

 この時点で,帰りの列車はタリッファ・アミーカ(早割)が売り切れていて,行きは割引料金,帰りは通常の2等乗車券で合計136.8ユーロ,1ユーロ160円で計算すると日本円で21888円,日帰りの少し贅沢な旅をすることになった.

 ついでに,前回見残したサンタ・サビーナ教会,サンタ・マリーア・デッレ・ヴィットーリア教会,マッシモ宮殿国立博物館を見ることにして,疲れ気味の足を引きずってローマに向けて出発した.



 この日は最初からトラブルに見舞われた.駅で電車を待っていると,予定のユーロスターがサンタ・マリーア・ノヴェッラ駅に入らないという放送が流れた.どうなることかと思ったが,係員に誘導されて,リヴォルノ行きのローカル線で,1駅先のフィレンツェ・リフレーディ駅まで行き,そこに待機していた予定のユーロスターに乗りこむことができた.ここまでのプロセスで相当しんどい思いをしたが,手探りで何とかなった.

 電車は30分近く遅れてローマに着いた.雨が降っていた.天気予報で分かってはいたが,予想以上に降っていた.

 地下鉄B線に乗り換え,コロッセオの次のチルコ・マッシモ駅で降り,サンタ・サビーナ教会を目指して,瀟洒な住宅地の続くアヴェンティーノの丘(モンス・アウェンティヌス)を登り始めた.私たちが登る6番目の「7つの丘」だ.

写真:
雨に濡れるチルコ・マッシモ
とパラティーノの丘の遺跡



サンタ・プリスカ教会
 途中,小さくて可愛いサンタ・プリスカ教会に寄った.1世紀の殉教聖人を記念して4世紀か5世紀にできた由緒ある教会だが,現在の建物はバロック風のファサードで,もちろん新しい時代に再建されたものだ.

 中央祭壇にはフィレンツェの画家パッシニャーノの祭壇画「聖プリスカに洗礼する聖ペテロ」があり,これは見た.聖具室にはジョヴァンニ・オダッツィの「無原罪の御宿り」があるとのことだが,これは見ていない.しかし,今回のローマ行で,諸方でオダッツィの絵を見ることになるので,新たな学習項目と言って良いだろう.

 古代教会の列柱とペテロが使ったと言い伝えられる洗礼盤もあった.ひっそりとした雰囲気だけを味わって,すぐに辞去した.


サンタ・サビーナ教会
 そこからサンタ・サビーナ教会に向かった.11時半で昼休みに入るようなので,やはり急ぎの拝観になった.創建は5世紀と古いが,13世紀のドメニコ会のローマにおける拠点教会となった.サンタ・プリスカ教会も古代ミトラ教神殿の跡にできたが,サンタ・サビーナ教会のある場所ももともとはユノー神殿のあった所らしい.

 5世紀の木製の扉が残っていて,そこにある「キリスト磔刑」が最古の磔刑図の1つに数えられるものだそうだが,それと思われる扉とパネルの写真は撮ったが,これと同じかどうかは確認できない.

 後陣の立派なフレスコ画は16世紀のタッデーオ・ズッカーリの作品とのことだ.

 ファサードに裏にモザイクが残っており,2人の人物像の間に文字が書かれている.ラテン叙事詩の韻律で記されているらしい.丁度光の射すところで,読みにくいし,読み取る気力がない.写真に収めたので,後日,ゆっくり一文字一文字読み取って,解読したい.

写真:
ファサード裏
モザイクのラテン語


 『地球の歩き方 ローマ』に写真が紹介されている「ドメニコ会総長の墓」のモザイクの墓碑も見たあたりで,修道士さんが入口を閉める準備を始めたので,辞去した.

 今回は「がらんどう」のような寂しい空間に感じられたが,床が立派だし,後陣フレスコも大きくて見事だから,晴れた日にはだいぶ印象が違うだろう.



 アヴェンティーノの丘を降りるとき,オレンジの実がなっているサヴェッロ公園に寄った.

 ここから見えるテヴェレ川と川向こうのトラステヴェレ地区の街並み,ジャニコロの丘,さらにヴァティカンのサン・ピエトロ聖堂のクーポラの眺めは絶景と言えよう(トップの写真).晴れていればもっと良い景色が見られたかも知れないが,雨の日には雨の日の風情がある.

 すぐ脇の石畳の道を通って丘をおり,「真実の口」広場に出た.

