フィレンツェだより
2008年2月28日



 




ホーン美術館
2階展示室



§再び中休み- フィレンツェの美術館

ローマの報告が2日目の午前中までしかいっていないが,再び中休みとして,別の報告をさせてもらう.


 ウェブページや教えていただいた情報で,ヴェネト州のベッルーノでティツィアーノ展,エミリア・ロマーニャ州のフォルリでグイド・カニャッチ展,シチリア州のトラーパニでカラヴァッジョの特別展が開催されていることを知った.どれも魅力的な特別展で,それぞれ前向きに検討したのだが,時間と体力の点から難しいと判断してあきらめた.

 フィレンツェ滞在も残すところあと少しだ.フィレンツェで見られるものをできるだけ見ておきたいと思っている.ミラノ,シチリアに行く以外は,フィレンツェから日帰りで行ける市内とトスカーナ州内がターゲットになるだろう.


ホーン美術館再訪
 ホーン美術館を再訪したいとずっと思っていたが,寓居からは少し遠いところにあるうえ,閉館が1時と早い.出足が遅れると十分な鑑賞ができないことが難点となって,適当な日程を調整できないままだった.

 26日は天気もまずまずだったので,出遅れ気味ではあったが思い切って行ってみた.

 前回は,ジョットの祭壇画の一部であろう「聖ステパノ」を見ることが主目的だったが,今回は,ジョット以外に,前回それほど興味あるものに思えなかった作品も,もう一度よく見て,名残を惜しみたいと思った.



 ベッカフーミ,ピエロ・ディ・コジモ,ルーカ・シニョレッリ,ドッソ・ドッシ,ロレンツォ・ディ・クレーディと,ルネサンスを代表する画家たちの佳品の中では,ベッカフーミを見直し,ピエロ・ディ・コジモという画家のおもしろさを再確認した.


写真:
ベッカフーミ作
トンドの「聖家族」


 フィリピーノ・リッピの作品は2点あり,父であるフィリッポ・リッピの作品も今回鑑賞することができた.3点とも小品で地味だが,立派な絵だった.

 マザッチョの「聖ユリアヌスの物語」は小さい板絵で,損傷が激しい上に,収められているガラスケースが光を反射してよく見えない.ガイドブックの写真で見てもその真価を理解するのは難しい.むしろ彼の弟スケッジャの「聖母子と二人の天使たち」を今回じっくり見ることができて良かった.1426年頃の作品と言う説明を信じるなら,夭折した偉大な兄がまだ存命中だったことになる.

 南トスカーナの画家ではバルトロメオ・デッラ・ガッタの「聖ロッコ」も見られた.

 シエナ派では無名の画家の「キリスト磔刑」の他に,ピエトロ・ロレンゼッティ(ロレンツェッティ)の「三人の聖人たち」,伝シモーネ・マルティーニの「キリスト磔刑」の他に,これはすばらしいと思わされたのが本物のシモーネ・マルティーニに間違いないであろう「聖母子とピエタのキリスト」であった.これ1作だけでも,ホーン美術館を訪れる価値がある.

 フィレンツェのジョッテスキでは,ベルナルド・ダッディの「キリスト磔刑」と「聖母子」,タッデーオ・ガッディの「聖母子」,アーニョロ・ガッディの「聖なる顔」がそれぞれすばらしい作品だった.

 果たしてジョット派と言ってよいのかどうかわからないが,人によってはスピネッロ・アレティーノの師匠とするヤコポ・デル・カゼンティーノの「聖母子」がジョットの「聖ステパノ」の隣にある.ジョットの隣でも見劣りしないといったら褒め過ぎになるかもしれないが,堂々たる傑作に見える板絵だ.

 カゼンティーノの作品は,ウフィッツィにも「聖母子と聖人たち,聖痕を受けるフランチェスコ,2人の女性聖人たち,キリスト磔刑」の携帯聖櫃があるが,こちらは小さくて真価がわかりにくいし,サン・ミニアート・アル・モンテ教会やアカデミア美術館で見られる作品もこれほどのものはなかったように思う.これで実力者であることは十分認識できた.

 オルサンミケーレ教会の前のダンテ協会が入っている建物の入口近くにタベルナコロがあり,「玉座の聖母子」の立派なフレスコ画があるが,この作者がカゼンティーノとされている.いつ見ても保護しているガラスが反射して十分な鑑賞ができないでいるが,チャンスがあればじっくり見てみたい.

 フランチェスコ・フリーニの3つの作品のうち大きな2点が,ピッティ宮殿の銀器博物館の特別展に出張中で見られなかったし,シエナの彫刻家ヴェッキエッタの彩色木彫の胸像「聖パウロ」も今回は展示されていなかった.

 ロレンツォ・モナコの「キリスト磔刑像」もさることながら,孫弟子のベノッツォ・ゴッツォリの最晩年の油彩画「キリスト降架」が,褪色が著しいにも関わらず,この画家の最高傑作ではないかと思えるほどすばらしい作品に見える.十字架から降ろされるイエスの遺体を見上げるマグダラのマリアたちの表情が立派だ.


写真:
ベノッツォ・ゴッツォリ作
「キリスト降架」(部分)


 ジョットの「聖ステパノ」が飾られている壁の真下に,17世紀イタリアの戸棚があり,その上に15世紀トスカーナ地方の彩色木彫の胸像「受胎告知のマリア」が置かれている.無名の作家の可憐な少女のような作品が愛らしいが,これがまたジョットやカゼンティーノが掲げられている部屋の雰囲気によくあっている.

 ホーン美術館で感心するのは,展示の仕方がたいへんわかりやすく,ところどころに置かれている昔の調度品が,この宮殿の雰囲気に実によく合っていることだ.上流階級の若い女性が輿入れの時に持っていく「長持ち」と訳されるカッソーネという長方形の大きな箱が幾つか有り,そこに施された絵や彫刻の装飾が良い.

 閉館の1時近くになると,人のいなくなった部屋はどんどん閉め始めるので,ホーン美術館は閉館時間をしっかり頭において,フィレンツェで時間に余裕がある人は,是非見学すべきだろう.

写真:
「聖ステパノ」」
ジョット作
「受胎告知のマリア」
作者不詳



4度目のウフィッツィ美術館
 1時少し前にホーン宮殿を辞去して,帰宅すべくシニョリーア広場の方に向かった.この時期は大学が休みに入ったせいか,日本人の若者を多くみかけるし,年配の人も含む団体も珍しくなく,あちらこちらで日本語が聞こえる.暖かくなり,復活祭も近づいてきて,また観光シーズンが巡って来たのであろう.

 ウフィッツィもこれからは予約するか,長い行列を覚悟しないと難しいだろうなと思っていたが,念のために美術館の開廊を覗くと,思ったより列が短かった.とりあえず並んでみた.30分かからないで入館できた.

 1月に終了予定だった特別展の会期が4月まで延長されたようで,通常6.5ユーロの入館料が今日も10ユーロだった.前回は疲労困憊で十分な鑑賞ができず,もう1度見たいと思っているうちに,終了予定日を過ぎてしまった特別展だ.その意味では幸運だった.

 特別展は順路の最後にあるので,同じ轍を踏まないよう,しっかりとしたペース配分が必要だった.最後に,フィレンツェで活躍したナポリ派の画家,サルヴァトール・ローザとルーカ・ジョルダーノの作品を鑑賞する体力を十分残しておくことを念頭に置きながら,いつものように順路に従って,中世末期の絵画から鑑賞を始めた.

 その前に発見があった.3階の展示室に向かう階段を登りきったところの,入口の前のスペースの壁の両側に大きな絵が2つある.メディチ家から2人出たフランス王妃カトリーヌ・ドゥ・メディシス,マリー・ドゥ・メディシスのそれぞれの結婚が画題だ.描いた画家はエンポリ.ここでエンポリに出会えるとは驚いた.