写真:
雨に濡れた石畳の坂道
前方を3人の修道女が
歩いていた



オクタウィアの列柱
 広場から交通量の多い道をマルケッルス劇場まで歩き,近くのオクタウィアの列柱(ポルティコ・ディ・オッターヴィア)という古代遺跡を見学した.もともとはアウグストゥスがライヴァルのアントニウスの妻だった姉オクタウィアのために建てたとされるが,3世紀の再建の遺構である.立派なものだ.


国立博物館「クリプタ・バルビ」
 そこから大きなファサードを持つサンタ・カテリーナ・デーイ・フナーリ教会の左脇のミケランジェロ・カエターニ通りを北上し,比較手大きな通りであるボッテーゲ・オスクーレ通りに出ると,右の角に「クリプタ・バルビ」という古代遺跡とその名を冠した国立の博物館がある.

 ここは「マルスの野」(カンプス・マルティウス/カンポ・マルツィオ)の一角で,前1世紀の将軍ルキウス・コルネリウス・バルブスが,前13年のアウグストゥスのローマ帰還を祝して建てた通称「コルネリウス・バルブスの劇場」と言われるものの遺構である.

「コルネリウス・バルブス」と聞くと,私には多少縁がある(他生の縁か?).彼と同じくスペインのカディス(当時はガーデース)出身の同名の叔父(伯父)がローマ市民権の取得をめぐって訴えられ,裁判になったとき弁護したのがキケロだった.その法廷弁論を公表をした『バルブス弁護』が現在まで伝わっており,岩波書店の「キケロ選集」第2巻に収録されている.その翻訳を担当したのが実は私だ.稚拙な訳文で恥ずかしいが,興味のある方は図書館等でお読みいただきたい.


 しかし実際のところは,バルブスに所縁の遺跡であるというよりも,ここが国立の博物館になっていることが,見学の大きな理由だ.ローマの国立考古学博物館は,アルテンプス宮殿,マッシモ宮殿,ディオクレティアヌス浴場跡,クリプタ・バルビがセット券になっていて,10ユーロでこの4箇所が見られる.

 前回はアルテンプス宮殿しか見なかった.今回は,一昨年見たマッシモ宮殿をもう一度見たかったので,新たに一人10ユーロ払うついでに,セットになっているクリプタ・バルビ(バルビ,正確には「バルビー」は「バルブスの」というラテン語の変化形)を訪ねたに過ぎない.サンタ・サビーナ教会と目当てのモストラの会場であるルスポリ宮殿の間にあるということもあった.

 それほど力を入れて見学した訳ではなかったが,結果的に,古代の遺構や出土物,古代末期から宗教施設として使われていた証拠の発掘品など,おもしろいものをたくさん見ることができた.一定時間に見学者を集めて地下遺構も案内してくれる.

写真:
地下遺構の大きな石組み



ルスポリ宮殿の特別展
 クリプタ・バルビを見た後,コルソ通りに出て,ガレリア・コロンナのバールで昼食を採り,さらに北上してスペイン階段から来るコンドッティ通りと交わる西南の角にあるルスポリ宮殿にたどり着いた.

 特別展は入場料1人10ユーロと高めだったが,思ったよりも展示作品も多く,良いモストラだったと思う.エンポリの「十字架の前で祈る聖フランチェスコ」に始まり,対抗宗教改革期のトスカーナ絵画,バッサーノ一族,ティツィアーノ,ティントレットなどヴェネツィア派の佳品も多く見られた.

 目当てにしていたカラヴァッジョの「荊冠のキリスト」はジェノヴァにある模倣作品と並べて展示されていた.真作とは考えられていない時代が長かったようだが,現在はカラヴァッジョ作とする人が多いようだ.圧倒的に感銘を受ける作品ではなかったように思うが,それでも念願の作品を見ることができたので嬉しかった.

 ベッリーニの「キリスト磔刑」はプラートの作品の他にもう1点出品されており,こちらは真作とされるものを2つ並べた展示だった.色が綺麗で端整なプラートの作品に比べて,フィレンツェのコルシーニ宮殿美術館所蔵の作品は,ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿で見た「ピエタ」のキリストを思わせ,苦痛の上に亡くなった迫真性が感じられた.ベッリーニの作品は両方とも見られて良かった.

 意外だったのはフィリッポ・リッピの作品が3点あったことだ.プラートの「聖母子」の他に,以前はフィレンツェのロウザー・コレクションにあったが,様々な変遷を経て,現在は個人蔵の「聖母子」,それと現在はヴェネツィアのジョルジョ・チーニ・コレクションにある「聖母子と聖人たち」である.