 また,入り口に入る前の横手にエレベーターが着く部屋があり,階段を使うとこの部屋は通過しないので見落としがちだが,ここにマザッチョの故郷サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ出身のジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニの何枚もの神話や聖書を題材にした小さな絵が展示されている.

 作品として優れているかどうかはともかく,フィレンツェ近傍の,私たちが好きな小さな町エンポリとサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノに所縁ある画家たちの絵が見られるのは嬉しい.



 ウフィッツィは4回目だが,いつ行っても新しいものが見られる.今回は,これまで修復のため閉められていた第35室「フェデリコ・バロッチと対抗宗教改革時代の絵画」の部屋が再開され,見たかどうかいつも記憶が曖昧だったバロッチの「民衆の聖母」を初めて見ることができた.

 ガイドブックその他に写真付きで紹介されることが多い作品なので,あるいはそのせいで見たような気になっていたのかも知れないが,この絵の大きさ,華やかさはやはり実物を見てこそわかるものだろう.ローマ,ウルビーノ,ボローニャでバロッチの作品を何点か見ているが,この絵が一番すばらしい.

 フィレンツェを初めとするイタリア諸都市で教会めぐりで,すっかりおなじみの「対抗宗教改革」(反宗教改革=カウンター・リフォーメイション)時代の絵画だが,さすがにウフィッツィに収蔵されている作品はチーゴリの「キリスト降架」,エンポリの「聖バルバラの殉教」,サンティ・ティートの「キリスト磔刑」などは,どれも大きくて,すばらしい作品だった.

 初めてウフッツィに行く人は無理かもしれないが,2回目以降の人は,マニエリスムとヴェネツィア派,ロンバルディア派のあたりでうんざりしてしまわない体力を,この部屋まで残しておいた方が良い.私は少なくともウフィッツィにある作品で比べるならば,ヴェロネーゼやティントレットよりも対抗宗教改革の時代の絵画のほうが好きだ.



 さすがウフィッツィだと思うのは,ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」が3月からの東京出張に備えて外されていたのを初め,マンテーニャの絵が1点特別展出張中など,修復中(ラファエッロ,コレッジョなど)も含めると展示されていない有名な作品が少なくないことだ.

 逆に特別展から帰ってきて新たに見られる作品もある.前回も見たが,レオナルドの「受胎告知」,コスメ・トゥーラの「聖ドメニコ」などがそうだ.前者にはまだ開眼しないが,後者に関してはコスメの作品が見られるというだけで嬉しい.

 レオナルドと同じ部屋にはペルジーノの作品があるが,同時代の人々からも同じような作品が多いと貶されていた彼にしては新鮮な作品があるように思われる.

今回は,同じ部屋にあるピエロ・ディ・コジモの「キリストの託身」がとても立派な作品に思えた.作品に共通する特徴よりも,一つ一つの絵がそれぞれ個性的なことに驚かされる画家だ.


 フィレンツェに来たばかりの時,前の寓居の近くだった捨て子養育院で「玉座の聖母子と聖人たち」に出会うまで,存在すら知らなかったが,実は,前年にローマのバルベリーニ国立古典絵画館で彼の「マグダラのマリア」を見ていた.その時も特に注目しなかったが,昨年10月にこの「マグダラのマリア」に再会して,この画家の天才に目を見張った.

 先日見たヴェッキオ宮殿ロウザー・コレクションの「キリストの受難」,ホーン美術館の「聖ヒエロニュモス」も個性豊かな作風だった.天下の鬼才と言うべきだろう.



 中世末期から国際ゴシックにかけての時代の絵が一番良いという感想は,あと何度か訪れてもしばらくは続きそうだ.前回,ジョットにしては不満に思えた「バディアの多翼祭壇画」も,今回はホーンで「聖ステパノ」を見た余慶か,再び傑作に思えた.

 ジョットの「オンニサンティの聖母」がすばらしいのは言うまでもないし,ドゥッチョの「マエスタ」が大傑作だなんて,私が言わなくても誰もが思うことだろうが,見るたびに,ドゥッチョに続くシエナ派のすばらしさを思い知らされる.