 いずれも小さな作品だが,チーニ・コレクションの作品がすばらしかった.多分,今回の特別展で1番良い作品だった.少なくとも私たちの感性に訴える作品だった.リッピの「聖母子」もウフッツィで複数,メディチ・リッカルディ宮殿,エンポリの参事会教会美術館,アレッツォの特別展に来ていたミラノのスフォルツェスコ城絵画館の作品と様々見たが,その中でも感銘度は高いと思った.

ウフィッツィの「聖母戴冠」に描き込まれているリッピの自画像とされる顔を見ても,その顔かたちにこだわりのようなものがあり,丸顔の人物たちに,この画家の愛情のようなものを感じる.リッピの場合も,綺麗な絵より「変な絵」に実力を発揮する人のように思われた.


 パラティーナ美術館でたくさん絵が見られるカルロ・ドルチの「カリタ」を見て,この画家の実力を再認識するというおまけもあった.今,ピッティ宮殿の銀器博物館で特別展をやっているフランチェスコ・フリーニの作品もあった.

 今回のルスポリ宮殿の特別展のポスターには17世紀から18世紀ヴェネツィアの画家ジャン=アントーニオ・ペッレグリーニの「ヴィーナスとキューピッド」(ヴェーネレ・エ・アモーレ)が採用されている.この絵も美しい絵だった.後の時代になるほど,絵はきれいになり,どの絵も技量の高い画家によって描かれたすばらしいものだが,何と言っても数が多いので,今回は開眼するに至っていない.

 ヴェネツィアの近くのヴィチェンツァに本拠のある銀行グループのコレクションが中心ということであれば,いきおいヴェネツィア周辺の画家の作品が多くなるのであろうが,まだまだ私はヴェネツィア派やロンバルディア派よりも,フィレンツェ周辺の画家たちの方が相性が良いようだ.

 それにしても良い特別展だった.定価42ユーロ,会場価格35ユーロ,さらに会員価格25ユーロの立派なイタリア語版カタログを,今回はあきらめきれずに35ユーロで購入した.カラヴァッジョ・ファンの友人へのおみやげになる絵葉書は,ミラノでは「果物籠」は買ったが,今回の特別展の目玉「荊冠のキリスト」の絵葉書は売っていなかった.

 大満足でルスポリ宮殿を辞去して,雨もほぼあがった中,コンドッティ通りをスペイン階段まで歩いた.ここで,一昨年来た時に写真がぼけてしまった「キーツ・シェリー記念館」の外観の写真を撮り直した.

 スパーニャ駅からレプッブリカ駅まで地下鉄に乗り,本日の最終コース,テルミニ駅周辺の見学をスタートした.

写真:
スペイン階段前の広場
右手前の建物が「キーツ・
シェリー記念館」



サンタ・マリーア・デッラ・ヴィットーリア教会
 サンタ・マリーア・デッラ・ヴィットーリア教会では,ジョヴァンニ・ロレンツォ・ベルニーニの「聖テレーザの法悦」を見た.

 堂内には印象に残る絵もあった.聖具室で買った3.5ユーロの英訳版ガイドブックで後で確かめたところグェルチーノの「聖三位一体」だった.ドメニキーノの「聖母子と聖フランチェスコ」もあったが,こちらはさほど印象に残らなかった.

写真:
ベルニーニ作
「聖テレーザの法悦」



サンタ・マリーア・デーリ・アンジェリ・エ・マルティーリ教会
 次に,セット券で入館できる「ディオクレティアヌス浴場跡」博物館に向かったが,途中,サンタ・マリーア・デーリ・アンジェリ・エ・マルティーリ教会も拝観する事にした.

 今回のローマ行で出会ったオダッツィを初めとして,前回のローマ行で出会ったポマランチョなどの大きな絵があり,5ユーロで購入した英訳版ガイドブックに拠れば,ドメニキーノなど有名画家のの作品も複数あるらしいが,ここでは,個々の絵画作品よりも,ともかく教会の大きさに驚く.

 16世紀の教皇ピウス4世,ジョヴァンニ・アンジェロ・メディチの言わば墓として創建された新しい教会だ.彼はフィレンツェのメディチ家とは親戚関係のないミラノ出身の教皇で,聖カルロ・ボッロメーオの母方の伯父にあたり,彼を片腕として教会行政に起用した.対抗宗教改革の時代の教皇だ.

 この教会の設計,建設にはミケランジェロがかかわっており,その壮大な規模には驚かされる.古代の遺跡を利用して建てられたこの教会は一見に値する.今回は時間が無かったが,次回ローマに行くときは,ゆっくり拝観したい.現代芸術の作品も取り入れていて興味深い.


マッシモ宮殿博物館の特別展
 最後に「ディオクレティアヌス浴場跡」博物館と,マッシモ宮殿博物館を見学した.前者は初めて,後者は2度目だ.マッシモ宮殿にある古代彫刻をじっくり見たかったのだが,さすがイタリア,ここでもサプライズがあった.「ポンペイの赤」と題する特別展が開催されており,ポンペイとエルコラーノ(ヘルクラネウム)から出土した古代の壁画をナポリとポンペイから持って来て展示していた.

写真:
特別展会場入口に
展示されていた古代壁画


 本当にすばらしいものだったが,これについて語り始めると,明日からシチリア旅行に行く時間と体力が無くなってしまうので,今日は写真の紹介(最下段)にとどめたい.

マッシモ宮殿常設展示の古代彫刻も見事なものが多い.


 特別展に時間をとられて,古代彫刻の十分な鑑賞ができなかったが,ディオクレティアヌス浴場跡の博物館の展示とともに,後日の楽しみが増えたことになる.ローマ観光では1人10ユーロの共通券で4箇所の考古学博物館を見学するべく,最低1日はそのためにとっておくべきだ.そうしなかった私が言うのも変な話だとは思うが.

 特別展のカタログを会場価格29ユーロ,マッシモ宮殿博物館の大きな英訳版カタログ39ユーロを購入した.クリプタ・バルビ博物館と「ディオクレティアヌス浴場跡」博物館のカタログもマッシモ宮殿で合わせて買おうと思っていたが,マッシモ宮殿では売っていなかった.たまたま売り切れていたのかも知れない.今回のローマ行では,100ユーロを超すカタログ,ガイドブック代を工面してもらった.妻に感謝したい.


フィレンツェの日常もイベントあり
 フィレンツェでは3月1日に中嶋先生のお宅にお招きにあずかり,ご夫妻と歓談,ご馳走を振る舞っていただき,猫たちとも遊ばせてもらった.

 3月9日は,テアトロ・ゴルドーニでストラヴィンスキーのバレエ「ペトルーシュカ」を見るはずだったが,演目が「BBB Bach & Break Beats」に変わっていた.バッハとショパンの曲のピアノ演奏に乗せて,モダン・バレエにブレイク・ダンスも交えたパフォーマンスが繰り広げられた.

 最後にバレエ監督のウラディミール・デレヴィエンコが自ら登場し,なるほど,古典的舞踏になった場合には,「これがロシアとイタリアのレヴェルの差,と言うものか」と思わせる懸絶した踊り(ボリショイのプリーモ・バッレリーノだったそうだ)を披露した.1978年に19歳だったそうなので,私たちとほぼ同年齢だが,大したものだ.体力や技術が衰えても,個人として表現したいものがあって,もしかしたら自分も踊らせてくれるならやっても良いという条件でマッジョダンツァ(フィレンツェ歌劇場バレエ団)のバレエ監督を引き受けたのだろうか.

 難解で退屈な部分もあったが,まあ楽しんで帰ってきた.

 3月8日のペルゴラ劇場はエマーソン四重奏団でおもしろそうだったが,前日ローマで体力を使い果たしたので,聴きに行かなかった.次回はシチリアに行っているし,再来週の土曜日は演奏会が無いので,昨日のゴルドーニ劇場を以って,宮城家のフィレンツェにおける演奏会鑑賞活動は終了したことになる.



 明日から6泊7日で,今回のイタリア滞在の最後を飾るシチリア大旅行に行って来るので,もう終わりに近づいた「フィレンツェだより」をしばらくお休みします.帰国のための準備等で,あるいは不十分なものになるかも知れませんが,最後の数日で,シチリア旅行の報告とフィレンツェとトスカーナにおける活動の報告をしたいと思います.





「ポンペイの赤」の中で


少女の肖像 王の役の悲劇俳優 飛翔している男女
「黄金の腕輪の家」の壁画 パリスの審判 ディドーとアエネアス
西風の神とクロリスの結婚 ヘラクレスとオンパレ マイナスとサテュロス