写真:
シモーネ・マルティーニ作
「聖母子」
ホーン美術館


 国際ゴシックの部屋ではジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの「四人の聖人たち」の立派さに気づくことができた.豪華絢爛の「三王礼拝」だけが彼の傑作ではない.華やかな色彩に修復されたロレンツォ・モナコの大きな祭壇画よりも,マゾリーノ作とされる「授乳の聖母」,スタルニーナの「聖母子」など小さな作品が好ましく思われた.



 暗くて狭いので見落としがちだが,トリブーナと呼ばれる八角形の展示室にはブロンズィーノ,ポントルモが描いた肖像画などの絵が多く展示されている.アンドレア・デル・サルト,チェッキーノ・デル・サルヴィアーティ,ロッソ・フィオレンティーノなどルネサンスからマニエリスムの大芸術家たちの小品がたくさん見られ,どれも立派な作品だ.

奇を衒って言うようだが,私がこの部屋で何度も見たいのはフランチャビージョの「聖母子」だ.今回,あらためてその可憐さに見入ってしまった.


 ブックショップには29ユーロの日本語版もある充実のカタログがあり,フランチャビージョの「男の肖像」は紹介しているのだが,「聖母子」(「井戸の聖母」という通称があるようだ)は載っていなかったので,今回も買わなかった.



 ウフィッツィに関しては,できれば滞在中にもう一度,日本に帰国後,観光客としてイタリアを訪れる際にも何度か訪れたい.

 しかし,どこに行っても私たち2人だけということが少なくかったイタリアの美術館の中で,ウフィッツィは懸絶して見学者が多い.この日も日本人やイタリアの高校生,大学生の団体が少なくなく,ガイド付きで有名作品の前に立ち止まると,それだけでその他の見学者が迷惑しているように思えた.

 幸いなことに,幾つかの作品以外は素通りなので,私は「迷惑」とまでは思わないし,さすがに美術館をわざわざ旅程にいれるような人たちには傍若無人の振る舞いはないが,あちらこちらで作品に近づき過ぎて警報音が鳴っても,自身が携帯電話でのおしゃべりに夢中な館員もいて,制御もままならず,少し以上に落ちつかない.

 ウフィッツィに行くなら,観光シーズンはもちろん,団体客や中高生の集団が来る時期も,避けられるものなら避けたい.もちろん団体客が悪いわけではない.もし,イタリアの国立美術館が独立採算ではなく,ウフィッツィやフィレンツェのアカデミア美術館で稼いだお金が,ピサ,シエナ,フェッラーラ,ボローニャ,ペルージャ,ウルビーノなど,傑作に満ちているのに見学者が少ない美術館,絵画館の維持にも使われるのであれば,それはそれで良いように思う.

 しかし,大人数を連れたガイドが現場で足を止めて説明を始めるのは,少なくともウフィッツィでは禁止した方が良い.ガイドが蓄えた知識,教養は,できれば何か別の仕方で前以て見学者へ伝授する形にした方が良いのではなかろうか.



 階下のカラヴァッジェスキと特別展のコーナーに下りる前の最後の部屋,カナレットなどがある第45室にティエポロの絵が2枚ある.イタリア・ルネサンスの叙事詩に取材した絵のようだ.

 私はティエポロにまだ開眼するに至っていないし,この絵が彼の作品として優れているのかどうかも良くわからない.しかし,この絵の前で,「おお,ジャン=バッティスタ・ティエポロ!」と歓声をあげ,ガッツポーズをして,連れの男性に感激を伝えるフランス語話者の女性をみて,感動を禁じ得なかった.

 ソドマの「聖セバスティアヌスの殉教」と古代石棺の彫刻を見ながら階下に降り,特別展とカラヴァッジョ,カラヴァッジェスキの作品を今回は十分に鑑賞して,帰路に着いた.ウフィッツィで必要なのは体力と気力だ.





ウフィッツィ美術館のバールにて
後方にヴェッキオ宮殿